政(まつりごと)は筋肉だ
クラウディア陛下への謁見は、玉座の間ではなく王宮の一室にて執り行われた。
俺からの人払いの要望を女王は快諾し、王城上層階の日当たりの良い部屋にて、クラウディアと二人きりである。
本来ならこのような形の謁見など通るはずもないのだが、大神官という地位がそれを可能にした。
窓の外には天を覆わんばかりに生い茂る大神樹がそびえている。
「セイクリッド様、こうしてお会いできるなんて、大変嬉しく思います」
「女王陛下。どうかセイクリッドとお呼びください」
「わたしがどのような立場にあったとしても、セイクリッド様はセイクリッド様ですから」
言いながら王女は右手をわなわなと振るえさせ、左手でそれを押さえ込もうとしていた。
静まれわたしの右手状態である。ちなみに、国主となったクラウディアだが、だからこそ趣味の筋肉鑑賞や筋肉との触れあいに飢えているらしい。
「陛下。私の胸筋……仕上がっていますよ」
「そ、そんないけません。わたしには民のため政をする義務があります。セイクリッド様の胸筋や腹筋……それに上腕二頭筋や大腿筋のことで頭の中がいっぱいだなんて……誰にも知られてはいけないんです」
「告解とお受け取りいたしましょう」
言い終えてから少女はハッとエメラルドグリーンの瞳を大きく見開いた。
誰だこんな筋肉フェチを女王に据えたのは。選んだのは幼女でした。
他になり手がいないため、大役を引き継いだクラウディアは、即位まもなく早くも難題に直面した。
ニーナよりお姉さんとはいえ、まだ年端もいかない少女である。あまり無理をさせたくない。
が、現状の打破にはクラウディアの力が不可欠だった。
「先に提出いたしました資料をごらんいただけましたでしょうか?」
「はい。その……ただ……」
うつむき気味になり顔が赤くなる。
「今日は少々暑いですね」
俺は窓際に立つとガラス戸を開いて外気を入れた。
大神樹の枝葉を揺らした心地よい風が吹き抜ける。
その気持ちよさに、思わず俺は襟元に指をかけ、開襟した。
「僧帽筋! 胸鎖乳突筋! 舌骨下筋!」
「おっと、失礼いたしました陛下」
すぐに胸元を閉じると、女王は少し残念そうに眉尻を下げた。
クラウディアは「いえ滅相も無いです。ごちそうさまでした」と、両手を合わせて俺を拝む。
それから一息ついて、彼女は俺が提出した紙束をテーブルの中央においた。
「大神官のセイクリッド様が、教会に原因があるなどと言ってしまって大丈夫なのですか?」
「原因の近くにいればこそ気づけたことでもあります。私ごときに、ご配慮痛み入ります。陛下のお気持ちを煩わせてしまい不徳のいたすところです」
席に戻ると、俺の立場を案じる女王に深く頭を下げた。クラウディアは小さく息を吐く。
「これは教皇庁への内部告発にも等しい内容です。ヨハネ聖下にこの事は?」
「まだお伝えしておりません」
「先んじてわたしに?」
「会談の日程が偶然そうなっただけですが、内心、クラウディア陛下に先にお会いできてほっとしております」
真剣な眼差しでクラウディアは俺に告げる。
「昨今の王都……だけではなく、国中に広がる病のような不安に、人々の活力は日に日に衰えている現状です。わたしも手を尽くしてはいるのですが、この王宮には自分自身も含め、これを打破できる賢者知者はおりません」
「原因が教会にあった可能性があるのですから、対処のしようも無かったのでしょう」
「もし、王政側が教皇庁を告発すれば国は二つに割れてしまいかねません」
「ですから今回の資料については、私と協力者数名からなる者たちの調査結果として、教皇聖下に直訴いたします」
「それでは最悪の場合、セイクリッド様はヨハネ聖下とも対立するかもしれません」
「ヨハネ聖下は聡明ですが……そうならぬことを光の神に祈るばかりです」
クラウディアはゆっくり頷いた。
「こちらの調査結果について、裏付けをいたしますねセイクリッド様」
「そこまでしていただいては……王政が教皇庁へ介入したととられかねませんが」
「ヨハネ聖下ならきっとわかってくれるはずです。セイクリッド様の姉君なのですから」
家族の情にほだされるような姉ではないが、俺は「はい……」とだけ返した。
実際のところ、今の資料の調査数はヨハネを説得するに足る……とは言いがたいものがある。
クラウディアに伝えるべきことを伝え、協力まで得てしまった。
「ですが、本当によろしいのですか陛下?」
「わたしは大神官としてではなく、一人の友人としてセイクリッド様を信じます」
「陛下……」
彼女は女王となっても、対等でありたいと言う。本来、王たるものが口にしてはならない言葉だ。この部屋に他の誰がいなくとも……だが、彼女はあえて俺を友人と呼んだに違いない。
「セイクリッド様。民を守るべき者が、このような弱音を吐いてはいけないと思うのですが……どうか……」
「どのようなことでも打ち明けてくださいクラウディアさん」
少女の表情が安堵混じりに明るくなる。
神官として告解を待つのではなく、俺は友人として彼女の相談に乗ることにした。
「魔王軍襲来の噂が広まって以来、毎晩のように恐ろしい夢を見るようになってしまったんです。とても気がかりな夢です」
「夢……ですか?」
少女はコクコクと二度、頷いた。
「この世界が暗く深い闇に包まれて、人々も町も大地も空も呑み込まれて消えてしまう……あらがうすべもなく……ただ、その闇の中に一つだけ小さな光が見える時があるんです」
似たような夢の話を、つい最近聞いたばかりだ。だが、夢見の占い師と女王とでは、少し内容が違うようだが。
ルルーナの見た夢は、世界の外側から観察した夢だった。
クラウディアのそれは主観的だ。
なによりも気になるのは……光の存在である。それが現れる時と、そうではない時があるというのも、同じ夢を繰り返し見ている以上に、不気味に感じられた。
「どのような光なのでしょう?」
「温かく優しくて、何かを守ろうとするような……暗闇の中に浮かぶ灯火のような光でした」
「それも闇に呑まれて消えてしまうのですか?」
長い金髪をふるふると左右に振って少女は俺を見つめる。
「光が灯る夢の時には、世界を覆う闇が消え去るんです」
「決まって同じ結末の夢を見るのではないということですね」
「光が闇を払うと、世界は元の平和を取り戻します。けれど……」
少女の顔が悲しげに崩れた。
「どうなさいました?」
「世界が残った夢では、セイクリッド様が……消えてしまう……探しても探しても……見つからないんです。夢とは不思議なもので、もうセイクリッド様がいないのだとわかってしまう……」
「私が消える?」
「世界が消えるか、セイクリッド様が消える……夢の中のセイクリッド様は、世界を守る光になってしまったのだと思います」
王族の血がそのような夢を見せているのだろうか。それにしても、消えるのが俺というのは、いったい何を暗示しているのだろう。
「不吉な夢でしたが、セイクリッド様の身になにか恐ろしいことが起こるかもと思ってしまって……」
「お話いただいてよかったです。どうかお気になさらず。私は殺しても死なないような大神官ですから、ご安心ください」
自分の胸に手を当てて俺はそっと一礼した。
「あ、あの……セイクリッド様」
「他にも気になることや不安なことがあるのですか?」
「ええと……その……だ、だ……」
「……?」
「抱かせてください!」
「それは陛下として命じるということですか?」
「友人としてのお願いです!」
王宮では女王の敵対者はある程度排除され、大臣連中も協力的にはなったはずだが……とはいえ、頂点に立つ者は独りなのだ。目に見えないところで孤独が少女の心をむしばんで、悪夢を見せていたのかもしれない。
「わかりました。どうぞ」
マッスルフリーハグ開催中。IN王宮内。
立ち上がった俺の胸に女王陛下は飛び込むと、脇の下から腕を回してぎゅっと抱きしめ、俺の胸に頬ずりした。
「ああ、セイクリッド様……布越しに感じます。ますます壮健になられて。こんなにカチカチにしているなんて……うふふ……ビクンビクンと脈打って雄々しくたくましいですね」
これで国政に邁進してくれるというのなら、我が筋肉に一片の悔い無しである。
別れ際、クラウディアは「ニーナが自分と同じような夢を見ていないか」と、心配してくれた。そうでなくとも元気でいるか、心配とのことだ。
「ニーナさんは元気にしていらっしゃいますよ。この一件が落ち着いたら、お二人でお茶ができるよう一席設けますね」
と、約束して俺は一旦、最後の教会へと帰還した。




