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眠れない夜にアロマ王セラピー

 会場全体が震撼する。怒声と悲しみの声がこだまし、出入り口に逃げ出す人々が殺到した。


 混乱に加えて薄暗い会場だったこともあり、狙撃者がどこにいるのかも曖昧だ。


 ベリアルがニーナを背に庇った。幼女は不安そうだが、我先にと逃げだそうとする観客たちよりは平静を保っている。


 カノンは倒れた教皇ヨハネの元に駆け寄ろうとしたところを、アコに腕を掴まれ止められた。


「ダメだよカノン。ステージの上に出ると危ないって」


「ど、どうしてそんなに冷静でいられるのでありますか! アコ殿には失望したでありますよ!」


 演奏をしていた楽団は、凍り付いたように身動きが取れずにいる。コーラスの声楽隊も同じだ。救護の人間も護衛の聖騎士も姿を現さないのは解せない。


 教皇は静かにステージの中央で横たわったままだった。


 俺はステラの肩にそっと手を置く。ツインテールがふわりと揺れて振り返り、真っ赤な瞳が俺を見つめる。


「教皇死んでるけどいいの? あ、あたしは助けるとか立場上できないっていうか、回復魔法も蘇生魔法も使えないでしょ? ほ、ほら助けに行くなら止めないわよ」


「アノ程度で死ぬような教皇様ではございません。それにステージに上がると狙撃される危険がありますからね。犯人の特定が先です」


「こんな混乱状態で、どうやって探すっていうわけ? 無理よそんなの! 絶対無理に決まってるわ!」


 すでに俺と同じ考えの少女が、索敵を開始している。ぴーちゃんだ。彼女はアリーナ席のはるか後方、二階席のあたりをじっと見つめていた。


「警備部の失態ですわね」


 逃げようとする人、立ち尽くす人、その中に狙撃犯を捜し続けるものの、いかにゴーレム少女が優秀であっても、混乱の中で発見は難しいだろう。


 ステラの方から俺に訴えた。


「じゃ、じゃああたしたちだけでも転移魔法で、一旦王都にでも避難した方がいいかも」


「そうしたいのはやまやまですが、同じ事を考えた方々が大変多いらしく、転移魔法同士が干渉して上手く発動できないようです」


「ならどうするわけ?」


「恐らくステラさんの帰還魔法は、こういった特殊な状況でも発動可能でしょう。なにせ貴方だけの特別な魔法ですからね。このままニーナさんとベリアルさんを連れてお逃げください」


 これにはベリアルも「ステラ様、ご決断を」と、珍しく俺に賛同した。ニーナの安全を確保するのが最優先だ。


 親とはぐれて泣き出す子供や、教皇の死を目の当たりにして怒りに燃え暴徒となりかけた集団。転んで怪我をした若い女性に、腰を抜かして身動きも取れない老夫婦が、抱き合って震えている。


 もはや誰にも事態の収拾がつけられない。


 魔王はぐるりと客席を見渡して、ポツリと呟く。


「こんな状態のまま、自分たちだけ逃げるのなんて……そんなの、なにか違うわ。うまく言えないんだけど……みんな困ってるじゃないの?」


 おい魔王様。そのセリフはどうみても正義の味方だが、いいのだろうか?


「ねえセイクリッド! あたしになにかできないかしら?」


 爆発魔法や獄炎魔法は、この場ではあまり役に立たない。が、一つだけ彼女にできることがあった。


「では、手伝っていただきましょう」


 俺は風の魔法を構築する。


 火や雷などと同じく風の魔法も黒魔法に分類されてはいるのだが、それらと比べれば風の魔法は制御がしやすい。神官など白魔導士の中には、光弾魔法よりも風の魔法を好む者もいるのだ。


 風を操り会場内を巡るように対流させると、俺はステラの頭を撫でる。


「きゃ! ちょ、ちょっといきなりなにするわけ?」


「ステラさんの甘い息を目一杯絞り出してください。私が作った風魔法の対流で、会場内に一気に拡散しますから」


「あ、あたしの甘い息って、全然眠らないやつなのよ? セイクリッドに全然効かなかったし」


「当然ですよ。私の方が格上なのですから。安心してください。ゴーレムのぴーちゃんさんは例外ですが、恐らくほとんどの人間が眠りますから。さあ、こすると甘い息を吐く道具になったつもりで」


 ステラが柳眉を上げて俺を睨みながら、甘い息をふわああっと吐き出す。


 ピンクの霧のように広がった甘い息は、風魔法に乗って会場内に広がった。


 ゆっくりと睡魔の誘惑が人々を沈静化させる。突然、バタンと倒れるようなこともなく、徐々に眠気がまぶたを落として、一人、また一人とその場に座り込み、椅子に腰掛けたり通路に寝そべって寝息を立て始めた。


 ステージ上の楽団も声楽隊も、ステラの甘い息が眠りへと誘う。


 アコとカノンが大あくびをした。


「ふああああ……あれぇ……ボクなんだか眠いよ。眠いんだカノラッシュ」


「なんでありますかその呼びか……ふああああ……」


 二人がお互いに身を寄せ合って、ずるずると沈むように眠りこける。


 ベリアルはといえば、フラフラになりながらもなんとか抵抗していた。ニーナはぺたんとお尻を床につけて、ベリアルに体重を預けるようにして眠る。


 その背中の赤い鞄が開くと、水晶がせり出してニーナとベリアルを包むように防壁を展開した。


 ステラがもたらした眠りによって、他に転移魔法を使う者がいなくなった今が好機だ。


 今なら転移魔法でアコとカノンも連れて、この場を立ち去ることができる。


「ステラさん、もう充分です。安全のため転移魔法で“最後の教会”前に戻りましょう」


 勇者と神官見習いが眠っているのも都合がいい。


 会場内がしんと静まり返り、立っているものは、魔王ステラと俺にシスターゴーレムのぴーちゃんくらいなものだ。


 俺が転移魔法を構築した瞬間――その魔法が“妨害”された。ステラが後方を指差し声を上げる。


「ちょ、ちょっと! あそこ……誰か立ってるわよ!」


 二階席に一人、漆黒のローブの男が立っていた。突き出した手は俺に向けられている。


 どうやら転移魔法を阻害したのはこいつらしい。


 目深にかぶったフードと、マントのようなローブ姿だった。ゆったりとした服装だが、背は高く細身の印象だ。


 その顔には――


 ( ・ㅂ・)


 挑発的な仮面をかぶっていた。一つ確かなことがあるとすれば、この男は魔王ステラよりも格上だということだ。


 なんら証明する物証も確証もないのだが、恐らくコイツが賢者なのだろう。


 さて……転移魔法を阻害してくる黒衣の男相手に、どうしたものか。

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