幕上がる(1)
グラティア魔法学校のはじまりは、400年ほど前に遡る。
異界の魔物たちとの大戦を経て創設された学び舎だ。大戦以前の魔女や魔術師は日陰を生きる隠者であったが、先の大戦における彼らの貢献の高さから当時の国王の呼びかけによってひとところに集う場が出来上がった。裏を返せば為政者たちがそれだけ魔女や魔術師を危険視していることにもつながる。ゆえに管理する場が欲しかったのだろう。
おかげで魔女、魔術師たちは魔術を用いてこの社会で生活していくためには、何事も魔法学校の卒業資格が必要になってしまったのだった。既成概念や社会全体の仕組みすら変えてしまった大戦だったのである。
このグラティア魔法学校は魔術回路を持たない人間にも等しく門を開いており、呪文を用いた最低限の魔法を学ぶことができるため、庶民には人気が高い。魔術回路を持たない者でも魔法庁には就職が可能なのだ。すなわち、魔法庁に就職したければ、魔法学校の卒業資格が必須であるので望む者は自然とここに集まることになる。
グラティア魔法学校では学年では3つ、クラスは『フローレス』『スライトリー』『メレ』と分けられている。
『フローレス』は古くから続く有名な魔術師家系の子女が籍を置き、『スライトリー』は魔術回路を持つ中間層の魔術師家系の子女が、『メレ』は家柄を問わず魔術回路を持たない一般子女のクラスとなっている。ご丁寧に制服の色まで分けられており、フローレスは『白』、スライトリーは『黒』、メレは『灰色』。望まずとも一目でクラスを認識できてしまうわけだ。
魔女や魔術師は爵位を持つことを許されていないのだが、ここでのクラス分けが実質的な社会的格差に繋がっているのが実情。卒業後も尾を引き、能力が高くとも覆すことはとても難しい。上昇志向の強い者からすればたまったものではない。おかでげで隠者に戻ったり、はぐれ魔術師になる者も珍しくはない。
生涯にわたって影響し続けるクラス分けが、歪みや軋轢を生み出していることは否めない。ゲームの中ではそのあたりの事情は影に隠れてしまっているが、実際にこの世界で生活する上では遣る方無いこと此の上も無い話。だが進行上、ここではとりあえず割愛する。
※
16歳になる年、いよいよアウロラはグラティア魔法学校入学の時を迎えた。
入学に合わせて、半年ほど前から王都にあるルベウス別宅へと住まいを移し、世間慣れする努力をしていたのだったが、如何せん何年も限られた人間とだけ接してきた弊害か、コミュニケーション能力は衰えてしまった。かつての自分は社会人だったはずなのだが、このブランク期間は無視できないものとなっていて、彼女を愕然とさせた。
フローレスクラスに属するアウロラは、白い制服に身を包んでいる。クラッシックながら洒落たデザインのワンピースで、いくつもの飾りがついている。襟を飾るリボンは彼女の色彩を示す赤。ゲームという絵空事では気にならないこのゴテゴテとしたデザインも、着用するとなかなかに派手だ。
立派な正門前で立ち止まり、アウロラは小さく何度も呼吸を繰り返し、自分を落ち着かせようとする。
「……ああ…大丈夫かしら…?わたし、何か粗相をしてしまいわないかしら…」
これまでずっと近しい家族と使用人のみに囲まれていたので、大勢の中に入ることはとても緊張する。
自分という、アンチヒロイン属性がどこでどう作用するかわからない。
口元に当てていた指をノヴァがそっと掴み、握る。向かい合う形でアウロラを覗き込む。
「大丈夫だ、俺がいる」
アウロラが緊張するのも無理はない。彼女が世間に身を置くようになったのはつい半年前からのこと。人慣れする間もなく、学校生活を送らなければならないのだから、不安になる気持ちは理解できる。
安心させるように小さく微笑むノヴァに、アウロラはわずかに強張る頬を緩めた。
「……!…ええ、そうね。ノヴァがいてくれるから、心強いわ」
そうだ。わたしはひとりじゃないわ。ゲーム内の彼らとは異なり、ノヴァとの関係は良好で、彼はわたしの味方でいてくれる。
アウロラ同様、フローレスクラスの彼の制服は白いブレザーで、やはりこちらも飾りがいくつもついている。タイの色は青。乙女ゲームのキャラクターらしく、洒落者となったノヴァを見上げて、ぎゅっと指を握り返し、微笑んだ。
震える深窓の令嬢を優しく労わる幼馴染の美しい姿はもはや一枚のスチル画像なのであるがもちろんアウロラは気づいていない。
フローレスクラスの白い制服と、容姿的にも目立つふたりが正門前で手を握り、見つめあっているとあっては、そこを通る(美少女と美少年への免疫が少ない)少年少女たちのいたたまれなさたるや。
世間を鑑みない彼らのやりとりをしばらく眺めていたひとりの少年が彼らに近づく。
「なぁ、おふたりさん。そろそろ話しかけてもいいか?」
はっとしてアウロラはそちらに顔を向ける。目にまず飛び込んできたのは、鮮やかな赤い髪と、エメラルドの瞳だった。
その容姿から、彼が誰かすぐに察しがついた。が、先に口を開いたのはノヴァだった。
「…あぁ、いたのかラウルス」
「ちょっと前からいたんだけど?…ていうかお前…正門前でイチャイチャされたら、みんな目のやり場に困るだろ」
と、ラウルスと呼ばれた少年は苦笑いを浮かべる。
まあ、それもしょうがないけどな。
少し戸惑った様子でこちらを見上げているほっそりとした美しい少女。涼やかだが蠱惑するような赤い眼差し、艶やかな長い黒髪が白い肌に映えて、見つめずにはいられない。
「ノヴァ、お友達?」
ラウルスの視線を避けるようにして、アウロラはノヴァを見上げた。
「…まぁ…一応」
「なんだよその微妙な返事は」
不満そうなラウルスは、アウロラに顔を戻すと笑って自己紹介をした。
「俺はラウルス・エスメラルド。エスメラルド家の三男で、ノヴァとはギルドのサロンで知り合った仲。どうぞよろしく。……それで、あなたがノヴァのお姫様か?」
「…お、お姫……い、いえ、姉ですわ。ノヴァがお世話になっております。わたくし、アウロラ・ルベウス・コランダムと申します。以後、よろしくお見知り置きくださいませ」
スカートをつまんで礼をする。
ラウルス・エスメラルド。彼もまたフローレスクラスの魔術師だ。
そして、彼は攻略対象キャラクターのひとり。鮮やかな赤い髪と、エメラルドの瞳を持つ溌剌とした魅力を持つ少年。
サフィルスと同様、宝飾工房を営みながら、さらにいくつもの鉱山を所有しているオーナーでもある。貿易も手がけ、財力だけでいえば、王家を凌ぐかもしれない。
飄々として、男女問わず誰とでも仲良くなれるタイプだが、物事を俯瞰して見ているところがあり、攻略となると距離を縮めることが実はとても難しい人だったりもする。
アウロラとノヴァの関係性の変化は日常生活にも影響し、いつの間にか彼の交友関係に食い込んできていたのか。
まさか早々に遭遇してしまうとは…。
「噂のルベウスの姫君にようやく会えて嬉しいよ。ノヴァにキミのことを聞いてもだんまりで、ほとんど教えてくれないもんだから」
「噂?」
「キミは王家の姫君並みに深窓で育てられたんだろう?キミの実態を他人は誰も知らなかったんだから、あれこれ噂になってた」
「……そ、そうなの…」
それって、いい噂なのかしら。それともやっぱり元々のアウロラの素行や、アンチヒロイン属性が災いして、悪い噂の類なのかしら…?
不安になってノヴァを見上げると、軽く首を振る。
「アウロラがアークメイジより美人なのかどうなのかっていう、低俗な話だ。バカらしくて論ずる気にもなれなかった」
うんざり気味のノヴァの様子からして……なるほど。アウロラの能力云々ではなく、外見的な魅力についての興味か。見えないものは美化しがちであるため、実物の彼女より美形に想像されていたかも……しれない。
客観的に見て、アウロラは確かに美少女だが、母アレクシアには敵わないと思っている。
「もちろん、お母様の方が何段も美しいわ」
「美しければなんでもいいわけじゃないさ。実際、俺はキミの方が好みだ」
とても可憐で。
魅惑的に微笑むラウルスの言葉に面食らう。と同時に顔を真っ赤に染めた。
すかさずノヴァが間に入ってアウロラを背に隠し、ラウルスを睨む。
「……おい」
「さすが深窓の令嬢。反応も可愛いな」
「ラウルス」
少し声音が低くなったノヴァに、ラウルスは肩をすくめた。
「ああ…悪い悪い。お前の大事なお姫様にちょっかい出す気はないよ」
ノヴァの背に隠されたアウロラは、真っ赤になった頬を押さえながら震える。
びびびびび、びっくりした。…唐突すぎて顔色の方が先に反応してしまったわ…!
す、すごい。これが攻略対象キャラクターの口説きスキル…!社交辞令に過ぎないはずなのに、この威力。…なんて、危険なの……。わたしのようなアンチヒロイン属性にそんなもの発揮しなくていいでしょうに!心臓に悪いわ!
「ごめんな、ルベウス嬢」
ノヴァの背後を覗き込むようにしてアウロラの話しかけるラウルスに、彼女はそっとノヴァの腕につかまりながら顔を出し、はにかんで告げる。
「……いえ、こ、こちらこそお見苦しいところを…。ごめんなさい、わたし、その…免疫がなくて」
頼りなく眉を寄せながら、瞳を伏せる様が愛らしい。
いつもは涼しい顔をしているノヴァが神経質になるのもわかる。
人慣れしていないのもあるだろうが、何より男慣れしていないのだ。なんとも初々しい。
「……本当に可愛いな」
わずかな呟きをノヴァは聞き逃さない。
「ラウルス」
「…あーあー、わかったわかった。もう言わないからそんな怖い顔するなって」
ノヴァのロイヤルブルーの眼差しの奥に冷たいものを感じて、さすがのラウルスもこれ以上は口をつぐむ。
この調子で彼女の髪の一筋にでも触れようものなら、ノヴァは友人だろうが顔色を変えずに腕ごと切り落とし、死神をも召喚しかねない。
コランダム姉弟の関係が特殊かつ、尋常でないことを肌で感じる。まあ、主には弟側の。
彼の『宝物』を暴こうとすれば、それ相応の報いを受けることになるのだろうし。
さすがに、命は惜しい。…まだ。
苦笑いでなだめるラウルスに、ノヴァは「初日からこれか」と内心嘆息を漏らす。
早い段階からウィスタリアには注意をされてきた。
世間から隠されて育ったアウロラへの注目度は並ではなく、またその家柄、容姿から彼女の周囲は騒がしくなるだろうと。
『ノヴァ、わかっているね。あの子は平均的なただのルベウスの魔女でなければならないんだ。魔法学校では君が光となり、あの子を目立たぬ影にしてほしい。そのためには、君はあらゆる面で研鑽を重ねる必要がある。…全てはアウロラのために』
本来ならば目立つことは望まないが、アウロラの能力を秘するために矢面に立ち続けることにもう異論はない。だが、彼女の能力云々以前に、異性を惹きつける魅力については抑えようがない。魔法学校でも光りに群がる虫のように男たちが吸い寄せられてしまうのだろうと想像していたが、もうすでに目ざとい友人を惹きつけてしまった。…厄介なことだ。
「アウロラ、こいつはマスターと同じように女性に対して挨拶のように調子のいいことを言うんだ。聞き流していい」
「…!…そ、そういうことなら、大丈夫そうだわ」
したり顔で諭すノヴァに、アウロラも「なるほど」とぱっと笑顔を見せて首を縦に振った。
「えぇ…?それ納得するとこ?」
ラウルスは少し困惑してふたりを交互に見ていると、不意にアウロラが何かに気づき、空を見上げる。
「……あれは…」
瞬きを繰り返す彼女の眼差しに誘われるようにしてノヴァとラウルスも見上げると太陽の光を乱反射させながら、空を騎行するダイヤモンドの天馬が2頭が視界に飛び込んで来た。魔法学校の正門へと優雅に疾走し、近づいている。天馬は馬車を引いており、その天馬と馬車の形状からすぐにそれがどこの家門か察しがついた。
「……アダマス家のお出ましか」
薄笑みを浮かべてラウルスが呟く。
天馬は王家と、唯一アダマス家だけが使役を許されている魔法獣である。アダマス家はみな王族の血筋だが、魔術師は爵位を持たない決まりから、彼らは王位継承権を放棄し、臣籍降下することで一応の矛盾を解消している。とはいえ、元王族という高貴さから、魔術師一族の中で最も権威ある家名となった。
これ見よがしにダイヤモンドの天馬で登校してくるとは……貴種はやはりやることが違う。
ラウルスは内心で皮肉をひとりごちた。
輝く天馬はゆるやかに弧を描いて正門前へと降りてくる。着地すると、まずは少年がひとり降り立つ。その少年が馬車の扉を開くと、軽やかに少女が飛び出した。
アウロラと同じように白い制服に身を包んだ、ふんわりとしたプラチナブロンドの髪の少女。
小さく細い肢体が揺れる度に、きらきらと髪は光りを放ち、彼女の特別さを物語る。
傍に立つ少年に何かを話しているようだった。
「……き、来た…」
思わずアウロラは肩を震わせ呟く。
あれは…ヒロインだ。
この登場シーン、寸分違わずそのままだ。
本来は彼女の視点で物語が進むため、第三者としてこの場面を目撃することになるとは。
導入部、ヒロインは住まいの屋敷からこの天馬の馬車に乗り込み魔法学校に向かうところからスタートする。なぜ彼女が天馬の馬車を利用したのかといえば、ヒロインらしい理由。そう、寝坊からの「遅刻遅刻!」というお約束からだった(食パンは咥えてないが)。
固唾を飲んで彼女の背を見守っていると、食い入るようなこちらの視線に感じるものがあったのか、振り返る。
隙なく整った愛らしい顔に大きなピンクダイヤモンドの瞳。見る者の庇護欲を煽る小さな手足と、煌めく唇は自然と異性を惹きつける…これぞ、『ザ・ヒロイン』を体現する儚げな美少女であった。
彼女はまっすぐにアウロラを見つめていた。アウロラもまた彼女を見つめる。
たじろいだのは運命を知るアウロラ方で、彼女は他意のない笑顔を浮かべ、駆け寄ってくるのだった。
3人の前までやってくると、彼女…ヒロインはにっこり笑って口を開いた。
「フローレスクラスの方ですよね!わたくし、クラリス・ルーキス・アダマスといいます」
鈴が鳴るとはこのことで、声もまた愛らしい。
しかも………こちらが戸惑うほどの気安さだ。王家につながる血筋の姫君とは思えぬフレンドリーさ。
彼女、デフォルト名をクラリス・ルーキス・アダマスといい、『アルス・マグナ』の主人公にして、プレイヤーの分身キャラクターである。彼女はルーキス・アダマス家の一人娘で、母は国王の妹姫という、純然たる血筋だ。クラリスもアウロラ同様に世間知らずの箱入り娘で、家族と従兄弟にのみ囲まれ育った。その愛くるしさから蝶よ花よと育てられ、性格は歪むことなく素直に成長し、思いやりと優しさに溢れるお姫様となった。
こうして顔をあわせるまでは、さぞ気高い姫君なのだろうと想像していたこともあって、彼女の砕けた雰囲気に拍子抜けする。
プレイヤーの主観なき世界での彼女は、元王族とはいえこれが普通なのかもしれない。
「わたくし、ずっとお屋敷にこもってばかりだったので、魔法学校でお友達ができるのを楽しみにしていました。仲良くしてくださいませね!」
トドメの笑顔をふりまき、遠巻きにしている一般男子生徒をざわつかせる。
……ああ……ここにいる何人かは…いえもう大多数はヒロインの虜になってしまったわねきっと…。
眩しいほどのヒロイン属性に心奪われる者が続出するのは必然。そういう世界なのだから(真理)。
彼女が挨拶をしたのに、こちらが黙っているわけにもいかず、アウロラは淑女の礼を示した。
「先にご挨拶をいただきありがとうございますクラリス姫様。わたくし、アウロラ・ルベウス・コランダムと申します。よろしくお見知り置きくださいませ」
丁寧なアウロラの挨拶に、クラリスはハッと目を見開く。
「ああ、その瞳…やっぱりルベウス様なのですね?!とてもお綺麗な方なので、もしかしたらそうかと思っていたのです。お兄様にルベウス様のご息女がわたくしと同い年だとは聞いていたのですが…ご一緒できて光栄です!」
「……っ…!」
な、何、このいい子!!さすがヒロインは性格がいい…!
思わず感動するも、平静を装って返事をする。
「……わたくしも光栄でございます、姫様」
「本当ですか?!あ、あの…、ルベウス様、わたくしとお友達になってくださいませんか?」
グイグイくる姫様だ。
おそらく初めて世間と接して、興奮しているのかもしれないのだが…、アウロラは戸惑いつつも頷く。
「…はい、姫様。わたくしでよろしければ」
ヒロインと穏便な仲になっておくのはマイナスではないだろう。もちろん、危険がないわけではないが。些細なことでアンチヒロイン属性が作用しないことを祈るのみである。
「姫様なんて呼ばないでくださいっ。これからは同じ学び舎に通う者同士なのですし、クラリスと呼んでいただけたら嬉しいです」
「姫様、さすがにそれは…」
彼女の背後に着いている護衛の少年が口を挟むが、クラリスは軽く口を膨らませて首を振る。
「いいえ、ノックス。お友達というのは対等でなければいけないとお兄様もおっしゃっていたわ。上も下もないのが友人よ。特別扱いは望みません!」
まったくもってその通りの理屈ではあるが、王族の血筋の彼女を呼び捨てることは不敬と判断することは自然である。
彼女は顔をこちらに戻すと改めて微笑む。
「…ですので、わたくしのことはクラリスとお呼びください、ルベウス様」
「でしたら、わたくしのことはアウロラと」
「…!…はい!仲良くしてくださいね!」
嬉しそうに頬を染めて笑うヒロインの可愛さよ。
眩しい、眩しすぎるわ、その笑顔。
これは…恋に落ちてしまうでしょうね…男性諸君は…。
素直で可愛いヒロインにアウロラですらときめくのだから、この場にいる異性が冷静でいられるだろうか、いやいられるはずがない(反語)!…と横にいるノヴァをちらりと見やるも、その顔は冷静そのもの、そしてさらにラウルスを確認するも愛想笑いのような何かを浮かべているだけで……攻略対象キャラクターたちの反応はアウロラの想像とは異なっていた。
これほど可愛いヒロインを前にしても、彼らの心は動かされるどころか、眼差しに『好意』の『こ』の字も感じない。愕然とする。
あなたたち、一体どれほどの美少女耐性が備わっているというの?!攻略対象キャラクターが持つ、鉄の理性?!
な、なるほど…。
現実問題……彼らの好感度を上げるのって、とっても難しいことだったのね…。今更理解したわ…。
「それで、おふたりは…?」
ノヴァとラウルスに視線を移したクラリスに、ふたりは軽く顔を見合わせ、そしてノヴァが先に口を開いた。
「ご挨拶が遅れ失礼いたしました。私はアウロラのフラテル、ノヴァ・サフィルス・コランダムと申します」
静かな声音で告げて、黙礼する。
クラリスは再度ハッとした表情を見せる。
「まあ、ではあなたが彼女の…!」
ルベウスとサフィルスの関係を知らぬ魔女、魔術師はいない。ひとつのコランダムにつながる、姉と弟を始祖に持つ血筋。
ふたりの関係も姉と弟というそれに倣っているのだろうが、クラリスにはお似合いの一対に映った。
「俺はラウルス・エスメラルド。目を見ればわかるように、エスメラルド家の者です、姫様。よろしくお見知り置きを」
彼の性格に沿った、飄々とした挨拶だった。
不敬と見なしたのか、クラリスの背後の少年の眼差しが険を帯びたが、ラウルスは気づかないふりをした。
「はい、こちらこそよろしくお願いします、おふたりとも」
頷いた後、クラリスは背後の黒い制服に身を包んだ少年を紹介する。
「…あ、彼を紹介しますね。わたくしの護衛騎士のノックス・ヘリオドールです」
鳶色の瞳にブルネットの髪色の少年は静かに頭を下げて礼をした。
彼、ノックスはクラリスの幼少期から傍にいる幼馴染で、アウロラとノヴァとの関係にも似ている。ただ彼らの間にあるものは、姉と弟ではなく、主従だったが。
正式には彼女の兄に仕えている従者なのだが、過保護なきらいのある兄が護衛のために彼を傍につけている。魔術師としての能力はさほど高くはないものの、れっきとした騎士。ルーキス・アダマス兄妹に絶対的な忠誠を誓っているストイックな少年。…という設定だ。彼もまた、攻略キャラクターのひとり。
ここで、周囲がさらにざわつく。生徒たちが自然と道を開けて、彼らに近づく人物に前を譲る。
クラリスより濃い色彩のプラチナブロンドの髪と、ブルーダイヤモンドの瞳。まるで神話の神のごとく際立つ容姿の貴公子は、彼女の従兄弟にしてルーキス・アダマス家の長子。
名をグロリア・ルーキス・アダマス。現国王の息子で、臣籍降下しているとはいえ、王子の威厳は失っていない。
圧倒的光属性の眩しさに、アウロラは直視できずノヴァの影に隠れる。
目が、目が潰れてしまう。あれがゲームのメイン攻略対象キャラクター…!
生まれついて注目されることに慣れきった彼は顔色を変えることなく、声を発した。
「クラリス」
張りのある声音でヒロインを呼ぶその人物の登場に、誰もが自然に頭を垂れ、敬意を払う。ただひとりを除いて。
「…お兄様!」
よく見知った相手にクラリスの頬も緩む。
「なかなか姿を見せないから心配した」
「ご、ごめんなさい、お兄様。みなさまとお話をしていて」
クラリスの言葉にフローレスクラスの制服を纏う彼らを一瞥し、告げる。
「……皆、楽にしてほしい。私の妹が世話になったようで、礼を言う」
その中に見知った顔を見つけて、彼は薄っすら微笑む。
「ノヴァ、ラウルス…久しいな。変わりはないか」
「はい。殿下もお変わりなく」
「殿下はよしてくれ。今の私は王家の者ではなく、ただの魔術師なのだから」
答えたノヴァに微苦笑する。
ノヴァと顔見知りであることに、アウロラは動揺する。ラウルスのみならず、グロリアまでも交友関係に食い込んできていたとは…。おそらく彼もギルドのサロンで知り合ったのだろうが…。
「ノヴァ、君の影に隠れている彼女が……君の姫君なのか?」
ルベウスの魔女なのか、という問いかけ。
こちらに興味が移ったことに気づいてアウロラは肩を震わす。
「……はい、殿下。彼女がアウロラ・ルベウス・コランダム嬢です」
アウロラの緊張を感じ取って、紹介することを躊躇いつつも、彼女をグロリアの前に晒す。
逃げ場を失い、アウロラは戸惑いながらグロリアと向かい合う。
妹クラリスとはまた異なる美しい少女に、グロリアはわずかに目を見張る。艶めく長い黒髪も、ルビーの瞳も、深いまつ毛も、どれもが蠱惑するような妖しさを秘めていながら、年齢相応な可憐さも見え隠れしている。その不安定さも魅力のひとつ。
なるほど、これが次代のルベウスの魔女か。と冷静に捉える一方で、このまま見つめていたいような衝動を覚える。
こんなこと、いかなる美姫を前にしても感じたことはなかったのに。
危険だな、とグロリアは内心で自嘲した。
「お会いできて光栄だ、ルベウスの姫君。私はルーキス・アダマス家の魔術師で、グロリアと言う。どうか見知り置いてほしい」
挨拶されてしまったら、答えないわけにはいかない。アウロラは(眩しいので)なるべく彼を見ないようにして礼を示す。
「アウロラ・ルベウス・コランダムでございます。わたくしもお会いできて光栄でございます、殿下」
「お兄様、アウロラとは先ほどお友達になったのですよ!」
ここでクラリスが会話に加わる。
「…そうか。よかったなクラリス」
惜しげもなく美しい笑みを妹に晒し、そのままアウロラにも告げる。
「妹は世間知らずゆえ、あなたに迷惑をかけることがあるかもしれない。その時は遠慮なく私に言って欲しい」
はい、とも、いいえ、とも返答しづらい言葉に、アウロラは口ごもる。
「今後、あなたとは話す機会も増えるだろう。妹共々、私とも親しくしてもらえればありがたい」
…と、流れるような仕草でアウロラの手を取り、臆面もなく自身の唇に彼女の指を寄せて、そっと口付けた。
「……?!」
グロリアからすれば親しみを込めた挨拶に過ぎなかったのだろうが、しかし、アウロラは免疫がないのである。無論、感電するかのような緊張が走り、動揺して赤面するしかない。
すぐに指は解放されたものの、あまりの衝撃に石化するアウロラをノヴァは苦虫を噛み潰す気持ちで再び彼女を背に隠す。
……殿下、あなたもか。
油断できない男がふたりに増えてしまった。しかも彼は元王子である。不敬に繋がる迂闊な行動はとれない。これから、なるべくアウロラを近づけさせないようにしなければ。
そのアウロラは口付けられた指を凝視して震える。
指に…キキキキキ、キス…されてしまったわよ…?
こここ、こんなこと、元王子様にとっては、お茶の子さいさいなのかしら…??妹姫様とお友達になってくれてありがとう、というお礼?
わ、わからないわ。こちらの世界の人間関係に疎すぎるし、異性へ免疫がなさすぎて…!
次から次に身に降りかかる異性からのアクションに混乱する。
この世界において、ヒロイン以外は路傍の石にすぎないと油断しきっていた罰だろうか。
わたしのことより、ヒロインのクラリスのことを構ってほしい!!
切実な気持ちで、皆には悟られぬようノヴァの指をぎゅっと握った。
彼女の心情を察したのか、ノヴァはアウロラの手を握り返し、小さく嘆息して告げる。
「殿下、アウロラはつい最近王都に住まいを移したばかりで人慣れしておりません。殿下に他意がないのは重々承知しておりますが、何卒彼女のためにこのような行動は今後お控え頂きたく」
彼女に敬意を払ったつもりだったが、逆に戸惑わせてしまったようだ。想像していた以上の深窓に育ったのかもしれない。
グロリアは素直に反省する。
「…そうか、失礼したルベウスの姫君。世間知らずは私の方だったようだ。妹をとやかく言えないな。…ノヴァ、指摘に感謝する」
ノヴァは返事の代わりに頭を垂れた。
「殿下、そろそろ移動しませんか?我々が正門を塞いでいるような形になってしまっているので」
いつの間にか、彼らの周りには物見高い生徒たちが集まっている。ラウルスがそれとなく促すと、グロリアは「そうだな」と頷きクラリスに目配せして移動を始める。
自ずと生徒たちは彼らに道を譲り、囁き合うのだ。
「見て見て、あれってアダマス、コランダム、エスメラルドのフローレス三家でしょう?圧巻ね」
「彼らはいずれ王宮魔術師の筆頭になるのよねぇ」
「特別感が半端ないな」
「顔がよくて能力も高いっていうんだから…世の中不公平だよなぁ…」
彼らの反応は様々だが、とにかくアダマス、コランダム、エスメラルドの三家の子女が集まれば目立ってしまうことは間違いなかった。
できることなら目立たずに生活したかったのだが、土台無理は話だったようだ。ルベウス・コランダムの名前がそれを許さない。
幕が上がったばかりなのに、なんだかもうぐったりしている。
クラリスと友人になることはともかくとして、異性関係についてはまったく想定外のことだった。なぜならアウロラはアンチヒロインなのである。設定として約束されし悪役が、彼らから敵視されることはあっても、親しくされるいわれがない。
一体どういうことなのか。
にこにこと楽しそうなクラリスが羨ましい。
これがヒロインとアンチヒロインの差なのか。
ノヴァに手を引いてもらいながら小さくため息を漏らすと、気取られてしまったのか、彼が肩越しに振り返る。声には出さず「俺が着いてる」と唇が動き、彼女を安心させるようにうっすら笑みを浮かべる。その優しさが嬉しくて、アウロラは頬を緩ませた。
この5年でノヴァはアウロラの機微に敏くなった。些細な感情の変化も見落とさず、気遣ってくれる。
緊張が薄れ、憂鬱な気持ちが安堵にとってかわる。
ああ、本当にノヴァがいてくれてよかった。
わたしの大切なフラテル。
ありがとう、と気持ちを込めてアウロラは繋がっている手に力を込めた。
本編スタートです。まだまだ登場人物増えます。
乙女ゲームのキャラクターたちって、どうしてあんなにゴテゴテとした衣装なんでしょうか(笑)。着替えにものすごく時間がかかりそうで…(苦笑)。