これはメイドですか? いいえょぅι゛ょです
俺が息を殺して、ほんの少しだけ開けたドアの隙間から聖堂内を見ていると――
ニーナは俺の存在にまったく気づかず、にっこり微笑んで、ぴーちゃんにちょこんとお辞儀をした。
「おかえりなさいませご主人さま。ご主人さまのぴーちゃんはここに座ってください」
「え、ええ。わかりましたわ」
幼女に左手を引かれ、ぴーちゃんは長椅子に浅く腰掛けた。
「ニーナがぴーちゃんのお世話をしますね。あ! きっとお腹が空いてるのです」
「あの、わたくしはゴーレムなので空腹は感じ無いのだけれど」
シスターが呼び止めるより早く、ニーナは赤いカーペットを魔王城の方に向けて駆けていった。
五分もしないうちに、銀のトレーにお皿をのせて戻ってくる。
皿の上にはクッキーが並べられていた。
「ステラおねーちゃとニーナで焼いたのです!」
ニーナはぴーちゃんの隣に座って、トレーを抱えるようにした。
「うあぁ……美味しそう。はう、ニーナは我慢しなきゃ。ぴーちゃんが食べるから」
シスターゴーレムは、他に誰もいない聖堂でそわそわしっぱなしだ。
「あ、あのですから、わたくしには必要がないものです。ニーナ様がお召し上がりになってはいかがかしら?」
「ちゃんと味見もばっちりなのです! とっても美味しく焼けるようになったの! いつセイおにーちゃが帰ってきても、ステラおねーちゃとおもてなしできるように、ニーナもいっぱいがんばりました」
ぴーちゃんは困り顔で俺が聖堂に戻るのを、今や遅しと待っている。
私室のドアにゴーレム少女の視線が注がれて、隙間からのぞき見る俺と目が合った。
「あっ! ご主人様があちらに!」
ぴーちゃんが左手で私室に続くドアを指差す。が、遅い。ニーナがこちらに向く前に扉をそっと閉めた。
「おにーちゃいないよー。いるわけないよー。もうずっといないし、もしいたら、きっとステラおねーちゃにすぐに会いにいくから」
ドア越しにニーナの声がきっぱり言い切った。
「あら、どうしてステラ様に一番に会いに行かれるのでしょう? あのロリコ……」
「……?」
「なんでもありませんわ」
妙な沈黙。二人の姿が視認できない。頼れるのは音だけだ。大神官イヤーは地獄耳。ドアに横顔がめり込むほど、俺は聞き耳を立ててしまった。
しばらくしてニーナがポツリと呟く。
「だって、二人は運命の赤い糸で結ばれてるから。ニーナの絵本にも書いてあるのでまちがいないのです」
「絵本……ですって?」
「えっへん! ニーナは絵本でちゃーんとお勉強しましたから。れでぃーですから。それでねそれでね、ステラおねーちゃはセイおにーちゃのことがだーい好きだから『まあすてき! だいて!』って、言うんだよー。抱っこしてほしいなんて、いっぱいかわいいおねーちゃなのです。この前も、おにーちゃのベッドでゴロゴロ巻き巻きしてたくらい!」
なにをやっているんだ魔王様は。
どうやらニーナは以前に朗読してあげた“王子と姫のラブロマンス”の絵本の内容がよほど気に入ったらしく、俺を王子に、ステラを姫に当てはめてしまったらしい。
「ステラ様がご主人様を?」
「いまは、ぴーちゃんがご主人さまなのー!」
「え、ええと……セイクリッド様をステラ様が愛していらっしゃると?」
「うん! おにーちゃいないから、最近ね、ステラおねーちゃ寂しそうなの。世界がおわったみたいな顔なの。ニーナもいっしょに寂しくて、哀しくて、けどもう、ニーナは泣かないって決めたのです」
俺がアコとカノンを特訓する間、まさかそんな事になっていようとは。
結論――やたらと手のかかった勇者と神官見習いの微ポンコツシスターズが悪い。
あの二人さえもう少しまともなら、ニーナに心配を掛けさせることもなかったのだ。
次にアコとカノンが乗り越えられない壁にぶつかった時は、今回のような生ぬるく優しい手取り足取り教えるコースではなく、一つの選択ミスで死ぬノーマルコースの特訓に切り替えていく。
と、心に決めたところで、ニーナの声が明るくなった。
「ニーナはちっちゃいけど、だれかを笑顔にできたらいいなって思うから、ぴーちゃんのおねーちゃになって、ぴーちゃんにいっぱいいっぱい、笑顔になってほしいのです」
ぴーちゃんから返答は無い。
これはついに処理能力の限界を超えてしまったか。もう少し、二人のやりとりを訊いていたかったが、そろそろ出るとしよう。
私室の扉をそっと開くと――
美しいゴーレム少女の瞳の縁から、銀色の雫がツーッと流れ落ちた。
「あれ……おかしいですわね」
雫はぴーちゃんの細いあごを伝って落ちると、小さな銀色の粒となって固まった。まるで涙が宝石になる人魚のようだ。
「お、おにーちゃが生きてる!?」
ニーナが目を丸くした。驚きのあまり、抱えていたトレーごとクッキーをひっくり返しそうな勢いだ。
「ご無沙汰しておりますニーナさん。きちんと生きておりますよ。しばらくアコさんとカノンさんのお手伝いをしておりまして、長らく教会を空けたことをお許しください」
恭しく俺が頭を下げると、ニーナは長椅子の脇にトレーを置いて、ぴょんと跳ねるように立ち上がるなり、俺の膝元に近づいてギュッと抱きしめてきた。
「おにーちゃは悪い神官さんなのです! しょくばほーきはいけないからぁ」
「職場放棄とは、ずいぶん難しい言葉をご存知ですね」
「ベリアルおねーちゃが教えてくれました」
おのれベリアル。いくら事実とはいえ、ニーナに俺の悪評をありのままに伝えるとは許せない。あとで度数と値段の高い酒で買収してくれよう。
俺の足下に銀色の粒が転がってきた。
そっと拾い上げて、座ったままのぴーちゃんの手のひらにそっと返す。
「落としましたよ」
「聖なる水銀の制御系に異常が発生したみたいですわね。もう、正常に戻しましたけれど」
「それは結構なことです。おや、美味しそうなクッキーですね」
ニーナが置いたトレーに視線を落とすと、幼女メイドが俺の元までやってきた。
「こ、これはぴーちゃんのだから……あの……えっと」
「たくさんありますし、みんなで食べるのはいかがでしょう? せっかくですから紅茶の用意をお手伝いしていただけませんか、素敵なメイドさん」
「はーい!」
「かしこまりましたわ」
ぴったりのタイミングでニーナと一緒に元メイドのシスターぴーちゃんも立候補した。
その右腕では無理だろうに。
「ぴーちゃんさんはご無理をなさらず、ここは私とこの小さなメイドさんにお任せください」
「そうだよーぴーちゃん。ニーナにいっぱい甘えていいからね。ニーナはおねーちゃなのですから」
えっへんと胸を張って、ほんの少しだけ偉ぶる姿は姉のステラにそっくりだった。
私室のミニキッチンで湯を沸かし、紅茶を淹れる。カップに注ぐのはニーナにお願いして、ステラとニーナの手作りクッキーと一緒に、ティータイムのテーブルを三人で囲んだ。
ニーナがぴーちゃんにクッキーを「あーん」してあげると、シスター少女の頬が赤らむ。
「遠慮なくどうぞ」
「う、うう……いただきますわ」
先ほど、ぴーちゃんの右腕修理の手続きをした際に開発部で耳にしたのだが、ゴーレムが人の姿を模しているのには、いくつか理由があるらしい。
人の姿であれば人の生活に溶け込みやすいから……というのが主なものだ。この世のありとあらゆる人造物は人間が使いやすいようにデザインされている。
そして、たとえその行為に生命を長らえるという意味がなくとも、ぴーちゃんには“人と食事をともにする”機能も与えられていた。
ニーナの小さな手がクッキーをゴーレム少女の口元に運ぶ。
それを食べてみせては「大変美味しいですわね」と、ぴーちゃんはニーナに優しく微笑んで返した。
それから少しの間、ニーナからは魔王城――というか、ステラやベリアルがしばらくどうしていたかを俺は聞かされ、俺もアコやカノンとの小さな冒険を物語風にしてニーナに語った。
途中で疲れてしまったようで、ニーナは俺のベッドで仔猫のように丸くなって、スヤスヤと寝息を立て始めた。
テーブルには半分ほどに減ったクッキーと、ぬるくなった紅茶が残る。
ぴーちゃんは動かない右腕を左手でさすりながら、俺をじっと見据えて口を開いた。
「わたくしとニーナ様を二人きりにして聞き耳を立てるなんて、意地が悪いですわね」
「おや、気づいていらっしゃいましたか」
「今回も、いつ制御系がエラーを起こして暴走するかと思っていたのですけれど……不思議なことに無事でいられましたわ」
「経験を積み、成長し、対応できるようになったということではありませんか?」
ぬるい紅茶を飲み干す俺から、ぴーちゃんは視線を外すとベッドで丸くなるニーナに視線を向けた。
「対応……とてもそれだけではないような……うまく言語化できませんの。そう……ご主人様と共闘した時も、胸の辺りが熱くなりましたわ」
左手を心臓のあたりに添えて少女は続ける。
「それだけなら胸の中の魔導炉の暴走ですけれど、戦いのあともまだ高鳴るような感覚が……ご主人様が、わたくしの腕を探しに川に飛び込んだ時にも……なぜ、あのようなことをなさったのですか?」
真剣な眼差しだ。いくら優秀で高性能なゴーレム少女といっても、生まれたてには違いない。てらわず正直に応えよう。
「あまりこういった言葉を使うのは、公正公平たるべき神官の司祭にあるまじきと思うのですが……仲間ではありませんか」
「あっ……」
再び少女の頬を水銀の涙が伝って落ちた。
「ぴーちゃんさんは涙もろい性格のようですね」
「もしかして……これが……心……ど、どうしていいのかわかりませんわ……あの……わたくし……だ、だだだだだ抱いて……お願いだから……でないと……壊れてしまいますわ」
少女は立ち上がった。突拍子の無い言葉だが、きっといっぱいいっぱいなのだろう。
極寒の地に裸で放り出されたように、身もだえ震えるゴーレム少女。彼女はついに自分の中に芽生えた感情と向き合い始めたようだ。
突然、背中に翼が生えた時、人間もきっと同じように怯えて震えてしまうかもしれない。
「大丈夫ですよ。戸惑うことも多いでしょうが、きっと貴方ならうまくやれますから」
俺が立ち上がると彼女の方から俺の胸に飛び込んできた。
「しばらく……どうか……温かい……体温は36.5度。心音正常。脈拍……かすかに上昇」
こらこら、勝手に診断をするんじゃない。
と、その時――
「ねえニーナが来てな……え?」
ぴーちゃんをそっと抱きしめる俺と、聖堂から私室のドアを開いたステラの視線がぴたりと合った。
「な、なな、なにしてるのよセイクリッド!」
「ぴーちゃんを慰めているだけですよステラさん」
「な、慰み者ですって? あ、あああ、あああああああああ!」
俺の胸に抱かれて、ぴーちゃんが頭から白煙を上げて私室が白い闇に呑まれたのは、この直後の事だった。




