決戦! 吸聖姫
広間でコピーワームを撃破した俺たちは、ついにリムリム城の玉座の間まで到達した。
一段高いところに備え付けられた黒い玉座は、背もたれなどに赤い革張りの施された立派なものだ。髑髏の意匠が各所に見られ、いかにも魔族らしい禍々しさを醸し出している。
それに浅く腰掛けて、リムリムが俺たちを待ち構えていた。
「のこのこやってくるとは、飛んで火に入るお客様なのだ。今日はわざわざ来てくれてありがとうなのだ。リムリムが特別に遊んでやるのだ」
アコが剣を構えて城の主に切っ先を向けた。
「遊びに来たんじゃないよ。カノンを返してもらいに来たんだ」
リムリムは座ったまま、手の甲をそっと頬に当てて高笑いする。
「かーっかっかっか! カノンはリムリムのことが大好きだから、もう戻らないのだ。それにおまえからもらった、聖なる力はすごいのだ。ゼリーワームがたくさん出せるようになったし、強いゼリーワームも出るのだ。感謝してるのだ」
目を細める吸聖姫に、アコは左手をそっと自身の心臓のあたりに添えた。
奪われる前、そこには勇者の証ともいえる聖印が刻まれていたのだ。
「聖印は……ほしいならあげるよ」
ステラが思わず前に出そうになったのを、俺は視線で制止する。今にも赤毛の少女は「そんなのダメよ!」と声を上げそうだ。
このままアコが勇者でない、一般人の冒険者でいれば二人の対決は避けられる。と、それを望んだはずなのに、魔王様はこの調子だ。
アコは一人前に出て、リムリムに訴える。
「勇者の証も勇者の力もボクにはいらない。そんなものなくてもいい。けど、カノンだけは返してほしいんだ」
「ダメなのだ。そうしたらリムリムは……また独りぼっちなのだ。カノンが一緒にいてくれるから毎日楽しいのだ。大人しく帰らないなら、容赦しないのだ」
アコから取り込んだ勇者の聖印が、吸聖姫の力を増大させている。
彼女が玉座から立ち上がっただけで、熱風のような魔法力が吹き荒れてアコに襲いかかった。
激しい魔法力の重圧に、黒髪の少女が腰を落として耐え忍ぶ。
リムリムは口元に八重歯を光らせた。
「この聖なる力があれば、魔王だって倒せるってカノンも言ってたのだ。みんなやっつけて、リムリムの下僕にするのだ。だから……邪魔するなら命をもらうのだ。悪堕ちしたらリムリムの仲間になれるのに、もったいないのだ」
「ボクだって可愛い女の子と戦いたくないよ。カノンはボクには過ぎたる仲間さ。どんなにダメでも見捨てずに、ずっとそばにいて支えてくれた。その優しさに甘えすぎてきたことを、今は後悔してるよ」
玉座のある壇からゆっくりと、リムリムは降りてくる。
「カノンはあれから、リムリムのことだっていっぱいいっぱい褒めてくれたのだ。リムリムなら世界を征服できるって励ましてくれたのだ。同じ夢を見てくれるカノンのためにも、絶対に負けられないのだ」
リムリムは両手からゼリーワームを鞭のように生やした。元勇者と吸聖姫。二人の間合いがだんだんと近づいてくる。
ステラはじっと俺に視線で訴え続けた。
今のアコに勝ち目はない……と。武器も使い慣れた鋼の剣と盾だけで、魔法もろくに使えない。その上、力の根源たる聖印を失っている。魔王さえも胸の聖印を押しつければ大人しくさせることができたアコだが、今や過去の話だ。
ただの一介の冒険者。しかも凄腕でもなければ、何か特別な力や才能があるわけでもない。
むしろ同じレベル帯の女子と比べれば、アコは落ちこぼれである。
そんな少女がたった独りで戦いを挑み、勝利できるほど上級魔族は弱くない。
それでも俺はステラにそっと、首を左右に振って返した。
魔王様は小さく下唇を噛む。が、俺の無言の制止を振り払ってまで、アコに助太刀はしない。
この戦いの意味をステラもわかっているのだ。
アコが乗り越えなければならな……。
「隙だらけじゃないですかぁ」
気配を消してリムリムの後背に回り込んだキルシュが、背中から吸聖姫に傘の先端を突きこんだ。
せっかくのお膳立てを見事にぶち壊してくれた元暗殺者だが、その切っ先はリムリムには届かなかった。
防壁魔法が攻撃を弾いたのだ。
玉座の影からスッと小柄な少女が姿を現す。
「大事なリムリム殿を背後から襲うとは、度しがたいでありますな」
黒いビスチェ風のリムリムとおそろいな衣装をまとい、短杖を片手にカノンがキルシュをにらみつける。
「ほらほら、やっぱりフォローに出てきましたねカノン先輩」
キルシュは傘を手元に引き戻して、その場で助走もつけずに跳躍すると、カノンめがけて全身を独楽よろしく回転させながら、傘を剣のようにふるってカノンの脳天に打ち下ろした。
寸前のところで短杖で払ってカノンはキルシュの一撃をかわした。
「おや、これを防ぐとは意外ですね」
「まったく凶暴な人間でありますな。リムリム殿、こいつは自分が相手をするであります」
身につけていないのに、カノンは自然と左手で眼鏡のブリッジを押し上げるようなそぶりを見せた。
アコが叫ぶ。
「キルシュやめて! カノンはリムリムに洗脳されてるだけなんだ!」
が、聞く耳を持たず元暗殺者と悪堕ち神官見習いは、視線の火花を散らしながら互いの得物で打ち合いを始めた。
「カノンさんをここで亡き者にすれば、勇者パーティーのナンバーツーの座が転がり込んできますね」
「なんの話かわからないでありますが、降りかかる火の粉は払うでありますよ。我が最愛のリムリム殿と築き上げた愛の城を守るためなら、どんな代償でも払うであります」
おっと、これはなかなか洗脳っぷりが重度だな。もし、カノンが正気を取り戻した時に、彼女の洗脳中の記憶がすっぽり抜け落ちていないと、とんでもなく気まずい流れだ。
アコが膝をつく。
「そんな……愛の城だなんて……二人は……二人はそこまでの関係にッ!?」
元勇者は戦う前だというのに敗北感でいっぱいだ。
ステラが尻尾を立ててアコに声をかける。
「しっかりしてアコ! カノンを助けるんでしょ?」
ショックが大きすぎるのか、ステラの声にもアコは反応しない。慌てて魔王様は俺の腕を掴んで身体を揺さぶった。
「ちょっとセイクリッド! 見守ってあげたいけどやっぱりアコには無理よ! アコの戦意をくじいた愛の城って、いったいどういう意味なわけ!?」
「まさか解っていて訊いておられませんよね」
ステラは黙り込むと、頭の上にクエスチョンマークを浮かべて首をかしげた。
ああ、この反応はぴっちぴち獲れたて新鮮な天然本魔王様だ。純粋でもいい、たくましく育ってくれ。
悪堕ちカノンと悪逆キルシュは、玉座の間狭しと切り結んでいる。しかし、狂犬と言われてはいたものの、神官見習いだったカノンが得意の光弾魔法も使わず、体術のみで血統書付き元暗殺者と近接戦闘を繰り広げるとは、意外だった。
ステラが俺を更に激しく揺さぶる。
「見てないでなんとかしてよ役目でしょ」
「ええぇ……では、また一肌脱ぎましょうか」
「セイクリッドのそれって文字通り脱ぐじゃないの! このままじゃアコが……」
戦う前に心をブチ折られた元勇者に、リムリムは両腕の黒い鞭を振り上げた。
「えっと、よくわかんないけどチャンスなのだ!」
危うしアコ。このまま戦わずして負けを認めてしまうのか。
やはり一肌ぬぐしかない。俺が上着をそっと脱いで畳みつつ、念のためアコの前に防壁魔法をいつでも出せるよう準備していると――
「いきなりだけどトドメなのだ!」
リムリムのゼリーワーム鞭が交差してアコに牙をむいた。
と、同時に俺の防壁魔法に割り込む形で、カノンがアコの前に小さな防壁を張って鞭を防ぐ。
アコの窮地を救った本人が、あっけにとられて棒立ちになった。
「あ、あ、あれ? 自分は……どうして……」
すぐにキルシュの「隙だらけですよ先輩~♪」というラッシュに、カノンは対応して余韻も残さず戦闘を再開するのだが、リムリムは「な、ななな、なんで!? カノンは悪堕ちしたはずなのに!?」と、こちらの予想以上の動揺ぶりを見せた。
そしてアコはというと、ぶるっと一度身震いする。
「ボクを守って……くれたのかい?」
俺はアコに告げた。
「カノンさんはまだ、完全に悪の道に引きずり込まれた訳ではないようですよ。勇者として……いえ、かけがえのない友人として、アコさんが呼びかければ声が返ってくるかもしれません。すべてを諦め投げ出してしまうには、早すぎるとは思いませんか?」
元勇者と神官見習いの、絆の糸がまだ切れていないなら、奇跡を信じて立ち上がれアコ。
黒髪の少女は顔を上げて、屈した膝を伸ばすとリムリムと対峙した。
そして、玉座の間の高い天井に向けて声を上げる。
「戻ってきて! そしてまた、ボクのお母さんになってよカノン!」
違うそうじゃない。が、言い切ったアコの表情はとても晴れやかだった。




