正体
その日から、あの人との生活が始まったの。
あの人は決して外に出ずに、何時も私を見張っていた。
まあ、けど、そこでの生活は、そこまで酷くはなかったよ。
反抗したり外に出ようとしなければ、乱暴されることもなかったし。
缶詰だけじゃなくて、ちゃんとしたご飯も作ってくれたし。
寧ろ、実家での暮らしよりマシだったかも。
だって、当時のママは1日に10回は私を殴ってたしね。
ご飯も残飯みたいなのだったし。
その頃の私はそれが普通だと思ってたけど、良く考えると、まあ、異常だったわ。
まあ、それでも、夜、布団の中にあの人が入り込んでくるのだけは嫌だったんだけどね。
それだけは、本当に嫌だった。
けど、嫌なことばかりではなかったんだ。
「ふ、ふひっ、君、何を書いてるの?」
「……こないだ見せてもらった漫画の主人公」
「お、おおお、ホントだ、凄いねえ、君、絵も上手いんだねえ、またひとつ、君を知れた、嬉しいなあ、ふひひひひっ」
「……」
「そ、それで、漫画の感想は、どうだった?面白かった?ん?」
「……普通」
「そ、そっか、普通かぁ、ふひひひひっ」
「……くさい」
前から気になっていたことだ。
あの人はちょっと臭かった。
けど、そんな事を指摘したら怒られちゃうかもしれない。
だから何時ものように我慢していたのだけど。
「な、なに、何でも言っていいよ、出来る事なら何でもしてあげるから、ふひひひ」
「……」
「……あれ、ひょっとして、鼻を押さえてる?鼻?どうして?あ、もしかして」
そう言うと、あの人は自分の服を嗅いだ。
何か納得した顔で、笑いかけてくる。
「ああ、そっか、臭いのか、そういえば、あれから全然お風呂入ってないからなぁ、ふっひゃっひゃっ、自分で言っててウケる!」
何時ものような奇妙な笑い声。
もう随分慣れてしまった。
あの人は続けてこう言った。
「じゃあ、久しぶりにお風呂入ろう」
その言葉に私は正直、ホッとした。
もうこれで匂いに悩まされることはないって。
「君も一緒においで、洗いっこしよう、ふひひひ」
お風呂に入るのは気持ちいい。
久しぶりのお風呂だから、余計にそう思った。
身体中がポカポカしてくる。
頭の中もポカポカしてくる。
弛緩するそんな私の様子を、あの人は「ふひひひ」と笑いながら見ていた。
とても不思議だった。
慣れたとはいえ、気持ちが悪いことには変わりないのだ。
けど……。
「さっきは、私が鼻を押さえてるのを見て、匂いを嫌がってるって気付いてくれた」
「気づいても、怒らずに、お風呂に入ってくれた、ひょっとしたら、この人は、ママとは違うのかもしれないよぉ」
「そんなに沢山怒る人ではないのかも、しれないよぉ」
私は湯船に顔を沈めブクブクしながら、そう思った。
美味しいご飯を作ってもらえた。
絵を褒めてくれた。
お風呂に入ってくれた。
だったら、もしかしたら、もしかしたら。
「ふひひひひ、可愛いねえ、君は本当に可愛いねえ、ふひひひ」
「あ、の」
「ん?どしたの?のぼせちゃった?ふひひひ」
「……何でそんな笑い方してるの、おんなのひとなのに」
「う……」
それはずっと疑問だったことだ。
最初に会った時から、そう思っていたてことだ。
怖かったから今まで質問はしなかったけれど、今なら何故か言えてしまえる気がした。
「変」
「ふ、ふひひ、そんなに変かな、君を安心させようと精いっぱいの笑顔を浮かべてるんだけど」