熱砂の姉妹デート
さすがにベリアルをそのままにはしておけないので、俺は目を閉じて彼女を背負うと聖堂内を抜けて私室に向かう。
「はいこっちこっち! っていうか、ちゃんと目を閉じてるわけ?」
「狭い教会ですし、目を閉じていてもだいたいわかりますよ」
ベリアルのもっちりとした太ももや、大きな胸などが背中に胸に手のひらに吸い付いてくる。俺の耳元で「……ん」「……あん」と熱っぽく囁くように声を漏らした。
私室のベッドにそっと寝かせて毛布をかぶせたところで、部屋を出て聖堂に戻るとステラが腰に手を当て胸を張る。
「おつとめご苦労さま」
「どうしてそんなに偉そうなんですか」
「実際偉いもの魔王よ魔王! ひれ伏さない方がおかしいの」
「ああ、そういえばそうでしたね。これはうっかりしておりました魔王様」
跪ずくとステラは不機嫌そうに「誠意が感じられないわ! しょうがない大神官ね」と口を尖らせた。
それから赤毛を揺らして少女は言う。
「これからどこかに行くのよね?」
「ええ、ステラさんさえ良ければ人間界の視察にお連れいたしましょう」
「じゃあニーナも一緒でいいかしら?」
門番のベリアルもこの調子である。それにクッキーを食べる予定の幼女の意見は、取り入れたいところだ。
「私とステラさんが不在となると、ニーナさんもきっと心配なさるに違いありません」
目を離してやらかすのは主に姉の方だ。ニーナの心労は絶えないだろうな。
ステラはニッコリ微笑んだ。
「魔王城もそれなりに難攻不落ではあるけれど、大神官がいれば安心よね」
この人型綜合警備装置に護衛はお任せあれ。
「それじゃ人間っぽい格好してくるから、ちょっと待っててね」
尻尾をふりふりさせ軽い足取りでステラは魔王城に戻っていった。
真夏のそれよりも燃える太陽が照りつけ、熱せられた空気は深く吸い込めば肺の中まで乾燥させてしまいそうな砂の海――大砂海。
その中心に華のように広がる街があった。
巨大なオアシスを中心とした、交易拠点――サマラーン。砂漠に咲いた花のような大都市は、東西南北を繋ぐ道の中継地点だった。
隊商が往来し人も物もひっきりなしだ。文化が混じり合い金銀財宝と香辛料や毛皮に珍品やら魔法道具などが売り買いされる商都は……かつての活気を失っていた。
色とりどりの天幕が並ぶバザーは並べる品物の種類も数も、以前俺が訪れた時の半分程度にまで落ちこんでいた。
おそろいのストローハットをかぶって、町娘風に変装したステラとニーナが首を傾げる。
「ちょっとセイクリッド。活気のある街って訊いてたけど?」
白い手が俺のローブのすそをくいくいっと引いた。
「おにーちゃ、みんな元気ない感じなのです」
何も知らずについてきたニーナにもわかるくらいだ。
「南西地方最大の商都なのですが……はて」
目当ての香辛料は入荷が少ないためか価格が高い。
俺が香辛料を扱う商人の露店に足を運ぶと、姉妹も後に付いてきた。
ステラが並ぶカゴの中身を一つ一つ確認する。
「これ、全部違う香辛料なの?」
シナモン、クミン、カルダモン、ターメリック、白黒の胡椒に赤や青やらの唐辛子各種、ナツメグにスターアニスなどなど。
ニーナが小さな鼻をすんすんさせた。
「へくちっ!」
小さくクシャミをする幼女の反応に、ステラが「ニーナにはちょっと刺激的すぎたかも」と、先ほどの唐辛子クッキーについて反省したようだった。
クッキーのことはまだ、ニーナには秘密なのだが、俺は店主に断りを入れると各種香辛料の中からカルダモンを選ぶ。
「ニーナさん。この香はいかがですか?」
「ニーナがくんくんですか?」
「はい。ぜひ好きか苦手か教えてください」
手のひらにのせたカルダモンに、ニーナはそっと顔を近づける。
「甘いけど、ちょっとさらさらとしてます。ニーナは好きかも」
カルダモンには不思議な清涼感があった。さらさらという言葉でそれを表現するあたりが、とても幼女である尊い。
ステラも匂いを確認した。
「へー! けどこれくっ……」
クッキーに混ぜて大丈夫なの? と、口を滑らせそうになったステラをニーナがじっと見つめる。
「くっ……殺せ!」
「ステラおねーちゃ死なないで! おねーちゃはニーナが守りますから!」
そんな健気なニーナは俺が守るとして、相場よりかなり高めながらカルダモンを適量買い求めた。値切らず言い値で買う代わりに情報をもらおう。
店主に街の惨状について訊く。
「ところでご主人。以前、訪れた時はもっと活気溢れる街だったのですが、何かあったのですか?」
立派な髭を蓄えた小太りの店主は、あご髭を撫でながら溜息交じりだ。
「いやはや旅の神官さま、実は海賊が出ましてな」
砂漠に海賊とは奇妙な話だ。だが、このサマラーンの周囲に広がる砂漠は大砂海と呼ばれている。
山賊と言うよりはそれらしい。
ステラがビシッと店主の顔を指さした。
「それって盗賊でしょ? 海賊なんてちょっとカッコイイ感じじゃない!」
「いえいえお嬢さん。本当なんですよ。砂の海を船が走ってるんだから驚いたのなんのって。月夜に砂をかき分けてすいーっとね」
商人が手のひらを宙に滑らせた。
「嘘言ってないわよね? 信じられないわよ船が砂漠を走るなんて」
商人も目の前に魔王がいると教えても、なかなか信じはしないだろう。
「いやいや、高値で買ってくださったお客さんに嘘なんて教えるものですか。信じてくださいよお客さん」
困ったように商人は眉尻を下げて俺に言う。
「信じましょうステラさん。で、サマラーンは今、その海賊の被害を受けていると?」
「ええ、時折どこからかやってきて、交易路を征く隊商から積荷を奪うんですよ」
「命までは奪わないのでしょうか?」
「そうなんでさ。こっちが積荷を持ってないとわかると解放されるんです。なんでも『金まで奪ったら交易できなくなるのは、かわいそうだぷぎー!』ってね」
豚の鳴き真似のような語尾に、ニーナが笑顔になる。
「ぷぎぷぎー!」
どうやら幼女の心を掴んでしまったようだ。
「あはは! ぷぎぷぎって変なのです。あはは! あはははは!」
ツボったようで、幼女はお腹を抱えて大爆笑である。どこでスイッチが入るかわからないな。困った時にぷぎーと語尾につけようぷぎー。絶対ウケる。
ステラが冷静な表情のまま腕組みをする。
「ねえセイクリッド。どういうことなのかしら?」
「隊商がいなくなってしまえば、海賊は略奪できません。商人の金銭と命を奪わないのは“継続的な収穫”のためと考えられます」
魔王が目をぱちくりさせる。
「けど、死んでも復活するじゃない? アコやカノンみたいに」
大神樹による冒険者復活の仕組みについて、魔王のステラが知らないのも当然だ。
少し調べればわかることなので、隠す事もないか。
「復活できるのは教会に登録した者だけです。隊商を率いる商人の多くは教会に冒険者登録をしています。が、中には未登録の商人もいるわけですし、なにより死んで復活となれば教会に寄付をしていただくことになります」
冒険者が復活できるのも、教会に届け出があればこそ。他にもルールはあるが、今はそれだけステラが理解してくれればいい。
ちなみに悪質な寄付金滞納によって登録不能になる。
「ちなみにその海賊ですが、魔族ではありませんかぷぎー?」
「あっっはっはっはっはっはははああ! おにーちゃぷぎーって!」
幼女の大爆笑、いただきました。ステラが「ちょっと! ニーナが過呼吸に陥ったじゃない! しっかりニーナ!」と、幼女の背中をしゃがんでさする。
「あっはっはっはっははあああああ!」
収まるにはもう少しかかりそうだ。
商人が困惑しつつも続ける。
「船長は巨漢の豚男で、船員らもみんな異形でしたよ。格好だけは人間のフリしてますが、魔族とバレバレって感じで……」
途端に腕組みしていたステラがお尻の方に手を回して「鎮まれあたしのチャームポイント」と焦りながら言う。
香辛料商人は「悪い事は言いませんから、関わり合いにはならん方がいいですよ。あっしは長くこの街で商売をし続けて、今から他のどこかへってわけにゃいきませんし」と、肩を落とした。
「通商破壊ですね。護衛をつけた隊商はいないのでしょうか?」
「あっしの訊いた話じゃ、冒険者はみんな海賊にやられちまったとか。ひどい世の中になったもんです」
地元の冒険者でも刃が立たないとなると厄介そうだ。
「その海賊は名乗りませんでしたか?」
「ええ『オレぴっぴは大砂海の海賊船長ピッグミーだぷぎー!』と。あのおぞましい声は一度耳にすれば忘れられませんよ」
ぴっぴ……だって?
「つかぬ事をお聞きしますが、この街で目立つ双子の冒険者をご存知ではありませんか?」
「双子といえば確か……」
「あ、いえ、だいたいわかりましたので。貴重な情報、ありがとうございます」
ステラはキョトンとした顔だが、色々と繋がってしまったな。
ニーナの呼吸がやっと落ち着いてきたのをみて、俺はそっと店主に十字を切って祝福を授けた。
「貴方の進む道から困難が退くよう祈ります」
「ありがとうございます神官様」
二人を連れて、街の目抜き通りにあるバザーからオアシスのある中央街へと向かう。
遠く海のように広がる巨大なオアシスを見ながら、ステラが小さく息を吐いた。
「魔族って迷惑ね」
思っていても口にしちゃまずいだろ魔王様。
「ステラさんが気に止むことではありません。貴方に従わない魔族であれば、それこそ貴方の管轄外ですよ」
手を繋ぎながら、ニーナが心配そうに姉の顔をしたから見上げる。
「おねーちゃは哀しいのです?」
「え、えっと……なんでもないわよ。それにしてもあっついわねー!」
空いた手でシャツの胸元をパタパタとさせながら、ステラは俺に告げる。
「ほら、美少女の胸元がチラチラしてるでしょ? 神官には刺激が強いかしら?」
先ほど全裸美女と密着した俺の刺客にはならなかった。
ニーナもぱたぱたと、自分の顔を手で扇ぐ。
「あっちっち……ふえぇ」
汗ばむ幼女もまた尊い。
もし辛いようであれば、すぐに転移魔法で戻ることもできるのだが……。
「もしよろしければ、王都のカフェとは違った、砂漠の街らしい店がありますから、休憩してから帰りませんか?」
ステラがムウッと俺を睨む。
「教会に引き籠もってるくせに、食べ物のお店とか、なんでそんなに詳しいのよ?」
「食べ歩きが趣味ですからね。ちなみに、この先にあるパブのオススメは椰子の実のジュースです。黒魔法の心得があるバーテンダーが氷結魔法でキンキンに冷やしてくれるんですよ」
言うやいなや、ステラの瞳が輝いた。
「早く行きましょ!」
「ニーナもいきたいのです。おねーちゃと一緒が良いいからぁ」
仲睦まじい姉妹に挟まれて、両手を引かれるまま歩く。
ステラのクッキー作りのため、香辛料を買い求めに来ただけなのだが、どうやらこれも光の神の思し召しか。
ラヴィーナとルルーナを狙う魔族はおそらく、この砂の海を根城に暴れ回っているに違いない。




