あの日の勇者はもういない
自分が脱げてしまうことには抵抗がないのに、年頃の少女が奔放すぎる姿をさらすと、どうにも視線のやり場に困る。
胸を上下左右に激しく揺らして、アコはもう一度リムリムに挑みかかった。
俺がリムリムを牽制しようと光弾魔法を構築すると、すかさずその射線を遮ってカノンが防御魔法を展開する。
今までのカノンでは考えられない強固な防壁だ。一瞬で三重展開するとは、やればできるじゃないか。
と、感心している場合ではなかった。
カノンが声を上げる。
「今でありますリムリム殿!」
「わかったのだぁ!」
リムリムの方からアコに向かっていく。アコは一瞬、予想外の吸聖姫の行動にたじろぎ――
「おっぱいいただきなのだ!」
吸聖姫の手にゼリーワームが生まれて、それは棒状になるとアコの胸と胸の間に挟み込まれた。
これ以上、いけない。
もはやアコごと光弾魔法でぶっ飛ばしてしまえと、俺は光弾魔法を発動させた。
「そうはさせないであります!」
俺が射線をズラすとアコの魔法防壁もスライドした。
構わず光弾を放つ。
三重の防壁は俺の手加減たっぷりな光弾を受けて砕け散ったが、こちらの攻撃の威力は完全に殺されてしまった。
その間に、吸聖姫がアコの胸から触手棒をヌポンとこすって抜き払う。
「すっごい聖なる力をゲットなのだー!」
勇者の証である聖印が、触手棒に転写されたように張り付いていた。
ぺりっと日焼けした肌を剥がすように、アコから聖印はいとも容易く剥ぎ取られる。
リムリムは満足げに微笑んだ。
「これでカノンを元に戻せないのだ」
悪堕ちからニーナを救った勇者の聖印は、アコの胸から奪われ失われる。
カノンがリムリムの手を握った。
「では、そろそろ戻るであります」
「今日からカノンはリムリムとずっとずーっといっしょなのだ!」
「もちろんでありますよ!」
二人はお互いに微笑みあうと、リムリムの帰還魔法が発動した。
フッと一つになった二人の影が聖堂から消える。
アコはその場に膝から崩れ堕ち、赤いカーペットに涙の雫を降らせた。
ステラが不安そうに俺に訊く。
「ね、ねえ……どうなっちゃうの?」
「まさかカノンさんが敵に寝返り、自主的に誘拐されるとは思いませんでした」
リムリムの帰還に合わせて、ゼリーワームも一匹残らず塵と消えた。
解放されたベリアルは、消耗しきって息も絶え絶えだ。
ニーナも悪堕ちから解放されてからは、ふわふわとした睡魔に包まれつつあった。
ニーナを介抱しながらステラはアコにそっと声を掛ける。
「き、きっと大丈夫よ。カノンなら……」
俺は講壇の裏手に置いた衣類入れの木箱から、タオルを取り出してそっとアコの背中に掛けた。
アコはぽつりと呟いた。
「カノンなんて嫌いだとか……勇者になんてなりたくないとか……願いが全部……叶っちゃったよ……はは……はははは……もう笑うしかないね」
ぐしゃぐしゃな顔で少女は声だけで笑った。
涙に濡れた黒い瞳は哀しげで、勇者の聖印を失ったせいか、普段からアコからにじみ出ていた根拠の無い自信が、微塵も感じられない。
キルシュがアコの隣にしゃがみこんで、肩にそっと触れた。
「まあ、居なくなっちゃった人のことはしょうがないんで、すっぱりきっぱり諦めましょうよ?」
ほんとキルシュさんや、もう少しあるだろ。人の心を持たない闇人形ですか。
元暗殺者のフォローにならないフォローに、アコは「え、あ、うん」と曖昧な返事をするだけだ。
まるで葬儀のような空気が聖堂に満ちる。
俺はそっとアコに告げた。
「取り返しましょう。アコさん」
少女は小さく首を左右に振る。
「無理だよ。ボクはもう勇者じゃなくなっちゃったんだ。ただのダメッ子アコちゃんさ」
「貴方にとって勇者の……いえ、勇者かどうかなど関係ありません。カノンさんはそうもあっさりと諦められる存在なのですか?」
アコは視線を床に落とした。
「聖印があれば元に戻せるのに、その聖印も取られちゃったんだ。ボクがうかつなばっかりに……きっとカノンだって、ボクが勇者だからいっしょにいてくれたんだよ」
否定しづらい。が、それだけではないはずだ。
「本当にそれだけで、そう、たかだか勇者だというくらいで、アコさんのような生粋のダメッ子と一緒にいてくれる人間が、果たしてこの世に何人いるでしょう?」
キルシュが「あ! 私ってそのうちの一人ですね! はいはいはーい!」と、挙手をする。
クソッ! 司祭らしく、良いことを言ってる空気感が台無しだ。
俺の隣にやってきてステラが耳打ちした。
「ちょっとセイクリッド。生粋のダメッ子は言い過ぎよ」
どのみち、良いことは言えていなかった模様である。
と、反省する俺にステラは小声で続けた。
「けど、これでよかったかも。アコが勇者じゃなくなって」
その声には少なからぬ安堵が含まれていて、ステラがこの状況を受け入れていると如実に語っていた。
魔王にとって勇者の消滅は、いつかやってくるかもしれない対決の未来を“無かった事”にするチャンスなのだから。
「ともかく、これからのことはゆっくり考えましょ」
ステラがそっとアコに手を差し伸べる。
「ステラさあああああああああんッ! うう! えっぐひっく! うわあああああああん!」
魔王の胸に顔を埋めて元勇者は号泣する。
果たしてこのままでよいのだろうか。
アコは拾い上げたカノンの眼鏡を手放さず、ぎゅっと握り締めたままだった。




