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【コミカライズ第2巻6/27発売】ルベウスの魔女とアルスマグナ 〜乙女ゲームのアンチヒロインは世界の滅亡を回避したい〜  作者: 阪 美黎
第2章 眩惑蝶の皇子

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眩惑蝶の皇子(2)

 ゲーム内の背景画像で目にしていたルーキス・アダマスの屋敷はあくまでも『背景画』に過ぎなかったが、今アウロラが目にしている光景は、まるでおとぎ話に出てくる貴族のそれであった。

 元王族にふさわしい邸宅、いや、もはや宮殿だ。立体建造物になると背景画とはまったくの別物。

 次から次にやってくる馬車は着飾った紳士、淑女を吐き出しては、まばゆい光が溢れる空間へと吸い込んでいく。

 アウロラたちを乗せた馬車の扉が開くと、ノヴァが先に降りて手を差し伸べた。

「お手をどうぞ、お姫様」

 おどけた口調の彼に微笑んで、アウロラも手を伸ばして答える。

「えぇ、ありがとう。王子様」

 ノヴァの横に立ち、腕に掴まるとアプローチから伸びる階段をのぼる。周囲の視線が彼らに注がれる。この一対の美しい存在が何者であるか尋ねる必要はなかった。彼らの整った容姿と色彩が雄弁に物語っている。ああ、あれがルベウスとサフィルスの後継なのかと。

 興味と少々の毒気が混じった眼差しをすり抜けて、ノヴァに導かれるままクロークへ向かい、外套をあずけると大広間へ繋がる廊下に佇む。

 視線が四方から刺さり、なかなかに居心地が悪い。

「…わたしたち、すごく見られてるわ」

 ノヴァにだけ聞こえる声音で告げると、「そうだな」とノヴァも小さく頷く。

「俺はともかく、アウロラはこの場が初披露になるからな。貴族や政治家連中は気になって仕方がないんだ。なにせ次の王佐だからな。…今夜は次々と従者を使って探りを入れてくるだろうよ」

「…まだまだ先のことなのに。それにこの国の王佐は相談役であって政治には介入しないわ」

 現王には7歳になる皇太子がいる。アウロラが王佐になるのはこの王子が王位を継承してからだ。

 そんな未来の話より、アウロラの目下の問題である、厄災の魔女を回避する方が大事なのだが(世界が破滅してしまっては王佐も何も意味がない)。

「アウロラはいつも通りにしていればいいさ。何かあれば俺が対処する。心配しなくてもいい」

「ふふ、頼もしいわ」

「そういうのも俺の役目だからな」

 軽く肩をすくめるノヴァに微笑んでいると、ふたりに近づく人影を感じてそちらに目を向けた。

「アウロラ、ノヴァ」

 女性的なラインを強調した美しいドレス姿のステラが、こちらもまた、より男前な装いのラウルスを連れて声をかけてきた。

「まあ、ステラ!素敵ね、とても綺麗だわ!」

 年齢よりも大人びた彼女によく似合う、デコルテが大きく開いたドレス。髪型も夜会巻きにして首を出し、同性から見ても羨ましい色気だった。

「ありがとう、アウロラ。今夜のあなたに言われると気恥ずかしいわ」

「?どうして?」

「だって、あなたたち、まるでおとぎ話のお姫様と王子様みたいに別世界の住人なんだもの。眩しすぎて声をかけるのを一瞬ためらったくらいよ」

 ステラは微苦笑した。その言葉にアウロラはノヴァと顔を軽く見合わせて頷く。

「ええ、ノヴァはね」

「アウロラはな」

 …と、互いが発した言葉にまた顔を見合わせて瞬きを繰り返す。

「…ふたりとも、見せつけるのはそれくらいにしてくれないか」

 ラウルスがやれやれと腰に手を当てた。

「ラウルスの夜会服、とても華やかね。あなたによく似合っているわ」

 この頃になると、アウロラはフローレスクラスの面々とは名前で呼びあうほどには打ち解けており、彼とも自然に会話ができるまでに順応していた。

 令嬢たちの視線が彼に向かう度、さりげなく愛想を振りまいて彼女たちを楽しませている。

 ノヴァも同じように視線を集めているのだが、ラウルスと異なり無視を決め込んでいる。この差である。

「…で?俺とノヴァ、どっちがアウロラの好みだい?」

 魅惑的な笑みを浮かべ、ぐっと顔を近づけるラウルスに、アウロラは告げる。

「ノヴァよ」

 あっさりと。

「……くっ、少しは迷って欲しかった。…って、おいノヴァ、その勝ち誇ったような顔はやめろ」

「してない」

「してる。口の端が笑ってる」

「当たり前じゃない、ラウルス。その選択肢でアウロラがあなたを選ぶわけないでしょ」

 腕組みをし、呆れたようにステラは息を漏らす。

 ステラとラウルスは実は幼少期から互いを見知っていて、仲もそれほど悪くない。エスメラルド家はステラの家の占術に世話になっており、互いの親が出入りしている間に顔見知りになったらしい。

 舞踏会も気遣いが不要ということで、ステラがラウルスにエスコートを頼んだのだそうだ。ラウルスからしても、他の令嬢を誘うことで立ちそうないくつもの角を丸く収めることができる相手がステラだったのだろうと思う。お互いに好都合だったのだ。

「それにしても…さすがルーキス・アダマス家のお屋敷ね。特に今夜は格式高い広間を解放しているけど、それにふさわしい顔ぶれだわ」

 魔術師は政治に関わらないのが原則なのだが、ルーキス・アダマス家は王家筋なので貴族や政治家も彼らを軽視できない。逆にルーキス・アダマス家にとっても無視するわけにはいかない間柄。舞踏会の招待客は貴種と要人に溢れている。

「ステラはみなさまに詳しそうね」

「わたしも顔を知ってるって程度よ。貴族も政治家も、なんだかんだで占術に頼っているところがあるから。高じて我が家は一種のサロン状態よ。情報が集まりやすい場所になっているのは確かね」

 大人たちの視線がひとところに集まっていることもステラは感じている。皆、アウロラを見ている。今夜の主役は彼女ではないが、彼女への関心の高さは尋常ではないだろう。何と言っても、次代の王佐。

 その類い稀な美しさだけでなく、圧倒的な魔力を保持し、この国を守る要の存在への畏怖。挨拶を交わすだけでも身構えてしまうほどの鋭い一瞥。頼もしさと同時に、恐怖を覚える対象。

 アウロラの母、アレクシアはまさにそれを体現したような近寄りがたさだが、アウロラは異なっている。ただただ可憐な一輪の花。はじめて彼女を見る者からすれば、母娘の落差に戸惑うのも無理はない。

「…ん?ちょっとざわついたきたな。そろそろ皇子様のご登場かな」

 ラウルスが軽く周囲を見渡す。…と、閉ざされていた廊下の扉が開き、呼び出し係が姿を現わす。

 それを合図に各々廊下の両端に寄り、賓客を迎えるため姿勢を正して静まった。

「フューシャ国第一皇子、ヘレル・ラトナラジュ皇太子殿下。お出ましでございます」

 呼び出し係の言葉の後に、扉が開き、ルーキス・アダマス家の当主に先導されて暗がりから鮮明な輪郭線を描いて皇子は静かに登場した。

 フューシャ国の皇太子、ヘレルはまさに思い描く通りの南方にあるオアシス都市の皇子であった。

 褐色の肌、黒い瞳、緩く波打つ髪。ゆったりとした自国の衣装に袖を通し、神秘的な香りを纏わせている。

 近しい従者を引き連れて彼が通り過ぎると、居並ぶ者はわずかに瞳を伏せ身を屈ませ礼を尽くす。

 彼らの後ろにグロリアとクラリスも続く。

 グロリアは相変わらず目が潰れそうな高貴さを放っているが、クラリスはピンクのシフォンドレス姿でまさに妖精の愛らしさだ。

 かわいい……クラリスがかわいい…!

 アウロラは彼女の可愛らしさに伏せながら胸を震わせた。

 あんなに可愛らしいのだもの、恋に落ちない男性はいない。断言できる!

 この舞踏会が彼女の縁談も兼ねているのだとしたら、もう半分以上成功したといっても過言ではないと思った。

 場所を大広間に移すと、改めて皇子の紹介が始まり、そして促されて彼も挨拶に立った。

「此度は、私たちのためにこのような素晴らしい舞踏会を開いていただき感謝いたします」

 まだ少年さを残す声音だ。母国語は異なっているのだが、流暢に言葉を操っている。

 そうして、この場にお決まりの挨拶を彼が一通り述べ終わると、舞踏会の夜は幕を開けた。

 はじめのカドリールはルーキス・アダマスの家人や格式の高い招待客が踊り、そして曲はワルツへと。

 招待客が次々に踊り出し、大広間は華やかになっていく。

 その間、アウロラはテラスからクラリスとヘレルを見守っていた。ふたりはグロリアを介して会話をしているようだった。

 皇子は物静かな雰囲気で、話し好きなクラリスに相槌をうっているようだった。相性は悪くなさそうだ。…しかし。

 ヘレルの容姿をこの目で確認して、アウロラは違和感を持った。

 彼は美形である。いわゆる、攻略対象キャラクターとなんら遜色のない容貌と身分を持っている。それなのに、ゲーム上で彼が登場したことはなかった。モブキャラとしても。

 続編も作られていないマイナーゲームであるため、2作目でヘレルが追加されたということもない。つまり、アウロラはまったく彼を知らないのだ。

 明らかな美形のヘレルが攻略対象キャラクターでないことに違和感がある。攻略対象でないキャラクターが美形であることも珍しくはないのが乙女ゲームであるが…。

 記憶にない美形キャラクターの登場は、アウロラにわずかな懸念を抱かせていた。

 じっとヘレル皇子を見つめるアウロラにノヴァが耳打ちする。少し、面白くなさそうに。

「…あの皇子が好みか?」

「……えっ?!」

「ああいうのが好きなのか?…意外だな」

 驚いてノヴァを見上げる。

「何を言ってるの」

「随分熱心に見てただろ」

「そ、それは……」

 見ていたのは確かだが、異性としての興味ではない。

「誤解だわ、クラリスを見ていたのよ。今夜のクラリスがあまりに可愛らしい妖精さんだから顔には出さずに悶えていたのよ。可愛いわ、可愛すぎるわ」

 抱いた懸念については彼に説明できないため、嘘ではないが嘘をつく。

「悶えるなよ…」

 ノヴァは若干引き気味になる。

「これが縁談なら、わたしには彼女を見守る義務が…!」

 アンチヒロインとしては、クラリスにフラグが立たないことに責任を感じる。

「そんな義務はないだろ?……ほら、踊ろう」

 と、彼女の意識をクラリスから引き剥がすために、アウロラの手を引いてテラスから踊り場に連れ出す。

 慣れた手つきでノヴァはアウロラをくるりと回して正面に立たせると、手を重ねてホールドする。あとはもう、自然な呼吸でふたりはステップをはじめるだけだ。

 踊りだせば、楽しくなる。

「今更だけれど、わたしが舞踏会で踊っているだなんて、なんだか不思議な気分だわ」

「ずっと俺相手に練習してるだけだったからな」

「あら、ノヴァと踊るのは好きよ。とても楽しいもの」

「……それはよかった」

 ダンスの練習相手はノヴァ以外ではオルキスやウィスタリアも相手をしてくれたし、なぜかアレクシアも男性側が得意であった。

 身内以外とは踊ったことがないが、とくに気にしてはいない。ノヴァのリードが一番落ち着ける。

 けれども、ノヴァはアウロラ以外の女性とも踊ってみたいのではないだろうか。今夜は、その機会になるかもしれない。

 一曲踊り終えると、わずかに広間がざわつく。

 踊り場にいる男女が道を譲るようにしてふたりの前に現れたのは、夜会服でさらに煌めき増したグロリア・ルーキス・アダマスその人であった。

 うっ、神々しさがいつも以上で眩しい!目が潰れてしまうわ…!

 彼の周辺だけ発光でもしているかのようだった。

 グロリアはアウロラに話しかける。

「ルベウスの姫、私と一曲踊ってほしい」

 次にノヴァを見て尋ねる。

「構わないだろうか」

 立場的に、ノヴァに拒否権はない。アウロラが望まない場合を除いては。

「…ええ、彼女次第ですが」

 ふたりの視線、周囲の興味が一斉にアウロラに注がれる。

 この誘いを断れるわけがなかった。断れば、グロリアに恥をかかせることになる。コランダムととルーキス・アダマスの間に不穏な気配があってはならない。

 腰が引けるのをこらえながら、アウロラは薄く笑みを作った。

「はい、グロリア様。喜んで」

 アウロラの返事に、ノヴァは彼女の手をグロリアに委ねて身を引く。

 そして待ち構えていたかのように次の曲の演奏がはじまり、アウロラはグロリアのリードに合わせて踊り始める。

 表情は平静を保っているが、内心は挙動不審もいいところ。

 ああああ、どうしてこんなことに…!グロリア様にダンスを申し込まれるなんて想定外だわ。

 とにかく。足を踏んでは駄目。ピカピカに磨かれているグロリア様の靴を踏んでは駄目。全神経をステップに集中させるのよ!

「妹と懇意にしてくれて嬉しく思う。あの子はいつもあなたの話をしてくれる」

「光栄でございます。わたくしもクラリス様には仲良くしていただいて…」

 なんとか笑みを浮かべて答える。

「今宵のあなたは美の女神も恥じらうほどに可憐さだ。ドレスもあなたによく似合う」

「…あ、…ありがとうございます」

 社交辞令だとわかっていても、アウロラは赤くなる頬を止められなかった。

 その恥じらう様も好ましく、グロリアは笑みを浮かべる。

「できることなら、ずっとこうして踊っていたいほどだ…ルベウスの姫」

 囁きかける声は、甘い。

「……っ…」

 し、心臓!心臓に悪いわ!

 体を密着させているだけでも緊張するのに、こういった社交辞令は本当に心臓によくない。口説かれているわけではないはずだが、もしかしたらそうではないのかと勘違いしてしまいそうになる。

 なるほど。こうやって勘違いした者が、彼に恋に落ちるのだ。

 ああ、やっぱり、こ、怖いっ!なんておそろしい殿下の天然スキルなの…!

 話を、話を逸らさなきゃ…!

 あくまでも平静を装いつつ、アウロラは口を開く。

「…じ、実は…家族以外と踊るのは初めてなのです。ですから、とても緊張していて…」

 嘘ではなかった。

 アウロラのダンスの相手は常にノヴァで(お互いがあらゆる踊りの練習相手であった)、彼のリードが自分にとっての標準である。グロリアのリードは貴種ならではの優雅さで、華やかでもある。

 だから気づくこともある。ノヴァは、アウロラが踊りやすいように、彼女が際立つように合わせてくれていたということを。

「それはとても光栄なことだ。…あなたのはじめての相手が私でよかった」

 なぜか嬉しそうに微笑まれる。

「このことは、忘れぬように日記に残しておかねば…」

 に、日記に?!他にもっと書くべき大切なことがあるはずでは…?!

 真面目が過ぎて天然な彼らしいが。

 ぎょっとするアウロラだったが、反面、ノヴァと踊っていた時とは違う類の眼差しに晒されて震え上がってもいた。

 あちらこちらから鋭く、容赦のない視線が突き刺さっている。グロリアと踊ることを快く思わない令嬢たちのそれだ。

 しかし、これは当然の結果だと思った。グロリアに憧れ、恋心を抱いている令嬢たちは数多いる。その中で家柄の義理だとはいえ、社交界の新参者がダンスを申し込まれ、あまつさえ親しげに会話をしたとあっては嫉妬され、恨まれるはやむを得ない。

 他者の嫉妬が邪魔にならないのはヒロインで、悪い方に転がっていくのがアンチヒロイン。……まずい。

 赤や青にアウロラが顔色を変えている間、ノヴァは離れたところから彼女とグロリアを見守る。グロリアは普段、自分から進んでダンスを申し込まない。跡取りとして必要な行動だと判断しない限り、誤解される行動は慎んでいる(つもりなのだあれでも当人は)。しかし、アウロラには自らの意思で申し込んだことは明らかだった。それでもノヴァと踊るまでは待っていたに違いないのだが、とはいえ、周囲への影響を鑑みないところがさすがである。

 グロリアはアウロラに対して必要以上に好意的であると感じていた。ルベウス…いや、コランダム家とルーキス・アダマス家は適度な距離間を持つことによって魔術師と王侯との勢力均衡を保ってきた。ルーキス・アダマス家は中立を旨としながらも王侯の側に立っており、魔術師側に立つコランダム家と懇意にしすぎればどこかで争いの種を生み、互いの立場を危うくしてしまう。思慮が足りないわけではないのだろうが、彼がアウロラに対して『本気』であるならノヴァも今後静観しているわけにはいかない。ルーキス・アダマス家の体面はどうでもいいが、アウロラがグロリアを惑わしていると王侯から憎悪されるような状況を作り出すわけにはいかない。

「…怖い顔してるぞノヴァ。そんなに見張ってなくても、殿下……グロリア様はアウロラに悪さしないだろ」

 揶揄する言葉にはっとする。

 いつの間にかラウルスがノヴァの隣に立っていた。彼の気配にも気づけないほど集中していたようだ。しかも、感情が顔に出ていたとは。

「…未熟だな」

「あぁ、未熟ついでに、お前はもっと遊びを知るべきだ」

「…は?」

「ちょっと来い」

 ラウルスはにっこり笑ってノヴァの腕を掴むと歩き出す。

「お、おい、ラウルス…!俺はアウロラの傍に…」

「お前がべったりはり付いてたら彼女の出会いが減るだろ。それはお前も同じだ。……まあ、いいから来いって」

 半分引きずられながら踊り場を振り返る。人の輪の中でグロリアと踊るアウロラが人波に消されていった。



 ※



 なんとか無事に1曲を踊り終えて、丁重に礼を述べグロリアから離れたアウロラはすぐにノヴァを探したものの、大広間に彼の姿はなかった。

 戸惑って足を止めた途端、アウロラの周囲を貴族の令息や紳士がとり囲もうとする。彼らはお目付役ノヴァがいない隙を狙いに来たのだ。が、思わせぶりな笑みと流し目を残して素早く彼らをやり過ごす。(男たちに囲まれることを心配した)ウィスタリア直伝の身躱しだ。

 ノヴァは「アウロラに一体何を教えてるんだ」と険しい表情を浮かべていたが、さすが遊び慣れたウィスタリア。これは効果てき面であった。

 そうやって何人もの青年たちをやり過ごし、廊下に出る。油断すると囲まれそうになるので、とりあえず一息つける場所を探そうと思った。

 軽食が置かれた別室を通り過ぎて、休憩のために解放されているいくつかの部屋の前まで来たとき、若い女性たちの華やぐ声音が耳に届く。その声に興味を引かれて歩み寄れば、令嬢たちが寄り集まっている。その中心にノヴァの姿を見つけて驚き、そして咄嗟に身を隠す。

 慎重に部屋を覗き込んで改めて確認すると、ラウルスと共にノヴァが貴族の令嬢たちに取り囲まれている。

 楽しげなラウルスとは異なり、ノヴァは少々困っているようであったが魔法学校ではけして目にしない貴重な光景であった。

 ノヴァが……ノヴァがモテているわ…!そうよ、これよ、これが見たかったのよ…!

 舞踏会は若い男女の出会いの場。古めかしい表現をするならば歌垣、俗に言うならコンパ(コンパニー)である。

 つまり、これはノヴァが恋に出会うチャンス!

 思わず覗き見する手に力がこもった瞬間、背後から声をかけられる。

「そんなところで何をしているの、アウロラ」

「……っ?!」

 驚いて振り返るとステラが怪訝そうに彼女を見つめていた。

 彼女はすぐにでも男性たちに囲まれて、彼らの相手をするのに忙しそうであったが抜け出して来たのだろうか。ステラを放置して貴族の令嬢たちに囲まれているラウルスに少々問題を感じるが、ステラが気にしている様子はない。最初から別行動を申し合わせていたのかもしれない。

 そして…今のアウロラは客観的に見ると確かに怪しいだろうと思う。

「えっと……ちょっと観察を…」

「観察って………あぁ…」

 アウロラが熱心に見つめていた先をステラも確認して頷いた。

「ラウルスもノヴァも見慣れないハンサムだものね。彼女たちからすると魔術師はアヤシい魅力に溢れてるみたいだし、さすが美味しいにおいには敏感だわ」

 ステラはわずかに冷笑を浮かべた。

「特に今夜のノヴァは随分と磨きがかかってるし…学校の女の子人気でグロリア様と対を張ってるのも納得よ。明日からノヴァに恋文が届くようになるかもしれないわね。彼女たちは魔法学校の子たちとは違って、線引きなんかしてないから」

「こ、恋文が…!」

 それは、滾るわね…!

 胸をときめかせるアウロラに、ステラは首をひねった。

「あなたはいいの?」

「?何が?」

「だから、あなたはノヴァが…誰かと恋をしてもいいの?」

 問われて一瞬口をつぐみ、そして告げる。

「ええ、構わないわ」

 アウロラは頷く。

「…ノヴァには幸せになって欲しいの。だから、彼に好きな人ができたら、わたしは応援するし、けして邪魔をしないわ」

「…それって……アウロラではいけないの?」

「え?」

 問われてどきりとする。

「ノヴァと恋をするのは、あなたでもいいのではなくって?姉と弟といっても、同い年…血縁はほとんど他人なのでしょう?戸籍も同一ではないのでしょうし」

 常々不思議に思っていた。アウロラとノヴァの関係は、姉と弟と呼ぶにはあまりに密接過ぎる。

「………」

 押し黙ったアウロラに、ステラははっとして謝る。

「ごめんなさい。わたしは部外者なのに、立ち入ったことを聞いて」

「……いいえ、いいの。ステラ、実はね…」

 アウロラは躊躇いがちに言葉を続けた。

「…ノヴァはフラテルにはなりたくなかったの。でも、嫌がる彼を無理に説き伏せて、わたしのフラテルになってもらったの。彼は望んでいなかったのに、わたしはわたしの都合で彼を縛り付けてしまったの。わたしと一緒に生きることを強要してしまった。……だから、せめて誰かを好きになる自由だけは、奪ってはいけないと思って来たの」

 それに。

「わたしは家族であって、彼の運命の相手ではないわ」

 ヒロインではないアンチヒロインのわたしは彼の恋の相手にはなり得ない。クラリスがそうでないのなら、別に存在する運命の相手を見つける手伝いをしたい。

「…彼はそれほど器用ではないでしょうに」

 ステラは微苦笑して呟く。

 彼の優先順位は常にアウロラが一番なのだ。サフィルス・コランダムとして生きる彼の絶対的なさだめ。アウロラを一番に置いたまま、他の女性を愛することが彼に可能なのだろうか。あらゆる面でアウロラを優先するとなれば、相手の女性にも失礼だと考えるだろうし……そもそもそのような状況を彼が望むとは思えない。

「あなたを差し置いて、ノヴァが恋をするとはわたしには思えないわ。彼はとてもあなたを大切にしているのだし」

「ステラ…恋は理屈じゃないわ。その相手が現れたら、目の前にわたしがいても関係ない。きっと嵐のように心を奪っていくのよ」

 その様をどんな気持ちで見つめることになるのだろうか。最も近しいところで。

「さみしくないといえば、嘘になるわ。でも、我慢できるわ……ノヴァの幸せのためだもの」

 ノヴァと出会った頃は、10歳の肉体であっても大人の精神が勝っていたのでまさに『姉』としての余裕があった。だが、所詮精神は肉体に付随するもの。情緒は16歳の身体に引きずられる。

 アウロラとは入れ替わるたちで、ノヴァは年齢より大人の落ち着きを見せるようになった。精神的な優位さは近い将来、意味をなくす。

 まだ自分が『大人』でいられる間に、彼に恋人を見つけてほしいと思うのだ。これは、わがままなのだろうが、まだ見ぬその相手に嫉妬してしまうかもしれない自分をおそれている。それほどに、ノヴァは情が深く、アウロラに優しすぎた。

 その嫉妬心が引き金になり、結局アウロラは厄災の魔女に成り果てるかもしれない。本末転倒とはこのことだ。そんな愚かしい女になってはいけない。なりたくはない。

「……そう。あなたがそこまで心を決めているのなら、わたしが口出すことではないわね…」

 ステラは息をつく。

 答えはすでにでているように思うが、想像していたよりずっと一通りではない間柄のようだ。不器用なふたりが着地点をどこに見出すのか、占ってみたくもなるのだが……これは余計なお世話というものだろう。

「ええ、だから、ノヴァに声はかけないでおくわ。こういう出会いは大切にしないと」

 アウロラは微笑むとドレスの裾を翻し、「少し風にあたってくるわね」と庭園へと続く低い階段を下っていった。

 部屋の中ではまだ令嬢たちに囲まれるノヴァのラウルスの姿がある。ノヴァは最低限の愛想を振りまいてはいるが、内心はうんざりしているのではないか。

「…声をかけて彼女たちを蹴散らした方がノヴァは喜んだでしょうに。アウロラったら…」

 察しがいいようで、こういうところは節穴なのだから。

 まあそこが、アウロラの可愛らしいところでもあるのだけれど。

 軽く肩をすくめて息をつくと、彼らを尻目にステラも身を翻して大広間へと戻った。




 理由をつけて浮ついた令嬢たちから逃げ出し、テラスまでやってきた。手すりに手を置いて、ノヴァは疲れた息を漏らす。

 ラウルスに連れて行かれた部屋で待ち構えていたのは貴族や政治家の令嬢たち。事態に気づき、すばやくラウルスを睨むと、「紹介してくれと頼まれた」と悪びれることなく言い放ったのだった。

 彼女らは単体でいる分にはたおやかな花だが、束になると手に負えない猛獣と化す。矢継ぎ早にあれこれ質問をされ、無難な答えをひねり出し続けて、疲れ果てた彼である。サフィルスの家業からすれば、彼女らは顧客候補でもあるので無下にもできず、愛想笑いを崩すこともできない。最終的にはラウルスに全部押し付けて、立ち去ったのだった。

「…おいノヴァ、この程度で逃げ出すなんて情けないぞ」

 ノヴァの様子を見に来たラウルスは苦笑する。

「…俺はお前とは違うんだよ。ああいうのは、苦手だ。知ってるだろ」

「勿体無い。お前の能力と顔があれば、令嬢の大半を虜にできるのにな」

「興味ない」

「あぁ、ノヴァが興味あるのは『ルベウスの姫』だけだものな」

「……。アウロラが心配だ。もう行く」

 ノヴァが不在なのをいいことに、隙あらばと男たちに囲まれ、答えの出ない謎かけを次々仕掛けられている可能性もある。

「まあ待てって」

 ラウルスに腕を掴まれ、阻まれる。

「放せよ」

「貴族連中がサフィルスのことをなんて言ってるか知ってるか」

 問われてノヴァは何をいきなりと顔をしかめる。

 知らぬわけがない。実際に何度かウィスタリアが皮肉られているところ見て来た。

「知ってるさ。『ルベウスの金魚の糞』だろ」

 姉の尻拭いができる幸運な男は僕だけですから、とウィスタリアはまったく意に介さないので皮肉にもなっていないのだが、これについてはノヴァも大差ない。

「やはり動じないか。…とはいえ、お前がいつも彼女にはり付いていられるわけじゃない。これからは彼女が自分ひとりで対処しなきゃならないことも出てくる。いつまでも一緒とは限らないだろ」

「何が言いたい?」

「少し、距離を置けよ」

 ラウルスは嘆息し、ノヴァの腕を放す。

「いずれ彼女は、お前でない男を選ぶ時がくるかもしれない。今のうちに距離を置く練習をしておいた方がいいんじゃないか」

 ラウルスは手すりにもたれてノヴァを見た。

「適度に遊んで、気を抜けよ。でないと気持ちの持って行き場を失うぞ」

 ラウルスの見透かしたような口ぶりに、ノヴァは去りかけた足を止める。

 彼が何を言いたいか、皆まで聞く必要はなかった。

 ノヴァは黙り込む。しかし、沈黙したところでラウルスは納得しないだろう。この調子でアウロラに余計なことを吹き込まれては面倒だ。

 振り切ることを諦め、仕方がなく告げる。

「ラウルス、お前は見込違いをしてるよ」

「?」

「俺がアウロラの一番近いところにいられるのは、今だけだ。お前が考えている通り、アウロラはいずれ『夫』を持つ。だから、俺には今しかない。少しも時間を無駄にしたくないんだ」

 あと何年猶予があるかわからない。けれど、それほど長くはないとは感じている。

「…俺に家族を教えてくれたのはアウロラだ。端に置くことなく、構いたがって、いつも真っ先に俺へ手を伸ばして、名前を呼んで…微笑んで…」

 彼女と知り合うまで、ノヴァの心は凍てついていた。誰にも頼らず、ひとりで生きて行くのだと決めて家を出た。情の通わない冷めた家庭環境で厄介者として暮らしていたノヴァにとって、アウロラは初めて出会った眩しい春の光りだった。

 本物の家族に必要とされてこなかったノヴァをまっすぐ見つめて必要だと言い、一番の味方でいると誓ったアウロラは言葉通りに彼と向き合って来てくれた。

 必要とされること、頼りにされることを嬉しく思ったのは、いつからだったか。

 彼女の優しさと温かみに空の器は満たされ、何もなかった胸にアウロラが宿った。

「俺は、生涯独身でいられることに感謝してる。サフィルス・コランダムは血の世襲じゃないからな」

 ただひとり、サフィルス・コランダムの名前を継ぎ、あらゆる栄誉に浴する代償は、一代限りで絶えること。つまり、婚姻をしないこと。もしどこかの女性と子供をもうけても、認知をしてはならない。血の世襲を禁じているからだ。

『だって、どう言い繕ったところで、これは…政略結婚をするような、ものでしょう…?』

 忘れていない。アウロラはかつて自分にそう言った。

 ああ、本当に。

 一層の事、政略結婚ならよかったのだ。

 そうすれば、誰に憚ることなく……彼女の傍にいられた。

「…彼女はお前を夫に選ぶかもしれないじゃないか。少なくとも、ふたりの仲を見ていれば、結ばれることが自然に思える」

「…それは、ない」

「どうして言い切れるんだ?」

「…ないからさ」

「?」

「…始祖と初代からはじまって以来、一度だって姉と弟になったふたりが夫婦になった事例がない。…つまり、そういうことなんだ」

 ルベウスは意図的にサフィルスの男を候補から外している。

 アレクシアがウィスタリアを選ばず、オルキスを夫にしたように、アウロラもまたノヴァでない男を夫にするだろう。

 ウィスタリアとオルキスが互いの中に複雑な感情がまったくないとは思わないが、表面上は良好な関係を築いている。

 俺も、いずれはアウロラの夫になる男とも接していかねばならない。胸にある感情を飲み込んで。

 そしてウィスタリアのように、アウロラの産み落とした娘を可愛がるようになるのだろうか。…いや、きっとそうなる。なぜなら、その子はアウロラの分身のようなものなのだから。ウィスタリアがアウロラを可愛がっているのは、アレクシアの分身だからなのだ。それほどに、ルベウスの魔女は父親の影響を一切受けず生まれ来る。

「俺が一番おそれているのは、アウロラが夫を持つことじゃない。必要とされなくなることだ。分はわきまえている。アウロラは俺を家族だと思っているから、触れることを…心を許している。この関係を崩して、苦しめたくない」

「………。はぁ…、本当にノヴァは献身的だな。俺はとてもお前のようにはなれないだろうな」

 感心と呆れ、そして一抹の憧憬の混じった笑みを漏らす。

「ラウルスがそう感じるなら、それだけのものをアウロラやあの家の人たちが俺に与えてくれたからだ。実際、俺は何も持ってなかった。フラテルに選別されなければ…彼女に求められなければ……『今』の俺は、どこにもいなかっただろうな」

 アウロラがくれたブレスレットを袖越しに触れる。彼女との確かな繋がりの形がここにある。それだけあればいい。

 ラウルスも、とノヴァは続ける。

「お前にもそういう相手ができればわかるさ。お前はいいやつだ。三男を盾に、斜に構えるのはほどほどにしておけよ」

 ノヴァは微苦笑を浮かべると、「じゃあな」と今度こそテラスを去り、足早に消えていく。

 あそこまで想っている男を傍に置いて、アウロラの心がまったく揺れていないとは思えない。

 舞踏会に向かう馬車の途中、ステラが提案をしてきた。

 アウロラとノヴァを唆してみてはどうかと。

 面白いと思った。ステラは純粋にふたりを案じてのことだったが、ラウルスはどこかからかいのこもった気持ちからだった。揺さぶりをかけ、動じるノヴァが見てみたいと。

 しかし、蓋を開けてみればわかる通り、ただのやぶ蛇であった。

 盛大な惚気を聞かされたばかりか、最後は悟った者の余裕を見せられてしまった。そして、見透かされていたのはラウルスも同じで…。

「…面白くない」

 こちらの意図をあざ笑うようにあっさり胸襟を開いたノヴァが上手だった。

 彼の行動原理はすべてアウロラに起因している。何もかも、彼女のため。

「どれだけ一途なんだよ…お前って男は」

 茶化す気持ちが萎えてしまった。ここでの会話はけして口外しない。友人である彼の名誉のために。

 だからまあ、彼女に特別な男ができたときは、改めて慰めてやることにしよう。それはおそらく、自分にしかできない役割なのだろうから。

今回、どこで1話を切り取ろうか迷いました。

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