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【番外編】君は魅惑のインセンス

 これは魔法学校入学前の話。

 アウロラは入学に合わせてルベウスの本宅(カントリーハウス)から王都の屋敷へ居を移した。

 誕生から15歳の現在に至るまで特殊な環境下で育った彼女は、魔法学校に在籍し不特定多数の子女と接する前に多少なりとも世間慣れしておく必要があると判断されてのことだった。

 確かにアウロラは世間知らずではあるが、『わたし』はそうでもない。アウロラの肉体に宿るまでは一社会人として自立した生活を送っていたのだから。しかしそのあたりの事情を語れるわけもなく、アウロラはおとなしく周囲の大人たちの決定に従った。

 いざ馬車に揺られて王都へ引っ越すと、元社会人の自負はどこへやら。

 都会の賑わいと雑多な人々に戦き、目が眩んだ。

 閉鎖空間で育った弊害を今更のようにアウロラは自覚する。

「確かにこれはリハビリが必要だわ……」

 神妙な顔で呟くアウロラを馬車に同乗していたノヴァが不思議そうに眺めていた。


 少しずつ外出の機会を増やしてアウロラは王都の空気に馴染む努力をした。リハビリである。

 その間、ウィンドウショッピングも楽しんだのだが、どこにいてもなぜだか目立ってしまう。周囲の視線に晒されて居たたまれなくなりそそくさと逃げ出すということを繰り返していた。

 ただ単に優れた容姿が人を引きつけてしまうだけなのだが、アウロラ自身はこれが世間における魔女の肩身の狭さなのだと解釈していた。

「都会には魔女がそれなりにいるのだと思っていたのですけれど、やはり珍しいのでしょうか?想像以上に注目を浴びて大変なのですね」

 ため息交じりに出先での落ち着かない体験を話す彼女に、屋敷を訪れていたウィスタリアは微笑んで答える。

「君が人々の注目を集めるのは当然のことだよ。迂闊に素通りできないほど僕の姪はとても可愛らしいからね」

「もう、伯父様ったら。相変わらずお上手ね」

 と笑い流して取り合わない。真実を語っているのだが。

 そんな日々を過ごしていたある日、王宮からアレクシアが屋敷に戻り、娘を書斎に呼び出した。

 ノックして書斎に入ると、アレクシアは自身の向かいをすっと指さして座るように促す。

「ごきげんよう、お母様」

「うん、わたくしの小鳥も元気そうで何よりだ。……あぁそういえば、もう王都での暮らしには慣れてきたか?」

「はい、生活は。ですが、外出するとあちらこちらから注目されてしまって、気疲れしてしまいます」

「正直だな。まぁ、そなたからすれば急激に世界が広がったのだから疲れるのも無理はない。まだ入学までは時間がある。少しずつ慣れてゆけばよかろう」

「はい、お母様」

 アウロラは素直に頷いた。

「さて、本題なのだが。わたくしの小鳥も鳥籠から出た以上、今後は一人前の魔女として振舞わねばならぬ。ウィスにもせっつかれていたのだが、必要な物をなかなか用意してやれず済まなかったと思っている」

 アレクシアは小さく息をつく。

「?……何のお話ですか?」

「そろそろそなたにも香油が必要だと思ってな。我ら魔女には欠かせぬ品だ。ルベウスといえども例外ではない。魔女として魔力や集中力を高めるために身につけることは、そなたも知識として頭の中には入っていると思うが」

「は、はい。知っています。お母様からもいつもとてのよい香りがしていますし」

 今もアレクシアからは麗しい香りが漂っている。

 香油は魔女ではない人間の女性たちも肌や髪の手入れに用いられている。アウロラも使用しているが、今はまだ一般的な無香の油である。

 魔女の場合は特に自身の魔力と溶け合い、各々独特な妙香を放つようになる。それは唯一無二のインセンスとなって漂い、一種の名刺代わりにもなる。

「そなたも大人に近づいているのだから、身だしなみとしても必要不可欠。……でだ、わたくしの知人の調香師にそなたを引き合わせ、香油を依頼しようと思っていたわけだ。が、気分屋なところのある魔女で、なかなか返事をよこさぬ」

 やむを得ず、ウィスタリアに指示してサイファーまで動かした。

「あやつ自身は住まいを変えておらぬのだが不可侵領域でな。招かれざるものは踏み込めぬ。気まぐれに店の扉は見え隠れするが、ひと所に留まらぬので場所を特定することが難しい」

「……気難しい方なのでしょうか?」

「気難しくはないが好き嫌いははっきりしているやつだ。権威を嫌い、貴族からはどれだけ金を積まれても仕事は請け負わない。かといって、魔女相手でも客を選ぶ。ただの人間であっても仕事内容を気に入れば依頼を受ける。半分気分で仕事をしているところはあるな」

 それを気難しいというのではないだろうか?

「だが腕とセンスは学友であったわたくしが保証する」

 学友という言葉にアウロラは軽く目を開く。

「まあ!お母様のお友達なのですね?!」

 アレクシアから友人のことを聞くことは希なので少し嬉しくなると、彼女はなぜかわずかに眉をゆがませた。

「……友人、というのか?あれは……」

 複雑そうにしながらも、アレクシアは続けた。

「魔女の名はモイラ・ネケタシス。代々薬と調香を生業としている一族だ。店の名前は『ベラドンナの庭』。店の扉はその招待状に記される。……あやつに気に入られるとよいなアウロラ」

 にっこり笑ってアレクシアは娘にベラドンナが描かれた空欄の招待状を手渡した。

 反対に、気に入られなければ店からポイとつまみ出されてしまうに違いない。

 魔女としての資質が問われる第一歩。

「……努力します」

 アウロラは口の端を引きつらせながら頷いた。


 ベラドンナが描かれた空欄の招待状に扉の位置が示されのはそれから約一週間後のことだった。

 扉の出現時間は短いので注意されたし、と伝言が走り書かれ、アウロラは急いで支度をすると屋敷を飛び出した。

 メイドのマーガレットを連れて指定された路地近くに馬車を止めると、徒歩で周辺を確認する。人気が少なく暗がりの裏路地にさしかかると、手にしていた招待状がぱっと消えて、路地の奥に扉が浮かび上がる。

 店の扉は神出鬼没。

 なるほど、招待状を持った者にしかその姿を晒さない仕掛けになっていたのだ。

「……あれだわ」

「お嬢様、わたくしも……」

 マーガレットがアウロラの身を案じて声をかけるが、彼女は首を横に振る。

「駄目よ。お店にはわたしひとりで来ること、って条件が記されていたから」

 店は男子禁制でもあり、マーガレット同様に心配したノヴァが同行を申し出てくれたのだが、これも断るしかなかった。

「大丈夫よ。お母様のお友達ですもの危険はないわ。あなたは馬車で待っていて」

「……はい。お気をつけて、お嬢様」

「ええ」

 しっかり頷いてアウロラは臆さず路地に踏みだす。

 煙のように揺らめく扉の前まで来ると、『ベラドンナの庭』と刃物で刻まれた質素な下げ看板が目に入る。

 だがノッカーもなく、ドアノブもない。

「これは……どうやって入れば……」

 一瞬戸惑ったが、この扉が現実のものではなく、ただの媒介であるのなら……そんなものに意味はないのもしれなかった。

 となれば、手段はひとつ。ここは勢いが大事。

「……いざ!お邪魔します!」

 アウロラは顔をかばうようにして腕を交差させると、そのままの勢いで扉に向かって突進した。

 そう、ダイナミック入店だ。

 さすがに扉を蹴飛ばすことはしなかったが、前のめりに飛び込んだアウロラの体に衝撃はなく、勢いのままつんのめって立ち止まる。

 媒介になっていた扉を抜けると、裏路地の饐えた臭いから土や草木のそれに移り変わる。

 はっとして踏み込んだ場所を見渡すと、そこは森の中。目の前には赤い鱗屋根の小屋が建っていた。小鳥の囀りも心地よく、小屋の上はぽっかりと穴があいているように日の光が差し込み、明るい。そして小屋を囲むようにして様々な植物が生い茂る。

 裏路地の雰囲気とはまったく異なる趣に、アウロラの頬は緩む。

 まるでおとぎ話に出てくるメルヘンチックな世界だった。

「……かわいい……」

 それが一番最初に浮かんだ感慨だった。

 振り返るといつの間にか扉はなくなっている。木立に囲まれ、現実的にここへと繋がる道というものは存在しなさそうだ。閉じ込められたのかもしれないが、アウロラはさほど気にしなかった。この場に閉塞感は皆無であったので。

 小屋に近づき、植物を眺める。

 魔女として身につけた知識が種類を教える。

 大半が店の名前にもなっているベラドンナ。そしてケシ、シクラメン、スズラン、ジキタリスといった鑑賞用の花もあれば、ヨウシュトリカブト、ヒヨス、イヌサフランや、ある種の危険なアサガオなど……すべてが毒花で形成されていた。

「毒であり、薬の材料でもあるわ。今は職業でもない限り、薬園を作ってはいないけど……」

 かつての魔女は皆こうして人里離れた場所に引きこもり、薬園を作ってひっそりと暮らしていた。ルベウスも古くはこのような暮らしをしていたはずだ。

 そのとき、小屋の扉が内側から開いた。

 顔をそちらに向けると、軽装の女性がこちらを見て口を開く。

「気に入った?」

 さっぱりとした顔立ち。少し癖のある茄子色の髪を無造作に束ね、茶色の瞳がアウロラを捉えていた。

 彼女がモイラ・ネケタシスだろうか。

「は、はい。薬園というより庭園みたいで可愛らしいです」

「可愛い?……そっか、あなたにはここが可愛く見えるのね」

 なぜか彼女は笑う。

「あの、モイラ様ですか?」

「そうだよ。でも様はいらないかな」

 モイラは上から下までじっくりアウロラを眺める。

「アレクシアに似てないね。うん、いいんじゃない?」

「え?!」

 率直な感想に驚いていると、モイラは容姿同様さっぱりとした口調で「中においで」とアウロラを促す。

 おそるおそる小屋の中に入ると、錬金術台や蒸留器、原始的なすり鉢や煮詰めるための大鍋などのほかに所狭しと乾燥した薬草や精製された薬品、書籍などが積み上げられて店や居室というよりは作業場といった風情だった。事実、ここは彼女の仕事場なのだろう。

「ベラドンナの庭へようこそ。ここは代々一族の魔女が引き継いでる店舗兼作業場ってところかな」

 そこでアウロラはまだ自己紹介をしていないことに気づき、慌ててスカートをつまんで礼を示す。

「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。わたくし、アウロラ・ルベウス・コランダムでございます。母アレクシアの紹介でお邪魔いたしました。よろしくお願いいたします」

「……うわぁ、丁寧な子だ。本当にアレクシアから出て来た子?」

 モイラは疑いの目を向けてくる。

「そ、そうです」

 中身は別人だが。

「何をどうしたらあの雑な魔女からこんな姫君が出来上がるんだ?ウィスタリアか?いや、オルキスがいい仕事をしたんだな。やるなぁ、あいつ」

 ひとりで納得をしたように頷く。

 彼女の口から母のみならず、伯父や父の名が出てくると、なんとも不思議な気持ちになった。

「モイラさ……んは、お母様とお友達なのですよね」

「うーん、どうだろ?友達とかよくわからないけど、仲は悪くなかったよ。オルキスとも。あの人、魔力は確かにすごいから威圧してるように見えちゃうけど、話してみるとわりと気さくだよね。雑だけど」

 ルベウスというだけで周囲から畏怖されてきたであろうアレクシアに、モイラのように動じない友人(?)がいたことは幸いだと思った。アウロラが嬉しくなる。

「お母様を理解してくださるお友達がいてよかったです。これからもお母様と仲よくしてくださると嬉しいです」

「あはは、どっちが親かわからんセリフだなぁ」

 モイラは愉快そうに肩を揺らした。

「それでお嬢様、アレクシアからはとりあえず連絡だけもらってたけど、今日は何をお求めで?」

「あ、はい。実はわたし用の香油の調合をお願いしたいと思いまして」

「ふむふむ、もうそんなお年頃なのね。他所の子は成長が早いよ」

「あの……調合をお願いできますでしょうか」

「うん、いいよー。うちの庭が可愛いって言ってくれたし、アレクシアに似てないところが気に入った」

 モイラは軽く笑って頷いた。

 気分で仕事をしているというのは、本当かもしれない。

「あ、ありがとうございます」

「よし、そうと決まれば仕事に取りかかりますか」

 モイラは腕まくりをする。

「香の系統っていうのはね、大きくは花系、薬草系、樹木系、柑橘系、樹皮系、神秘系、香辛料系って分かれてるのね。で、これらを組み合わせてアウロラちゃんに合ったものを導き出すわけなんだけど……難しく考える必要はなくて、魔力と感性は親密な関係にあるから「これが好き」っていうものを選ぶだけのお仕事。わかる?」

「は、はい」

 まったく専門用語は飛び出さず、とてもわかりやすい。

「というわけで、アウロラちゃんは小屋の裏にまわって、とりあえず「これが好き-」って花をひとつずつ摘んで来て。そしたら、わたしが手元にある材料で適当に掛け合わせて候補を作るから」

「……それでいいのですか?」

「うん、経験でどうにかなるから大丈夫」

「……わかりました」

 アレクシアを雑だと宣うモイラも、なかなか……な人物だと思ったがアウロラは指摘しなかった。野暮だからだ。

 それからはモイラに言われた通りに行動し、小屋の裏に広がる植物園の中から好ましいものを吟味して摘み取り、彼女の元へと往復を繰り返した。

 モイラの仕事は口ぶりとは裏腹に大雑把さは一切なく、素早く的確であった。魔力を用いて蒸留や精製を早め、アウロラのためにいくつかの香油候補を作り出した。まさに魔法。

 その中からさらに2つまで候補を絞った。

「どっちにする?どちらもアウロラちゃんにすごく合ってるとは思うけど」

 モイラは袖を元に戻しながら問いかける。

 試作されたふたつの香油の小瓶を前にアウロラは腕組をして思案する。

 ひとつは花系に神秘系を含めたもの、もうひとつは神秘系に花系を含めたもので大きな違いはないのだが……。

「あの、一度持ち帰ってもいいですか」

「迷っちゃう?」

「わたしの義弟(フラテル)に感想を聞きたくて」

「あーー、そっか。アウロラちゃんにもいるんだったね、ウィスタリアみたいな義弟(おとうと)

「はい。伯父様とは、性格が違いますけど」

 伯父様と一緒にしたら、ノヴァとっても不機嫌になりそう……。

「あ、きっと優しくて真面目な子でしょー?アウロラちゃんのような可愛い子にウィスタリアみたいな弟がいたら、色々と危ういもんなぁ……」

「?あの、それはどういう……」

 首をひねるアウロラにモイラは軽くてを振った。

「あぁ、気にしないで、こっちの話。じゃあ、これらを渡しておこうか」

 モイラはごそごそと棚を漁って、ベラドンナが描かれたメッセージカードと渋い紫色のインク瓶を取り出す。

「このインクを使ってカードに必要なことを記入して。そうしたらわたしに伝わる、ありがーい魔法。カードは一度使ったら効力を失うけど、品物と一緒にまた送るからそれを使えば半永久的にわたしとつながることができるってわけ」

「わぁ、すごく便利です!」

「でしょー?……ってこれは内緒だよ?この方法で連絡取れる相手は限ってるからね」

 忙しいのは嫌いなの、とおどけたモイラの様子にアウロラは思わず吹き出してしまうのだった。

 モイラに礼と別れを告げて小屋の扉を開いて外に出ると、そこは薬園ではなくはじめにやってきた裏路地だった。振り返るも、当然のように店は存在せず饐えた臭いのする路地が続くだけだった。

 こうやって出入りを制限しているのだろう。

 改めて馬車の位置まで戻ると、マーガレットが外で待っていた。

「お嬢様!」

「ごめんなさい、遅くなってしまって」

 ずいぶんと長くマーガレットを待たせてしまった。アウロラは申し訳なく思ってあやまると、メイドは戸惑う表情を見せる。

「どうしたの?」

「い、いえ……あの、お嬢様とお別れしてから、5分と過ぎておりませんので……」

「え?」

 うそ?!

 アウロラは驚いて空を見上げる。と、確かに空は青く、日暮れていない。

 ベラドンナの庭が、時間の流れが異なる不可侵領域であるのなら、滞在できる人間も限られているのかもしれない。

 仕事を……というか、人を選んでいるのはそのあたりの事情も影響しているのかもしれないわ。

「安心してマーガレット。モイラさんとはしっかり会えたわ。さぁ、お家に帰りましょう」

 受け取った包みを示してほほ笑むと、マーガレットは不可解そうにしながらも頷いた。

「はい、お嬢様」


 帰宅して着替えると、アウロラは早速試作してもらった香油のそれぞれを手の甲に馴染ませて居室を出る。その足でノヴァの部屋へと向かった。

 彼女の帰宅を待っていたノヴァはすぐに応じて迎え入れてくれる。

「アウロラ、どうだった?」

 ベラドンナの魔女、という通称を持つネケタシス家は隠者の生活を守っていることもあって、あまり情報が出回ってはいない。彼女らと交流を持つにしても、親しい者からの紹介が大前提で仕事を請け負うかも気分次第というから……ノヴァからすればただただ未知なる存在である。

「受けてくださったわ。わたしがお母様と似てないのが面白かったみたいで。伯父様やお父様の昔も知っている方だからかしら……わたしも新鮮だったわ。それでね」

 アウロラは香油を馴染ませた両手をノヴァの前に差し出す。

「何?」

「候補が2つあって、どちらがいいかあなたに決めてもらおうと思うの」

 微笑むアウロラにノヴァは少々戸惑う。

「……俺に?……お前の好きなものを選べばいいんじゃないか」

「あら、駄目よ!世の中には香害という言葉もあるくらいなんですからね!自己満足で決めていいものではないわ!」

「香害って何だ?……というか、言うほどアウロラは世間を知らないだろ……」

「うっ、と、とにかく!一番近くにいるあなたを不愉快にさせるような香りを纏うわけにはいかないでしょう?だから、あなたに選んでほしいの」

 息巻く彼女にノヴァは困惑する。

 纏う香りの判断を男に委ねる意味を彼女は理解しているのだろうか。

 いや、してないな。これは。

 ふたりが『姉弟』とはいえ、こんなところでも世間知らずが災いしている。

 俺でなかったら、大きく誤解させるところだぞ、まったく……。

 とはいえ、ここで彼女がおとなしく引き下がるとも思えないので、こちらが折れるしかない。

 ノヴァは嘆息混じりに頷く。

「……わかった」

 ノヴァはアウロラの手を取ると、そっと口元に近づけて香りを探った。

 薄くのばしてあるからか、その香りはまだ魔力と交わっている気配はなく、香油本来の香りを残したままだ。

 双方丁寧に何度か香って、彼は結論を導き出す。

「右かな、……ああ、俺から見て右だからアウロラからすれば左が俺の好み……あ、いやアウロラに合ってると思う。あくまでも俺の感覚だけどな」

 余計なことを言いかけたノヴァは慌てて言い直すが、アウロラはのほほんと笑う。

「わたしにとって、あなたの好みは大事な決定要素だわ」

「……」

 だから、そういうところだぞアウロラ。

「……左、というと花系に神秘系を交えた香りの方ね。イランイランが強めに加わっているの」

「イランイラン……」

「ええ、『花の中の花』って意味よ。じゃあこちらに決めるわね!ありがとうノヴァ!」

 アウロラは髪を揺らし、嬉々として部屋から出て行った。早速モイラに決定を伝えるためだ。

「……花の中の花……」

 ぴったりじゃないか。

 ノヴァはふっと笑ったが、しかしすぐにこの選択を悔やむことになる。浅はかだったと。

 肌や髪に浸透し、魔力と溶け合った彼女の香油はノヴァが想像していた以上に魅惑的な芳香となって男たちを惹きつける材料となるばかりか、彼自身にも大きな影響を及ぼすことになってしまったからだ。

 彼好みの香りを纏ったアウロラが常に傍に在り、鼻腔と感覚を刺激する。

 胆力を試される甘やかな誘惑。

 結果的に自分で自分の首を絞める選択をしてしまったノヴァは、表面上は涼しい顔を保ちながらも人知れず苦悩する。

 掌中の花とはならない彼女への想いだけを募らせて。



 君は魅惑のインセンス/了

展示場所を移動させました。


追記

「ベラドンナの庭」についてですが、やってきた人の心根次第で見え方が千差万別になる領域という設定です(あえて本文では説明していませんが)。人によってはアウロラさんのようにメルヘンで可愛らしくみえたり、とてつもなく醜悪な魔女の住処にも見えます。

可愛いと言ってもらえたので、モイラさんは機嫌よくお仕事してくれたんだと思います。よかったよかった(笑)。

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