その頃、ニーナは……
王都より南方の群島地域にある町――エーゲの地に私は降り立った。
町の外れにあるため大神樹の芽の影響力は低く、島国ということで独自の文化を持っており、まだ住民たちに無気力症状は現れていない。
潜伏先にはうってつけだった。
「わあああ! 海だあああ!」
深く澄んだ青い水面にさざ波が揺れて、陽光をキラキラと反射する。湾を囲むように白壁の家々が建ち並んでいた。
浜辺を指さして彼女は俺に微笑みかける。
「おにーちゃ! 今日は海ですか? しおひがりですか?」
「…………」
「あれ? えっと……おねーちゃはいないの?」
「いない。お前は誘拐されたんだ」
「ゆーかい?」
「それに私は……」
彼女――幼い魔王の妹にとって、俺は良く知る“顔”なのだ。
「別のおにーちゃなの?」
「そうだ」
「そっか……ニーナね、おにーちゃがいきなり案山子のマーク2さんと、たたかいごっこして驚いちゃったから、そのときにあれ? って思いました」
「…………」
幼女はちょこんとお辞儀をした。
「セイおにーちゃとまちがってごめんなさい」
「なぜ謝る?」
「ちゃんと、あいてをみてなかったからです!」
幼女はハキハキと応えた。
「あのあの、それでニーナは、ニーナっていいます」
「知っている」
「よかったぁ」
「なぜホッとする」
「ちゃんとしっててもらうと、うれしいって思うから。だから、おにーちゃのお名前を教えてください!」
「名前などない」
「じゃあじゃあ、なんて呼んだらいいかなぁ」
腕組みすると幼女はらしくもなく、眉間にしわまで寄せて真剣に悩み始めた。
なぜ攫った俺のことで彼女は悩んでいるのだろうか。
「ひ、ヒント! あのね! なにかヒントをください!」
「ヒントだと?」
「たとえば、どこで生まれたとか、なにが好きとか! ニーナはね、どこで生まれたかわかんないけど、おねーちゃの妹さんで、セミが好きです!」
つっかえつっかえになりながら、幼女は俺の顔をじっと見上げた。
宝石のように青い瞳をキラキラとさせて、返答を待っている。
「私はここに良く似た別の世界からきた」
「うーん、むずかしくてわかんないかも」
「人間ではない」
「も、もっとぐたいてきにていあんしてください!」
「なんだと?」
「ニーナは人間で、おねーちゃは魔族で、ぴーちゃんはゴーレムだから!」
彼女の周囲には、やはり様々な種族が集まるようだ。
以前と同じだった。
その愛らしさも、無邪気な笑顔も、純粋さも。
ここは私の居るべき場所ではない。すでに私の世界は消えて無くなったのだ。
「私は……ゴーレムだ」
「じゃあ、ぴーちゃんといっしょだね!」
「……試作二号機」
「にーちゃん? それだとセイおにーちゃとまぜるな危険かも」
「名前など必要ない」
幼女が首を小さく左右に振る。
「あるよ! ちゃんとお名前がなかったら、呼んでもらえないから! ニーナはお名前は、とっても大切だと思いました」
なぜ過去形なのだろう。いや、こういう口振りをする娘だったか。
「なんて呼んだらいいですか?」
「好きにしろ」
「じゃあじゃあ……えっと……ごーちゃん!」
「ごーちゃん……だと?」
「うん! ゴーレムのおにーちゃだから、ごーちゃん!」
後に私以外のゴーレムの男が出てきた場合、どうするのだろうか。私がゴーレムの代表のようになってしまうのだが、それでいいのだろうか。
なぜ、私はこんなことを考えてしまうのだ。目的を忘れるな。使命を果たさなければならない。
「あのねあのね、ごーちゃんの名前の秘密、わかりますか?」
「私がゴーレムだからか」
「ええぇ……すぐわかっちゃったかぁ」
小さく口を尖らせて幼女はがっかりという顔だ。だが、すぐに胸を張って手を上げると、指を二本立てる。
「だけど、もういっこあります!」
「興味はない」
「ニーナはあります! なにかなぁ? なにかなぁ?」
自分が置かれている立場を彼女は理解していないのだろうか。獲物を狙う猫のようにお尻のあたりをフリフリさせてから、幼女は万歳してみせた。
「じゃじゃーん! 実は、ぴーちゃんとお揃いなのです! ぴーちゃんと、ごーちゃん! ちょっと似てる感じだけど、ちゃんとちがうでしょ?」
「それがどうしたというのだ」
「ぴーちゃんもゴーレムだから! あれ? どうしたの、ごーちゃん?」
「どうもしないが」
「だって、泣いてるよ?」
私の頬を液体金属の雫が滑り落ちた。この身体は生物と無機物の合成体だが、涙を流す機能など有していない。
だというのに、思い出してしまった。
かつてここではないこの世界で、私を守ろうと身を挺したゴーレムの少女の背中を。
あの災厄がなぜ引き起こされたのかはわからない。
魔王城を中心に世界が闇に呑み込まれ全てが消え去る……はずだった。
試作六号機……彼女のおかげで俺は生き残り、エミルカによってこちらの世界にサルベージされたのだ。
もう二度と、同じ過ちを繰り返さぬために。
「ごーちゃん元気だして。しゃがんでください」
「命令するな」
「むー! ごーちゃんは強情の、ごーちゃんですか!?」
なぜか怒られてしまった。幼女の機嫌を損ねると、町を行く人々が足を止めこちらに注目する。あまり騒ぎは起こしたくない。
ひざまずくと幼女は俺を抱き寄せて、そっと頭を撫でた。
「いいこいいこ。ごーちゃん素直になれました。えらいです」
「なぜこんなことをするのだ」
「ニーナはこうしてもらうと、とってもうれしくて、ほっとするからです。いや?」
「嫌では……ない」
「だれかにしてもらってうれしかったこと、よかったこと、たのしかったことをできる、そんな大人にニーナはなりますように」
自分のことだというのに、流れ星に願うような口振りだ。
ますます町の住人たちの視線が集まってしまった。
ところで――
くきゅうううう
と、幼女のお腹が悲鳴をあげた。
「あうぅ……おやつ食べてなかったかも」
人質の身の安全は確保しなければならない。ましてや殺してしまっては価値もなくなってしまう。大人しく従わせるためにも、丁重に扱うのは合理的な判断だ。
「食事にしよう。私がごちそうする」
「え!? いいの!?」
「それが合理的と判断したためだ……だが」
気になることがあった。誘拐について理解しているか定かではないが、もし自分が誘拐された立場で、空腹となれば「元いた場所に帰りたい」と言うだろう。
膝立ちの姿勢から立ち上がった俺の手を握って、幼女は俺の言葉を待つ。
「なぁに?」
「帰りたいというのが通常ではないか?」
「あのね、えっとね……うん。ニーナもちょっと思ったの」
「ではなぜ、そう言わないのだ」
「えーと、ごーちゃんが泣いちゃったから、ニーナは心配なんだ。それにね、案山子のマーク2さんとケンカしちゃって、なんだかちょっとたいへんそうだから」
「そんなことか」
「ケンカしちゃうと、ちょっと困るから。そういう時は、れーきゃくきかん? を、おくんだって。ステラおねーちゃね、いっつもセイおにーちゃとケンカになっちゃうから、れーきゃくするの。だから、その時はニーナがステラおねーちゃのそばにいてあげるんだ」
「冷却は重要だ」
「そしたらステラおねーちゃね、すぐに元気になって、またセイおにーちゃのところに行けるの! ニーナはステラおねーちゃとセイおにーちゃが仲良しだと、とっても嬉しいですから」
だから私のそばにいるというのか。
得体の知れない、あの青年と同じ顔をした別の……人間ですらない私を信用するなんて、非合理的だ。
「ありが……とう」
なぜ自分の口から感謝の言葉が漏れたのか、それが解らなかった。
「教会」コミックス二巻は本日発売! 新エピソードもニコニコ静画とコミックウォーカーで11:00更新予定!
原作も更新がんばるんで、みんな応援してね!




