ベリアルさん最近○った?
――ある日の事。
教会の聖堂に女騎士の声がこだました。
「おい貴様! 私の悪口を言ったな!?」
薄褐色肌のスタイルのよい美女が、得物の三つ叉槍をこちらに向けて、ものすごい剣幕だ。
「これはベリアルさん。門番のお仕事はよろしいのですか?」
「勇者襲来がいつになるかもわからぬのだ! 多少は大目に見ろ!」
危うし魔王城のセキュリティ。管理責任者のダイナミック職場放棄である。
「では、ようこそベリアルさん。教会にどのようなご用件でしょう?」
「貴様を尋問しに来たのだ。蘇生も毒消しも解呪も必要ないからな!」
「はぁ……それはずいぶんと穏やかではありませんね」
「わたしは騎士だからな。正々堂々と勝負し、時には敗北することもあるだろう。勝敗は時の運だ。だが、許せないのだ!」
「なにがでしょうか?」
「裏で陰口を言われることは、この門番にして女騎士のプライドが許さぬ!」
門番の仕事そっちのけでクレームを入れに来たというのか。これはこっそり魔王軍参謀に就任した俺的にとっても、大変残念なお知らせであった。
「おかしな話ですね。私はベリアルさんの陰口など申しておりません」
「こ、このごに及んでシラを切るというのか? 聖職者が聞いて呆れるな」
槍の切っ先が喉元に触れる。
「軽く刺さってますよ?」
「刺しているのだ」
「どうにかその怒りをお収め願えないでしょうか?」
「陰口を言っていないというなら、証明してみせろ!」
「はぁ……では、僭越ながら。もし私がベリアルさんを言葉責めするのであれば、正面から正々堂々といたします」
槍の切っ先がスウッと引いた。
「くっ……一応納得できなくも……ない」
「ご納得いただけたようで」
「貴様は生まれながらのパワハラ体質だったな」
「誤解を招くような言い方はなさらないでください。私はほんの少しだけ、普通の神官よりも自分に素直なだけなのですから」
朗らかな笑顔で告げると、ベリアルは拳を握り締めて両肩をわなわなと震えさせた。
「では、いったい誰だというのだ!?」
「落ち着いてください。いったいどのような陰口だったのですか?」
「訊け神官よ。実はその……ええとだな……」
訊けと啖呵を切っておいて歯切れが悪い。
「自分が言われて傷ついた言葉です。口にするのもお辛いでしょう。ですが、原因を探るには必要なことです。さあ、告白してください」
講壇に立ち、光系の魔法で後光を発生させて両腕を広げる。これで俺の事をよく知らない一般人はイチコロである。
なぜかアコやカノンにやると「らしくない」「かっこつけているのでありますな」と、評判がよろしくないのが、不思議だった。
「光を背負うなッ! 眩しいだろう!」
「言ってもらわねば調査もできませんから、さあ!」
光量を50%ほど上げると、聖堂はまるで朝陽の中に飛び込んだかのような明るさだ。
「わ、わかった! こう言われたのだ! わ、私が……丸くなった……と」
「ああ、それでしたら私が言いました」
「やはり貴様ではないかああああああ! あと眩しいからもうその光るやつをやめろおおおお!」
しぶしぶ光量を90%ダウンさせると、ベリアルの形相がすぐ目の前に迫っていた。
「やはり陰口をたたいていたのではないか?」
「陰口……ですか?」
「私のどこがま、ま、丸くなったというのだ!?」
「どことは申し上げにくいのですが、全体的にふんわりとした印象になられたかと」
「ふ、ふざ、ふざけるなああああ! 貴様はアレなのか? 女性は少しくらいその……ま、丸い方が良いとかそういう……」
一人興奮で息も荒いベリアルだが、何か勘違いをしている様子だ。
「いいですかベリアルさん。陰口とは本人のいないところで悪口を言ったり悪評を立てたりすることです。私がしたのはベリアルさんの良いところをベリアルさんのいないところで広めたわけですから」
「じ、自覚もなく……上級魔族の心を殺しに……デストロイヤーの二つ名は伊達ではないな」
くふっ! と、吐血でもしたかのような息を吐き、ベリアルは赤い敷物の上に膝を屈した。
「本人を前にして良いところを褒めるのは、それはそれで効果があると思います。口にしなければ伝わらないものですから。ですが、ベリアルさんの場合は褒めても私を警戒して、言葉を素直に受け取ってくださいません。そこで一計を案じたというわけです」
「ぐはあああ!? 策略を巡らせて私を陥れたというのだな?」
「それに丸くなられたのは事実ですし。許容量が増えたと言いましょうか」
「やめろおおおお! き、貴様が時たま持ってくる美味い酒とツマミと、それからステラ様とニーナ様にお付き合いして食べる甘いアレやコレやのせいなのだ!」
頭を抱えて前屈みになるとベリアルは自身のお腹のあたりに視線を落としてから、再び悶絶した。
なるほど。意外にも、丸くなったのは食べ物の影響だったらしい。
美味しいものを食べることで幸せを感じたことにより、ベリアルは精神的に成長し心の許容量が増えたのだ。おかげで、もろもろ正体が判明したあとでも、アコたちとも普通にやりとりできている。
かつて、俺がこの地に足を踏み入れた当初の、屈強な魔王城の門番だったベリアルも丸くなったものである。
「では、これからますます丸くなっていただけるよう、この世界のありとあらゆる美味しいものとお酒をお持ちいたしましょう」
「じゅる……や、やめて……くれないか? こ、これ以上、丸くなるわけにはいかぬのだ」
女騎士が今にも「くっ……殺せ!」と言い出しそうなその時――
「あー死んだ死んだ」
「アコ殿はレベル1になった自覚が足りないであります」
「ごっめーん♪ てへぺろ」
大神樹の芽に二つの魂が舞い降りた。
「蘇生魔法×2 以下略」
アコとカノンが復活する。と、同時に、俺の足下に屈して息も絶え絶えなベリアルと鉢合わせになった。
「ちょ! ベリアル殿大丈夫でありますか?」
「ちょっとひどいよセイクリッド!」
もはやこちらが蘇生と復活した時の「死んでしまうとは情けない」的な文言すら、以下略でまとめてしまっていることにすら、勇者も神官(先日、教皇ヨハネの推薦で正式に見習いが取れた)も気にしていなかった。
「お二人とも、所持金はおいくらでしょう?」
アコが瞳をぱちくりさせる。
「もちろんキルシュがお財布持ってるからね!」
「この教会の運営は復活なされた冒険者のみなさまの厚意によってなりたっております」
「知ってるよ!」
急募:金持ちの大商人っぽい冒険者の魂。
そのままアコが俺の顔を指さした。
「それよりベリアルにひどいことしてたら、ステラさんに言いつけるからね?」
「私はベリアルさんの相談を受けていただけです」
カノンがベリアルの隣にしゃがんで訊く。
「それは本当でありますか?」
大神官の言葉を世間はもっと信用すべきである。
「い、いや、べ、別になんでもないぞ! だいたい二人ともふがいない! そんなことで魔王城に自力でたどり着けると思うなよ!」
立ち上がって胸を張ると、ベリアルは「かーっかっかっかっか!」と悪魔的な将軍っぽく高笑いをしてみせた。
女騎士の額ににじむ冷や汗がキラキラと眩しい。
ますます懐疑的な眼差しになって、アコが俺に詰め寄った。
「なんか様子がおかしいよ? ねえセイクリッド……本当になにもしてないの?」
「はい。私はただ、ベリアルさんが最近とても良くなったと……」
ベリアルが殺気の混ざった眼差しを向けてくる。
「具体的にどう良くなったかはあれなのですが、ともかく褒めていたところです。褒められるのに弱いようで、ベリアルさんはあのように……」
すると、アコが「あー、わかるー! セイクリッドに褒められると、あとでお金とかとられそうだし」と納得した。
大神官の信用……プライスレス。
ともあれ事なきを得た……と思いきや。
「そうでありますな! ベリアル殿はすばらしいであります! かつて氷牙皇帝を僭称する不届きな上級魔族の城に討ち入りした時も、自分とアコ殿を教官のように鍛えてくださったのであります!」
ベリアルが眉尻を下げた。
「あ、あれは貴様たちが弱すぎてだな……つい」
アコが微笑み返した。
「けど、おかげでボクらもちょっとだけ強くなれたよね! いろいろ超えたっていうかさ」
ベリアルの眉がピクンと動く。
「肥えた……」
さらにアコは続けた。
「アイスバーン城の戦いは、あのあとラスベギガスの町でちょっとした英雄譚になったんだよ!」
「アコ殿が自分で言いふらしたのでありますな」
「あれ~! そだっけ?」
まあ、この勇者なら仕方ないと思えるのだが、本来対立するべき立場の勇者と魔王城の門番も、この教会内では自然と非戦協定の雰囲気だ。
「フン……ともかく、とっとと帰って強くなって出直すことだな」
「そうだ! ねえベリアルも一緒に冒険しようよ?」
「なぜそうなる。私がいては貴様の訓練にならぬだろう」
「そうでありますよアコ殿。ただ、一緒にパーティーを組んでいただいた時は厳しさの中にも優しさを感じたであります」
神官少女の眼鏡がキランと光る。
「くっ……わ、私に優しさなどない」
ああ、なるほど。道理でベリアルが丸くなったと言われて激怒したか、やっと理解できた。
「そうでしたか。ベリアルさんは丸くなったと言われると、上級魔族として恐れられなくなると危惧なさっていたのですね」
「貴様ああああああああ!」
再び槍が今度は本気で喉を刈りに来たため、上半身を水平に反らしてリンボー回避する。
「避けるな聖職者ああああ!」
「落ち着いてください。ベリアルさんは丸くなどありません。全然丸くないですから安心して門番のお仕事を勤め上げてください」
アコとカノンが互いに顔を見合わせると「あー! 確かにあの頃よりずっと丸くなったかも」「そうでありますなぁ」としみじみと呟いた。
「ぐふおぁっ!」
何もされていないのにベリアルさん吹っ飛ばされたー! そのままよろよろと長椅子に寝そべりうつ伏せになってしまう。
「もういい……私なんて……私なんて……」
拗ねてしまったようだ。
さらにオカッパ眼鏡さんが追撃に入る。無自覚に。ピュアな瞳で。
「それに丸くなる前から、ずっと面倒見というか、同じパーティーで一緒に戦ったから解るのでありますが、ええと、誰かがピンチとみるや、すかさず助けてくれるのでありますよ!」
アコも腕組みして頷いた。
「うんうん、わかるわかる。あれはなんていうのかな……そう! カバー! ベリアルってすごいカバーなんだよ!」
「そうでありますな! カバーのベリアル殿と二つ名がついてもいいほどのカバー力であります」
あれ? ベリアル泣いてるの? 褒められすぎてうれし泣きだろうか。
「ベリアルさん、こんなに褒められているのですから、喜んでも良いではありませんか?」
うつ伏せでふて寝状態から一転、立ち上がって女騎士は吼えた。
「誰がカバだああああああ!」
ムクムクムクと、牛モードに膨らんでいくベリアルにアコもカノンもその場でぺたんと床に尻餅をついた。
「うああああ……やっぱり苦手かも」
勇者アコのトラウマ――玄関開けたら二秒でベリアル事件が甦ったようだ。
「や、やっぱり迫力がすごいでありますな。どんな上級魔族よりも威圧感がはんぱないであります」
圧倒された勇者と神官少女の言葉を耳にした途端――
「と、と、当然だろう。よし、二人は生かしておいてやる」
牛ベリアルはまんざらでもなさそうに、頬を人差し指でぽりぽりと掻く。
「だがセイクリッド貴様だけは許さん! 表に出て勝負しろ!」
「私にはベリアルさんと戦う理由がありません」
「う、うるさい!」
怖がられるのが門番の仕事ということならば――
「おー怖い怖い」
「そういう所だぞ! 今さら怖がったふりなどするなッ!?」
作戦失敗。大神官といえど、出来ないこともあるのだ。
「さあ勝負しろッ!」
魔獣ベリアルの咆吼は聖堂内を揺るがすほどだった。
そこへ――
「ベリアルおねーちゃ! お仕事はおさぼりですか?」
魔王城の方から、金髪幼女がやってきた。
ベリアルが所定の場所にいないのを気にして、様子を見に来たようである。
「に、ニーナ様……こ、これはその……おさぼりなどではございません!」
「そっかー。じゃあ大丈夫だね?」
「は、はい! 私は大丈夫です。丸くもなければカバでもありませんから」
「あれぇ? セイおにーちゃは、ニーナに『ベリアルさんは丸くなられました』って教えてくれたけど、ちがったのかぁ」
ベリアルが丸くなったと良い評判を広めるため、ニーナに言ったのがそのままベリアル本人に伝わり、現状が完成したらしい。
猛牛がこちらに向き直る。
目は血走り鼻息は荒かった。
「や~は~り~き~さ~ま~か~……GRUUUUUUUUUUUUUUUAAAAAAA!!」
「申し訳ございません。穏やかに人当たりも良く丸くなられたというつもりだったのですが、魔族のベリアルさんにとっては恐れられることが重要だったのですね。今回は私が全面的に間違っていました。謝罪いたします」
そっと頭を下げると――
「ほ、ほ、ほぅ……ではその……精神的に丸くなった……と言いたかったのだな?」
「はい。あの、それ以外にも何か?」
「むぅ……無いぞ! 何も無いからな! よ、よぅし。今回だけは許してやろう」
急にベリアルが寛容になったので頭を上げる……と、屈強な魔獣ベリアルの姿が、地方のゆるキャラのように物理的に丸くなっていた。
ああ、デレると丸くなるんだ。魔族って不思議だな。




