彼の投資と彼女の悩み(単発短編)
アイデアや作業に行き詰まりを感じた時、脳の働きを活性化させるためにノヴァが行う気分転換は(友人との会話以外で)、主に3つある。
1つ目は家令やサイファーとの鍛錬、2つ目に菓子作り(料理含む)、3つ目がアウロラのドレス発注である。
アウロラ発案による若年層向けの安価なアクセサリー事業が彼の想像以上に富を生み出し、彼の懐は暖かくなり続けている。将来のことも考えて蓄財しているが、時には還元(という名の投資)がしたくなるのだ。
思い立ってふらっとアウロラが好むデザインを多く扱うドレスショップへ赴き、新作ドレスが並ぶトルソーの前に立ち、生地の種類とレース、刺繍やリボンの形について細かくデザイナーに要望を伝えて、その場で注文する。結果値段がつり上がったとしても彼は当然の顔をしている。
ノヴァは年若いが、見目もよく洗練されていたため、ショップの女性陣からも密かな人気があった。何より、ひとりで恥じらうこともなくやってきては(たまに家令を連れていることもあるが)、大切な女性のために発揮される情熱と審美眼に好感度も高かった。
成長期でドレスサイズはその都度変更があったが、彼はこれも的確に伝えていた。
ある時、身なりを整えて工房を出て行ったノヴァがすっきりした表情で戻ってきたのを不思議に思って、クロードが行き先を尋ねたことがあった。上記のようなことを軽く説明すると、クロードは眉を寄せる。
「姫様がその場にいないのに、どうやって細かくドレスのサイズ変更なんか指示できるんだ。特殊な魔法でも使ってるのか?」
その質問に対し、ノヴァは首をひねる。
「?…いや、魔法なんか使わなくても少し触れればわかるだろ…引き寄せた時とかに。…他のやつは違うのか?」
こいつ、素で言ってるのか?少し触れたくらいでわかるわけない。
「……俺の知ってる人間の中で、その特技を持ってるのはお前だけだな」
呆れた眼差しを送り、『姫様のサイズ把握』はノヴァの特技としてクロードの中で定着することになる。
そのノヴァをもってしても、もちろん彼女の神秘は存在していたが、ここでは割愛する。
コンドミニアムのとある朝。
クローゼットにいつの間にかおさまっている見覚えのないドレスにアウロラは小さく息をつく。
犯人はわかっている。
「ノヴァったら…また無駄遣いして…」
直接手渡したり、わかりやすく部屋に置かれているとアウロラから小言を食らうため、ノヴァはメイドたちを使ってさりげなく(?)クローゼットに紛れ込ませているのだが、すぐに露見してしまう。
支度のために控えているメイドたちを振り返ると、共犯の彼女たちは軽く視線を逸らしながら苦笑いを浮かべているのだった。
「ノヴァはそんなにわたしを着道楽にしたいのかしら」
「若様にとって、これはお嬢様への投資であり、意義に満ちた気分転換なのだとフランツが述べておりましたわ」
マーガレットが半分擁護すると、ローズも頷く。
「適度に若様はお嬢様のドレスを発注していないと、落ち着かないみたいですわ。この前の若様のお誕生日の贈り物の件をお嬢様もお忘れではないですよね」
「…え、ええ…」
ローズの言葉にアウロラは軽く頭痛を覚える。
彼自身は物欲や虚栄心が薄いため、アウロラが彼の誕生日に何かを贈りたいと伝えても遠慮されてしまうのだった。ならば、他に何かしてほしいことはないかと尋ねると、彼は少々考える姿勢を取り、「付き合ってほしいところがある」と言われた。自分にできることならば喜んでと張り切って出かけると、待っていたのはアウロラ御用達のドレスショップ巡りだった。
ここぞとばかりに行く先々で着せ替え人形にされ、積み上がっていくドレスや帽子の入った箱の山。
…おかしい。彼の誕生日のための『お出かけ』のはずが、なぜアウロラ用のドレスをノヴァが購入しているのか。
同行していたフランツはいつも通りの涼しい顔のまま。主人の散財を止めてくれることを期待したが、家令は大人しく付き従うのみであった。そうしてノヴァの気が済むまで『投資』の旅は続き、やりきった達成感で清々しい表情の彼と、ぐったりと疲労するアウロラがいたのだった。
「…あれは、本当に大変だったわ。そもそもドレスを着るのはわたしひとりなのだから、数は必要ないと思うの。1日に何度も着替える貴族のご令嬢とはわけが違うのだから。これがノヴァの悪い癖にならないように、そろそろしっかり話し合いをした方がいいんじゃないかしら…」
彼に恋人ができれば、そちらに矛先が向くかもしれないが、それでもこの癖はいただけない。
「お嬢様のお気持ちもわかりますが、これは若様の甘え…つまり、姉君であるお嬢様だけが受け止められる若様のわがままなのではないでしょうか」
微苦笑のマーガレットにアウロラは「それは…」と言い淀む。
これがノヴァの『甘え』なのだとしたら、アウロラは強く出られない。アウロラはノヴァ・ファーストなのだから。
「フランツさんの様子では若様は蓄財もしっかりしていて、無計画の『投資』でないみたいですし、お嬢様は安心して着道楽を邁進してしまってもよろしいのではないでしょうか。お嬢様は美しく、若様も満足。誰も損をしていませんし、みんな幸せです」
ローズがあっけらかんと言う。
さすが、かつてのアウロラの暴力に耐えた逸材。大物だ。
「…と、とにかく、ノヴァには少し釘を刺しておくわ」
こちらからうまくノヴァを制御する方法を考えなければ。クローゼットが弾けてしまう前に。
メイドたちの手を借りて、新しく加わったドレスを着てみる。
彼女の好みを知り尽くしたドレスに、アウロラは姿見の前で嘆息する。
「……もう本当に…ノヴァが作ってくれるドレスは完璧なのよね、文句のつけようがないくらいに」
アウロラの好みを熟知し、どこまでも品よく可憐。足し算と引き算の塩梅が絶妙だ。
「お嬢様素敵ですっ!」
「ええ、本当に。さすがはわたくしたちのお嬢様ですわ」
メイドたちに絶賛されてしまうと、アウロラはノヴァに釘を刺す意識がへこたれそうになる。
彼女たちも少しわたしに対して冷静になってほしい…。
「…うん…?でも…少し…胸元が、きついような…?」
呟いて、はっとアウロラはある可能性に気づく。
も、もしかして、わたしが気づかない間に胸部が成長したのかしら?!伸び悩んでいたのだけれど、ここにきてやっと…?!
真新しいドレスの胸囲が少々苦しいとなれば、つまり…そういうことである。
胸が、大きくなってる…!嬉しい…!
アウロラは喜びに瞳を輝かせた。
同級生のステラはもちろん、クラリスも実はなかなかの豊かさなのだ(クラリスは制服では着痩せしているが、ドレス姿になると顕著になるというヒロインらしいドキドキ属性を持っている)。その中にあって、彼女らと著しい差が生じていたアウロラは心密かに悩んでいた。
一度だけアレクシアに相談したことがあったのだが、彼女は娘に対して「そんなもの…ノヴァに頼んで手伝ってもらえばよかろう」などととんでもない返事を寄越して、アウロラを絶句させた。それ以降、決してアレクシアには繊細な悩みの相談はしないと決めたのだった(わたしとしたことが、相談する相手を間違えすぎていたようだわ…)。
「…ノヴァに、ノヴァに見せてくるわ!」
胸部の成長への嬉しさから彼に釘を刺すという当初の目的を忘れつつ、メイドたちに見送られて部屋を出る。そして、運良く廊下でノヴァと遭遇した。
「ノヴァ、ドレスをありがとう。似合ってるかしら?」
くるりと回り、機嫌よく尋ねる。釘を刺す目的は完全に思案の外。
新しいドレス姿のアウロラに、なぜか彼は焦ったように彼女に告げる。
「……よく似合ってる。似合ってはいるんだが…すまない」
ノヴァの目がわずかに泳ぐ。
「?どうしたの?」
「そのドレス、ドレスショップのミスで一部寸法を間違えたまま納品してしまったそうなんだ。作り直したドレスがもうすぐ届く……と伝えようと思ってたんだが…」
遅かったか…とノヴァは少し肩を落とした。
メイドたちに指示して密かにすり替えるつもりだったようだ。
「……え?…」
一部、寸法間違い…?
一部寸法って…それは、……まさか胸部のことなのでは…?
言葉にならないショックと残念感は、作り直されたドレスを着用したことによって現実となる。
胸部はどこも苦しくはなかった。
とんだぬか喜びであったことを思い知る。
八つ当たり半分、ノヴァがアウロラに『投資』の小言を頂いたのは言うまでもなく。
了
ピクシブ先行公開のお礼短編です。
時間枠は3章あたり……かな。