眩惑蝶の皇子(1)
着ごたえのある生地を好む傾向のアウロラは、ついつい見本帳のベルベッドに手が伸びてしまう。
しかし、ベルベッドでドレスを誂える費用を考えると唸ってしまう。そこに刺繍やフリル、異素材のシフォンなどを組み合わせてしまえば、さらなる費用が。靴や手袋、装飾品まで…頭の天辺からつま先まで新しく揃えると、一体どれほどの負担をノヴァに負わせることになるのか…。想像して青ざめる彼女(元の『わたし』が庶民であるが故)をよそに、アウロラの好みを熟知しているノヴァが率先してドレスデザインを要望した。
その後、王都の目抜き通りにあるドレスの店にアウロラはノヴァと訪れる。
「お嬢様、デザイン画が出来上がりましたわ」
ドレスの店を持ち、メインデザインを行うのは、大概は貴族の女性だ。未亡人であることが多く、また、彼女らは社交界の華でもあった。そんな最先端の感性を持つ夫人に依頼をするには財力はもちろん、人脈も必要。彼女と友人関係だというウィスタリアの紹介で今回お願いすることになったのだが、一体、どんな『友人関係』なのやら…とノヴァは訝しんだ。
が、仕事はさすが一流で、仕上がってきたデザイン画何点かを示されたアウロラの瞳の輝きも本物であった。
「……か、かわいいです…!」
かわいいは正義、という独自概念を持つアウロラからその言葉を引き出せたなら、成功なのである。
「お嬢様は細身でいらっしゃるので、ベルベッド素材を活かして、少しクラシックなバッスルを作ってボリュームを出しました。ですが重くなりすぎないよう、内側にレースやシフォンをかさねております。お袖はかわいらしくパフスリーブにして、長手袋を着用していただくかたちです。いかがでしょう」
微笑む夫人にアウロラは胸に手を当てて、目移りするようにデザイン画に目を落とす。
「若様の夜会服は、お嬢様のデザインに沿わせるとのお話でしたので、まずはお嬢様のドレスを優先いたしました」
「ええ、それで構いません」
同席しているノヴァは頷く。
「では、デザイン画はそのままお渡ししておきますので、みなさまで話し合ってお返事をくださいませ。仮縫いの際に細かい修正箇所も決めましょう」
夫人に見送られ店を出ると、ノヴァに導かれ、馬車に乗り込む。
渡されたデザイン画のドレスはどれもとても上品で愛らしい。気持ちが華やぐ反面、少し抵抗感は拭えなかった。
そんなアウロラの様子に、ノヴァが嘆息を漏らす。
「……まだ俺の懐のことを気にしてるのか?」
図星だ。顔に出てしまっていたようだ。
「気にしないわけにはいかないわ」
「ふぅん、アークメイジやオルキスの義父上、マスターなら平気なのにか?」
「えっ…、お母様やお父様、伯父様はあなたとは違うもの」
「…違う、か。…こんな時だけ随分と他人行儀なんだな」
「な…、そういうわけじゃ…!」
拗ねるようにフイと顔を背け、車窓に目を向けたノヴァに、アウロラは慌てて彼の隣に座る。
「不愉快にさせたのならごめんなさい。でも、わたしはただでさえもあなたに負担をかけているのだから、こんなことろまで甘えてはいけないと思っているだけよ。わたしは、何もしてあげられていないのに…」
ぎゅっとノヴァの袖を握ってうつむく。
さらりと落ちた横髪をノヴァの指が払う。
「心外だ。…思い違いも甚だしいぞ」
「え…?」
「俺は負担だなんて思っていないし、お前に見返りも求めていない。俺がそうしたいから、しているだけだ」
「ノヴァ…」
「それに、こういう時は素直に喜んでくれる方が俺は嬉しいよ。アウロラに気を使われる方が、俺にはつらい」
微苦笑するノヴァに、アウロラは「でも」と言いかけた言葉を飲んで、思い直す。
そうよね…ノヴァの心遣いを受け止める度量もわたしには必要なことよね。それに、彼の顔を立てることにもなるのだろうし…。
戸惑いを脱ぎ捨てるようにして微笑んだ。
「…ありがとう、ノヴァ。ドレス、楽しみだわ」
「あぁ。そうだな」
「………」
ノヴァは優しい。いつも、優しい。
この優しさは、本来わたしに向けるべきものではない。彼が恋する女性のためのもの。例えばヒロインのクラリスであったり、そうでないなら、もっと他の運命の恋人へのもの。
彼に優しくされると、切なくなる自分がいる。近づきすぎてはいけない。甘えすぎてはいけない。頼りすぎていけない。…勘違いしてはいけない。
ノヴァが恋に出会った時、祝福してあげられる自分でいるために。わたしは『姉』なのだから。
胸に宿る熱を逃がすように小さく息を漏らす。
「アウロラ」
「え、はい?」
呼ばれて顔を上げると、ノヴァは複雑そうな表情を見せる。……どうしたのだろう?
「……今後、お前が気にしなくていいように伝えておく。本当は野暮だから言いたくなかったんだが…」
「?何を?」
小首を傾げる彼女に、ノヴァは言う。
「…俺は、存外金持ちなんだよ」
「?!え?!」
何をいきなり。
「全部、アウロラ絡みなんだけどな。アウロラへの還元と言ってもいい」
「ど、どういうこと?」
「俺のブランド……オーロラのアクセサリーシリーズが好調なんだ」
2年前、イベントで露店販売するために作ったピアスと古の魔女の護符を元にしたブレスレット。ピアスはアウロラのために作ったものがマスターデザインであったし、ブレスレットは彼女から教わった技術だった。
露店に立つ美少年が注目を集めたのはもちろんだったが、ここでひとつの大きな出来事があった。
彼が店番をしていた時、酷く顔を青ざめさせた妙齢女性がふらふらとやってきた。目的があるというより、ただたださまよっているような虚ろな瞳で。そして、ふと誘われたようにノヴァの前に立ち、表情なく商品に目を落としていた。
その女性が異様すぎて、ノヴァは声かけすることをためらっていると彼女は細い指をさした。古の魔女の護符を模したブレスレットに。
欲しくて購入するというより、理由なく購入する生気のなさで、彼女はまたふらふらと去っていった。
価格帯を庶民向けに設定した作りであったので、その時露店に出した商品はきれいに捌けて、ノヴァはアウロラにいい報告ができそうだと安堵したのだったが、事はそれだけで済まなかった。
数ヶ月後、サフィルスの工房に興奮した様子でひとりの妙齢女性がやってきたのだ。…そう、あの時、虚ろで生気のない目をした女性だった。見違えたように着飾り、生気に満ちた笑みを浮かべて。
女性は自分が購入したブレスレットを作った職人に会いたいのだという。訳がわからないまま押し出されたノヴァに、彼女は礼を述べる。
「ありがとう、あなたのおかげでわたくし死なずに済んだわ!このブレスレットのおかげよ!これは魔女の護符なのでしょう?!ルベウスの魔女の加護ね。わたくしの一生のお守りよ」
まったく意味がわからなかった。
ぽかんとするノヴァに、彼女は身の上を切々と語り出す。
彼女は下級貴族の娘で、父は病気、母親は浪費家で家計は火の車だった。看病虚しく父は儚くなり、母は多額の借金を残して愛人と逃げてしまった。なけなしの財産といえば屋敷や土地、家財道具だったがこれらすべて抵当に入り、彼女は無一文で家から追い出される羽目に。頼れる親族もおらず、もしいたとしても助けてなどくれなかっただろう。
絶望し、もう死ぬしかないとふらふら街を彷徨っていたところに、華やかなイベントが目に入る。最後くらい、美しいものを見ておいても罰はくだらないだろうと光に誘われ、彼女はその場に踏み込んだ。
なぜ、そのブレスレットを欲したのかはわからない。ただ、なんとなく、温かみを感じたのだ。失ったものを埋めることはできないまでも、小さな温かみを。
ブレスレットを買ってしまえば、もう本当にその日の糧も得られなくなる。しかし、構わなかった。どうせ、今日死ぬつもりなのだから。
ブレスレットを手にそのままふらふらと人生を終わらせるために、大通りへと飛び出した。他人の迷惑など省みているような精神状態ではなかった。馬車に轢かれてそのまま人生を終える……はずだったのだが、間一髪、馬車は回避する。
…死ねなかった、と涙を流す彼女に手を差し伸べたのは、その馬車の主人だった。
まだ若い紳士だった。紳士はぼろぼろになっていた彼女を保護し、丁寧に介抱してくれた。身の上を語ると同情され……それは次第に愛情へと変化していったのだった。
彼は新興資本家で、妻を欲していた。この出会いは運命に導かれたものだったと彼は女性の手を取った。
そうして彼女は瞬く間に資本家の妻になり、安定した幸せな日々を手に入れたのだという。
夫が言うには、馬車が彼女を轢きそうになった瞬間、見えない力に押しとどめられたそうだ。
彼女ははっとした。ブレスレットが彼女を守り、さらにこの出会いを用意してくれたのではないかと。いや、そうだ。そうに違いない!
この幸運をさずけてくださった方のお役に立ちたい、と礼もかねて、お節介のような気持ちでサフィルスの工房にやってきたのだった。
彼女は帽子作りが好きで、夫が店を持たせてくれるという。そこで、ノヴァのアクセサリーを店で販売するために契約したいのだと語った。知名度を高めるための手伝いがしたいと言ったが、そこに商売の芽を感じたのだろう。抜け目がない。
戸惑うノヴァをよそにウィスタリアが話を進め、契約を取り付けてしまう。
なかなか商才のある女性で、控えめな価格帯であったことから街の少女たちの間で知られるようになり、彼女の提案で貴族向けに本物のルースを用いた商品も作られるようになった。
彼女の伝手で販売される店を増やしつつ、地道な仕事に励んでいたノヴァだったが、アウロラが魔法学校に入学し、その名と存在が世間に知られるようになると、知名度は跳ね上がり、アウロラの希望を元に作られた髪飾りは入荷待ちとなるほどの売れ行きで、当の彼も引いてしまうほどだった。
「おかげで、今の俺の蓄財は想像をこえるものになってる」
とはいえ、一生何不自由なく彼女に安定した暮らしを提供するには、まだ不足を感じるが。
「まぁ。そ、そんなことが…。…す、すごいわノヴァ」
「いや、俺は何も凄くない。だから言いたくなかったんだ」
「…いいえ、運も実力の内よ!ノヴァの真面目なお仕事が掴んだ幸運に違いないわ!」
こういう時、アウロラはけしてノヴァを否定しない。褒めちぎられる方は居心地が悪くなるのだが。
「……もしかしたらと思ってたんだが、アウロラ……あのブレスレット、何か『仕掛けた』か?」
「?…あの時の?……いいえ、見守っていただけで、わたしが直接触れていたわけじゃないから…」
と独りごちた後、「あ」と当時を思い出す。
「……何かしたのか?」
「え、えっと、何かしたというわけでは…」
「したんだな」
「し、してないわ!…ただ、こう…あなたが作ったブレスレットに両手をかざして、『買ってくださる方に幸運がありますように』って念じただけよ。それだけよ?」
「…………。したんじゃないか」
「うっ…」
念じるだけでも影響があるだなんて、知らなかったんだもの!触れなければ大丈夫だと思ってたんだもの!
「で、でも、女性が幸せになったのなら、よかったじゃない。その方との縁もできたのだもの。あなたの作ったものが世間に知れ渡るのは、嬉しいわ」
「……まあ、そうかもな」
「ええ、そうよ!」
アウロラは嬉しそうに微笑む。
「………」
彼女の無垢な笑みを見つめて、ノヴァはアウロラには話していないことを考える。
不運な女性を保護し、その彼女と恋が芽生え、夫婦となる…。一見美談だが、その『紳士』の打算も見え隠れする。
なぜなら、彼は新興資本家だ。台頭してきた資本家にとって、必要なのは地位を高めるための爵位を持つ女性。没落貴族の娘を金で買うようにして彼らは妻に迎える。その彼女が、『たまたま』馬車の前に飛び込み、『たまたま』知り合ったことは彼にとっても幸運だったはず。なぜなら彼女は没落してはいても貴族なのだから。
そして、助けられた彼女にとっても、純粋な偶然のロマンスとは捉えてはいまい。命がけで掴み取った縁といったところだろうか。互いに渡りに船。したたかにこれからも暮らしていくことだろう。
ノヴァにとっても、新興資本家たちとの人脈を広げる機会にもなった。
その偶然の糸を引いたのは、アウロラの念がこもったブレスレットだったかは、まったくさだかではないが。
彼らはルベウスの若き魔女、アウロラとの面会をそれとなくノヴァに求めてくるが、彼女を俗世間に晒したくないノヴァは態度を曖昧にして濁している。
これは俺のわがままだ。いつまでもアウロラを綺麗なところには置いておけない。大人になるとはそういうことだ。それはよく理解している。けれど、理解と感情は別もの。
手を伸ばしてアウロラの髪を指で梳く。彼女の髪は心地よい。上質な絹糸よりもずっと。
拒むことなく受け入れて、アウロラはノヴァに微笑んでくれる。
瞳が触れ合うたびに、いつまでもこの時が続けばいいのにと、彼の心に影を落とす。そしていつも通り、その影に目をそらし、ノヴァは微笑み返した。
※
舞踏会当日。朝から湯に浸かり、時間をかけて身なりを整える。
「お嬢様、もう少しの辛抱でございます!」
「……え……えぇ…!」
淑女の嗜み…コルセットは最大の敵であった。
メイドたちが容赦なく締め上げてくる。
ベッドの天蓋を支える柱にぎゅっと掴まって、その責め苦に耐えた。
ドレスはコルセットを込みにした寸法。こればかりは、魔術でどうにかならない問題だった。コルセットは女から自由を奪い支配するための道具、というのはあながち間違いではないだろうと思った。
生まれたての子鹿のようにぷるぷる震えながら苦しさに耐え、ドレスをまとい仕上がった彼女は隙のない人形そのもの。薄化粧を施し、今回ばかりはゆるく髪を結って、ドレスに合わせた髪飾りをさす。
「美しいですわ、お嬢様!」
と、メイドのローズが賛美する。
「わたくしたちの中で、今夜の主役はお嬢様で間違いなしですわ」
ローズより年上のメイド、マーガレットが微笑んで頷く。
「ありがとう。でも、それは言い過ぎよ」
主役は主賓の皇子であり、ヒロインはホスト側であるクラリスであるはず。それに、美しく煌びやかな貴族の令嬢たちも集う場である。自分など霞んでしまうに違いない。
「わたしは壁の花としての役割を果たすわ」
「壁の花?お嬢様が?!わたくしたちのマイレディが?!」
「そのようなこと、ありえませんわ。むしろ、ダンスの申し出や紳士たちの謎かけに苦労なさる様が今から見えるかのようです」
「……ふ、ふたりとも、少し冷静に。わたしより美しいご令嬢なんてごまんといるのだから」
すっかり主人贔屓になったメイドたちを諭す。
「ああ…お嬢様はどうしてご自分のことになるとそう目が曇ってしまわれるのか…」
ローズはあれから随分とたくましくなり、なかなか言うようになった。
アンチヒロイン属性は、おとなしくしているに限る。社交界デビューの場になるとはいえ、必要以上に目立ってはいけない。
舞踏会が文字通りダンスをするだけの場所ではないことを重々承知しているだけに。
「もう行くわ。ノヴァにも見せたいし、彼を待たせているから」
「はい、お嬢様」
「若様もきっと見惚れてしまいますわ」
「……そうだと、嬉しいわ」
この装いは、ノヴァへ捧げるべきものでもある。
一方、ノヴァは。
アウロラの支度を待って居間にいた。
彼女に合わせてあつらえた夜会服は、アウロラを引き立たせるために刺繍や差し色を合わせたのみで、華やかな色彩を避けた。
念入りに撫で付けられた髪は彼の整った顔をいつも以上に際立たせている。
「…着飾るのは得意じゃないな」
すっきりとタイトなシルエットのスタイルを選んだが、華美には違いない。
窓辺に立ち、袖のカフスを整えながら、ガラス越しの自分を見つめて小さく息をつく。
「本日は貴族の方々のみならず、各議会のお歴々もご出席です。お嬢様の盾である若様が外見で侮られることがあってはなりません」
家令のフランツが表情薄く吹きかける言葉に、ノヴァは頷く。
「彼らは王族でない魔術師の台頭を快く思っていない。……わかってる、『これ』は鎧だ」
「ノヴァ」
アウロラの涼やかな声に呼ばれ、そちらに顔を向ける。
居間にやってきた彼女はドレスのスカートをつまみ、軽やかにくるりと回る。
「どうかしら?」
全身を披露するアウロラの輝くような美しさに、ノヴァは瞬きを忘れた。
ドレス姿のアウロラは、まるで大輪の花だった。薄化粧を施しただけで、空気の色さえ違って見える。
「……若様」
フランツが小声でノヴァを促して、見惚れていた彼ははっと我にかえる。
「あ、あぁ……うん、よく似合ってる」
気の利いた言葉が咄嗟に出ない自分が呪わしい。ウィスタリアくらい口が回れば、調子のいいセリフを何通りも自然に発することができるのだろうが、人には向き不向きというものがあるのだ。
「本当?」
ぱっとアウロラは笑みを浮かべる。その笑みも愛らしい。
「まさにアウロラの名前通り…『曙の姫』だな。すごく綺麗だ」
歩み寄って素直な感想を伝えると、アウロラは頬を染めた。
「…ありがとう…」
ノヴァが褒めてくれたなら、朝から手間暇かけて支度し、着飾った甲斐もあるというもの。
彼の言葉にメイドたちもニコニコしている。
…口説き文句としては落第点ですが、お嬢様には響いたようなのでなんとか及第点でしょうか。
フランツは冷静に若い主人に評価を下しつつ、口を開いた。
「そろそろご出発の時刻でございます」
ローズがアウロラに外套をかける。
「いってらっしゃいませ。お嬢様、若様」
「いってきます」
ノヴァに手を引かれてアウロラは居間を出る。
アウロラはノヴァを見上げて告げた。
「ノヴァとてもかっこいいわ。ご令嬢たちがざわついてしまうわね。絵に残しておきたいくらい」
「褒めすぎだ」
「あら、本当のことよ!………写真があったらいいのに…」
ぽつり呟く。
せめて、スマホがあれば。あらゆる角度からノヴァを激写し、手元に残すことが出来るのに。
「…シャシン…?」
不思議そうに聞き返してくるノヴァにアウロラは「なんでもないの」と誤魔化すように笑った。
あれはまさにクラーク三法則。
『充分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない』
今思えば、『わたし』の世界にあった電化製品は魔法そのものだった。スマートフォンなど、その最たる存在。『アルス・マグナ』と呼んでいいものだったと思う。でも、ここには電化製品もないし、当たり前だがスマホもない。姿を残す方法はひとつだけ。だから。
階段を下りながら提案をする。
「…ノヴァ、肖像画を残しましょうよ」
「…は?肖像画?」
「ええ、わたしたちふたりの」
「アウロラだけでよくないか?」
「ダメよ。ふたり一緒でなきゃ」
ぎゅっとノヴァの指を握ると、彼は仕方がないと息をついて頷いた。
「アウロラがそうしたいなら」
「ふふ、約束よ」
話しているうちにロビーへと着く。その場に居合わせた宿泊客たちの注目を浴びながら、ふたりはアプローチに用意された馬車へと乗り込む。
「ルーキス・アダマス家のお屋敷に行くのは初めてね」
「クラリス姫が招待したいとはずっと言ってたみたいだけどな」
「えぇ、なかなか予定が合わなかったの。彼女、やっぱりお姫様だから…」
王族という身分でなくなったとはいえ、『お姫様』教育からは逃れられないらしい。
「フューシャ国とその皇子の知識は問題ないか?」
「ええ、そのあたりはちゃんと勉強しておいたわ。…でも、お話する機会はなさそうね。貴族の方々や政治家の皆さまがご出席だもの」
「……噂ではフューシャの皇子とクラリス姫の縁談も兼ねてるって話だ。俺たちは蚊帳の外だろうな」
「…!…ま、まぁ、そうなの?!」
驚いて目を見張る。
「あくまでも噂だけどな。でも年頃の姫と、年の近い皇子……互いに魔術師の家系で、そもそも王族同士。家柄としては同等だ。ぴったりだろ?」
「…ええ、そう言われてみれば、そうよね」
もしかしたら、これは彼女の恋愛フラグになるのかもしれない。相手が皇子であれば、釣り合いもとれている。
これは、別の意味でも楽しみになってきたかもしれない。
きっと、今回の舞踏会は彼女にとっての補完イベントなのだ(アウロラが悪さをしないがために立たない恋愛フラグを補うための)。
なんてありがたいことなのか。蚊帳の外上等。
「わたし、責任を持って彼女を見守るわ!」
「…あぁ、うん。でも…あまり張り切るなよ」
アウロラは、どうもクラリスに肩入れしているきらいがある。はじめての友人だからというだけではない理由をノヴァは薄っすら感じているが、明確にはわからない。
まさか、正ヒロインと逆ヒロインの関係などとは思うまい。
遠くにルーキス・アダマス家の屋敷が見えてくる。元王族の名にふさわしい、広大で壮麗な屋敷だ。
舞踏会とは清濁、悲喜こもごもの人間模様が演じられる華やかだが醜悪な劇場である。果たして今夜の一幕は、如何に。
前回、ナチュラルに壁ドンしてましたね…(今更気がつきました)。




