こいつ……動くぞ!
黒衣の男がふわりと風に乗るように浮かぶと、一足跳びで二階席から飛び降りる。
ゆらりゆらりと、まるで風に乗る綿毛のように滑空しながら、男はステージ上に降り立った。ヨハネが倒れた中央よりも、ずっと客席に近い手前側だ。もはや、撃ち抜いた教皇に興味は無いということか。
ベリアルが鬼の形相で黒衣の仮面をにらみつける。
「きさま許さぬ。ステラ様とニーナ様の幸せを、このような形で破壊したこと……万死に値するぞ」
剣の柄を握ってチンッと音を立てたベリアルは、今にも壇上に駆け上がり、黒衣の男に斬りかかろうかという雰囲気だ。
俺は極力声のトーンを抑えめにして告げる。
「ベリアルさんはお二人を守ってあげてください。ニーナさんの鞄の内蔵水晶だけの防御だけでは少々心許ないです」
剣を抜き払ったベリアルは、その場に釘付けになった。
「くっ……わかった。この場は従おう」
ステラが瞳を赤く燃やす。
「なら、あたしが決着をつけてあげるわよ」
黒衣の男はじっとステージ上からステラを見下ろしていた。仮面で顔も表情も読めず、男は終始無言だ。
それでも魔王は立ち向かうつもりらしい。勇者より勇者味の魔王様に、俺は続けて忠告する。
「ステラさんは、いつでも帰還できるようにしておいてくださいね。人にはそれぞれ、役割というものがありますから」
俺は自身に身体強化魔法を施すと、ステージに跳び乗った。
黒衣の男は見向きもせず、じっとステラを見つめたままだ。
身なりは違えど、男の背格好は俺と同じくらいだった。まるで自分の影と対峙しているように錯覚するほどだ。
「さて、貴方にいくつか質問があるのですが、答えていただけますよね?」
俺は左手をそっと開いて、ゆっくりと光の撲殺剣を抜き払う。すると……黒衣の男も同じように手に魔法力を生み出した。
どす黒い闇の力だ。それを棒状に練り上げる。光の撲殺剣の闇版だ。
「まさか、私の技を一目見て再現したとでもいうのですか?」
男から言葉による返答は無いが、闇の魔法力による剣の切っ先は、音も無く俺の顔へと向けられていた。
久しぶりに真正面から宣戦布告された気分だが――
「敵対行動を確認。通常モードから戦闘モードに移行。魔導炉の稼働率81.6%に上昇。防御魔法モジュール展開。AMF出力安定。近接格闘戦用に両腕を液化聖銀によって鏡面表層完了」
俺の背後でぴーちゃんが、両腕に聖なる水銀を纏わせて立つ。魔光砲を使わないのは、眠っている人々を巻き込まないためだろう。
ぴーちゃんが俺に告げる。
「わたくしが仕掛けますわ。敵の戦闘力を測ってくださいませ」
俺の頭上を飛び越えて、シスターゴーレムは黒衣の男に上空から斬りかかる。腕を覆った水銀は細かく振動し、岩すら両断する威力があった。
黒衣の男は、上空から飛び込むぴーちゃんの攻撃を紙一重で避けながら、俺への注意も切らしていない。何者だ……こいつ。
シスターの銀に輝く両腕が、突く、切る、薙ぐ、刺す、回転する。
どの動きにも共通して、殺気が無かった。故に、読みにくい。ゴーレム少女の視線は常に相手の顔を見つめているため、攻撃動作を読むことは不可能に近い。
しかも、ぴーちゃんは反撃への警戒や注意すらも、攻撃に割いていた。
攻撃は最大の防御というが、これでは捨て身の猛攻だ――なにより問題は、それが黒衣の男に通じていないことにあった。
黒衣の男の闇剣が、払い、そらし、避け、閃き、打ち返す。ぴーちゃん渾身の連撃を、まるでそよ風のごとく受け流して、男は呼吸の乱れすら感じさせない。
この一瞬の攻防に、ベリアルがステージの下で息を呑んだ。
「なんだ……今の動きは……」
武芸に通じる者だからこそ、本気で相手を斃そうとする、ぴーちゃんの殺気を持たない刃の嵐にも、それを受けきり無傷の男の恐ろしさも、ベリアルには理解できたのだろう。
加勢したいところだが、黒衣の男につけいる隙が見当たらなかった。下手に踏み込めば、ぴーちゃんの乱舞に巻き込まれて同士討ちである。
俺は黒衣の男の後背にじりじりと回り込む。ステージの下から「さすが大神官ね! 悪知恵が働くじゃない! 背後からブチ込んであげなさい!」と、声を上げた。
いつもなら「バラしてどうするのですか?」と、ツッコミの一つでも入れるところだが、こちらの目論見など黒衣の男にはバレている。
が、ステラの声に一瞬――
( ・ㅂ・)
仮面の顔が赤毛の少女の方を向いた。黒衣の男はステラを魔王と気づいたのだろうか?
ならばステージ上で、ぴーちゃんの攻撃を軽々とあしらっているのも解せない。
それだけの力があって、魔王の命を狙うならステラに刃を向けるはずだ。
ともあれ、そんな隙をぴーちゃんは逃さなかった。
「動きが乱れていましてよ!」
痛烈な斬り上げが男の左腕切り飛ばした。
だが……黒衣の男は声一つ上げることなく、右手の闇剣でぴーちゃんの左肩を貫く。相打ち――その刹那。
「今ですわご主人様!」
二人の足が止まったところで、俺は撲殺剣を黒衣の男の顔面にフルスイングして叩き込んだ。仮面が木っ端微塵に割れ砕け、男は上手の舞台袖まで吹き飛ぶ。
ぴーちゃんが、肩を押さえてその場にしゃがみ込んだ。全身から白い煙を吹き出して、熱暴走寸前だ。
ステージ下からベリアルが吼える。
「一気にたたみかけろセイクリッド! その男をステージの上に引きずり出せ!」
ステージ袖の暗闇に、ゆらりと黒衣の男が立つ。男は顔を開いた右手で覆った。指の隙間に光る青い瞳が、じっと俺を見据える。
フードからこぼれる髪は銀髪だ。
映し鏡のように、男は俺と同じ顔をしていた。ステージの下からでは、袖の奥にいる男の姿を見ることはできないため、ステラもベリアルも俺に視線を注いで息を呑み待つ。
正面に立つ黒衣の男――賢者。まるで俺自身の影のような男の、切り飛ばされた左腕からはとめどなく血が溢れ出る。
自分を殴るようで気が引けるのだが、まだこの男の正体の半分もわかっていなければ、教皇狙撃の意図すら不明なままだ。
俺は撲殺剣を二刀流にして、賢者に狙いを定める。
「死なれてはお話を聞けません。治療のためにも気絶していただきますね」
一歩踏み出そうとした瞬間――
ステージ奥――ヨハネを模した巨大ゴーレムの設置されたあたりの天井から、気だるそうな男の声が響いた。
「賢者が二人に木偶人形……ちょうどよかったな。まとめて潰してやるよ」
青い肌に白い角と、額に第三の目を持つ鬼魔族――ラクシャが天井の剥き出しの梁に雲梯のようにぶら下がり、手を離すとゴーレムの胸の上に着地した。
ステラが上級魔族の乱入に警戒を強める。さらなる敵の出現にベリアルも緊張の面持ちだ。
ラクシャは告げる。
「ちょうど椅子を探してたんだが……このデカブツはどうやら動くらしいな」
鬼魔族は巨大ヨハネの胸部ハッチに手を掛ける。途端に魔王が初級氷結魔法を構築して、ラクシャに放った。大威力の魔法を使わなかったのは、ステラが被害を広げないよう配慮してのことだが……牽制が通じる相手じゃない。
「セイクリッド! あいつはあたしが止めるから、早くその黒い仮面の男を捕まえて!」
ラクシャはステラの魔法が牽制だとわかっているようだった。矢のような氷結の一撃を受けても、平然とした顔のままだ。
「やるならさぁ……全力の魔法にしとくべきだったな。もう遅いぜ」
ハッチを開いて青鬼が巨人に乗り込むと同時に、黒衣の男が呪文を唱えた。
「転移魔法ですか……させませんよ」
これに乗じて逃げようとする賢者だが、俺は黒衣の男の構築する転移魔法に干渉し妨害を試みる。
だが、できなかった。移動系の魔法には違いないのだが、賢者が使った魔法は“帰還魔法”だ。
男の姿が舞台袖の闇の中で光と消える。切り飛ばされた男の腕も、スッと光の中に溶けていった。
同時に、舞台背景のように身をかがめていた巨人が振動し、白い煙を上げてゆっくりと動き始める。
もしや、賢者はこの状況になることを狙っていたのか?
ともあれ、逃げ去った賢者よりも今は、目の前で動き出した巨大教皇ゴーレムへの対処が先決だろう。
こいつが暴れようものなら、会場の人々はもちろん、マリクハの街が壊滅しかねないのだから。




