夜回り魔王城
光弾魔法をアレンジした、発光するだけの光球魔法を傍らに浮かべて、薄暗い廊下を照らしながら歩く。
石造りの重厚な通路は、埃一つ落ちておらず手入れは行き届いているのだが、夜だからだろうか物寂しい雰囲気だ。
窓は黒い鏡でもはめ込んだような闇に染まっていた。
城の大きさに比して、気配そのものが無いというべきか。
「ステラさん。まずはどこに案内してくださるのでしょう? あの、そのように私の腕に絡みつかれては歩きづらくてかないません」
薄布一枚隔てただけのSUGOKU USUIを俺の腕にぴったりと吸い付かせるようにして、少女はめそめそと今にも泣き出しそうな顔でこちらを見上げてくる。
自宅でビビる魔王とは、これいかに。
赤毛を小さく左右に振ってステラは呟いた。
「べ、べつに怖くないわよ。ううん、むしろセイクリッドが怖いんじゃないかなって思って、こうしてくっついてあげてるの」
「涙目になって言われても説得力が皆無ですよ。それに、悪霊退散のスペシャリストとして私を呼び出しておきながら、そのような心配は無用ですし」
仕方が無いのでしばらく歩く。
廊下はいくつも通路が交差していて、迷宮のような造りはさすがに勇者を迎え撃つ魔王城といったところだ。
適時、ステラが「そこ右」「あっち」「左の通路に行って」と、音声ナビゲーションで誘導してくれた。
その間、誰ともすれ違わなかった。
「ステラさん。魔王城というので、もっと守備のために魔物が配備されていると思っていたのですが、みなさんお休みなのでしょうか」
つい、感想を漏らすとステラが足を止める。
「え、えっと……お父様の頃とは違うから」
「違う……というと?」
伏し目がちになって、少女は「うう」とうめくように続けた。
「城の守りをする魔物って、魔王の力で生み出したりするものなの。昔はお父様の力で、この城もずいぶんと賑やかだったのよ」
それが今や、持て余すほどのがらんどうぶりである。
「なるほど。まだまだ発展途上のステラさんには、魔物を生み出す力は無いということですね」
少女のお尻の辺りで、尻尾がピンッと天井をさした。
「き、気にしてることを遠慮無くズバッと図星を突いてくれるわね。聖職者なら、もっと優しく包み込むようにフォローしてくれてもいいじゃない」
「失礼致しました魔王様」
機嫌を損ねたようだが、怒ったことでいくらかステラも元気を取り戻したようだ。
俺から離れて一歩前に出ると、先導を再開した。
ニーナが“最後の教会”を狭いと評するのも無理もない。ステラが案内してくれた食堂室や娯楽室など、城内の部屋はどれも教会の聖堂より広かった。
演劇ができる舞台と客席やら、音楽堂まであるのだから、これはもう城というより解放して商用にした方が良い気がしてならない。
他にも城下町のような通りが室内にもかかわらず揃っていた。
残念ながら店はなく、どこも扉は閉じてしまっている。
魔王モール暗黒の島店と、名前を変えてもいいような気がしなくもない。
「さて、今の所は特に異常は見受けられませんが……」
一応、今回の依頼は“謎の気配を追う”ことなので、城内の各所を入念に調べはしたのだが、それらしいものは見つからなかった。
続いて、ステラがストレス発散のためによく利用するという、魔法訓練室も確認する。
扉の前に魔王様が立ち塞がった。両腕をがばっと広げて彼女は訓練室の扉を背に庇う。
「だめ! この部屋はいいの。調べる必要ないわ」
「隠し立てはそちらのためになりませんよ」
ステラの腋の下に手を射し込んで、根菜でも抜くように「よっこいしょ」と持ち上げると、彼女をどかして俺は部屋の中に足を踏み入れた。
そこは――
標的となるダミー人形がずらりと並ぶ、弓術練習場のような部屋だった。
部屋というか、屋内訓練場というのが正確かもしれない。
標的ダミーまでの射距離は最長で五~六〇メートルほどだろうか。
魔導装置を起動すると、それらが前後左右に動くらしい。
ノーコンなカノンの光弾魔法の特訓にうってつけだと思うのだが、この射撃演習場のような訓練室には致命的な問題があった。
問題は、なぜこの施設をステラが隠そうとしたのか……だ。
「標的のすべてに銀髪ロン毛のカツラをかぶせるのはいかがなものかと」
ダミー人形は一体残らず銀髪サラサラのロングヘアーカツラを装着していた。
試しに魔導装置をオンにすると、銀髪を棚引かせて無数のダミー人形が縦横無尽に動き回った。
『ヤメテクダサイ。オユルシクダサイ。魔王サマドウカゴジヒヲ。アリガトウゴザイマス。アリガトウゴザイマス。我々ノ業界デハゴホウビデス』
動物の鳴き声のよろしく、ダミーたちから口々に慈悲を請う声が流れ出る。
ジトッとした視線を送ると、ステラはプルプルっと背筋を震えさせた。
「ぐ、偶然よ。なんとなく誰かに似ているのは、全部偶然なの」
日々、彼女はこの部屋で魔法を乱射しては、鬱憤を晴らしているらしい。
「さて、城内に異常はどこにも見当たらないようですし、私のようなポンコツ役立たず退魔師は、そろそろおいとまいたしましょう」
帰宅のため“最後の教会”に転移魔法を使おうとした瞬間――
「待ってセイクリッド廃止にするからカツラはやめるからぁ」
「音声もですよ」
うんうんうんと、首がもげそうな勢いで頷くビビり魔王様に泣きつかれて、俺はしぶしぶ次の部屋の確認に移るのだった。
残すところは寝室にバスルームとトイレである。
と、唐突にステラが俺に告げた。
「そうだ。さっきセイクリッド、シャワーを浴びようとしてたのよね」
「誰かさんのおかげで、中断するはめになりましたが」
「んもー! そういうこと言わないの。せっかくだし、お風呂貸してあげよっか?」
謎の気配はいいのだろうか。
「問題を解決するのが先決ではありませんか?」
「いいじゃない。もう、お風呂の前についちゃったんだし」
魔王城というよりは、温泉施設のように「湯」の一文字が描かれたのれんのかかった入り口へと、俺は引っ張られた。
魔王城名物「大浴場」と看板まで立っている。
ここは本当に魔王の城なのだろうか。
「はぁ……本当に今夜は忙しいですね」
「疲れを癒やすなら広いお風呂がぴったりよ?」
「誰のおかげで疲れているとお思いで?」
「だ、だからこうしてサービスしてるんじゃない」
もう無茶苦茶だ。
とはいえ、謎の気配が風呂場に逃げ込んでいる可能性も、無いとは言い切れない。
「では、せっかくですのでお風呂をお借りいたします」
のれんをくぐろうとすると、勧めておいてステラが俺の腕にしがみついて止める。
「ちょ、ちょっと待って! あたしを独りにするつもり?」
「行動が矛盾していますよ」
「だ、だからあのね! あ、あたしも一緒に……」
後半、蚊の鳴くような声になったところに。
ザアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!
大浴場からシャワーの流れる音が響いた途端、ここに来て初めての“何者かの気配”だ。
俺とステラの背中に電流のような衝撃が走った。