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或る休日の一幕

 セディルがコランダム姉弟の暮らすコンドミニアムのある『ホテル・サフィレット』にやってきたのは昼過ぎだった。

 1階にあるロビーでノヴァに会いにきたことを告げると、別扉で区切られた宿泊客用ではない通路に案内され、階段を示される。5階建の最上階全てが彼らの居住空間なのだという。

 ホテルの外観は色違いのレンガやテラコッタなどで装飾された壮観さだが、屋内はタイル装飾が貼りめぐらされ、これも一見の価値がある。これらを眺めているだけで1日が過ごせそうだ。

 5階までやってくるとホールが開け、そこが玄関であることを知る。連絡を受け待っていてくれたのかノヴァ自らが出迎えてくれ、部屋に招き入れられた。

 澄ました執事とメイドたちに挨拶を受けると慌てて彼もペコペコと頭を下げた。

 そして。ああ、ふたりの生活空間に踏み込んでしまった、という妙な感動は胸におさめつつ、軽く部屋を見渡す。

 広々とした居間の大きな窓にはタッセルやフリンジのついたドレープがかけられて、豪奢さを醸す。特注と思しき家具や調度品が上品に配置されている様はさながら貴族の住まいのよう。

 そんな感想をノヴァに述べると、部屋の作りは「中産階級程度」だと教えられ震え上がる。では貴族の屋敷は一体どうなっているのかと。

 居間を挟んで姉と弟の部屋は配置されているそうだが、セディルはそのままノヴァの後ろについて彼の部屋へ行く。整えられた彼の自室の横に作られている作業部屋に入ると、セディルは落ち着いた。普段囲まれている道具が並ぶその空間が彼に現実味を与えたからだ。

「…それで、時計を見てほしいんだったよな」

 上着を脱いで椅子にかけると、袖のボタンを外して腕まくりをしながらノヴァはセディルを振り返る。

 そう。今回ここに訪れた要件はまさにそれだ。

「う、うん。ここのところ、また調子がよくなくって。ぼくは時計は専門じゃないし。いつもごめんね」

「いいさ。俺も勉強になる。…ほら、見せてみろよ」

 差し出されたノヴァの手にポケットから取り出した懐中時計を乗せる。

 古びた懐中時計。セディルの祖父が使用していたものを譲り受けた。古いものなので手入れが欠かせないのだが、セディルは宝飾加工を専門とする家に生まれたので時計については疎いのだ。

 その点、ノヴァは時計作りや加工が得意なウィスタリアの直弟子(の扱い)なのでセディルより知識や経験もあり、頼もしい。

「君に調整してもらうと、すごく調子がよくなるんだ」

「おだてても何も出ないぞ」

 微苦笑を浮かべながら作業机に向かい、道具を手に取ると慣れた手つきで懐中時計の外殻を外し、小さな歯車がぎっしり詰まった内部に目を凝らし、手を入れる。

 こちらが横から眺めていても、彼の集中は途切れない。一連の動きに無駄はなく、時計を元の姿に戻すとネジを巻き、文字盤を確認する。と、滑らかに秒針が滑り出す。

「うん、これでよし」

「わぁ、ありがとう!」

 時計を受け取りながらセディルは礼を述べた。

「いつ見ても魔法みたいだね」

「お前も覚えればこれくらいできるようになるさ。ただ、歯車の磨耗が気になる。いずれ一部取り替えた方がいいかもな」

「そうか…わかった。気に留めておくよ」

 ノヴァの見立てに素直に頷く。

「それ、セディルの爺さんのものだったよな」

「うん、そうだよ。時計がないのは不便だろうって、徒弟に出る前に母さんがくれたんだ。新しく時計が買えるほどぼくの家にはお金がないから」

 セディルの父親はすでに他界しており、稼ぎ頭がいない。その間、年の離れた兄が王都のサフィルス工房で職人となってなんとか家計を支えていた。セディルが10歳で徒弟になったのは家庭事情もあった。いずれ兄が家に戻り、工房を再興させる時、セディルも家業手伝うつもりでいたのだが、ウィスタリアに嘱望されたことでこのまま王都に残り、ノヴァの下で職人になるかもしれない。

「その時計はいいものだよ。今でもさほど狂いなく動いてるのがその証拠だな」

「ありがとう。ノヴァ君の時計はウィスタリア様が作ったものなんでしょう?ウィスタリア様の時計は国内外の貴族の子息がこぞって買い求めるって聞いてるよ」

「……あー…、まあマスターの時計であることは確かだけどな」

 彼が自発的に作ってくれたというよりは、『アウロラのお願い』にウィスタリアが屈しただけの話。まあ確かに、憎たらしいほどいい時計ではあるのだが。

 本来、時計はセディルのように身内から引き継いでいく道具のひとつ。手入れし、直しながらできるだけ長く使用していく。

 しかし、ノヴァにそれを与えてくれる者はいなかった。産みの母は天涯孤独だったと聞いているし、引き取られた父親の家では厄介者でしかなかった。特別そのことで劣等感を抱いたこともなかったが、彼の背景を鑑みて、義父となったオルキスが贈り物の候補として考えてくれたに違いない。

 義父上は優しい。アウロラのフラテルになったというだけの俺を息子のように扱ってくれる。失望させるようなことはしたくないものだ。

 思案する彼をよそにセディルは視線をずらしてノヴァのブレスレットを見つめる。

「ノヴァ君のブレスレット、いつ見てもキラキラしてて綺麗だね」

 そこに意志でも宿っているように彼のブレスレットを飾るコランダムのビーズが光をうけてキラキラと輝いている。

 なんでも、(セディルからすれば恐れ多くも)アウロラが彼のために作った『古の魔女の護符』だとかで、ノヴァは常に身につけている。

「…あぁ、こいつの価値は計り知れないよな」

 セディルはその護符に宿っているモノを知らないため、ノヴァが苦笑する理由が理解できなかった。よもやそれが、アルス・マグナの類であることなど。

 そうそう、アウロラといえば。

「今日は姫様はご在宅なの?ご挨拶した方がいいよね」

 間近で挨拶を交わすのは、石化する覚悟が必要なので尋ねるも、ノヴァは「いや」と軽く首を横に振った。

「アウロラは出かけてるよ。…マスターと」

 うんざり顔で続ける。

「何かにつけて訪問しては、出かける約束を取り付けていくんだよあの人は」

 ようやく『解禁』状態になったアウロラを社会勉強と称してはあちらこちらに嬉々と連れ回している。確かに、世間を知るためにもアウロラは積極的に外に出るべきなのだろうが、ウィスタリアに余計に知識をつけられて帰ってこないか毎回心配をするノヴァだ。これが実父オルキスならば快く送り出すのだが。

「ウィスタリア様は本当に姫様が可愛いんだねぇ」

「目に入れても痛くないっていうのは、ああいうのを言うのかもな。……苦々しいが」

 つい本音が漏れる。

 ノヴァは嘆息をついて立ち上がり、上着を取り上げる。

「1階にあるカフェに行くか。俺が奢るよ」

「ええ、い、いいよ!時計を見てもらいに来ただけだし」

「いいんだよ。どうせ暇だろ。俺も暇だ」

「え、あ、うん…」

 暇は暇であるが。ノヴァはノヴァで、アウロラがいないので手持ち無沙汰なのかもしれない。

 姫様を構いたがるという点では、ノヴァ君もあまりウィスタリア様のこと言えないような気がするだけど…。

 ノヴァの部屋を出て、居間を抜ける前にメイドがノヴァに小さな包みを差し出す。彼はそれを受け取ると、「土産だ」とセディルに渡した。

「な、何?」

「手作り菓子。寮で食べろよ」

「えっ」

 薄っすらと包みから見えているのは焼き菓子。しかも、様々な種類があり、凝ったつくりの気配を感じる。

 も、もしかして、姫様お手製の……?!

 胸が騒いだ瞬間、セディルの考えを察したノヴァは言う。

「作ったのは俺だ」

「えっ?!ノヴァ君が作ったの?!」

 それはそれで驚きであった。

「アウロラが欲しがったから午前中に作っておいたんだ。余りものだけど、お前にやるよ」

「………君、万能すぎないかい?」

 なんでもできる男だとわかってはいたが、菓子作りまでできるとは…。

「覚えれば出来るだろ菓子作りくらい。薬を調合することに比べれば容易いさ」

 大げさだとノヴァは笑った。

 ノヴァが菓子作りを覚えたのは、アウロラが怪しい菓子作りをはじめてからすぐのことだった。無意識に様々な効果が付与されてしまう菓子がウィスタリアやアレクシアの口に入らぬように、「一緒に作らせてくれ」とアウロラに頼み、危険だと感じた時には自身が作ったものとすり替えた。そうしているうちに彼の菓子作り能力は上昇し、趣味の一つに数えてもいいのではないかというほどレパートリーを増やした。

 後に、自身が長らく怪しい菓子を作っていたことを知ったアウロラが、「もっと早く指摘してくれればよかったのに。どうして今まで黙って食べてくれていたの?」と涙目になって恥じ入った際には泣かせたくなくて、「アウロラからやりがいを奪いたくなかったし、俺がそうしたかったから」と素直に白状すると、彼女は涙目を感動に震わせながら彼に抱きつき、気持ちが高まるまま告げたのだ。

「ノヴァ、大好き」

 ……と。

 その時を思い出してノヴァは赤面してしまう。

「?どうしたのノヴァ君?」

 不思議そうにするセディルに「なんでもない」と誤魔化しながら居間をあとにする。居住区とホテルとの境の扉を抜け、『昇降機エレベーター』なるものの前に立つ。

「昇降機って僕初めてなんだ」

「だろうな。こんな高級なもの、普通はポイとつけられるもんじゃないからな」

 階層を移動するその箱は、上流階級の屋敷や宿泊施設にしか設置されていない。これは『魔導石』というものを動力源としており、その魔導石はこの世界最大のエネルギー資源でもあった。

 魔導石と魔術回路によって動くその箱に乗り込むと、すいっと一階まで下降し彼らを下ろす。

 ロビーからカフェへと抜けていく間、その場にいる令嬢や婦人たちの目がノヴァに集まる。

 人目があるところに出ると、ノヴァの顔つきは変わる。アウロラのフラテルとして、『サフィルス・コランダム』という名前に恥じぬ矜持を周囲に示すためだ。見られていることを意識し、己の魅せ方を覚えた。そして今では無意識に自分を作ることができるまでになった。

 飾らないノヴァも、飾っているノヴァも、セディルは「かっこいい」と全肯定なので、とくにその差を気にしていない(むしろもっと眺めたい)。

 カフェに来ると日当たりのよい窓辺の席に案内され、座る。

 注文した紅茶とトルテが運ばれてくるとセディルは口を開く。

「ノヴァ君はかっこいいよね」

「いきなりなんだよ。というか、素面でよく言えるな」

「だってぼくは本当にそう思ってるから」

 セディルは世間知らずではないが、運よく随分と素直に育ったようで他人を否定しない。育ちの違いはあれども、そういうところはアウロラとよく似ている。

「姫様もきっと鼻が高いだろうなぁ」

「それはないんじゃないか」

「どうしてそう思うの?」

「まだ俺はアウロラに何もしてやれてない。彼女が抱えている不安を取り除ける程にはなっていないし、将来アウロラと暮らしていくにしても、金も足りてないしな…」

 アウロラは昔から厄災の魔女になるかもしれないという可能性をおそれている。その怖れは彼女に成人した後の未来を描かせることができないほど重い。

 しかし、どのようにすれば不安を取り除いてやれるのか、まだ手立てが浮かばない。ひとつわかっていることがあるとすれば、たとえ彼女がそのようなものに成り果てても、ノヴァはアウロラの傍を離れる気はないということだけだ。彼女が堕ちるのなら、自分も同じようにどこまでも堕ちると決めている。こんなことを話せば、アウロラは怒るのだろうが。

 ただ、そのような最悪を回避したとして、何かしら彼女の力が災いし、アウロラが王宮魔術師や魔法庁のアークメイジという職を失ったとしても、彼女と生活していけるくらいの蓄えも必要だ。個人的な蓄財も抜かりなくしておかねば。

「アウロラに不自由をさせたくない」

 独り言のように呟くノヴァに、セディルは内心で感嘆する。

 ああ、尊い!尊いよ、ノヴァ君!

 自分の至らぬ点を嘆き、姫様の心を慮るばかりか、暮らし向きや金銭的配慮までも…!君は16歳にしてなんて意識が高い男なんだ…!

 選ばれしサフィルスの本懐を見た気がした。

 ラウルスあたりならば、「過保護だな」と苦笑いしそうな話だが、セディルは末端でもサフィルスの男なのである。ルベウスの魔女への理性など持ち合わせていない。

「ノヴァ君はやっぱり姫様のフラテルなんだなぁ。ぼくなら君みたいにはなれないよ。…いや、比べるのもおこがましいけど」

 尊敬の眼差しを向けられ、ノヴァは決まり悪く視線をそらす。

「俺だって最初からこうだったわけじゃない。昔の俺が知ったら、同一人物だとは思わないだろうさ」

「そうかな?」

「あぁ。マスターに嵌められて選別されてしまった時も、嫌で嫌でたまらなかった。断るつもりでいたし、断ってほしかったんだよ。俺には荷が勝ちすぎると思っていたし、ほかにもっと優れたサフィルスがいると信じて疑ってなかった。アウロラにもそう言った」

 けれど。

「……彼女にどうしてもと懇願されたら逃げられなくなった」

 あのまま彼女の縋る眼差しを振り払って楽な方へ逃げたとして、後悔せずに済んだだろうか。長じてもすっきりせずに、胸の中でくすぶり続けるに違いない。彼女の面影を消せずに。

 あの時は諦めるように受け入れたけれど、今ならばわかる。欲したところで、彼女のように真剣に自分を求めてくれる者はこの先現れることはないだろうと。

「後悔はしてない。今はこれでよかったと思ってる」

 紅茶に口をつけて、湯気越しにセディルが目に写る。

「そ、そうか…つまり、ひ、姫様が頑なだった君を口説き落としたんだ…!あ、でもわかる!あの姫様に見つめられてお願いされたら誰も逆らえないよね」

「………」

 こいつ、ぼんやりしてるようで、時々妙に鋭いな。

「わかってると思うが…この話は他にするなよ」

「しないよ!胸に秘めておくよ!」

 うんうんと頷いて、美味しくトルテを頬張る。

 彼らの馴れ初めの一端を耳にし、セディルは上機嫌になった。なぜなら、これまでは工房で顔を合わせてもノヴァはアウロラのことをけして口にしなかったからだ。箝口令が敷かれていたのだろうが、彼女が世間に披露されたので、殊更黙っている必要がなくなったのだろう。ノヴァの口からアウロラの話を聞くのは同じサフィルスだからか、友人だからかはわからないが、単純にセディルは嬉しいと思った。

 ノヴァにホテルのアプローチで見送られ、寮に戻る道すがら、ふと振り返る。と、アプローチに横付けされた馬車から鮮やかなオペラ色のドレスを纏った美しい少女が降り立ち、ノヴァが彼女に手を差し伸べているところが見えた。素直にその手を重ね、長い黒髪を揺らし楽しげに話しかけているその少女が誰か考えるまでもない。

 そうか。彼女が戻る時間を見越して、ぼくをカフェに誘って、君はそこにいたのか。

 またまた妙な感動に胸を震わせるセディル。忘れないように見聞きしたことを日記に書き留めると決めた。彼がくれた手製の焼き菓子の味も忘れずに。

この前も短い内容でしたが、こちらも同じく短めで…(本編的なものは次アップ予定ということで…)。

第三者視点を持たせたくて狂言回しというほどじゃないにせよセディル君が…大活躍です。


ホテル・サフィレットは、その名前の通り、ここでしか購入できないサフィレットガラスの加工品(アクセサリー等)の売店があり、お土産としても人気商品です。

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