※Pルート ひみつのヨハネちゃん
教皇聖下への謁見は、それからすぐに日程が決まった。
教皇庁の奥の院にある聖下の謁見室で、赤い敷物の上にひざまずき俺は頭を垂れたまま待った。
教皇ヨハネは壇上。薄いベールの向こう側だ。玉座のような椅子にかけた、彼女のシルエットだけが浮かんでいる。
姿も素顔も隠しているにも関わらず、大魔王が如き威容があった。
だが、その姿を俺は知っている。
人前に出られぬのも、大神樹の影響を強く受けすぎてしまったからだ。
側近の修道女がヨハネに資料を献上してから、十分が過ぎようかというところで――
「ふぅ~ん。ちょっと資料としての説得力には欠けるわねぇ」
大聖堂から賛美歌とパイプオルガンの音色が遠く聞こえる謁見の間に、ヨハネの肉声が響いた。
「二人で話すから、窓を閉めてちょっと出てなさい」
お付きの修道女はスッと会釈をして、開け放たれていた窓を閉じると退室した。
人払いを済ませてヨハネが告げる。
「セイくんも楽にしていいわよん」
「では、お言葉に甘えて」
俺は立ち上がった。
「お気に入りの小鳥がどこかに行っちゃったみたいなのよねぇ」
「存じ上げております、姉上」
「あら? いつものセイくんなら、唐突になんのことやらって困惑するのに。反応がつまらないわ」
さすが教皇聖下というべきか、我が姉というべきか。大神樹との絆の強さもあってか、記憶にないはずの小鳥――密偵のラヴィーナの存在を、感じ取っているようだ。
「姉上はラヴィーナという名に聞き覚えはありませんか?」
ベールの向こうから返答はない。しばらく沈黙が続いた。
「なるほど……そう……ええ……わかったわ」
誰かと会話をしているような独り言をヨハネは呟くと、一呼吸置いて凛とした声が響いた。
「セイくんってば……やっちゃったわね」
「なにをでしょう? 心当たりが多すぎて見当もつきません」
「まったく口が減らないんだからぁ。全部おねーちゃんに任せておけばよかったのに、最終魔法をそんな使い方して二周目だなんて……ま、さすがヨハネちゃんの弟くんね」
ヨハネは大神樹――光の神と交信して現状を把握したようだ。
当事者でもなく、説明を受けてもにわかに信じられない状況だろうに、すぐに理解してしまうあたり、この姉には生涯かけても勝てないと思う。
「そっか……セイくんが小鳥を見つけてくれたのね。けど、ラヴィーナはまだこっちの世界に意識を飛ばせるだけだし、戻すにはあの娘を隔離した元凶を叩かなきゃ無理みたい」
エミルカを倒せばラヴィーナは帰ってくる。これは朗報だった。
「そこで全てを理解した上で、姉上にも一肌脱いでいただきたいのです」
「一肌もなにもセイくんがこんなにがんばったんだもの。全裸のマッパになってあげちゃうわ」
「全面的に協力してくださるということですか?」
薄いベールの向こう側で、ヨハネは首を左右に振った。
「お姉ちゃんが代わってあげるわん」
「代わる……ですって?」
「そうそう。最終魔法の対価になってあげるっていう話。だからその分、セイくんはみんなと未来に進んで……」
どうやら、俺がこの先、あと数日のうちに消えることをヨハネは理解したようだ。
「そうはまいりません。私は……俺は姉上を救うために戻ってきたんだ」
「人はいつか死ぬのよん。だからねセイくん……最終魔法の発動はお姉ちゃんの命を使ってほしいのよ。ね? ヨハネちゃんは伝説になるから。セイくんは普通の人生を生きなさい」
「嫌だよ……二人きりの姉弟だろ」
俺は壇上に上がるとカーテンのようなベールをくぐった。
その姿は、一度見ていてもやはり痛ましいものがある。
「あら、んもーセイくんったらデリカシーがないんだから」
長い銀髪の少女の姿があった。
ヨハネは教皇になった時から、まるで時間が止まったかのように小柄な少女のままだった。
俺と別れてから、彼女は成長していなかった。
法衣や冠でシルエットを嵩増ししていたのだ。
ゴーレム素体の姿は、彼女が成長した姿を予想して作られたものだった。
「姉上……」
「もう、二周目なんだから別に見慣れちゃったでしょ。けど、ちょっと恥ずかしいの。こっちはこの状況って初めてなんだし」
彼女の手の甲や顔の半分が樹皮に覆われていた。
ヨハネが奥の院から出ることなく、ゴーレムの素体を各地に送り込むことで公務をこなしていた本当の理由を、俺はもう知っている。
「最近、背中から枝まで生えてきて、蕾がついて、お花なんて咲いちゃうのよ」
まるで妖樹に取り憑かれたかのようだった。
彼女の目元にも小さな桜色の蕾があった。それがふわりと花開く。
俺はヨハネを正面からギュッと抱きしめ、抱き上げた。
「ん……セイくん……ちょっと……こんなに力が強くなったんだ……成長したね」
「頼むから俺の代わりになるなんて、もう二度と言わないでくれ。これは俺が始めた戦いなんだ。自分のケツくらい自分で拭くさ」
「あらあら、大神官がそんな汚い言葉を使っちゃだめよん♪」
「必ず救うよ」
「セイくんがいなくなっても、みんな悲しむんじゃないかしら? お姉ちゃんらしいこと、させてくれてもいいじゃない」
「ヨハネは独りで全部抱えて、ずっとずっとがんばってきた。もう……いいんだ。これ以上がんばらなくて……」
ヨハネの頬を涙が伝う。
「うふふ♪ 涙が出るくらい嬉しいわ。ありがとうセイくん。もう……止めないから。思うままやってごらんなさい」
俺の頭を撫でてヨハネは微笑んだ。それ以上、お互いに言葉はなかった。
きっと俺が失敗すれば、ヨハネがその身を犠牲にしてでも救うだろう。
そうさせないためにやり直してきたのだ。
失敗は許されない。
だが……俺の死が魔王覚醒の引き金になる可能性だけが、心に引っかかり続けた。
 




