ベリアルのベリーリアルな心の中身
しばらくカノンをリムリムに預けることになった。
まだカノンは転移魔法を使えないのだが、リムリムの城から最後の教会にある、俺の部屋へは直通の転移門が設置されている。
俺が不在の時には、留守を任せた案山子のマーク2にカノンが戻り次第王都に転移魔法で帰すようお願いした。
先日、お茶会で盛り上がった聖堂が、今は静かで物寂しい。
祈りの場だから本来こうあるべきなのだが……。
最果ての流刑地もとい最後の教会に赴任してきた当初は、寂しいなどという感情すら湧かなかった……はずが、今では俺もずいぶんと賑やかさになれてしまった。
講壇を案山子に明け渡し、俺は最前列の長椅子に腰掛けて背もたれに体重を預けると、聖堂の天井を見上げる。
「いったい世界になにが起こりつつあるのでしょう」
不意に大神樹の芽が光輝く。関係各署に送ったうちの一通のうちメッセージというかたちで返信があった。
クラウディア女王陛下からだ。
王国各地の魔王候補が支配する領域への監視強化や、王都の防衛隊増員などで対応はしているが、各地の町からは王都だけを守るのかという批難も上がっているという。
また、王国が動いたことにより、魔王軍侵攻は事実だと噂が広まってしまった。
動かなければそれが不安の種になる。芽吹けば不安は不満の花を咲かせるだろう。
各地の教会も説法で事態の沈静化を図っているが、効果は出ていない……とのことだ。
根も葉もない噂にしては、収まるどころかますます悪い方向に広まりつつある。
漠然とした不安や噂といった実体を持たぬ敵は、光の撲殺剣で直接叩くこともできなかった。
「いっそ魔王を倒してしまうべきでしょうかね」
偽者の魔王をでっちあげて、多くの人々の見る前で勇者アコがそれを倒す。
カタチ無きものに偽りであっても実体を与えるのだ。
王国民すべてを観客とした劇を見せるなら、各地の大神樹の芽を通じて映像を流す方法がある。
別に魔王本人が魔王役をする必要はないが、ステラにとって魔王という役割は重荷だった。
と、その時――
「今、なんと言ったッ!?」
首をぐいっと後ろに倒すと、教会の入り口の扉を開けた薄褐色の女騎士が、鬼の形相を浮かべていた。
手には槍を携えている。
俺はそのままの体勢で告げる。
「ようこそ教会へ。ベリアルさん本日はどのようなご用件でしょうか?」
「誤魔化すな! 貴様……魔王様を……ステラ様を倒すと言ったのか!?」
一瞬で間合いを詰めるとベリアルの槍の切っ先が俺の喉元に突きつけられた。
「ええ、世界を救うには魔王が勇者によって倒されるのが一番手っ取り早いかと」
「貴様ああああああ!」
槍を引き戻す女騎士だが、一撃を放つ手が止まる。
「立て……どういうことかきちんと説明しろ」
「なぜ私を貫かないのですか?」
「理由は二つ。貴様は槍で貫いた程度では死なぬ。完全回復魔法などという、ふざけた魔法を使うからな」
「もう一つの理由をお聞かせ願えますか?」
「貴様にやる気があるなら、その計画はすでに実行に移されている」
俺は溜息交じりに立ち上がり振り返った。
槍を構えるベリアルの手が、かすかに震えている。
「王国は今、魔王の影に怯えています。その影を操っているのがステラさんではないことは、ベリアルさんご自身が一番良く解っていますよね?」
水平だった槍の切っ先が下を向いた。
「ただの噂ではないのか?」
「王国と教皇庁が動いて悪化するほどですから……ベリアルさんに心当たりはありませんか? こういった策謀を巡らせる上級魔族や魔王候補について。もし、ご存知でしたら当事者の元へ、私が直接確かめにうかがいますので」
「私も世情には疎いのだ。魔王城の門番だからな……だが……」
「なんでしょうか?」
「果たして本当にステラ様では……ないのだろうか」
ベリアルはうつむいた。先ほどまでの覇気が溜息とともに消える。
「ステラさんに思い当たることがあると?」
「…………」
「とりあえず立ち話もなんですから、お茶かワインでもご馳走しましょうか?」
ベリアルは首を左右に振ると、槍を長椅子の背に立てかけて、手近なところに座った。
「いや、ここでいい。酒を酌み交わすのはすべてが終わったあとだ」
「そうですね。隣に座っても?」
「構わぬ」
今日のベリアルはしらふにもかかわらず“らしく”ない。
「貴様とは出会った時から激闘を繰り返してきたが、今ではこうして肩を並べ語らう仲か」
「打ち解けるまでさほど時間はかかりませんでしたね」
「ま、まだわたしは貴様に気を許してはいないぞ! ニーナ様が貴様を気に入っているから、生かしておいてやるのだ」
「大変光栄なことです」
「くっ……その笑みの向こう側で『生かしておいてやるなどとは笑止千万』と、思っているのだろう」
「おや、私の心はベリアルさんにすっかりお見通しのようですね」
「その余裕が腹立たしい! いちいちしゃくに障る! なのに貴様の方が強いのだ! こんなに悔しいことはない……わたしは弱い……ステラ様とニーナ様をお守りするにはあまりに無力……」
「そんなことはありませんよ。お二人ともベリアルさんのことを本当の姉君のように慕っているではありませんか」
ずっと苦悶の表情を浮かべていたベリアルが、スッと力の抜けたような顔になった。
その頬を涙が伝う。
「本当か?」
「ステラさんもニーナさんも、ご両親を亡くしてずっとベリアルさんが頼りでしたから」
もう一人、魔王城にはハーピーという魔物か魔族がいるらしいのだが、ステラたちにとって頼れる姉=ベリアルだ。
「わたしは……お二人の姉になれただろうか?」
「ええ。もちろん。不安でしたら今からお二人に確認しに行きましょうか?」
「ま、待て! ふざけるな! やめろ! 頼むから……」
嬉しそうな顔で泣きながら怒る。ベリアルの心中は複雑だ。
先日のニーナの一件で、ニーナもまたステラとは血の繋がりがないことが判明した。
三人は本来なら、バラバラであったかもしれない。
だったとしても、ベリアルは頼れる姉であろうとした。本来なら魔王の配下でしかない彼女が、そこまでの責任を負う必要などないというのに。
ベリアルはずっと見えない鎖で自分自身を縛り付けてきた。
そろそろ解き放たれてもいいんじゃないか?




