あぁ、駄魔王さま
風の吹く荒野に俺と魔王は二人きりで対峙した。
魔王は両手を広げて冷たい表情を浮かべると告げる。
「最後の戦いを始めましょう人間」
「そうですね。こういうことはこれで最後にしたいものです」
「この魔王ステラにたった独りで挑むなんて、勇気だけは褒めてあげるわ」
挑んできたのはそっちだろうに。と、言うのは無粋というものか。
ステラは右手に炎を、左手に氷を魔法力で生み出した。
「その身を焼き尽くし魂まで凍てつかせる魔王の力の深淵をみよ!」
いいから早くかかってきてほしい。自分から攻撃するのは教義に反する。専守防衛が信条の聖職者はこういう時不便だ。
ステラの魔法が変化した。
「それとも雷撃で撃ち抜き風の刃で切り刻んであげようかしら」
「いいから早くかかってきてください」
「言ってくれちゃってえええええッ!」
瞬間――俺の足下から腰のあたりまでが氷漬けにされた。
身動きがとれなくなったところに炎の矢が雨のごとく降り注ぐ。
風の刃が吹き荒れ雷撃が俺を撃ち抜いた。
並みの神官なら四回は死んでいるところだ。
ステラは魔法を使いながら震えている。
涙目だ。
この魔王、もしかして人を殺したことがないんじゃないか?
ビビッてるな。どの魔法も俺からすれば生ぬるい。
状態回復魔法で凍結を解除し、炎熱防御魔法で炎の雨を防ぐ傘のような魔法障壁を展開した。
風の刃で受けた裂傷は回復魔法で元通り。だが、切り裂かれたローブは戻らない。あとで修繕代を目の前の彼女に請求しよう。
雷撃に関しては直撃を受けたものの、それを地面に逃がす防御魔法で完全無効化する。
初手から全力を出し切り、やりきった感のあったステラの目が点になった。
「ちょ、ちょっと待って!? なんでローブの袖が長袖からタンクトップになっただけで無傷なのよッ!?」
「防衛魔法と回復魔法は得意なんですよ。こう見えて聖職者ですから」
「四種の攻撃魔法よ!? 一度に食らって無傷だなんて……」
「無傷ではありません。ローブの袖がスパッと切れてしまいました。では、今度はこちらからいきますね」
ステラはプルプル震えながら胸を張る。
「ふ、ふは、ふはははは! 神官風情になにができるというのかしら? 魔王であるこのあたしには、即死魔法は通じないわよ!」
「確かにそうですね」
元来、魔王には即死や混乱といった魔法は通じない。通じないからこそ彼ら彼女らは“王”なのだ。
「生半可な力で、この魔王に牙を剥いたことを後悔させてあげるんだから! 武器も持たない貧弱な人間よ!」
俺は魔法力を光に変換して手の中で棒状に構築した。左の手のひらから右手で引き抜くようにして、光の棒をゆっくりと抜き払う。
「な、なにそれ?」
「光魔法をアレンジしたものです。ご安心ください。見るからに斬撃タイプのように見えますが、撲殺属性の武器ですから」
「光属性じゃないの!? なにその撲殺属性って怖いんですけどッ!?」
あまりの恐怖に魔王は敬語になった。本人はそれに気づいていないほどの動揺っぷりだ。
俺は右手に“光の撲殺剣”を構えて告げる。
「魔王を光の棒で叩き続けると死ぬ」
「いやあああああああああ! こないでこないでこっちにこないでー!」
エリート戦士が追い詰められた時に出す“小さい攻撃”の連打よろしく、ステラが両手から炎の矢を乱射した。
それとて、一発一発の威力は人間の黒魔導士が放つ渾身の一撃に匹敵するのだが、俺は正面にきた炎の矢だけを光の棒で叩き落としながら、ゆっくりと彼女に近づいていく。
「お仕置きの時間ですね。お尻を十回ほどぶっ叩いて差し上げましょう」
「死んじゃうから! 魔王の威厳が死んじゃうからあああ!」
一秒間におよそ十六発の炎の矢が飛んでくる。が、その半数以上は見当違いの方向にそれていった。
狙いが定まらないほどの恐怖を俺から感じているらしい。
ステラに光の棒が届くまで、あと五メートル。その間、絶え間なく矢を棒で弾き続ける。
「ハァ……まったく魔王の才能の無駄遣いも甚だしいですよ。だいたいそんな腰の入っていない魔法で人間が殺せるとお思いですか魔王? 貴方の黒魔法はどれも練りが甘く、ここぞというところに殺意が込められていません。そんな覚悟でよく魔王が名乗れますね。人の殺し方を教えてさしあげましょうか?」
「あなた本当に聖職者なのッ!?」
「こう見えても、エノク神学校首席卒業にして最年少大神官ですよ」
ステラは肩で息をして、魔法の連打も途切れた。
「ハァ……ハァ……ば、化け物ね」
魔王のお前が言うな。俺は光の棒を振り上げた。
「あたしを殺すの?」
下唇を噛んで涙目である。
しかしどうしたものか。
魔王をうっかりとはいえ倒せば英雄になれるかもしれない。
まあそんな称号にはなんの価値もないのだが、少なくとも“最後の教会”に神官が常駐する理由はなくなり、俺も本部復帰がかなうだろう。
と、魔が差し掛けたその時――
とってってってって
と、小さな影が魔王城からこちらに向かって走ってきた。
金髪碧眼の幼女だ。
白いドレス姿で、どこぞから誘拐してきた王国の姫様という身なりをしている。
愛くるしいくりっとした瞳に、ぷにぷにとしたほっぺた。小さな手足をばたつかせて、幼女は呼吸を弾ませながら俺とステラめがけて一直線だ。
その後ろをアークデーモンがそわそわしながら追う。
一見すると、魔物に追われる幼女姫だが……アークデーモンがその気になれば、幼女を捕らえるなんて造作も無いだろう。
幼女は俺とステラの間に割って入る。アークデーモンは十メートルほどの距離で立ち止まり、俺をじっと見据えていた。懇願するような表情だ。
そして金髪幼女は光の棒を振り上げた俺に、顔をあげほっぺたをぷくっと膨らませて訴える。
「ステラおねーちゃをいじめないで!」
俺は光の棒の魔法を解くと、そっと膝を折って幼女に視線の高さを合わせた。
「いじめてなどいませんよ。私は魔王ステラと戦いごっこをしていただけです。練習ですから安心してください」
幼女は驚いたように目を丸くした。
「おねーちゃをいじめてないの?」
「ええ。安心してください。そうですよね魔王ステラ?」
立ち上がってステラに訊くと、彼女は……祈っていた。手を組み俺に祈るようにしながら魔王は告白する。
「どうか……どうか妹にだけは手を出さないで! あたしはどうなってもいい。だけどニーナは関係ないでしょ! この子だけは見逃してあげて!」
目の色も髪の色も似通っていない姉妹だが、魔族を人間の物差しで測るのは愚かなことか。
ただただ、ステラの懇願は本気だった。