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幕上がる(2)

 具体的なクラス数は、『フローレス』クラスが1つ、『スライトリー』クラスが3つ(約20人編成)、最後に『メレ』クラスが6つ(約30人編成)と、魔法学校の大部分はメレの生徒で構成されており、フローレスに属する子女はそもそも少ない。

 今年入学したフローレスクラスの生徒数はわずか8人。1つ年上のグロリアのクラスは5人しかいないことを鑑みれば、かなり豊作の年と言えるのだがアウロラはこれを「ゲーム特有の御都合主義」だと判断している。

 制服の色だけでも目立つというのに、次代のルベウスの魔女は廊下を歩くだけでも注目の的。あちらこちらから「ごきげんよう」と挨拶をされる。表面上は涼しい顔を装って返事を返すも、内面では震え上がっていた。

 蘇る懐かしき学生時代。が、その学生生活は少女漫画のきらめく世界とは程遠く、無味無臭の味気ないものであり、ただのその他大勢でしかなかった。常に人目に晒される生活はこれがはじめてのこと。気が休まらない。

 広々とした教室で、アウロラは自身の席に腰掛け気持ちを落ち着けようとサファイアのペンダントを指で弄ぶ。

 ノヴァがくれた魔力を安定させてくれるお守りのネックレス。こうして触っていると不思議と心が凪ぐのだ。

 …と、隣の席で椅子を引く音がする。何気なくそちらに目をやると、軽く波打つ藤色の髪の少女が座った。大人びた美しい顔立ちだ。アウロラと目があうと髪色よりも深い紫の瞳が微笑む。

「かわいい髪飾りね」

「…!」

 アウロラは意表を突かれた。

 今朝から異性に翻弄され、見知らぬ少年少女たちからは容姿や家柄についてばかり囁かれていたこともあって、新鮮な気持ちになる。そして、同時に懐かしさを覚えた。

 こ、これは…!女子特有の持ち物を目ざとく褒め合う習慣!

 こちらの世界に来てからはとんとご無沙汰だったが、かつての社会人だった『わたし』では当然のように繰り広げられた女子同士のお約束事であったため(特に同僚や先輩相手)、瞬時に初対面の彼女の持ち物をチェックし、慌てて告げた。

「あ、ありがとう。あなたのその指輪もとっても素敵だわ。アンティークかしら」

 この返しに彼女は面食らったようだったが、すぐに笑顔を見せた。

「ああ…これはお祖母様がくださったもので…。…って、ごめんなさい。気を遣わせてしまったみたいね。…本当にあなたの髪飾りが可愛いなと思っただけ」

 同い年だというのにぐっと大人びた美人の彼女は、砕けた口調で気さくに続けた。

「…わたしはステラ。ステラ・アメシスト。うちは占術を得意としているの。よろしくね」

「ええ、こちらこそ。わたしは…」

「知ってるわ、アウロラ・ルベウス・コランダム嬢。あなたすごい噂になってるから」

「……噂…?」

 いい噂ではなさそう。

「本当に実在してたんだ?…って」

「ああ、そっちの……ええ、実在してるのわたし」

 世間から隔絶していたので、アウロラの存在は都市伝説並みのあやふやさだったのだろう。

 頷くとステラはわずかに破顔する。

「あなた面白いわね。何年も前から次のサフィルス・コランダムが世間に公表されていたのだもの。あなたが実在してないわけないのにね」

 と、ステラは同じ教室でラウルスと話をしているノヴァを見やる。しかしすぐに視線を戻して言う。

「スライトリーやメレの子たちが騒ぐのは仕方がないわね。あなたとっても綺麗な子だもの。髪の毛もツヤツヤで羨ましい。わたしはこの通りくせ毛だから」

 少しうんざりしながらウェーブする自分の髪に触れるステラに、アウロラは小首を傾げる。

「あなた美人だわ。髪型も大人っぽくて素敵よ。結い方次第でたくさん魅力を引き出せそう」

 類い稀な美少女に『美人』だと言われると妙な気分だが、心底そう思っている眼差しで瞬きを繰り返しこちらを見返してくる。深窓育ちの素直な言葉に、ステラは微苦笑する。

「…ありがとうルベウス嬢。あなた気取ったところがなくていいわ。あ、これ嫌味じゃくて本当にそう思ってるから」

「?ええ、ありがとう。…あ、あの、できればアウロラって呼んでほしいわ」

「そう?じゃあ、わたしのこともステラで」

 ふたりは微笑み合う。

 ああ、お友達が…お友達ができたわ…!

 ちなみに。ステラはゲーム上では存在していない。いや、影で存在していたのだろうが、ヒロインとアンチヒロイン以外、モブ扱いされてしまっていて名前すら出てこない。今思うと差別的な内容である。

「それでね、ルベウス嬢の……いえ、アウロラの髪飾り、わたしの妹が好きそうなデザインだと思って」

「妹さんがいらっしゃるの?」

「ええ、6つ離れてるのだけど、可愛いものが大好きな子なのよ」

「まあ、そうなの!」

 気が合いそうな妹さんだ。

「不都合でなければ、その髪飾りをオーダーしたお店を教えてもらえないかしら」

「あ、ええっと、これはね…」

 横髪を留めているリボンのついた髪飾りに触れながらアウロラは説明をする。

「実は、わたしのフラテルが…ノヴァがお誕生日に贈ってくれたものなの。ルベウスの魔女は髪にも魔力が宿っているものだから、結いあげたりすることがあまりできなくて。そうしたら、髪留めならいいだろうって彼が作ってくれて」

 今のものは3代目で、彼曰く「完成形」であるらしい。そのため、台座の金も、使われている貴石もすべて本物であらゆるコランダムが散りばめられている高価な作り。この世に一点だけの髪飾りである。

 ああ、とステラは頷く。

「なるほど彼の一点物。あなたの身につけているものはサフィルス工房が…というか、あなたのサフィルスが手がけたものであることが自然よね。失念していたわ。でも意外」

「…?」

「いずれサフィルス工房主になる彼が宝石細工が得意なのは当然だとしても、可愛いものを作るのが得意だなんて」

「…あ、えっとそれは…わたしが可愛いものを要求するから…かな?」

 ノヴァが好んで愛らしいものを意匠しているというよりは、アウロラの望みを叶えているだけだ。

「もしかして、そのサファイアのペンダントも彼の?」

 アウロラの胸を飾る見事なサファイアのペンダント。本来、小娘に相応しくないが、ルベウスの魔女である彼女だからこそ、身につけていても違和感のない大カラットのそれ。

「え、ええ!そうなの。このペンダントはお守りみたいなもので……どちらもノヴァがくれた大事なものなの」

 そう言って嬉しそうに微笑むアウロラに、ステラは彼らの特殊な関係性を察する。

 昔からルベウスとサフィルスはひとつのコランダムにつながる姉と弟の間柄であることは有名。この形は一度も崩れたことがなかったというから驚きだが、アウロラとノヴァも例外ではないようだ。彼女の口ぶりや表情からはノヴァへの信頼の高さがうかがえた。対するノヴァのアウロラに対する感情は、髪飾りとペンダントが物語っているように思う。

「どちらにしても、彼はあなたに似合うものしか作らない。自明ね」

 彼女が気づいているかどうかはわからないが、スライトリーやメレのクラスの少女たちは憧憬の気持ちから、アウロラの持ち物を真似たがるのではないだろうか。ステラは耳ざといのでそのような噂はもうちらほら聞こえてきていた。「可愛い髪飾り」「素敵なネックレス」と囁き合っていて、「ふーん、どんなものか」と思って彼女と対面してみれば、確かに髪飾りは可愛いし、サファイアのネックレスは素敵であった。だが、彼女だからこそそれらに負けていないのだということを少女たちは理解できていかどうか…。

 まあとはいえ、可愛いものに敏感な少女たちの心を熱くさせる意匠であることには違いない。

「でもあなたの髪飾り、素材を変えてもう少し一般向けにしたら、すごく流行りそう」

「え」

 ステラの何気ない一言は、アウロラの心に鋭く刺さった。

「あ、ごめんなさい。不愉快よね、あなたのフラテルがあなたのために作ったものなのに」

「いいえ、違うの!…盲点だったと思って!」

「盲点?」

 首を傾げるステラ。

 ここでもう一人の少女が加わる。

「おふたりとも何のお話をなさってるの?」

 薄いプラチナブロンドの髪を揺らして教室に戻ってきたクラリスがふたりの席に駆け寄る。

 ステラはすぐに立ち上がって黙礼をした。

「これはクラリス姫様。ご挨拶が遅れて申し訳ございません。アメシスト家の長女、ステラ・アメシストと申します。お目にかかれて光栄でございます」

「ご丁寧にありがとうございます。わたくしはクラリス・ルーキス・アダマス。こちらこそ仲良くしてくださいませね」

 アウロラも立ち上がってクラリスに告げる。

「クラリス、わたくしたち、お友達になったのですよ」

「まあ!ではわたくしもお仲間に入れてくださいませ」

 ぱっとクラリスは笑顔を浮かべる。

「姫様がお望みとあらば喜んで」

 微笑むステラに、クラリスは告げる。

「アウロラと同様に、わたくしのことはクラリスとお呼びください。お友達とは対等であるべきだとお兄様もおっしゃっていました」

 ステラはちらりとアウロラに視線を送る。アウロラは大丈夫だと小さく頷いた。

「はい。ではわたくしのことはステラと」

「はい!ステラ!」

 無邪気に頷いた。

 クラリスの飾らない素直さにステラは内心驚いたが、これは彼女生来の個性なのだと受け入れた。

「クラリスは今までどちらに?」

 アウロラが尋ねると彼女はすぐに「お兄様のところです」と答える。

 クラリスの兄(正確には従兄弟)、グロリアを同世代で知らぬ者はいない。あの神がかりしている美貌の青年は男女を問わず恋に落とすことでも有名だ。当人にその自覚はないので罪深い。ステラも今日はじめてはっきりとかの人の姿を目にしたが、天は一体彼に何物を与えたのだと慄いてしまったほどであった。

「お兄様はアウロラの印象がとても快かったみたいですわ。特定の女性のことを口になさるのは珍しいことなのですけれど」

「……そ、そうですか…」

 震え上がっていただけで、快い印象を残すほどのことなどしていないと思うのだが。可愛い妹姫と友達になったことが彼に好印象を与えたのだろうか?

「…ふーん、あの完全無欠な殿下がねぇ…」

 ステラは小声で冷やかす。

 その意味ありげな笑みと眼差しに戸惑っていると、クラリスが身を乗り出す。

「…それで、先ほどは何のお話をされていたのですか?!」

 よかった、話を戻してくれた。

「え…ええ、実はわたくしの髪飾りをステラが可愛いと言ってくれて」

「そうなのです。年頃の女の子たちに流行りそうだと彼女に伝えたのですわ」

 するとクラリスも大きく頷いた。

「わかりますっ!わたくしもアウロラの髪飾りはとても素敵だと思っていたのです。でもきっとアウロラが身につけているからですわね」

 真実をつく発言に、ステラは目を見張る。このお姫様はただ無邪気なだけではないらしい。

「ありがとうございます。ステラの言葉に盲点を突かれて、はっとしたのですわ」

 可愛いは正義、そう思っていたはずなのに。

「盲点?」

 クラリスとステラが不思議そうに顔を見合わせる。

「ええ、……これは、女の子たちに『売れる』のではないかと!」

 カッと目を見開くアウロラに、ステラは一瞬表情を失ったが、すぐに吹き出した。

「ええ…ええそうね、確かに『売れる』かも」

 深窓育ちのアウロラに似つかわしくない俗な発想と言葉だったが、逆にステラは親近感が増した。

「やっぱりそう思う?可愛いは正義だと!」

「…ぷっ…可愛いは正義って……ええ思うわ。うちの妹もそうだと思うけれど、この学校の女の子たちがこぞって手に入れたがるでしょうね」

 そうして市井にも広がり、流行りというものは形成されていく。

「……これは、ノヴァに進言しなくてはいけないわね」

 アウロラは真顔だ。

 ステラは笑いをこらえるように口を押さえる。

 なにこの子、本当に面白い。

「可愛いは正義……初めて聞く響きですわ…!」

 クラリスはそちらに感銘を受けた様子。こちらもこちらで面白い。

 深窓育ちふたりの素直さと面白みに、ステラはこれからの学校生活が楽しいものになると確信をしたのだった。


 室内の少し離れたところで楽しげな少女3人組の様子を眺めてラウルスは言う。

「趣の異なる美少女ふたりに、美女がひとり。目の保養になってありがたい。…まったく、全員野郎でなくてよかったよ」

 少人数とはいえ、室内が全員男子ならただむさ苦しいだけだった。

「ルベウス嬢も彼女らと打ち解けられてよかったな、ノヴァ」

「あぁ、馴染めそうでよかったよ」

 ノヴァは素直に相槌をうつ。

 限られた空間で成長し、同世代の少女と接することがなかったので心配していたが、持ち前の順応力がうまく発揮できたようでノヴァも安堵する。

「ノヴァとしては、もっとルベウス嬢に頼っていて欲しかったんじゃないのか?」

「そんなことは言ってない」

「言ってはないが思ってはいるだろ」

「彼女の世界が広がることには賛成だ。俺に頼るべきところは頼るだろうしそこは心配してないさ」

「逆に頼られないわけがないという自負はあるわけだ。…お前、そうやってちょいちょい惚気入れてくるよな」

「どこも惚気てないだろ」

 心外とばかりにノヴァは眉を寄せた。

 なるほど、惚気はもはや無意識か。

 目は口ほどに物を言う。彼女を見つめる瞳に宿っている感情がなんであるか、当人ばかりが知らぬらしい。

 ラウルスは内心肩をすくめる。

 だが、姉と弟という形式的な関係は、少なからず彼の中に影を落としているはず。彼女に想う男ができたとき、ノヴァはどうするのだろうか。

「俺はとりあえずお前を応援してるよ、ノヴァ。友達だからな」

「?…何の話だ?」

 話が見えず怪訝に眉を寄せる友人にラウルスは薄っすら笑みを浮かべて告げる。

「美しい花に近づくつまらん虫共に負けるな、ってことだよ」

 そこで意図を察して、ノヴァは嘆息を漏らす。

「その虫の一匹が、よく言う」

「はは、違いない」

 すっかり警戒されてしまったようだ。しかし、これは好ましい。彼は気をぬくべきではない。その相手が友人であっても。

 そうでなければ、楽しくないじゃないか。

 異性慣れしていないアウロラに近づく度に、ノヴァが神経質になる様を楽しもうと考えている自分は性格が悪いのかもしれないが、ある意味彼のためでもあるのだ。

 愉快な気持ちになりながら笑うラウルスに、ノヴァはやれやれと肩をすくめた。

 ふたりが会話を終えたタイミングで、小柄な女性が教室に入ってくる。

「はーーい、全員席についてー」

 彼女の号令で全員大人しく着席する。

「よぉし、みんな素直で結構!これから3年間、君らと一緒に過ごすことになる担当魔術師のイリア・ラズワルドだ。ここに在籍している間は君らはボクの生徒だから、家柄や血筋なんてものは一切考慮しないし通用しないのでそのつもりでー」

 ゲーム内でも登場するボクっ娘教師、イリアの登場にアウロラは思わず口を押さえる。

 本当にボクっ娘なのね!原作通りに!(…というか、人生ではじめてボクっ娘と対面したのであった。案外現実では出会わないもので…)

 イリアは中堅魔術師家系の出で、年齢は現在28歳。化粧っ気はなく、顔にはそばかすが散り、大きなメガネが特徴的な赤毛の魔女だ。ふたつのおさげ髪も少々ボサボサで、彼女が外見に頓着していないことが見て取れる。

「今年は8人もいるし、豊作だねぇ〜しかもひと所にフローレス3家が揃ってるとか、レアじゃんレア。うわー後々君らが大成したらボク孫に自慢できるよぉ。まあ結婚する予定は全然ないんだけども」

 彼女のこのノリ、独特である。場違いで浮いているがアウロラは気にしない。そういうキャラだと知っているから。しかし、他の生徒たちは少々絶句気味である。仕方がない。

「今日は顔見せだけ。明日からはフローレスの君らにしかできない授業を色々とこなしていってもらうから、よろしくねー。それじゃ本日はこれにて適当に解散!」

 ぱっと手を上げて彼女は早足で教室を出て行ってしまった。皆呆気にとられる。

「…本当に、何もしないでいいのかしら」

 アウロラが呟くと、クラリス(アウロラの前の席)が振り返る。

「お兄様も今日はただの慣らし登校だと言ってらしたわ」

 なるほど、とステラが頷く。

「入学式は終わってるし、今更魔法とはなんぞや、みたいな講義を受ける必要もわたしたちにはないから、あとは学校見学でもして帰りなさいってことでしょうね」

 確かに、ゲームではヒロイン(プレイヤー)が学校内を移動することで攻略対象キャラクターと遭遇するイベントが用意されていたはず…。ヒロインを除けば初日はこんなものなのかもしれない。

 ひとりで納得をする。

 そうして一同は解散となった。



 ※



 魔法学校は王都の西の外れにあり、小高い丘に建っている。

 自宅から通うことが困難な者が多いため、学校には寮がある。だが、数には限りがありメレクラスの生徒を優先的に受け入れていた。スライトリーとフローレスの生徒は正門から少し下ったところにある街で下宿暮らしが通例になっていた。

 魔法学校が普請された当時は寂れていた魔法学校周辺も、時を経て観光地化され学園都市となっていた。そのため界隈にはホテルがいくつも建ち、かつての閑散とした面影はない。

 アウロラとノヴァも王都の屋敷から魔法学校のお膝元にあるホテルのコンドミニアムに住まいを移している。平日はそちらで過ごし、休日は別宅や本宅に戻る生活だ。コンドミニアムはサフィルスの資本で経営され、ホテル名を『サフィレット』という。専用の部屋が最上階に作られており、守りも万全。かつては母アレクシア、ウィスタリアも暮らしたホテルである。


 アウロラはクラリスやステラに挨拶をして別れると、ノヴァに手を引かれて正門を出る。

 相変わらず生徒たちから注目を浴びて、気が休まらない。ノヴァは涼しい顔をしているが。

「今日は疲れただろ」

 気遣うように声をかけてくれるノヴァに微笑む。

「…ええ、学校なんて久しぶり……ではなくて、はじめてだから緊張が抜けないわ」

 いけないいけない、ついうっかり口走ってしまった。

「混乱してるみたいだな」

「え、ええ!そうみたい…」

 コクコクと頷いてごまかす。そもそも、学校としてのシステムがまったく異なっているのだから、久しぶりと感じるのもおかしな話だが。

「ああ、でも、お友達が出来て嬉しいわ!」

 これは本当にそう思う。クラリスと友人になれるとは思っていなかったので嬉しい誤算(半分不安もあるけれど)、ステラというもうひとりの友人も持てそうで学校生活に希望が持てた。学生生活の安泰は、親しい同性の友達を持てるか否かにもかかっている。

「あぁ、よかったな」

 微笑んで頷くノヴァににっこり笑いかえす。

 ノヴァが優しいのは嬉しい。本来のわたしたちには持ち得ない会話や時間だったはずだから。

「……ヴァ…ノヴァ!ノヴァ君!」

 …と、ここで聞き覚えのない少年の声が聞こえてくる。

 ノヴァは顔をそちらに向けるとひょとりとした体躯の少年が駆けてくるのが見える。彼は息を切らしてノヴァの前まで来ると立ち止まる。

「よかった、今日はもう話せないかと思った」

 苦しそうな少年にノヴァは小さく息をついて名前を呼んだ。

「セディル、そんなに急がなくても俺は逃げないよ」

「う、うん…そうなんだけど。……やっぱり、君は選ばれし者なんだなぁと思って、気後れしちゃってるうちに1日が過ぎちゃって…」

「そんなに大層なものじゃない」

「いや、君は特別だよ。フローレスの制服もすごく似合ってるし、キラキラしてる。女の子たちが騒いでたよ王子様みたいだって。…あ、これから学校でもよろしくね」

「こっちもな」

 気負いのない口調のノヴァが珍しい。ラウルスとはまた異なる親しさを感じてアウロラは驚きながらノヴァの背後から問いかける。

「ノヴァ、お友達?」

「……ああ、紹介するよ。俺と同時期に工房に入ってきたやつで、セディル・サフィルスだ」

「まぁ、じゃあノヴァの工房でのお友達ね」

 そうなるかな、と頷くノヴァの腕に手をかけながら姿を見せた少女に、セディルと呼ばれた少年は「ヒッ」と小さく悲鳴をあげて固まる。アウロラを直視してしまったからだ。

「セディル、彼女が……『我らが姫』のアウロラ・ルベウス・コランダム嬢だ」

「初めまして、セディル。ノヴァのお友達とお会いできて嬉しいわ」

 ノヴァの友達とあらば好意的でないわけがない。アウロラは惜しげもなく微笑む。

 セディルはくせのある栗毛の少年だった。丸メガネをかけており、メレクラスの制服を着ていた。

 しかし、瞳を合わせて挨拶をされた側のセディルの精神はそれどころではなかった。

「ははははは、はじ、はじめまして…ひひひ姫様 …!きょ、きょきょきょきょ恐縮です……!!」

 声は上ずり、顔を真っ赤にさせて直立不動状態。今にも気絶しそうだ。

 そ、そんなにかしこまらないでも…。わたし、怖そうなのかしら?

 不安に感じていると、ノヴァがアウロラの頬を取り、くいっと自分の方に向かせる。

「…ノ、ノヴァ…?!」

「あまり見つめてやらないでくれ。耐性がないんだ」

「え…?」

 耐性って?石化か何かの?わたしはメデューサなの?(ありえないことはない、だってアンチヒロイン属性だもの)

「おおおおお、お会いできて、こ、こここここ光栄です姫様!ふ、ふふふふ不束者ですが、こ、こここ、これから、よ、よろ、よろしくお願いし、します!」

 挙動不審になっているセディルに、ノヴァは嘆息する。

「…なんだその挨拶。…不束者って……アウロラと結婚でもするつもりか」

「え、け、けっこ……?!」

 爆発しそうに顔が熱くなる。

 思考回路停止したセディルはそのままの姿勢で石になった。

「……ノヴァ、わたし…そんなに怖いの…?」

 セディルの反応にショックを受けるアウロラに「違う」と否定して首を振る。

「これだけ見てるとポンコツだが…セディルは素直だし、朗らかでいいやつなんだ。魔術回路こそ持たないが、腕も頭もいい。それで、マスターも嘱望して魔法学校に通わせるように手配した。魔法知識がある方が工房でも仕事の幅が広がるからな」

「そうなの。じゃあいずれはあなたの仕事を助けてくれる方なのね」

「ああ。……ただ、ちょっと対人関係が苦手でな…」

 言葉を濁しているが、異性への免疫がないのだ。普段から異性相手になるとぎこちないが、ここまで壊れたところはノヴァもはじめてみた。

 …だが、仕方がないことだ。

 アウロラの美しさと蠱惑する眼差しをこれほど近くで目の当たりにしたら大概の男は挙動不審になるだろう。あまつさえ惜しげも無く微笑まれてしまったのだ。初対面で一切まごつかなかったのは今のところラウルスとグロリアだけ(彼らは彼らで言動が問題だと思うが)。

「特に…サフィルスにとってルベウスのお前は特別なんだ。あまり刺激しないでやってくれ」

「…刺激?…でも、ええ、わたしもあなたのお友達に嫌われたくはないわ」

「それはない。サフィルスはルベウスを嫌わない」

「本当?」

「あぁ。俺がアウロラの傍にいることが証だ。お前のフラテルを信じろよ」

「………」

 アウロラはノヴァの瞳を覗き込む。いつ見ても綺麗なロイヤルブルーの眼差しとわずかに見つめあって、頷く。

「信じるわ」

 カッチカチの石になりながらも近しい距離でふたりのやりとりを見ていたセディルは、ノヴァに感嘆する。

 …き、君はすごいよ…!こ、こんなにお綺麗な姫様と間近で見つめ合っても平然としていられるなんて……やっぱり君は選ばれしサフィルスなんだね…!

 魔術師ではないセディルにとって、ノヴァは工房での顔しか知らない。彼はサフィルス・コランダムの名前を与えられても気取ったところもなく、真面目で修行熱心で好感が持てる少年だった。セディルは引っ込み思案で友達付き合いが苦手ではあったのだが、同期に近いということでノヴァとは会話することも増え、次第に親しくなっていった。

 そのため今までは殊更彼が選ばれしサフィルスである意識をしていなかったが、今日1日だけで、洗練された立ち居振る舞いやフローレスクラスにおける交友関係が垣間見れ、彼が別世界を生きる魔術師なのだということを思い知らされてしまった。ふたりの間には明確に線引きされているのだと。それは少し、いや、随分と寂しさを覚えるほどに。

 だが。

「セディル、どうかノヴァとこれからも仲良くしてくださいませね。彼をよろしくお願いします」

 石になったままのセディルの手を取って、アウロラは微笑んで告げた。…なるべく、目は合わせないようにして。

 我らがルベウスの魔女の分け隔てない優しさにセディルは感無量になり、(現金な話だが)感じていた寂しさが吹き飛ぶ。

 ひひひ姫様、いいいい、いい匂いがする…!し、ししししかも、ひひひ、姫の手が……!!やややや、やわらかい…!ああ……ぼ、ぼくはしばらく手を洗わない…。

「…あー…」

 哀れセディル。一万年は石化がとけなくなりそうだ。

 ノヴァはそっとセディルからアウロラを引き離すと、彼女の手を取ってセディルを置き去りにコンドミニアムへ帰宅する。石化がとけるまで…しばらくひとりにしてやったほうがいいからだ。その間、放置されたセディルをアウロラが何度も振り返っていたが構わずに。

 それにしても。

「どうしてみんなわたしを姫と呼ぶのかしら」

 疑問であった。姫は王族の血筋のクラリスであって、アウロラではない。アンチヒロイン属性にはふさわしくない。

「誰もアウロラの名前を知らなかったからだよ。工房でも伝統的に名前で呼ぶことを憚ってアウロラのことは皆『我らの姫』と呼んでる」

 ただし、ノヴァ本人の前では『ノヴァの姫君』だとか『君の姫様』とも称される(揶揄含み)。

「ちなみに、アークメイジは『我らの女王(レジーナ)』な」

「……レジーナ!強そうね!…お母様にぴったりだわ」

「………」

 いずれ、アウロラにも娘が生まれれば今度は彼女がレジーナと呼ばれるようになる。順繰りなのだ。しかしノヴァはそれを口にはしなかった。

 自身の奥底に燻る感情を詳らかにせぬように。

アウロラの黒髪は赤みがかっていて、ノヴァは青みがかっています。

ルベウスは直系しか存在しないので色彩が失われていませんが、サフィルスは枝葉が広がりすぎているため大半の者が色彩的特徴が失われてしまいました。

セディルくんがサフィルスの名前でも色彩的特徴を失っているのはそれほど珍しいことではなく、むしろノヴァほどくっきり特徴があらわれていることのが稀であったりするのです。

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