倒してしまっても構わんのだろうか?
聖堂の隅で埃をかぶったままのオルガンをさっと拭き掃除する。
本部にあるパイプ式のような荘厳さはなく、オルガンは箱型で装飾すらない慎ましやかなサイズだ。足下のペダルを踏んで鍵盤に指を落とすと、独特の音色が聖堂に響いた。
「調律イカレてやがりますねこれ」
狂った音階のままカンタータ147番を弾いていると――
ドンドンドンッ!
ゆったりとした曲のリズムにはまったく合わない激しいノックが、教会の鋼鉄製のドアに叩きつけられた。
こんな辺鄙な魔王城前の教会に来るなんて、ずいぶんと信仰心に厚い人間がいたものだ。
鍵は掛かっていないのだから、入ってくればいいのに。
祈りの場は誰にも閉ざす扉を持たないのだから。
「ちょっといるんでしょ! 出て来なさいよ!」
甲高い声がオルガンの音色に混ざって聞こえた。
「なんですか騒々しい……はぁ」
演奏を中断すると、正面口に向かう。
扉を開けると隙間から少女が聖堂内にスルリと入り込んできた。
炎のような赤毛のツインテールを揺らし、同じくルビー色の瞳で俺を見上げる。
年齢は十五~六歳といったところか。
目鼻立ちがスッと整っていて、どこか気品さえ感じさせる顔つきだった。
頭に山羊の角のような冠をかぶり、金縁の黒いショートマントに血のような赤いドレス姿だ。
フリフリというよりもタイトで身体のラインが出る服装なので、胸の慎ましやかなサイズまで丸わかりである。
赤い瞳が憎らしげに俺をにらみつけた。
「とっとと出て行きなさい人間!」
「まあまあ落ち着いて。ここは最後の教会です。大神樹に祈り、旅の記録をなさいますか? 仲間の蘇生ですか? 毒の治療や呪いを解くことをお望みですか?」
「あたしの望みはあなたがこの場からいなくなることよ! 消え去れ人間!」
「それはできません。私の役目はこの教会で魔王を倒す勇者のお役に立つことですから」
瞬間――
少女の赤い瞳に燃えるような魔法力が灯った。
「やっぱりそうなのね。次が最後の警告よ。今すぐ尻尾を巻いて逃げ帰りなさい」
少女のお尻のあたりに悪魔の尻尾がゆらりと揺れる。
「おや、もしかして貴方は魔族の方ですか?」
「だ、だったらなによ」
「初めてお目にかかるもので。頭の角も飾りかと思っていました」
魔物を使役し世界の半分を支配する魔族。
その姿は多種多様だが、不思議と高位になるほど人間の姿に近づいていくらしい。
どうやらただの美少女ではないようだ。
彼女は胸を張った。揺れるほどはない青いつぼみのような胸をツンと上にあげるようにして、ふんぞり返る。
「恐れおののきなさい人間よ。このあたしこそが第147代目魔王ステラなんだから」
「はいはい。それでご用件は? 教会の立ち退き以外でしたらなんなりと」
「ちょ、ちょっと軽く流さないでくれる? あっ! 信じてないんでしょ?」
正直、彼女が魔王だろうと嘘をついていようとどちらでもかまわない。
「いえいえ信じますよ。ああ恐ろし……ふふ」
「笑った! 全然怖がってないし! ベリアルが言ってた通りの男みたいね」
「ベリアル? はて、そのような知人は私にはいませんが」
「門番よ! 魔王城の前の!」
まるで小さな犬がキャンキャン吠えるようで微笑ましい少女だ。
「あー。あのアークデーモンですか」
「魔王軍最強の戦士ベリアルを退けたっていうから、こっちも気合い入れて本気の魔王装束で来てあげたのよ」
「私に会うためだけにおめかししてくださったんですね」
「あ、あなたのためだとか……ご、誤解を招く言い方しないでくれる?」
「誰に誤解を招くというんですか。ここには私と貴方しかいないのに」
「……うっ」
自称魔王の少女――ステラは頬を赤く染めた。ツッコミを入れられて恥ずかしいのだろう。俺の顔から目をそらし続ける。
「あたしは魔王なんだから……もうちょっと恐れ敬いなさいよ」
「本物の魔王なら城の玉座にでんと構えて、私を呼び出せばよかったのではありませんか?」
「あなたがびびって招請に応じないと思ったの。曲がりなりにも光の神に仕える神官なわけだし、魔王に呼ばれてノコノコ出てくる間抜けはいないでしょ?」
まあ、並みの神官なら応じるどころか配置換えを本部に願い出るところだろうな。
さて、どうしたものか。彼女は俺に消えて欲しいらしいのだが……。
「そもそもなぜ、魔王本人がやってくる必要があるのでしょう? 刺客なら他に適任がいたのでは?」
「ベリアルの心を折った相手っていうから、あたししかあなたを追い出せないじゃない!」
「つまり今の魔王城の戦力は、あの門番が二番目に強くて、一番が魔王である貴方ということですね?」
ステラは口元を手で覆ったが、もう遅い。
少女は目を血走らせて俺の顔を指さした。
「さ、さすが神の信徒汚い! 誘導尋問で機密を漏洩させるなんて!」
「貴方が勝手に口を滑らせたのでしょう」
「……ぐぬぬ」
美人で気品のある顔なのに、セリフがとても残念だ。歯ぎしりしながらステラは叫ぶ。
「だいたい、どうやってこの島まで渡ってきたのよ!」
魔王城のある暗黒の島の周囲は、死の海によって護られている。
人間の船が近づけば海に棲む魔物たちが次々に沈めるのだ。
海流も入り組んでいて、そこかしこに座礁ポイントがあり船の共同墓地状態である。
「泳いできました」
「は?」
「泳いできました。子供の頃から泳ぐのは得意で、ローヌ川のトビウオと呼ばれていましたから」
途端に魔王はジト目になった。
「……神官って嘘をつくのね」
「神に誓って本当ですとも」
少女は腕組みすると首を傾げる。
「じゃ、じゃあ嵐の雲海はどうやって抜けたのよ?」
暗黒の島に上陸すると、今度は深い谷が行く手を阻む。
雲海が谷に流れ込み、魔王城は竜の巣のような巨大な雲の壁のそのまた向こうだ。
「近くにいた翼竜型の魔物を脅し……説得して無事に越えることができました」
ステラの顔から血の気がさーっと引いていった。
現に俺がここにいるのが、嘘でもなんでもないなによりの証拠だ。
「け、結界があったでしょ! 先代魔王軍四天王が残した四層もの結界が!」
「人が一人通れる分だけ破壊して通過しました。ご心配なさらずとも、私が通ったところはきちんと修復しておきましたから」
そうして全裸でこの教会にたどり着いたのが、昨晩のことだ。
大神樹の木の芽に祈りを捧げ、この場所を記憶してから転移魔法で王都に戻り、あとは引っ越しのため教会と王都を何往復かした。
おかげで徹夜である。肌荒れが心配でますます眠れなくなりそうだ。
朝になり――有名菓子店に二時間並んでマカロンを買い求め、先ほど引っ越しの挨拶をして今に至る。
「人間じゃないわ。だって……嘘でしょ……ありえないわよ」
「ええ、朝まで徹夜で王都と教会を何往復もしました。働き過ぎですね。人間のすることではありません」
「そういうこと言ってるんじゃないからッ! だ、だいたい死の海の魔物はどうしたの?」
「倒しましたよ。最初にクラーケンだかシーサーペントだかを。そうしたら誰も襲ってこなくなりましたし」
一番強そうなのを倒すのが何より平和的で手っ取り早い。
魔王ステラがブルっと震える。
「ま、まったまたぁ。ありえないわ本当に」
「いやいや、あり得るから私がここにいるわけで。あ、ところで引越祝いのお菓子ですが、気に入っていただけたのなら幸いです」
「…………」
不意に彼女は黙り込むと眉間にしわを寄せた。
人間のお菓子はお気に召さなかったのだろうか。そのクレームにわざわざ教会を訪問したとは、考えられないが。
ステラは深い溜息のあと、俺の背後にある大神樹の木の芽を睨む。
「ああもう……あんな雑草が家の前に生えてるせいで……燃やしてあげるわッ!」
呪文の詠唱に入った彼女を俺は制止した。
「ちょっと待ってくれませんか」
「な、なによ人間!?」
「どうして私が赴任する前に、その厄介な雑草……もとい大神樹の木の芽を燃やさなかったのかと思いまして」
「そ、それは……」
練り上げた魔法力の勢いが弱まる。
先代魔王もその前の魔王も、代々この城の城主たちは“最後の教会”に手出しができなかった。
王都にある大神樹が世界中に張り巡らせた木の芽の中でも、もっとも強い加護がかかっているのが、この教会のそれなのだ。
「代々の魔王の力をもってしても取り除くことはできなかった。きっと、魔王軍が王都を攻め落として大神樹を枯らしでもしない限り、この最後の教会を護る大神樹の芽は光を放ち続けるでしょう」
「う、ううっ……なんて迷惑なのよ! 人間で言えば、玄関開けたら目の前にゴブリンの巣よ! 潰しても潰しても復活する……そんなものがあって安眠できる?」
「引っ越しすればいいじゃないですか」
「それもそうね……ってバカなの!? ここ魔王城よ! ほいほい移転とかできないの!」
「ご安心ください。私は魔王城に攻め入りませんから」
「ゴブリンが『私は良いゴブリンで略奪もレイプもしません』って言って信じるわけ?」
「ご愁傷様です」
「やっぱり燃やすわ! 木の芽燃やすッ!」
ステラが炎の魔法力を再び練り上げ、矢にして大神樹の芽に打ち放った。
空を裂き炎が光輝く神樹にぶつかる……が、火花は散って爆ぜ火の粉が舞っても、木の芽は焦げるどころか変わらず淡々と光を放ち続けた。
「んもーッ! なんなのよーッ!」
この感じからして、恐らく神官不在の時に何度かステラは雑草駆除に挑戦しては、失敗していそうだな。
「ちょっとあなたが木の芽をなんとかしなさいよ! 聖職者なら結界とか破れるでしょ? あなたのところの木の芽がうちに迷惑かけてるんだし」
「頼んで私が“はい”と言うとお思いですか?」
「ま、魔王が命じてるのよ! 人間よなんとかしなさい! して! お願いだから!」
途中から下手に出るの止めろって。ますます魔王の威厳は低下した。
「じゃあこうしましょう。私を殺してしまえばいいんです」
「あ、あら! そうね! そうすることにするわ!」
「せっかくですから、お互いに力が発揮できるよう広々とした外でやりませんか?」
これ以上、教会の中で暴れられては片付けが大変だ。
「いいわよ。魔王の恐ろしさに震えながら永遠の眠りにつかせてあげる。さあ、あたしの腕の中で息絶えるが良い人間よ!」
「声、震えてますよ?」
「む、むむむ武者震いよ! さあ、覚悟なさい!」
うわー痛いなぁ。きっと勇者と戦う日のために、いくつもこういったセリフをノートにしたためているんだろう。
本当は穏便に済ませるつもりだったが、誰であろう魔王様直々のご指名である。
尻尾を振って外に向かう彼女に俺はついていった。
魔王城の中で討伐してしまうのは教会職員としての服務規程違反になるが、外でサクッと相手をするくらいなら問題なし。
一番強いヤツを黙らせれば、その配下も大人しくなる。
というか、倒してしまっても構わんのだろうか?