ステラとクッキー&モンスター
ラステとして一日勤め上げたステラに、教皇庁謹製のコロコロを進呈した。
むしろニーナが気に入ってしまい「おねーちゃコロコロたのしいです」と、実質所有権は妹に移ったようだ。
翌日――
朝一番で聖堂にステラがやってきた。
「ねえセイクリッド! おかしいの!」
「朝から教会に礼拝する魔王というのは、たしかにおかしな話ですね。おはようございます。ようこそ教会へ。旅の記録を……」
「全部キャンセル! あたしの話を訊いて!」
聖堂の天井に少女の声が響いた。
尻尾をビンッ! と立ててステラはムッとした顔だ。
「ではお話をどうぞ」
「クッキーの味見してほしいのよ!」
少女はお尻をもじもじとさせながら、小さな包みを俺に手渡した。
紙の袋を開くと、そこには少しだけ焦げ気味だが、いかにも手作り感溢れる不揃いなクッキーが十枚ほど入っていた。
一枚がカジノで使うコインほどの大きさだ。いびつなものもあるが、手にしてみるとその場で崩れて灰になるようなこともない。
瞳をキラキラさせてステラは俺がクッキーを口に運ぶのを待っている。
「ほら、食べて! ぐいっと一気に!」
黒焦げでないだけクッキーらしい見た目だが、あまり美味しそうには見えない。
「では、いただきます」
一枚食べる。
少女がぐいっと詰め寄った。
「ど、どう!? ちゃんとできてる?」
一瞬の間を置いて――俺の口の中を衝撃が走った。
辛い。
ただただ、辛い。口内で獄炎魔法を吹き上げる暴君のようだ。
塩気ではなく唐辛子系の味である。とてもじゃないが、小さな子供に食べさせて良いものではない。
「なぜこんなに辛いのでしょう?」
ステラはえっへんと自信満々に胸を張った。
「セイクリッドのレシピをもとに、自分らしさを込めてみたの。赤はあたしのカラーでしょ? 唐辛子をプラスしたことで発汗作用があるからカロリーも減るし! 食べるほど痩せちゃうのよ! すごくない!?」
すごく……美味しくないです。
お菓子を食べる甘いひとときの幸せを、欠片も持ち合わせていなかった。
「このクッキーは出来損ないですね。食べられません」
「えっ!? どうしてッ!?」
「教えたレシピを魔改造しすぎです。アレンジの領域を出てしまって、別物じゃありませんか」
料理が苦手な人がやらかしがちなミスの一つに“謎の自信から来る隠しきれない隠し味”がある。今回はまさにその典型例だ。
後世に悲劇を伝え過ちが起こらないよう聖典に書き加えたいレベルである。
「工夫したのよ? 唐辛子を氷結魔法で一度凍らせてから、爆発魔法で粉砕して練り込んだんだから!」
特(許)技(術)的に黒魔法を見事に無駄遣いしてくれたものだ。
「それに食感も重たいですね。指定通り生地をさっくり混ぜていますか?」
「ちゃんと混ぜてるわよ! 練れば練るほど色が七色に変わって楽しいんだから!」
少なくとも色が変わるようなレシピは教えていない。唐辛子以外に何が入っているのだろう。
「作る人だけが楽しむのではなく、食べる人の笑顔もきちんと思い浮かべてください。混ぜると練るではまったく違いますよ」
ステラはしょぼんと肩を落とした。
「じゃあ、このクッキーはやっぱりだめなの?」
「やっぱりとはどういう意味でしょう」
「あ、味見したんだけど、ちょっと辛いかもなぁ……って」
ちょっとどころではない。口の中が火事だ。香辛料をふんだんに使った南国の料理を思い出す味である。
俺は手にしたクッキーの包みに視線を落とした。
「仕方ありませんね。これから少し、私に付き合っていただけませんか?」
「え? お、お付き合いッ!?」
目をまん丸く開いてステラは呼吸を荒くした。
「香辛料の本場にご案内しますが……その前に、このクッキーをどうにかしましょう」
俺は一度私室に戻ると、戸棚から酒瓶を取り出した。
「楽しみにとっておいたのですが、仕方ありませんか」
秘蔵の赤葡萄酒だ。しっかりとした味わいの中に甘味が感じられる……辛い料理にぴったりの一本である。
それを手に聖堂に戻ると、ステラが心配そうに俺に訊く。
「そ、その瓶でクッキーを粉々に砕いて外に撒くのね!? 供養するのね!」
「まあ、クッキーだけではとても食べられませんが」
赤絨毯をまっすぐ歩きながら、扉を開けて外に出る。
「せっかくステラさんが一生懸命作ったのですから、このクッキーも誰かを幸せにしてもらいましょう」
魔王城の城門前には、巨大な魔物姿のベリアルがデンッと門番らしく構えていた。
巨獣の前に俺は立つ。
「何用だセイクリッド?」
「ステラさんのクッキーをお裾分けしようかと思いまして」
「それは僥倖……だが、その……人間よ、きさまが手にしている瓶はその……アレであるな? よ、良い酒ではないか? コルクの栓がしてあろうと、わたしの鼻はごまかせんぞ」
めざとく気づいて鼻も利く。
「ああ、これですか。ステラさんの焼いたクッキーに合わせるのに良いかと思いまして」
あっという間にベリアルの巨体が縮んで褐色美女に姿をかえた。甲冑姿ではなく、タイツのようなぴったりとした薄衣姿だ。
「い、いかんぞセイクリッド。わたしは門番の職務中だ。クッキーは良いが酒など飲もうものなら……ああ、やめてくれコルク栓を抜かないでくれ」
「おや、それは残念ですね」
振り返って聖堂に戻ろうとすると後ろから羽交い締めにされた。
柔らかい感触が背中に密着する。
「待たれよ! いや、どうかお待ちを!」
「ええ、待ちますから離してください」
力が緩まったところで振り返ると、俺はクッキーの包みとワインの瓶をベリアルに渡した。
――五分後
クッキーを食べて火を噴くような顔になったベリアルは、手刀でワイン瓶の口をスパッと開封するなり、たまらず葡萄酒で喉を潤した。
「辛ッ! 美味い! 酒! ぷはー! なんという取り合わせだッ! 辛いだけのクッキーがこれほど葡萄酒に合うとは!」
聖堂内からステラがちらちらと門番を見ているのだが、ベリアルは気づかず城門前にどかっと座って酒盛りを始める。
「ふぅ……辛くて熱くて汗ばんできたな」
タイツのような薄衣が汗ばみ始めると、ベリアルは焼け付くような息を吐いて、脱皮でもするように身体をもぞもぞとさせ始めた。
これは悪いクセの兆候だ。
「では、失礼します」
「待てセイクリッド! なぜ逃げる!」
脱ぎながらの絡み酒に付き合えるほど、俺は人間ができていない。ベリアルの側に向いたまま、縮地歩行で後ろに下がり教会に逃げ込むと扉を閉めて施錠した。
ドンドン! ドンドン!
扉を叩く音に混じってベリアルの「ともに飲み明かそうではないかー! セイクリッドー! 大人の付き合いというものがあるだろうー!」という声が響く。
聖堂に戻ってきた俺にステラが眉尻を下げて呟いた。
「ベリアルって門番に向いてないかも」
「そうですね。葡萄酒一本で籠絡されるようでは、安全保障に支障をきたします」
しばらくして、扉を叩く音が止んだので様子を見るために扉を開くと――
「ぐがあああああああ! すやあああああ!」
ワイン瓶を抱く美女が教会の前で横たわっていた。
全裸で。




