愛しいニーナにさよならを
聖堂の講壇に案山子のマーク2を立たせると、私室のドアを聖堂側から板と釘を使ってDIY封鎖した。
勇者アコ御一行様と、リムリムの不意な強襲を防ぐためである。
ベリアルは今日もまだ引き籠もっており、ぴーちゃんに至っては再起動までのパーセンテージが5%の所からミリほども動いていなかった。ちなみにシークバーは彼女の目から投射される映像で確認できる。
ゴーレムってすごいね。
他の誰も邪魔の入らない状況を望んだのは、魔王ステラだった。ニーナと二人きりにして欲しいといった彼女だが、無理に言ってこの場に控えさせてもらったのだ。
俺は久しぶりにオルガンの席に着く。
聖堂にいるのは、三人だけだ。
神官と、魔王と、その妹。そして俺自身はといえば、静かに伴奏を始めた。主旋律の無いカンタータの147番が静かに聖堂を満たす。
ニーナが長椅子からぴょんっと跳ねるように立った。
「そうだ! ニーナがお歌を歌いますか?」
ステラは座ったまま、少し困ったように眉尻を下げた。
「ううん。今日はいいの」
「ステラおねーちゃ、元気がないのです。セイおにーちゃに治してもらう?」
「大丈夫よ。お姉ちゃんは元気元気だから」
赤毛もしおれた花のようで、尻尾もだらんとさせたまま魔王は笑う。
ニーナは並ぶ長椅子の後ろの列に回り込むと、ステラの尻尾を優しく持ち上げた。
「いいなぁ。ニーナもはやくしっぽが生えないかなぁ。ステラおねーちゃ、しっぽは何歳になると生えますか?」
幼女の手の中で、魔王の尻尾がビクンと跳ねた。
「え、え、ええと、生えないこともあるのよ」
立ち上がってステラは振り返る。ニーナはじっとエメラルドグリーンの瞳で、姉の顔を下からのぞき込んだ。
「じゃあじゃあ、ツノがほしいのです。おねーちゃみたいな、立派なツノだといいなぁ」
「そ、それも生えないこともあるの。ほら、あたしの背中には羽はないけど、年下のリムリムには生えてるでしょ? 個人差! 個人差があるの!」
「そっかぁ……」
ニーナは残念そうに下を向いた。そのまま呟く。
「早くおっきくなりたいなぁ」
俺はただ、静かに鍵盤の上で指を踊らせる。テンポは緩やかに、穏やかに。荘厳さよりも、癒やされるような音色を心がけた。
ステラは震えた声で妹に訊く。
「どうして早く大きくなりたいのかしら?」
ニーナは小さく手をきゅっと握ってから、脇を締めるようにしてピョンと跳ねた。
「あのねあのね、ニーナは、ぴーちゃんとリムリムのおねーちゃになりましたし、大きくなればおねーちゃのお手伝いも、いっぱいできるようになると思うからぁ」
魔王の瞳が涙で潤む。
「ニーナにお手伝いしてもらうことなんて、ないわよ」
「え? どうして……」
「ニーナはずっと、ちっちゃいままでいいのに」
「ステラおねーちゃ?」
突然、哀しげな瞳に涙を溜め込んだ魔王に、ニーナは心配そうな表情を浮かべた。ポケットからハンカチを取り出して、うんと背伸びをしてステラの涙を拭おうとする。
「おねーちゃ、泣かないで。ニーナいま、悪い子でしたか?」
「違うの! ニーナは良い子なの! だから……だめなのよ」
背伸びをしても届かず、ニーナは靴を脱いで長椅子の座面に立つと、ステラの頬からこぼれる雫をハンカチで受け止めた。
「だめなの? ニーナ……がんばる! がんばりますから! おねーちゃみたいにしっかりしてないけど、おねーちゃみたいになれるように、しょうじんしますから!」
俺は伴奏を止めた。ステラは自分が話すと言ったのだが、ニーナの無垢な眼差しが魔王の心に嵐を巻き起こしてしまったようだ。
「ステラさん。やはりここは、私から……」
俺の声はステラには届いていなかった。
魔王の悲痛な叫びが聖堂に反響する。
「ニーナはどれだけがんばっても、お姉ちゃんみたいにはなれないのよッ!」
「そ、そんなことないもん! ニーナがんばるし、ニーナだってツノもしっぽもないけど、こじんさだから! ちゃんと、ステラおねーちゃみたくなるから!」
姉妹揃って涙目だ。たまに喧嘩をすることはあっても、すぐに仲直りできる姉妹だったのだろう。
その一線を踏み越えれば、もう元には戻れない。戻せない。
ステラは頬に溢れんばかりの涙の粒をしたたらせた。
「だって、だって……ニーナはね……あたしの妹じゃ……ないから」
ニーナの瞳から輝きが失われた。
「ニーナのこと、きらいになっちゃったの? だって、ステラおねーちゃは、ずっとずっとニーナのおねーちゃだったのに、セイおにーちゃがきた日も、おねーちゃ本当はマカロン大好きなのに、ニーナにって……ベリアルおねーちゃがニンジンたべなきゃだめって言った時も、こっそりニーナのニンジン食べてくれて……うう、ニーナがニンジンが苦手だから、ステラおねーちゃはニーナのこと、嫌いになっちゃったの? 妹さんじゃないなんて、ニーナはいらない子なの?」
まだ、ニーナは“妹じゃない”というステラの言葉を受け止め切れていない。
いや、もとより受け止められるわけがないのだ。
ステラも言葉の選択や言い方も含め、昨晩俺に相談してからの事前練習の成果は見事に爆発四散していた。
練習では理性的に振る舞えても、ニーナを前にしてはこうならざるを得ない。
答えない。いや、応えられないステラに、ニーナの表情は見る間に曇っていった。
「そっか……ニーナがだめだから、いつもステラおねーちゃに甘えてばっかりだったから……」
同席して正解だった。俺が誤解を解こうと立ち上がると――
大神樹の芽が光輝いた。が、アコたちであれば蘇生と同時にコンマ1秒で王都に転移させるよう、マーク2には祈ってある。
しかし、俺はうかつだった。あれこれと予防線を張り巡らせることに終始しておきながら、この可能性を完全に失念していた。
王都から物質として転送されてくるモノに関しては、蘇生&転移の網をくぐり抜けてしまうのだ。
人の姿をした物体が、壮麗な神官服姿で“最後の教会”に降り立った。
「じゃんじゃじゃーん♪ 教皇ヨハネちゃん光臨よ!」
魔王姉妹の目が丸くなる。
涙をこぼす二人を確認すると、遠隔操作のゴーレムボディな教皇ヨハネは俺にニッコリ微笑みかけた。
「ちょっとセイくんさぁ……ステラちゃんとニーナちゃん泣かせるなんて、どういうことか納得のいく説明と、自害する準備はできてるんでしょうね?」
姉上ぇ……。想定外の来訪者がもたらすのは、福音ではなくさらなる混沌のようだ。




