先制不許可のバックアタック
真夜中に教会の扉が開かれた。
反射的に目が覚めるが、すぐに開いたまぶたを閉じる。
聖堂を抜けて私室のドアがゆっくり動くと、人の気配が吸い寄せられるように、枕元に立った。
「ふっふっふ。すやすやと眠ってるわねセイクリッド。まさか、こんな真夜中に不意打ちされるとは思ってなかったでしょう? あらごめんなさいね。夢の中のあなたにはあたしの声は聞こえてないものね!」
「せめてそういうセリフは殺気を発しながらにしていただけませんか? 教会の神官の寝込みを襲う魔王様」
「ま、まるで起きてるみたいな寝言ね」
「いや、起きてるんですよ。まったく。夜中に訪問するのは二度目ではありませんか」
俺はベッドからむくりと身体を起こしてベッドサイドの魔力灯を点灯する。
ステラはピンクのパジャマ姿で、長く大きな枕をぎゅっと抱きしめていた。
「どうしたんですかその格好は?」
「べ、べつにパジャマでお邪魔しちゃだめって書いてないし。看板立てておきなさいよ!」
「禁じてはいませんが、訪問時間も含めて常識的に考えていただきたいものです」
ぎゅっと枕を抱きしめてステラは伏し目がちになった。
「最近セイクリッドが魔王に冷たいと思うんですけどー」
これでもずいぶん手ぬるく……もとい、配慮の上で接しているつもりなのだが。
つい、溜息が漏れた。
「ハァ……ベッドを飛び出すほどの緊急事態ではないのですね。では、おやすみなさい」
起こした身体を再び温かい毛布の中にもぐらせ彼女に背を向け横臥したところで、ステラがなぜか俺の隣にスッと入りこんできた。
「なんのつもりですか魔王様」
「え、えっと……その……あのね! そのまま目を閉じてて。大丈夫キスとかしないから安心して! 子供出来ちゃうし」
魔王の貞操観念がやばい。
枕を放り投げて俺の背中に抱きつき密着し、彼女はぎゅっと俺の背中に胸を押し当ててくる。
膨らみの感触がふにふにと、薄い布を隔てて感じられた。
「あ、あのね、まだ上手くないからこうして……くっつかなきゃいけないの」
「はあ」
間の抜けた声が出てしまった。誘惑しているようには見えない。
と、思ったところでステラは魔法力を高めた。
「帰還魔法!」
瞬間――身体がふわりとした浮遊感に包まれ、視界が光でぼやけたかと思うと、俺は冷たい大理石の床にステラと横たわっていた。
「まったく、いきなり転移魔法を使うなんてどういうつもりですかステラさん?」
立ち上がり周囲を見回す。
全てが黒い大理石でできた静かで厳かなる謁見の間だ。
うすぼんやりとした魔力灯が室内を照らす。
部屋は広く教会がすっぽりと収まってしまうほどだった。
視線の先に十八段の階段があり、その上に立派な黄金製の玉座が主の帰りを待っている。
俺は「う~やっぱりなんか酔う感じがするわ」と、床にごろんとしているステラに手を差し伸べた。
「ここは……もしや魔王城の中なのでしょうか?」
俺の手をとってステラは立ち上がった。
「ええ……すべての魔族の魂が還る場所。魔王の“玉座の間”よ」
どうやら魔王によって、こんな場所に転移させられたらしい。
「いつ転移魔法を?」
「レベル2に上がって成長したんだから! けど、セイクリッドの転移魔法みたいに便利じゃないのよね。この場所に戻ってくるだけの魔法なの」
「ああ、なるほど。魔王が時折、戯れに世界のあちこちに姿を現して、時には勇者と戦うこともあるのですが、逆に追い詰められて逃げる時に使う魔法ですね」
ステラがぷくっとほっぺたを膨らませる。
「そんな身も蓋もない言い方しなくてもいいじゃない。っていうか、あたしの成長に恐怖なさい!」
「ふふっ……くわばらくわばら」
「なんで笑うのよー! もっと心の底から魂を凍てつかせなさいってばー!」
「この部屋は暖房もなく寒いですね」
「そういう話じゃなくてぇ……」
しゅんと落ちこむステラに俺は確認する。
「それで、玉座を私に見せたくて招待していただけたのですか?」
「保安上の観点から魔王城の案内はできないけど、話しただけじゃ信じてもらえないかもって思って」
俺は壇上の玉座を見上げる。
「あれは間違い無く本物の魔王の玉座ですよ」
アイスバーンの玉座とは、根本的な存在感の“重み”が違って見えた。
「では、そろそろ私は教会に帰って眠りたいのですが……」
すると、ステラが俺に……今度は正面からぎゅっと抱きついてきた。
胸に耳を当てるようにして、小柄な少女を身体をかすかに震えさせる。
小さな仕草一つとっても、似ている気がした。ニーナとは姉妹なんだな。
桜色の唇をそっと開いて魔王は告げる。
「ねえ……座ってみない? 魔王の玉座に」
「冗談ですよね?」
「軽々しい気持ちで人間のあなたを、魔王城の心臓部であるこの部屋につれてこないわよ」
「椅子なら神官のもので間に合っていますから」
そっと顔を上げてステラは俺を見つめた。
「あれから色々と調べてみたの。城内の書庫にある文献とかで。そうしたら、人間から魔王に転じたケースもあるみたいで……」
重荷か。
たしかに、こんな少女に魔王という責務は重すぎるかもしれない。
ステラはそっと離れて俺の顔を指さした。
「大神官セイクリッドよ。世界の半分が欲しくはないか?」
「いいえ。私ができるのはせいぜい庭園一つ分の管理がやっとですから。世界を任されるなんてとんでもない」
ステラはムッとした顔になる。
「こっちは真面目に言ってるのよ!」
「私だって真剣にお答えしています」
「たしかに世界の半分は言い過ぎだったけど、貴方なら魔王という立場をいくらでも使いこなせるでしょ? あたし独りじゃ……ニーナを守ってあげられない。あなたが……セイクリッドさえ魔王になってくれたら」
心細そうに瞳を潤ませる赤髪の少女に、俺は跪いて頭を垂れる。
「残念ながら、もはや貴方は独りの魔王ではありませんよ。勇者や若き神官見習いは、すっかり貴方に懐柔されているではありませんか。それにベリアルのような、先代からの忠臣もいる。さらに新たな戦力として、アイスバーンの軍勢を手に入れたではありませんか」
「それもこれも全部、あなたがいてくれたからでしょセイクリッド?」
「おや、よくおわかりで」
「ちょ、謙虚じゃないのね!?」
思い詰めたようなステラの表情が、一瞬だけ柔和さを取り戻した。
「いいですか魔王ステラ。私はどちらかといえば、責任を放棄して矢面には立たず、美味しい思いだけをこっそりとしたい裏で糸を引く存在でありたいのです」
「ぶっちゃけたわね! 歪んだ欲望をドクドクと吐き出してくれるじゃないの!」
「その言い方には少々難ありですが、まあ、その通りです。普段はあまり誰かに話したりしませんが、魔王様直々の告白でしたから、私も本心を打ち明けさせていただきました」
ステラがにんまり笑う。
「だ、だめよ! その役目はあたしが狙ってたんだから。魔王セイクリッドを裏で操る真の魔王……あは! すっごくいいじゃない!」
魔王の裏に大魔王。
ありがちなパターンだが、悪くはない。
ステラが誘うように、そっと手をこちらに差し伸べる。
「だから……どうかしら? 魔王、始めてみない?」
拝啓教皇庁のみなさま。
この度、私セイクリッドはヘッドハンティングされることとなり――
魔王、始めました。
いやいやいや、王都で人気の麺料理店で出される夏限定メニューですか?
どこからか、チリーンと風鈴の音が聞こえてきそうだ。
俺は跪いたまま、その手をとって甲にそっと唇をあてる。
「きゃっ! ちょっと! き、きききキス……よね。どうしようセイクリッドにキスされちゃった! はうぅ」
子供はできないので安心してくれ。
顔を伏せたまま、俺は魔王に告げる。
「大変光栄には思いますが、先ほど申し上げた通りです。私は神官ですから」
「じゃ、じゃじゃじゃじゃじゃあ! 悪魔神官はどうかしら? 魔王の参謀役よ!」
「以前お断りしたではありませんか」
ステラが魔王である方がきっと世界は平和だろう。
あいにく俺は滅ぼしたくなるほど、人間に絶望していない。
変なヤツや困ったヤツに残念なヤツは多いとは思うけど。
アコとかカノンとか開発部とか教皇庁上層部とかetcetc……。
ステラはその場で一度、ゆっくり深呼吸をしてから、俺のとなりにしゃがみ込んで耳打ちした。
「あたしとしては殺し文句だったんだけど。ねぇ……前に魔法で人間の殺し方を教えてくれるって言ってたでしょ? 神官の殺し方……こっそり教えてちょうだい」
「まずは殺したい本人に直接訊かないところから始めましょうね」
ふふっと少女は笑った。
それを合図のようにして、二人一緒に立ち上がる。
「あたしはセイクリッドがそのつもりになってくれたら、いつでも相談にのるわ! 早くなにかポカをやらかして教会を追放にならないかしら」
「では、その時が来たら改めてご相談させてください。私は他人に尻尾を掴ませるようなミスはしませんが」
「ミスっても隠蔽する気満々じゃないッ!?」
魔王と大神官の関係はこれからも続く、続いていく。
もうしばらくは、この世界の果てにでもあるような“教会”で、緩やかな日々を過ごしていけそうだ。




