就寝
結局、その日、私は外に出られなかったの。
窓の隙間から見える風景が暗くなっても、外に出して貰えなかった。
その間、あの人は私に触れたり、髪を撫でたりしてた。
触られるのは我慢した。
撫でられるのも我慢した。
臭い匂いにも我慢した。
ご飯だと差し出された缶詰の苦さも我慢した。
けど我慢できない事も、あった。
私に宛がわれた布団に横になった時の事だ。
「ふぇぇぇ、結局、家に帰れなかったよぉ、きっと、きっとママも心配してるよぉ」
私は不安でなかなか寝られなかった。
明日は帰れるかな、きっと帰れるよね、あの人が飽きればきっと。
そう自分に言い聞かせていた。
そんな時。
布団の中で何かが動いた。
何かが、私の体に当たっていたんだ。
「何か」というか「誰か」が。
「ふひっ」
あの人の笑い声が、布団の中から。
そう気づいた直後、私は大きい何かに覆いかぶされた。
暗くてよく見えないけど、それはあの人の匂いだった。
「ふ、ふひっ、暖かい、暖かいなぁ、ふひひひ、はぁ、はぁ、はぁ、柔らかい、柔らかいよ、ふっひひひ」
「うう、やっぱりこの人、ちょっと臭いよお、それに抱きしめられた息がしにくいよぉぉ」
私はもがいて何とか逃げようとするけど、逃げられない。
そんな私の耳に、あの人の声が響いた。
「ねぇ、ねぇ、君さ」
私は不安になった。
また何か変なことを要求されるのかもしれないってね。
嫌だけど、嫌だけど、何とか、何とか我慢しないと。
怖いのは、痛いのは、嫌だから。
そう自分に言い聞かせてた。
あの人は、こう言葉を続けた。
「君さぁ、ママから虐待されてたでしょ」
あの時、私はどんな気持ちでそれを聞いてたんだろう。
……うん、思い出せないや。
きっと、我慢して何も考えずに聞いてたんだろうね。
当時の私は、そんな子供だったから。
「知ってるよ、知ってる、だってずっと見てたから、幼稚園児とか、凄い好きなんだよ、ふひひひ」
「だから市内の幼稚園に通ってる子の名前とか住所とか全部知ってる、全部調べた、全部、趣味で」
「君の友達のあの子とか、転校しちゃったあの子とか、可愛かったねぇ、あの時の君はワンワン泣いてたねぇ」
「それで帰るのが遅くなって、家の前でママにぶたれてた」
「けど君は、泣かなかった、友達が転校しただけであれだけ泣いてたのに、ママに殴られた時は泣かなかったんだ」
「あれは、そう『躾け』られてたからでしょ、一目でわかった、一目で」
「ああ、『この子は、乱暴にされると絶対逆らえなくなっちゃう子だ』って一目でわかった、ふひっ、ふひひひひ」
「家の中でも、ママに日常的に殴られてたんでしょ?顔とか手とか目立つ場所を避けて」
「さっきね、君が裸になった時、色々見えたよ、火傷の跡もあった、酷いもんだねぇ、可哀想にねぇ」
「君は」
「君は可哀想な子なんだよ、ふひひひひっ」
我慢、我慢、我慢、何をされても我慢。
相手が飽きるまで我慢、何も考えずに。
それが当時の私の処世術だった。
それ以外になかったんだよ。
「けど、けどもう大丈夫だよ、ふひひひ、助けてあげるから、あんなママなんかに乱暴になんてさせない」
「大丈夫、大丈夫、優しくするから、優しくするからさ」
何をされても、我慢、大丈夫、痛くない。
こんなの全然痛くない、痛くない。
痛くないから怖くない。
だからきっと大丈夫。
大丈夫。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、うっ、ううっ、はぁ、はぁ、はぁ」
「ふ、ふひひひっ、んんっ」
あの人は、布団の中で、何か変な動きをしていた。
布団の中は、何だか、ぬるぬるしていた。
けど、けど、我慢。
がまん。
がまん。
がまん。
「んっ、んんんんっ!」
布団の中であの人が、強く痙攣した気がした。
それっきり、動きを止める。
「ふひっ大丈夫だよ、君は絶対に守ってあげるからねぇえ」
弛緩した声が、布団の中から聞こえてくる。
それっきり、あの人は動かなくなる。
眠ってしまったのだろうか。
……私は。
「……ぜんぜん、だいじょうぶじゃないよ」
私はひどく小さい声でそう呟いた。
私は再び話を区切る。
幼馴染は、テーブルに突っ伏してしまっていた。
「ん?あれ?ひょっとして寝ちゃった?」
「えー、人に話をせがんでおいて寝ちゃうなんて、何よそれ、しかもこんな酒場でさ」
私は大きなため息をつく。
まあ、仕方ない事なのかもしれない。
幼馴染はずいぶん疲れていたようだし、このまま眠らせてあげたほうが良いのかも。
「聞いてて楽しい話じゃなかっただろうしね」
私は腕時計の時間を確認する。
うん、もう少し時間がある。
だから……。
「時間潰しがてらに、最後まで話ちゃおっか、夢の中でいいからさ、聞いておいてよ」
「あの人がどうなったかを」