※Pルート 牛乳で相談だ
アコがミルクのグラスを両手で包むように持つ。飲むためではなく手元が留守では落ち着かないという感じだ。
高い丸椅子の上でブーツに包まれた足をぶらつかせながら、彼女は口を尖らせた。
「カノンはどうしてるの?」
「修行中です。自身の弱点に向き合い、その克服のためにがんばっているところですよ」
「キルシュはどうしてたの?」
「ご家庭の事情もあったそうですが、今は復帰して私の情報収集のお手伝いをしていただいてます」
「そっか。ボクもなにかした方がいいのかな?」
「本当は誰かと争うことも戦うことも苦手なのですよね。できることなら魔物とも魔族とも戦いたくない……それを弱さとは思いません。アコさんは勇者になるには根が優しすぎるのでしょう」
「貴女は守りたいと想うものを守る時に、素晴らしい力を発揮します」
「う、うん。今日のセイクリッドなんか変だよ。ボクなんて本当はただの弱虫だもの」
アコはステラが虚無の闇に呑まれても、そこからすくい上げようと手を差し伸べた。
弱い人間にはあそこまでできない。
聖印が彼女の胸で輝き続けるのも、アコという人間を認めているからだ。
「カノンさんを救い出した時の貴女は、まさに勇者の名にふさわしい活躍振りでした。弱虫だなんてとんでもない」
「えへへぇ~セイクリッドが褒めてくれた。嬉しいなぁ」
まるで熱したフライパンの上に置いたバターが溶けるように、アコの顔はゆるゆるに弛緩した。
「アコさんはとても頑張っていると思います。何度死んでもへこたれないのも素晴らしいことです」
「いっつもセイクリッドに迷惑かけちゃって……ごめんね」
「勇者や冒険者を支えるのも神官の使命ですから。私はこの仕事に誇りを持っていますよ。それに最近は全滅回数もめっきり減りましたし、成長がうかがえます」
アコは後ろ手で頭を掻いて照れくさそうだ。
「そ、そっかなぁ~。ああ、うん……カノンもキルシュもそれぞれがんばってるなら、ボクも独りでがんばった方がいいかもしれないね」
「私が特訓にお付き合いしてさしあげましょうか」
「やだよセイクリッドの特訓って死ぬの前提だもん。いくら死になれてても、ぎりぎりまで苦しんでもがいて、やっと死ねると思ったら即座に復活させられて、同じ苦しみを繰り返しながらレベルアップなんて……」
もっと簡単な方法も実在する。鋼より硬く、風のように素早い特定の高経験値魔物だ。
うっかり複数を一気に倒したことで、レベルアップしすぎてショック死した冒険者がいるという。
そんな特定の魔物しか出ない小島が、世界の果てにぽつんとあった。辺境具合で言えば魔王城のある絶海の孤島以上の場所だ。
幼い頃、俺が姉上に特訓と称して連れていかれたのも、その島だった。教皇庁に認められし者のみが足を踏み入れることを許される聖域である。
一週間も逗留すれば、その者が持つ能力の限界まで引き出されることになるだろう。
蕩けたチーズのように天板につっぷすアコに訊く。
「もし、楽にレベル上げができたなら……どうします?」
アコは迷うことなく即答した。
「どうもしないよ」
そう、これがアコなのだ。
「てっきり、楽に強くなりたいのかと思っておりました」
「そんな都合良く強くなれるわけないでしょ。しっかりしてよセイクリッド。甘い言葉には裏があるんだからさ」
本来ならこんな方法は採用してはならないが、状況が状況だ。
アコにはこれから、限界いっぱいまで強くなってもらう。
「あります。まあ、楽というのは言い過ぎですが、かつて私が修行した場所です」
「ボクはいいや」
「レベルを上げても強くなれないと悩んでいたのではありませんか?」
「あっ! それ……カノンから訊いたんでしょ。秘密にしててほしかったのに、カノンってば」
ぶーぶー! と、勇者少女はさらに口を尖らせブーイングである。
「カノンさんはアコさんを心配しておられましたよ。少しでも貴女を支えられるよう、強くなると修行に励んでいるのです」
寝返りをうつように、アコは反対側を向いてしまった。
「ボクは強くなんてなりたくないんだ」
「ええ、存じ上げております。できることなら誰とも争いたくない。ただ……この先、途方もない試練が訪れるのです」
「…………」
俺に後頭部を向けたまま、アコは黙ってしまった。
「アコさん?」
少女は向こうを向いたまま、頷いた。
「怖いよ……死ぬのは痛いし怖いけど、ある意味慣れちゃってるんだ。理由はわからないんだ。だけどね……ボクが強くなって魔王に挑むくらいにまで成長したら、なにか恐ろしいことが起きる気がする」
勇者の少女の肩が小刻みに震えている。
「どれだけ大きな力であっても、それ自体に善悪はありません。どう使うかは力を手にした者が決めることです」
「ボク……次第だっていうの?」
「そして弱さや痛さを知っているアコさんならきっと、大きな力の誘惑に負けることなく正しく使うことができますよ」
少女はようやくこちらに向き直った。
「そ、そっかなぁ……ボクってほら、欲望には忠実だよ? ここをどこだと思ってるの? 誘惑魅惑娯楽の殿堂ラスベギガスのカジノさ!」
「それでもアコさんなら大丈夫ですよ。もし、貴女が道を踏み外そうとしても、カノンさんやキルシュさん……それに私もおりますから」
少女はゆっくりと上半身を起こして、ぎゅっと拳を握った。
「わかってるつもりだよ。けど、ボクは今が幸せなんだ。大好きな人たちがいて、一緒に冒険したり、セイクリッドの教会に行けば、ステラさんたちとお喋りもできるし、お茶も飲めるし。魔王なんか倒さないで、ずっとずっと今のままでいられないかな? 魔王と戦わなきゃいけないのかな?」
「勇者だから魔王と戦わなければいけない。力を得たから使わなければならない……なんてことはありません。ただ、貴女が望む時に力をもっていないことを、後悔するのは悲しいではありませんか」
「自信……ないよ」
「アコさんは強くなれますよ」
「無理だって」
「カノンさんを救った実績があるのですから」
「あ、あれはええと……マグレ?」
「いいえ。アコさんだからできたことです。大切なものを守りたい。取り戻したいと心から願えば、貴女はきっといくらでも強くなれるのですから」
ずっと不安げだったアコの瞳に、かすかに光が宿った。
「ねえセイクリッド……ボクはどうしたらいいのかな?」
「一緒に秘密特訓をしましょう。一週間と言わず、三日で見違えるような強さになってもらいます」
「えっ!? 本当にそんなことできるの?」
「もちろんです。貴女にやる気がなければそうはいきませんが」
「そっか……なんか、安心したかも」
アコはバーカウンターの高い椅子からひょいっと降りる。
「じゃあさっそく行こう!」
アコの意識がついに覚醒した。
聖域の孤島で三日三晩、アコのサポートに徹した。
素早い銀の魔物たちとの死闘を繰り広げ、時には死亡し、その場で俺に復活させられる。
再び挑み、戦い、倒し、強くなる。
こうしてアコは四日目の朝日を浴びながら――
レベル99に達するのだった。




