※Pルート 慎重聖者
クラウディアへの謁見を済ませたところで、俺は王宮から教皇庁へと足を向けた。
しんと静まり返った教皇庁内の渡り廊下を、独り歩く。
行き先は決まっていた。知者の書塔だ。
廊下を渡りきったところで、14~5歳くらいの、神官見習いらしき少年とばったり出くわした。
「こ、これはセイクリッド様! 本日も技術開発部にご用事ですか?」
「……ええ、まあ」
「あ、やっぱりそうだったんですね! ただ、主任は今、王宮からの要請で出向中でして」
「でしたら待たせてもらいます。お気遣いなく」
少年に会釈して、俺は庁内の廊下を歩き出した。
回廊を抜けて書塔にたどり着く。
中に入ると、俺は壁に面した奥から三番目の書棚に向かった。
上から四段目の赤い背表紙の本を押し込む。
書棚が音を立ててスライドし、その先に地下へと通じる隠し階段が姿を現した。
すべて、ルルーナの身体を借りて仮初めの復活をした姉――ラヴィーナから訊いた情報通りだ。
エミルカ不在の今、情報を得るのはこの時をおいて他にない。
らせん状の階段を降りて地下室の扉の前に立つ。
施錠はされていなかった。
扉を開けると、薄暗い研究室だ。
かすかにコーヒーの香が漂っていた。
研究室の奥に、人影があった。長い銀髪の男が、俺を見るなり手中に漆黒の刃を生み出す。
「なぜお前がここにいる」
男から、かすかな動揺を感じた。
「貴方とお話できたらと思いまして。賢者さん」
「…………」
「世界を救うため、貴方はこの世界の憎しみ全てを背負って、魔王に代わり倒されようとしています」
「――ッ!?」
かすかな動揺が大きなものへと変化する。隙無く身構えていた黒い刃は、俺の言葉を訊いた瞬間、雲散霧消した。
「エミルカに、そうすればこの世界を救えると言われているのですよね?」
「戯れ言を……」
「ある占い師がかつて言っていたのですが、ここに良く似たこことは違う世界が無数に存在するそうです。貴方は別の世界からやってきたのではないでしょうか?」
「なぜ……それを……」
男の肩が震える。自分と同じ顔をしているので、少々やりづらくもあるが続けた。
「救おうとして救えなかった世界がある。だから、せめて……この世界の貴方の後輩だけは救いたかった。違いますか……マーク2さん?」
かつての自分なら、とんでもすぎて思いつきもしなかった。だが、もし目の前の賢者が別の世界の記録水晶……マーク2だとすれば、その戦闘力も世界を救おうとすることも、自分自身を犠牲にすることさえも、全てが符合するのだ。
「お前はいったい……」
「ただの大神官です。が、貴方でしたら、こう言えば理解してくれるでしょう」
「…………」
「私は二周目です」
「そういうことか」
男の声色は落ち着いたものに変わり、俺への警戒もフッと溶けて消えた。
「なにを“視て”きた?」
「残念ながら、世界の終わりに立ち会いました。私も救いたい一心で、犠牲を前借りして戻ってきたのです」
「そうか……エミルカは……私を……俺を……裏切るのか?」
「ええ、それはもう最悪な形で、貴方がもっとも望まぬものを見せつけてきます」
「あの男が危険だと気づいていた。だが……俺にはどうすることもできない。他に救済の道など無かった。ニーナを攫い、魔王の前でその命を奪おうとすれば、お前たちは必ず俺を止めるだろう。そのために、ステラは魔王であることを明かし、勇者はそれを知ってなお助けようとする」
「ええ、まさにその通りになりました……ですが、ニーナさんの命は試作六号機……ぴーちゃんさんの手で奪われてしまうのです」
賢者の男が拳を握り込む。両肩を震えさせて吠える。
「馬鹿なッ! そんなことがあるものかッ!」
「ぴーちゃんさんのゴーレム素体の制御を奪い、暴走させる。エミルカは巧妙な罠を、バージョンアップのための情報に分割して仕込んでいたようです」
黒衣の男は黙り込むと、一拍置いて頷いた。同じくゴーレムであればこそ、その可能性について一考の余地有りという結論にたどり着いたのだろうか。
「ぴーちゃんさんの新しい素体制御のシステムについては、旧型のものに戻してもらいました。が、安心はできません。貴方も彼女も、生み出したのはエミルカです」
二人とも、自身の意志に関係なくエミルカに情報を送信している可能性があった。
「この会話や接触も感知されているかもしれない」
「ええ。ですが、ぴーちゃんさんがシステムを戻しても、エミルカからは特にアプローチはありませんでした。これは仮説ですが、エミルカが情報を収集するには大神樹の芽が必要なのでしょう」
「そうだ。大神樹の芽を通じて、あの男は様々な運命を観測している」
「大神樹の中身は、私の味方です」
「なん……だと……」
「エミルカに伝わるはずだった情報は、大神樹の中身が上手く偽の……いえ、一周目の情報を流していますから、気づかれてはいないでしょう」
賢者の口元がかすかに揺るんだ。
「ずいぶん変わったな……」
「はい?」
「私の……俺の……世界のセイクリッドという人間は、己の命をかけてニーナを守り死んだのだ。それが魔王を覚醒させ、世界は滅んだ」
「私の死が引き金に?」
「そうだ。お前の死はニーナの死と同等だ。だが、この世界のお前は生きる道を選んでいる」
「そう……ですね。そうかもしれません」
ここまでやってきたことが、もしかすればすべて無駄に終わるかもしれない。
俺が最終魔法の対価で消えたあと、ステラが覚醒する可能性が出てしまった。
「どうした?」
それでも――
「というわけですから、協力をお願いします」
俺は手を差し伸べた。男は無言だ。
その腕がそっと上がると、俺の手を握り返した。




