ひみつのヨハネちゃん
教皇聖下への謁見は、それからすぐに日程が決まった。
クラウディアの指示により集められた情報の数々を、ぴーちゃんが再構成し、より詳細な無気力症状の分布図としてまとめあげる。
合わせて各地のメイド女学院卒業生たちからの声も上申することにした。こちらも数は膨大だが、その数こそが武器になる。
俺一人では到底無理な話だ。たくさんの人々の力で数多の声を拾い上げたが、それすら一部だろう。
それでも訴えを上げるには、俺一人の言葉より万倍の説得力がある。
では、何を訴えるべきか。
教皇庁の奥の院にある聖下の謁見室で、赤い敷物の上にひざまずき俺は頭を垂れたまま待った。
教皇ヨハネは壇上。薄いベールの向こう側だ。玉座のような椅子にかけた、彼女のシルエットだけが浮かんでいる。
姿も素顔も隠しているにも関わらず、大魔王が如き威容があった。
側近の修道女がヨハネに資料を献上してから、十分が過ぎようかというところで――
「ふぅ~ん。だいたい解ったわ」
大聖堂から賛美歌とパイプオルガンの音色が遠く聞こえる謁見の間に、ヨハネの肉声が響いた。
ゴーレム素体や大神樹の芽を介さない声は、久しぶりだ。
「二人で話すから、窓を閉めてちょっと出てなさい」
お付きの修道女はスッと会釈をして、開け放たれていた窓を閉じると退室した。本来なら教皇聖下には護衛がつき、謁見者は監視されるものである。
大神官であり教皇の弟である俺には、それらは必要ないらしい。
が、そもそも最強の人物に護衛がつく必要があるのだろうか。
「セイくんも楽にしていいわよん」
「では、お言葉に甘えて」
俺は立ち上がった。
「お気に入りの小鳥がどこかに行っちゃったみたいなのよねぇ」
「聖下、脈絡がなさ過ぎて私には理解できないのですが」
「セイくん! 二人きりなんだし、お姉ちゃんとかお姉様とか、もっと家族らしく呼んでくれなきゃダメじゃない?」
「は、はぁ……では姉上……」
ここは素直に従っておかなければ、話がややこしくなるところだ。
「んもー! 相変わらず可愛くない弟ちゃんなんだから」
「小鳥とはなんの暗喩でしょう?」
「うふふ。小鳥は小鳥よ。青い小鳥なの。たしか……そう、窓際によくとまって、ヨハネちゃんにさえずり歌ってくれたの。今、世界がどれだけ美しいかとか、どこに悲しむ人がいるかとか……」
間者か何かを鳥に例えているのだろうか。
「ほら、ヨハネちゃんって基本的に教皇庁から出ないでしょ? だから小鳥の歌声はとっても心地よいものなのよ。外の世界の風や匂いを運んでくれるから」
「外に出られればよろしいではありませんか?」
「立場上、そうもいかないのよ。だからゴーレムなんかつくって遠隔操作で出張するようにしてるんじゃない?」
「先日の女王戴冠の儀も……ですか?」
「んふふ~ん♪ よくできてると思わない? 動作もスムーズになったし、近くから見てもほとんど人間みたいでしょ? 管理局の技術開発部で作られるゴーレムが、最近どんどん改良されてるのよね。どこかで実地試験でもしてるのかしら?」
ロリメイドゴーレムこと、ぴーちゃんも内部情報の書き換えで性能が上がると言っていたのを思い出す。
「技術の進歩はめざましいものですね」
「さっきからセイくんってばお姉ちゃんに冷たくない?」
本題に切り込むタイミングを間違えて、ヘソを曲げられたくはないのだが……あまりのんびりともしていられない。
「聖下……資料には目を通していただけましたでしょうか?」
「王宮まで動かすとは思わなかったわ。これが政治的にどういった意味を持つかは、当然理解してるんでしょうね? セイくんの一存ってレベルじゃないわよ?」
王宮と教皇庁の軋轢になることはわかっていたことだ。
「大神樹の芽を通じて、人々の心が病みつつある……その真相を究明するには聖下のお力添えが必要なのです」
「身内を疑うなんてひどい弟がいたものね」
「大神官としては、現状を看過できかねます」
「大神官だって教皇庁の一員で身内でしょ?」
「姉上! 倒すべき魔王軍など世界のどこにも存在しません。それはらは人々の心の中にある不安なのです!」
「不安の解消には教皇庁も対応にあたってるわよん♪」
「成果は芳しくないようですが」
「あ! 聖下と成果をかけてる感じ?」
「いえ、そのようなつもりでは……茶化さないでいただけないでしょうか」
ベールの向こう側でヨハネは微動だにしない。
「あなたの役目ってなにかしら? 世界を護ること?」
「そ、それは……」
「出過ぎた真似ってことなのよねぇ。魔王城前の教会で魔王を監視しながら、勇者が自力でたどり着くのを待つのが仕事でしょ?」
「仰る通りです」
「で、その魔王に動きは無し。それだけ報告してくれれば良かったのに、ずいぶんと国民の声を集めてくれちゃったものね」
「今すぐ、大神樹管理局に停止命令をお下しください」
「それがセイくんの結論かしら?」
「冒険者たちも活力を失い、冒険に出ている者も少ないでしょう」
「その数少ない冒険者たちが死んだ場合、大神樹システムが稼働していないとどうなるかしら?」
「魂の回収はできず……そのまま死亡いたします。ですが停止の告知を今すぐ行い、可能な限り事故を減らすことで……」
俺の心臓が早鐘を打つ。俺が考えることなどヨハネもとっくに考えているのだ。だが、実行に
移せない理由も、冷静になればわかっていた。
「セイくんもわかってるんじゃないかしら? そんなことをすれば世界の均衡が崩れて、どこかの上級魔族なり魔王候補なりが町や村に攻め入るわよ? 冒険者の抵抗がないなんてチャンスだものねぇ」
今の世界の平和が維持できているのは……人間が魔族に対抗できるのは冒険者が復活するからだ。一時的とはいえ、それがなくなると国中に触れ回れば、連動して動き出す野心的な魔族がいてもおかしくはない。
ヨハネは続けた。
「いつ、どこで、誰が攻めてくるかわかればいいけど、同時多発的に世界中で独立した上級魔族が一斉蜂起したら、さすがのセイくんでも倒しきれないでしょう?」
「はい……聖下の仰る通りです」
「それにもし、大神樹システムを止めちゃうにしても、国中の民が元気になったかどうか経過を確認するのに一週間くらいかかるんじゃないかしら? 一週間も無防備宣言なんて無理よねぇ。冒険者だって死んでも生き返れるから戦えるんだし」
返す言葉が無かった。
「さらに言っちゃうと、もしそれで症状が治らなかったら大変よねぇ。大神樹システムの再起動にまた時間もお金も人員も莫大にかかっちゃうわけ。この世界はすっかり依存しちゃってるのよん♪ 一度手に入れた便利を手放すなんて無理無理ってこと」
「ですが……」
「貴族や大商人に特権として冒険者と同じく、魔族との戦いや事故みたいな寿命ではない死からの復活を約束してるから、教皇庁は権威も権利もリスペクトもされてるのも、賢いセイくんならわかってるでしょ?」
「で、では部分的に停止するのはいかがでしょうか? 防備がおろそかになる地域については、私が防衛に努めます」
「ん~技術的な問題はヨハネちゃんの専門外だからわからないけど、部分解除ができるんなら、とっくに管理局がやってるんじゃないかしら?」
拳を握る手が震える。どうすることもできないというのか。
「しかし、このままでは……」
「セイくんが責任感じることないんじゃないかしら?」
「私個人が責任を感じることすらおこがましいことです」
「まぁ強情ね。おこがましいと思いつつ行動しちゃうなんて。たかが大神官が世界の危急を救おうだなんて傲慢だわよん♪」
「でしたら……聖下……いえ、姉上……どうか……世界をお救いください」
「んふふ~ん♪ 最終魔法でも使えっていうのかしら。それはね……本当に最後の手段だもの」
ずっとおちゃらけていたヨハネの声のトーンが、ぐっと抑えたものに変わった。
そうか。だから動かないのか。
「もしや姉上は、その力で世界を?」
「手を尽くしてもどうにもならない時があるから、教皇なんて役職があるのよね。だからこれは遺言と思って訊いてちょうだい」
「縁起でも無いことを……」
「人はいつか死ぬのよん。で、もしヨハネちゃんになにかあったら、セイくん……あとはよろしくね? あはははん♪」
今、ヨハネはどんな顔をしているのだろう。
ベールが邪魔をする。もしかすれば、笑っているのは声だけかもしれない。
「姉上、失礼します」
俺は壇上に上がるとカーテンのようなベールをくぐった。本来であれば許されざる行為だ。
数年ぶりに再会したヨハネの姿に、俺は息を呑んだ。
「あら、んもーセイくんったらデリカシーがないんだから」
そこには長い銀髪の少女の姿があった。
ヨハネは教皇になった時から、まるで時間が止まったかのように小柄な少女のままだったのだ。
俺と別れてから、彼女は成長していなかった。
法衣や冠でシルエットを嵩増ししていたのだ。
ゴーレム素体の姿は、彼女が成長した姿を予想して作られたものだった。
「姉上……」
「見られちゃったかぁ。これじゃ妹みたいじゃないの恥ずかしいわねぇ」
それだけではない。
彼女の手の甲や顔の半分が樹皮に覆われていた。
ヨハネが奥の院から出ることなく、ゴーレムの素体を各地に送り込むことで公務をこなしていた本当の理由が、これか……。
「最近、背中から枝まで生えてきて、蕾がついて、お花なんて咲いちゃうのよ」
まるで妖樹に取り憑かれたかのようだった。
彼女の目元にも小さな桜色の蕾があった。それがふわりと花開く。
「呪いでしたら私が……」
「そんなわけないでしょ? 解けるものなら自力で解くわよ。これは祝福なのよん♪ 大神樹と光の神に仕える最初の人間……その威光を広める者として……歴代の教皇が多かれ少なかれ背負ってきたことなの」
「ですが、これまでの教皇はそのような姿になど……」
「ほらヨハネちゃんって歴代教皇の中でも最強クラスでしょ? より多くの祝福を得てるから、仕方ないかなって感じなんだけど。色々できないかヨハネちゃんなりに大神樹と交流してみたんだけど、祝福度が上がっちゃって最近はもう、なんだか自分と大神樹の境界線が曖昧? って感じかしら。そのうち、ヨハネちゃん自身が大神樹の芽になっちゃうかもしれないわね……なんだかそうなるような夢のお告げも、ここのところ毎晩見てるし」
「夢……ですか?」
「夢占いだと自分が木になる夢ってどういう暗示なのか、ヨハネちゃん気になるわん♪」
笑えない冗談だ。なのに――
彼女は左の口角だけを上げて笑った。右半身は祝福の影響で表情筋が動かせないらしい。
俺はずっと姉上を誤解していた。
何も手を打たずにいたのではなく、教皇聖下はその身をもって、世界を救おうとしていたのだ。
「んもー! 心配しなくて大丈夫よ。まだ足の感覚はあるんだし、ちゃんと立って歩いたりもできるんだから。魔法力なんて今までで最大級だもの。セイくんが三十人くらい束になってかかってきても、蹴散らせるんだから」
「姉上……俺は……」
「あ! セイくん泣いちゃうの? 昔の泣き虫セイくんに逆戻りかなぁ? 強い男になれるように、あれだけいっぱい鍛えてあげたのに」
「俺がいくら強くなっても……姉上がそんな身体になったんじゃ……」
「大丈夫よん。セイくんはこれまで通り、魔王ちゃんをみててあげてね。あの娘、時々すっごく不安定になるみたいだし。世界の方はヨハネちゃんがなんとかするから」
俺にできることはないと、先にくぎを刺されてしまった。
たった独りの肉親が、最悪……消滅する。最終魔法がどんなものかはわからないが、世界の均衡を保ちながら、蔓延する得体の知れない無気力症状を消し、人々に笑顔と活気を取り戻すことができたとしても――
最終魔法は使った者の魂を犠牲に放たれるのだから。




