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悪夢、または試練の始まり

 目を覚ますと見慣れぬ寝台に寝かされていた。

 いわゆる、天蓋付きベッドというもののようだが、見覚えがない。

 旅行にでも来ていたかしら…?

 ぼんやりとした頭のまま、むくりと起き上がる。

 見渡すと部屋は広く、中世と近世のヨーロッパが入り混じった洋室の誂えだ。調度品に安っぽさはなく、随分と品のよいホテルだという印象を持つ。

 ベッドから降りて、すぐに違和感を持った。

 …見える世界が、低い。

 自分の手足に目を落とすと、小さくて細い。まるで、子供のような…。

 はっとして傍にあるドレッサーの鏡を覗く。

 目に映った姿に絶句した。

「だ、誰…?!」

 まったく見知らぬ少女がいた。外見年齢は10歳ほどだろうか。

 色が白く、すっきりとした顔立ちで、まっすぐ伸びた黒髪と、大きな赤色の瞳が印象的な少女。眼差しは少々きつさを覚えるが、涼やかで美少女と呼んで差し支えはない。

 ……それで。この子は、誰?

 何度も瞬きを繰り返し、鏡の中の少女と見つめあう。困惑しきった顔は、まさに今の自分の精神状態を示していた。

「ゆ、夢かな」

 動揺しながら頬に触れ、そして髪を引っ張ってみる。

 感触はあるし、引っ張られた地肌は痛い。

「感覚がある…。…何が一体どうなって…」

 焦りながらこの状態に至った、直前の記憶を探る。

「……あぁ…、そういえば…」

 頭痛がしていたいなかったか?…そう、耐えられないと思うほどの痛みだった。薬を飲んで……それで……。…うん、そこから記憶がない。

 気を失ったのだろうと思う。直前誰かの声を聞いたような気もするが、目覚めてみれば『これ』だ。

 自分の部屋ではない室内。見知らぬ少女の体。

 どれも本来の自分に結びつくものがないこの状況。尋常ではない。……夢でないのなら、一体なんなのだ。

 理解不能。とんでもないことになっているような気持ちになって、足元がふらつく。

「…ちょっと、ちょっと冷静になろう…うん…」

 ドレッサーと対になっているスツールに腰掛けて呼吸を整えるために何度も深呼吸をしていると。不意に部屋の扉が開いた。

「…っ…」

 はっとして立ち上がり、そちらを見やる。

 自分の状態に動揺し過ぎていて、第三者の登場など頭になかったのだ。

 部屋に入ってきたのは、見知らぬ男性だった。人の良さそうな雰囲気と顔立ちをしている。この肉体の少女と同じように、西洋的な人物だ。

 立ち上がっている彼女を見つけると、彼は慌てた様子でかけてくる。

「アウロラ!」

 ア、アウロラ…?この子の、名前?

 戸惑う彼女をよそに、男性は了承も取らずに抱え上げるとぎゅっと抱きしめる。

「よかった!目が覚めたんだね。とても心配したんだよ!突然倒れてしまったから」

 抱きしめる腕が小刻みに震えている。心配していたというのは、嘘ではないようだ。が。

 この人、誰?

 どうしていいかわからず身を固くする。それなのに、唇は勝手に動くのだ。

「お父様」

 滑るように出た言葉に、こちらが驚く。

 な、なんだかひとりでに喋ったように思うけど?!…いや、わたしはこの子じゃないから、正しいことなのかしら?…いや、でも…。

 混乱する。

「…あの、わたしに一体なにが…」

 説明を求めるように口を開くと、彼は涙目でいう。

「ああ、覚えていないんだね。君は突然倒れこんで意識を失ったんだよ。もう3日も目を覚まさなかったんだ。私は…一体どうなることかと思ったよ」

「……3日…」

 この体の主は、3日前に倒れて以来ずっと意識を失っていたようだ。そして、目覚めると……別人の『わたし』だったと…。

 いや…いやいや、そんなことが?あるものなの?

 だとしたら、当の彼女はどうなったの。………わたしは、どうなってしまったの…?

 今更ながら、本来の自分の身を案じる。

 意識がこの少女の体で覚醒しているということは、本当の自分の体はどうなっているのか。

 シャレにならないことに遭遇してやしないか?

 青ざめるわたしを置き去りに、『お父様』は続ける。

「医者にみせてもおかしなところはないといわれてね。それで君の魔術回路に問題があるのかと義弟のウィスタリアにみてもらったらほとんど機能していないというじゃないか。もうこれは、王宮からアレクシアを呼び戻すしかないかと思っていたところだったんだよ。……ああ、本当によかった。もう痛いところはないかい?」

 いくつか謎の言葉(情報)が出てきたが、今はそれどころではなかった。

「…え、ええ……大丈夫です、お、おとうさ…ま…」

 見知らぬ男性を父と呼ぶことに抵抗感を覚えつつ、しかし、ここは話を合わせておいた方が賢明だと思った。

「ああ、とにかく、もう一度医者にみてもらおう。さぁ、ベッドに入って。まだ無理をしてはいけないよ」

 と、彼はアウロラを寝かせると、いそいそと部屋を出て行く。

 言われるまま寝転がり、相変わらず見知らぬ天蓋をじっと見つめて解消されない疑問と焦りが頭をもたげた。

 …だから、結局、一体、これは、なんなの…?…と。



 眠ればきっと元通り。

 と思って無理やり眠りについたものの、目を覚ますとやはり、アウロラと呼ばれる少女の部屋のままだった。

 医者の見立てによれば身体的な異常はなく、元の生活に戻ってもよいとのことで使用人の女性たちの手を借りて真紅のベルベットのドレスを纏うと、美しい姫君が出来上がる。

 鏡に映る彼女は、ルビーの瞳が輝く人形のように綺麗な子供だった。

 客観的に見てしまうのは、やはり自分が『彼女』ではないからだ。

 しかし、お腹は減るし、眠くもなる。他人であって、他人でないこの体。次第に彼女の記憶はわたしを満たし、違和感が薄れつつある。恐ろしいことだが。

 短い間に知り得たこの子の情報は。

 その名前をアウロラ・ルベウス・コランダムといい、ルベウス・コランダム家の一人娘で、年齢は10歳。

 彼女の父親はオルキスという名前で、母親はアレクシア。コランダム家は母の生家であり、父は婿養子に近い形で家に入ったのだという。広大な森の中に、ぽつんと屋敷が建っており、近くに集落はない。深い森の中に、この屋敷に繋がる一本道だけが延々と続いているだけでその先に何があるのか、どこに繋がっているのか、なぜか彼女も知らないようだった。

 アウロラが身につけている令嬢としての知識、作法は自然と表に出すことはできるし、少し考えれば血縁関係や常識を脳から引き出すことができた。おかげで生活する分には無知にならず、苦労が少ない。

 しかし思わず彼女の知識を疑ってしまったことは、この『世界』には魔法という概念が存在しているということだった。

 魔法が使える者は、生まれながらに『魔術回路』というものを身に宿している。ルベウス・コランダム家は大魔女を祖に持つエリート魔術師の家系で、母のアレクシアは王宮魔術師という栄誉に浴し、さらには大半の魔術師が属する魔法庁の頂、アークメイジなのだという。

 アウロラも勿論その魔術回路を持っている。とはいえ、今は魔法が使用できないようだった。なぜ?と考えると、その答えはすぐに導かれる。

 アウロラに流れる魔力は強大で、それをこの屋敷、そして一帯の土地に結界を張って封じ込めているからだ。周囲の大人は彼女に危うさを感じていたようである。身に宿る魔力を思うまま振るえないストレスは歪みとなって彼女に影響を及ぼし、使用人たちを加虐することで発散させていた。小賢しくも、親しい親類の前ではけしてその姿を晒さなかったようだが。

 頭はいいが、恐ろしく尊大で邪悪。将来を不安視する大人の気持ちもわかる。

 そのアウロラのおかげでわたしを見る使用人一同の目は怖れと嫌悪に満ちており、逃げるように避けられて、こちらから話しかけるのも容易ではない。

 とりあえず、『心を入れ直した』ということで使用人の皆さんに詫びて回った。尻拭いだ。まぁ他にすることがなかったし、憎まれて平然としていられるほど鋼の心臓を持ってはいないから。とくにアウロラはローズという年若いメイドにはひどい暴力を振るっていたので、謝りたおした。真に許してもらえる日はまだ先かもしれないけれども。

 怯えるローズに謝り、部屋に戻るまでの廊下でわたしはため息を漏らした。

「黙って立っていれば、とっても美少女なのに……どうしてこの子はそんな風に邪悪に育ってしまったのかしら…」

 勿体無い…これじゃまるで、ゲームか漫画のアンチヒロインではないか。

「…そうよ、まるでアルス・マグナの…アンチヒロイン…、アウロラみたいな…」

 何気なく呟いて、次に息を飲む。

 アルス・マグナの、アウロラ?……アウロラ……って…。

 名前が、この子……『アウロラ』と一緒じゃない…?

 心臓が大きく跳ねる。

 半歩後ずさって、廊下のガラス窓に映る顔を凝視する。

 長い黒髪、ルビー色の瞳。美少女だけれども、世界を壊そうと目論む、邪悪な魔女。理解も共感もできない歪んだ精神構造のアンチヒロイン。その狂気の女の名前は、アウロラ・ルベウス・コランダム……。

 その少女は、このような容姿をしていなかったか…?そして世界観が酷似していないか…?

「……っ…?!」

 曇りのないガラスに映る自分の表情が戦慄く。

「嘘だ…そんな…そんなことが…。……わたしがアウロラ…?…あの?アウロラ?……ここは、ゲームの中…?!」

 そんなファンタジーはありえない。

 常識がすぐに可能性を否定した。しかし、考えれば考えるほど、あのゲームと世界観を共有していることに気づく。

 逆に、どうして今まで気づかなかったのか。時を隔てていても、あれほどやり込んだゲームではないか。それなのに、まったく思い至らなかった。アンチヒロインの名前も一緒だったのに。

 「……そういえば…!」

 頭痛で気を失う前、少女の声がしていた。攻撃的な物言いと高笑い。幻聴だと思っていたが……あれは、アウロラのものだったのか…?

 愕然とする。

 もし本当にこの世界が、アルス・マグナのそれなのだとしたら…。

「……悪夢だ…」

 この自覚は即ち覚めない夢、ともすれば試練の始まりを告げていた。




 ※



 乙女ゲーム『アルス・マグナ』の世界に入り込んでてしまった(らしい)わたしは、ショックでしばらく何も手につかなかった。

 ベランダに配されたガーデンチェアに腰掛け、庭とその先に広がる森を見つめて、時々ため息をつき、うつむく。その繰り返し。

 元のわたしが今どうなっているのか、ここからではうかがい知ることはできない。アウロラの意思が失われてしまったこの体のように、本来のわたしは魂を失ってしまったかもしれない。…つまり、死亡しているかもしれない可能性があるわけだ。

 さすがに、死という言葉は重い。実感はないが、それが自分自身となると…。

 掃除してる最中に死亡するとは、一体どんな状況なのだ。死亡したとしても、直接的な死因は脳梗塞か心不全ということになるかもしれないが、散らかったままの部屋を思うと情けない気持ちにもなる。誰にも発見されずに放置されているのだろうか。……それに、会社はどうしたらいいのだ。

 いや。いや、そんなこと(?)よりも今は。

「これから、どうしよう…」

 鬱々として過ごしても、時は流れていく。ゲームの世界が現実として目の前に広がり、存在し続けるこの不思議を受け入れるしかないのか。

 どれだけ否定しても、『この現実』は消えてはいかない。

 これが単にゲームの世界というだけならばまだいい。そこに、シナリオというものがなければ。

 シナリオがあるのならば、必ずアウロラは表舞台に立つことになる。避けて通れるか自信がない。避けたところで、何かしら違った形で関わるように運命はねじ曲がるかもしれない。

 才能に満ち満ちてはいるけれども、邪悪な……魔女。

 シナリオに強制権があるのならば、本来の役目を果たすため、わたしという人格や意思すらかき消えて邪悪に飲み込まれるのではないかと気が遠くなってしまう。

 黒い水底を覗くような気持ちになって、ぶるっと肩を震わす。

 …と、不意にわたしの横に影がさす。

「やあ、アウロラ。会いに来たよ」

 耳に心地よい声音でわたしに話しかけた、その声の主をはっと見上げる。

 黒髪にロイヤルブルーの瞳。華やかかつ、整った顔立ちで微笑みを絶やさない青年と視線が合わさる。

「……伯父様」

 すぐに立ち上がって小さく淑女の礼を示す。

「ごきげんよう、ウィスタリア伯父様」

「ごきげんよう」

 にこやかに返事を呉れる。

「あれから体調はどうかな」

「もう、すっかり大丈夫です、伯父様」

 彼はアウロラの母アレクシアの弟で、名をウィスタリア・サフィルス・コランダムという。

 アウロラが意識を失っていた間やその後も折に触れ様子を見にきてくれている。アレクシアは宮廷魔術師として王宮に詰めているため、滅多と屋敷には戻ってこられず、その分、ウィスタリアが間に入って彼女の面倒を見てくれているのだ。

「そうかい?けれど、まだ無理をしてはいけないよ」

「はい」

 わたしは素直に頷く。

 ウィスタリアは伯父といっても、血縁関係でいえば他人も同じだ。

 コランダム家はルベウスとサフィルスの2系統に分かれている。本家をルベウス、分家をサフィルスといった感じに。

 ルベウスはコランダム家を興した魔女(始祖)の名で、サフィルスは彼女の実弟で魔術師であった。かつてこの世界は異界の魔物との大戦があり、ふたりは大いに活躍し、混沌から秩序を取り戻した功績から現在まで続く地位を得た。とはいえ、400年ほど前の出来事で、過去のあれこれはもはやおとぎ話に近い。

 その始祖から始まる形式に則り、コランダム家は姉と弟という関係性をいまだに重視している。

 次代のルベウス・コランダムの後継はアウロラと定まっているが、サフィルスは決まっていない。いや、サフィルスを名乗るものは数が多いが、サフィルス・コランダムと名乗ることができるのは、現在はウィスタリアだけである。

 多くのサフィルスの中から選ばれた優秀な魔術師の男子ただ一人がサフィルス・コランダムの名を継承し、ルベウス・コランダムの魔女(姉)の弟となって補佐する役割を負うのだ。故に、ウィスタリアはまだ三十にも満たないが老成した落ち着きと風格が備わっている。

 再び腰掛けると、メイドがティーセットを運んでくる。ウィスタリアが頼んだのだろう。

「お母様はお元気ですか」

「あぁ、お元気だよ。とはいえ、偉大なる姉上は本来無関係なはずの貴族どもの利権争いや政治闘争に巻き込まれて相変わらずカリカリしておられるよ。王宮魔術師は実権を持たないただの王佐なのにねぇ」

「……そ、そうですか…」

 あっけらかんと近況ついでに伏魔殿の内部事情(の一端)を教えてくれる。

 ガーデンテーブルの上にお茶の支度を終えると、メイドはその場を離れていく。

「君はどうしてたのかな?義兄上の話では、少し元気がないようだけれど」

「……いえ…」

「それとなく、僕から聞いてくれないかと頼まれた。自分には言いづらいことかもしれないから、とね」

「……お父様が……」

 アウロラの父、オルキスは魔術回路を持たない人間だ。心配させたいわけではないのだが…。

 結界が張られていても、森からは鳥のさえずりが聞こえてくる。この結界は外敵からの攻撃に備えたものであると同時に、アウロラを閉じ込めるための檻だ。強力な呪縛で彼女の魔力を押さえ込んできた。…彼女を危ぶんで。

 でもそれは正しい措置だったと思う。…最終的には結局成功しなかったのだけれど。

 これから数年後のアウロラはこの分厚い結界の術式の綻びを探し当て、そこに風穴を開ける。彼女は魔力を取り戻し、屋敷を炎上させて、使用人と父親を殺害する。母親も、伯父も彼女を止めることは叶わず、逆に腑抜けた傀儡にされてしまう。アウロラは足枷となるものを全て排除して踏み出していく。まとわりつくものは血族ですら容赦せずに。そうして、無害な顔を装った魔女は魔法学校へとやってくるのだ。

 彼女を駆り立てるのはどす黒い欲望だ。世界を壊すという、遊びのためだけの…。

 ゲームではアウロラの過去は断片的に描かれているのみで、詳細はわからない。そもそも、彼女はヒロインではないのだから、語られる部分はとても少ない。とにかく、邪悪さを全面に押し出すための演出ではあっただろうが…。

 いずれやってくる未来での彼女の呼び名、ブラッディ・ルベウス。彼女の通った後には、血肉の道ができる…。

「…伯父様は、わたしをどう思っていましたか。アウロラを…」

「どうしたんだい、いきなり」

「わたしは、おそれています。いつか、邪悪な魔女になってしまうのではないかと、おそれているのです」

「………」

「伯父様は、気づいていたのではありませんか…?アウロラというわたしの、邪悪さに。歪みに」

「…随分と、他人を見るような言い方をするのだね」

「他人、に近いのです。今の感覚は」

 実際、他人なのである。いずれ同一となっていくとしても、今は。

 彼女の設定は人格破綻者で、厄災の魔女だ。その役割を与えられてこの世界にいた。

 ヒロインとその仲間に打ち倒されるための、アンチヒロイン。ただ、これが自分の役割なのかと思うと、憂鬱だし、虚しくなる。

 この世界に飛ばされてきたのは、厄災の魔女となって打ち倒されるためなのだろうか?

 シナリオに強制権があった場合、意思をなくして、役割を演じるプログラムになり果ててしまうことがこわい。魔力に飲み込まれてしまうことがこわい。わたしがわたしでなくなることが、こわい。…斃されたくはない。

「……伯父様、わたしは邪悪な魔女になりたくないのです。…以前のように、また歪んで、誰かを虐げて、笑っているようなものにはなりたくない。でも、でも、そうならないようにするには、どうしたらいいのかわからないのです…」

 思い詰めるように眉を寄せ、ぎゅっとドレスのスカートを握りこむ。

「……アウロラ」

 ウィスタリアは内心で彼女を探るように瞳を細める。

 アウロラが自覚しているように、彼女は邪悪な少女だった。ついこの間までは。

 家族にはその片鱗を見せぬように取り繕っていたが、皆気づかないほど愚かではない。アレクシアやウィスタリアは強力な結界の中に彼女を閉じ込めることでなんとか彼女の歪みを押さえ込み、様子を見てきたが、長ずるにつれ彼女の中の混沌はどす黒く増すばかりだった。

 先日、突然倒れたという知らせを受けて屋敷にやってきてみれば、ぴくりとも動かず人形のように目を閉じて眠っていた。まるで事切れているように。

 手を握り、魔力探知で彼女の魔術回路を探れば、かろうじて魔力が通っているものの、ほとんど機能しなくなっていた。

 一体何があったのかと使用人たちに尋ねても、要領を得ず、突然頭を抱えて倒れてしまったと言うだけ。魔術師ではない彼らには彼女の機微に気づけるはずもないが…。

 そうして目を覚ましたアウロラと顔を合わせた時、ウィスタリアは明らかな変化を感じた。

 選民意識の塊ようなプライドの高さと人を見下すことに慣れた言動、内面の屈折と苛立ちが見え隠れする眼差しは鳴りを潜め、穏やかでおとなしい少女に変貌を遂げていたのだ。自身の状況に戸惑いつつも、澄んだ瞳で彼を見つめていた。まるで、別人のように。

 戸惑ったのはこちらも同じだ。意識を失っていた間に、一体どんな変化が体内で起こったというのか。憑き物が落ちたかのように、人格すら違えてしまうほどの。

 これは良い変化か?それとも…。

 ウィスタリアには判断がつかなかった。

 賢い彼女のことだ。これは演技なのでないかと訝しみ、しばらくは注意深く彼女を観察する必要があると思った。

 そうして得た結論は演技ではなく、アウロラの言動に偽りはないということだった。

「君は、自分の力を怖れるようになったのだね」

「……はい」

「…なるほど」

 以前ならば決して口にしなかった『怖れ』。自信に満ち溢れていた彼女が吐くわけがないそれ。

 本当に、すっかり、アウロラは変わってしまった。

 ウィスタリアは紅茶に口をつけて、カップを戻すと話して聞かせる。

「これは…今まで君に話したことはなかったけれど…、そろそろいいかもしれないね」

「?」

「10年ほど前の話だ。姉上が君を宿した時、ある夢をみたそうなんだよ」

「?夢?」

 話の流れが読めず、わたしは首を傾げた。

「そう、夢だ。代々のルベウスにつながる容姿をした女性が、赤い竜の横に立ち、姉上を見ていたそうだ。そして彼女は指をさしたと。姉上の腹を」

 そこでアレクシアはっと目を覚まし、調べてみると懐妊していることがわかった。

「その夢の女性は始祖様ではないかと姉上は思ったそうだ。先代ルベウス義母上にもお伺いをたてると、それを肯定した。ルベウスの魔女たちの言い伝えにあるからだ。子孫の血の中に、始祖様は再び生まれ来ると。始祖様自身がそのように予言していたそうだからね。紋章にもなっている赤い竜を連れたルベウス…該当するのは始祖様しかいない。義母上は喜んでいたよ。これは吉兆なのだと。…だが、いざ君が生まれると、皆不安に駆られた」

「……それは、どうして…」

「君の魔術回路は始祖様の再来と呼べるほど膨大な魔力を宿した複雑なものだった。それだけならばいい。問題は、君の回路の偏りだった」

「偏り…?」

「うん。我々魔術師は秩序と混沌とを常に天秤にかけていなければならない。どちらに比重が傾いても、魔力は不安定になる。…ところが、君は生まれついて混沌に大きく傾いていた。いや、混沌のみが支配していた。ルベウス義母上の言葉を借りれば、始祖様の負の部分だけを継承して生まれて来てしまった、と。君の回路は長ずるにつれ、魔力供給が偏って滞り、いつ爆発してもおかしくないようになっていた。それは君の人格にすら悪影響を及ぼすほどに。君を抑え込むために、君に魔術的拘束をかけて、同時に魔術回路の修復を試みたが、ただただひどくなるばかり。流れる魔力は膨大だというのに、魔法がが使えない君は過度なストレスを抱えるようになった。そして、使用人を加虐しはじめた。酷く歪む君を見ているのは、とても、つらかったよ」

「……伯父様…ごめんなさい」

「いいや、抑え込むばかりで止められない我々にも咎があったよ」

 ウィスタリアは小さく微笑んだ。

「でもね、今の君の魔術回路は別物なんだ」

「?別物?」

「そうだよ。今のアウロラは秩序と混沌とが揺れることなく天秤に乗っている。とても均衡が取れて……まるで美しいハーモニーだ」

 どす黒かった魔力は、彼女の瞳のように澄んだピジョンブラッドの色彩となって滞ることもなく滔々と流れている。

 これほど、人格と魔術回路が変化することがあるものかと疑いたくもなるが、しかし、目の前に存在しているのだから理屈はともかく、認めないわけにはいかない。

「君が自分の力をおそれるようになったのは、いい傾向だ。あのまま成長していたら、きっと……」

「………」

 ウィスタリアは言葉を濁したが、想像はついた。

 運がよくてアウロラは封印、悪ければ殺し合い。でも、わたしは知っている。彼らではアウロラを止めることができないことを。情を捨て、彼女を処断するには遅すぎたのだ。

「伯父様、わたしは良き魔女でありたいです。邪悪に沈みたくない。どうすればいいでしょうか」

 身を乗り出して尋ねると、彼は微笑んで続ける。

「自覚が芽生えた今こそ、魔法を鍛錬する頃合いなのかもしれないね。けれど、抱えきれない力をひとりでなんとかしようとするのが間違いだ。君はひとりではない。君を傍で助ける者がいることを忘れてはいないかい?」

「…?…お母様やお父様、伯父様、ですか?」

「あぁ、もちろん僕らもアウロラの味方さ。でも、違うよ。忘れているのかな。君はルベウスの魔女。ということは…サフィルスが必要だろう」

「………あっ…!」

 すっかり抜け落ちていたが、アレクシアにとってのウィスタリアのように、アウロラにもいるのだ。彼女のサフィルスが。

「義兄上は(まだ見ぬ彼に嫉妬して)時期尚早だとごねていたが、君は随分落ち着いたからね。そろそろ君と娶せる頃合いだと思っているんだよ。すでに選定を終えていることだしね」

「……も、もう、決まっているのです?!」

「あぁ。君の不安に楔を打つためにも、欠かせない存在だろう?彼は必ずアウロラの助けになる。僕が姉上の助けになっているようにね」

「…伯父様…ありがとう」

「ふふ、こちらこそ可愛いはにかみ顔をありがとう。…さぁ、お茶を飲んだら、義兄上に『彼』をこの屋敷に迎えるための支度をお願いしに行こうか。アウロラのお願いなら、義兄上もごねないで聞いてくれる」

 軽く片目を瞑ってみせるウィスタリアに、戸惑いながらも頷いて少し冷めた紅茶に口をつけた。

 そうか、そうだわ。わたしはひとりじゃない。

 わたしはならないわ。ブラッディ・ルベウスになんか。

 シナリオに負けないアウロラにならなければ。強い意志を持って、覆してやらなければ。

 そのために、やれることはなんでもやろう。

 どうせ、避けて通れないのだろうし。

 決意をすると、迷いは吹き飛んだ。

 ウィスタリアと話ができてよかった。

 ひとりで解決しようとしていた自分の視野の狭さを自覚できた。

 そして、アウロラの…わたしのサフィルス。

『彼』のことは、よく知っている。その彼がもうじきやってくるのだ。楽しみに思っていてもいいだろうか。

 面差しを紅茶に浮かべて、わたしは小さく微笑んだ。

本来のアウロラが使用人達を加虐していたことを大人たちは放置していなかったのですが(フォローをしていた)、屋敷に彼女を御すことができる大人が不在がちだったため、状況として難しくもありました。

雇用条件は他家の平均賃金の3倍を出していますが、堪えきれずに退職する場合は退職金も渡しています。が、契約条件として屋敷を出る際は屋敷での一切の記憶を消されることになっているため、いいことも悪いこと(加虐されたこと)も忘れます。

『わたし』の人格になった時点でそのようなことは起こらなくなったので、職場定着率は安定化することになりました。


なお、今更ですがルベウスはルビーのこと、サフィルスはサファイアのことです。コランダムで察しはつくと思いますが、一応。

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