三日待ってください。本当の近接格闘をお見せしますよ。
教会の講壇に案山子二号を設置した。
さらに「三日ほど留守にする」と一筆したためる。
野営道具と愛と勇気を背負い袋に詰めこんで、俺はルルーナとともに霊峰フージの麓に広がる湖畔へと転移魔法で向かった。
風もなく穏やかな昼下がりで、モスト湖の水面は緩やかに波打っている。
湖畔の草原に立って、ルルーナは呟いた。
「……ここは?」
「王都の西方にある霊峰フージの近くです。冠雪を戴いたあの美しい姿に心が洗われますね」
青い山体の頂上に雪の冠をかぶった峰が空に映える。大神樹の力が強い霊場で、そこかしこに芽が吹いているのだが、このモスト湖の辺りが俺のお気に入りだ。
「……たしかに綺麗」
「まあ、観光に来たわけではありませんが」
ルルーナは首を傾げた。
「……じゃあ、なに?」
「もちろん特訓ですよ。これから貴方の力を見せていただきます。得意な魔法は?」
少女は手を広げて数えるように一本ずつ指を折り曲げていく。
「……解毒、麻痺治癒、中級回復、睡眠、中級風刃……くらい」
回復に補助といった白魔法系統だ。攻撃が中級風刃では心許ない。
「占いの道具を使った攻撃などはどうでしょう?」
「……無理」
引いたタロットカードから力を引き出すというような類いのことは、できないのか。
占い師を名乗るにはまだまだだな。
「なるほど。でしたら武器を使った戦いはどうでしょう?」
「……苦手」
見ればそもそも、ルルーナは武器らしい武器を持っていなかった。
「戦闘の専門家などから指導を受けたことはありますか?」
「……ありま……せん」
正直に応えられてえらいえらい。頭を撫でたいところだが、噛みつかれそうな雰囲気なのでよしておこう。
「本当にへこんでいらっしゃるのですね」
「……チッ」
他に誰もいないと舌打ちも盛大に聞こえるが、悔しい気持ちがあるのならきっと彼女は伸びる。
教え甲斐もあるというものだ。セイクリッド打撃コーチ就任である。
「そこで私が伝授しようというわけです。すぐに舞剣士のラヴィーナさんに追いつくのは難しいかもしれませんが、せめて自分の身を守れるくらいにはなっていただきます」
「……そんなことできるの?」
「ええ。ただし私の特訓を受けることで、二度と笑ったり泣いたりできなくなりますがよろしいですね?」
「……もともとしてない」
決意の瞳が俺を見据える。ルルーナは本気だ。
「というのは冗談です。私の特訓から逃げられないよう、この場を選びました。ではさっそく組み手から始めましょう」
荷物を下ろして俺は身構える。
「……いきなり?」
「大丈夫です。たっぷり手加減して差し上げますから」
風が平原を吹き抜けた。湖面がざわめき草木がカサカサと鳴る中で――
占い師の少女とこのあとめちゃくちゃ(特訓)した。
ルルーナに必要だったもの。それは専門家による的確な指導である。
基本スペックはラヴィーナと同等なのだ。
彼女には白魔法の適性があるのだが、主力となる攻撃手段である風刃魔法は空を飛ぶ魔物にこそ有効なものの、威力にも安定性にも欠ける。
そこでエノク神学校の体術プログラムを先鋭化した大神官流の近接格闘を文字通り、彼女に叩き込んだ。
少々手荒にはなったが時間は限られている。
三日で少女は見違えるほどの“戦士”に変貌したのだ。
総仕上げとして砂漠のオアシス――サマラーンに戻ると、俺とルルーナはフード付きの外套をまとって旅人に扮し、それを狙う獣人の盗賊を逆襲撃することにした。
夜の砂漠を二人で進むと、五分もしないうちに人影が砂の道に立ち塞がる。
進路に三人。後ろに三人。種族はまちまちだが、武器に統一性もなく海賊というよりも、砂漠の盗賊という雰囲気だ。
「げっへっへ! こんな夜中に若い男女が砂漠でイチャコラしようってのか? させっかよボケがぁ! 身ぐるみ剥いで女の方はもらっていくぜぇ!」
ピッグミーの身内ならルルーナの顔を見てこうは言うまい。
「……戦闘許可を」
「こらしめておあげなさい。ルルーナさん」
ルルーナは外套を脱ぎ払った。
占い師の装束はそのままだが、中身は三日前とは見違えるほど別物に仕上がっている。
夜盗の一人――犬顔がナイフの刃の腹をべろりと舐めた。
「なんだぁ? 女に戦わせて男はだんまりかよ? なあ嬢ちゃん。そんな男なんざ放っておいて、オレらと仲良くしねぇか? げっへっへ!」
いかにもやられ役なセリフです。本当にありがとうございました。
「……笑止」
ルルーナは懐からそっと水晶玉を取り出した。
右手に持った水晶玉に魔法力を込める。
光は透明な球体を満たしてうっすらと光を帯びたままになった。
光弾魔法や俺が得意とする光の撲殺剣の応用だ。
あの力を神聖なる水晶に宿すことで威力を上げて、魔物に叩きつける。
ルルーナが握った水晶玉を犬顔に突きつけた。
「……今日は貴方の前に素敵な撲殺少女が現れ、所々血の雨が振るでしょう」
占いではなく殺害予告兼天気予報である。
教えた俺が言うのもなんだが、実に物騒極まりない。
「んだとクソガキぃ! せっかく優しく誘ってやったってのに! 身体で思い知らせてやるぜえええ!」
「「「「「そうだそうだー!!」」」」」
他の夜盗たちも唸るように吼えた。
「つーわけで死ねぇええええええッ!」
ナイフを逆手に構えて犬顔が突っ込んでくる。
「……大神官流近接格闘にナイフで挑むとは。貴方には愚者のカードがぴったり」
ルルーナはひらりと突進をかわしつつ、空いている左手で犬顔のナイフを突き出した手首を掴む。そのままひねるようにしつつ、足下では同時に男の勢いを利用しながら足払いをして転ばせた。
見事なカウンター投げであった。
一瞬の出来事に犬顔は何が起こったのかわからないまま、砂の地面に背をつけて倒れる。
「あっ!? なにが起こったんだッ!?」
唖然とするその顔めがけて、光り輝く水晶玉が打ち下ろされた。
ドガンッ!
光が爆ぜて犬顔の鼻っ柱が潰れる。
返り血にまみれた水晶玉を手にルルーナは口元を緩ませながら、ゆらりゆーらりとした足取りで、残る夜盗に歩み寄る。
「よ、よくもやりやがったな!」
仲間を一瞬で倒されたことへの怒りよりも、不気味な少女の戦い方に彼らは“恐怖”していた。
剣でも魔法でもない。
手にした玉で殴るスタイル。しかも占い師の風体だ。
「……潰されたい方から、かかってきて。どうぞ」
挑発的にルルーナが告げると「ど、どうぜマグレだろ!」と、今度は獅子顔の獣人が剣を振り上げ襲いかかった。
「……大振りすぎてあくびが出る。シャーイニーング……」
技量の低い力任せの攻撃を、ルルーナは見事に避けつつ獅子顔の顔面に光る水晶をめり込ませ――
「クリスタール!」
爆発させた。流派大神官は聖者の風よ。
二人倒され残る夜盗はあと四人。マグレではなくルルーナの実力というのも理解できたのだろう。
俺の背後に熊顔の大男が回り込んだ。
「だったらオマエを人質にしてやるぜぇ!」
羽交い締めにしようとする熊顔に見向きもせず、俺は光の撲殺剣を手から引き抜くような動作で展開すると、自身の腋の下から背後に向けて突くように放つ。
「ぐへっ!?」
熊顔のみぞおちに光る棒が突き刺さり、ドサリと巨漢がうつ伏せに砂の地面に倒れた。
「ルルーナさん。皆さんの運命を占って差し上げたらいかがでしょう?」
ルルーナは左手でタロットカードをケースから一枚引き抜く。
「……運命は……これ」
占い師が見せたのは“死神”のカードだった。
どうやら特訓によって占いの腕前も上がったようである。
残る夜盗の絶叫が砂漠にこだましたのは、その直後の事であった――
めでたし、めでたし。




