教会育ちのSさん
夜――
今日も一日、無事に過ごすことができた感謝の祈りを大神樹の芽に捧げ、俺がシャワーで汗を流そうと神官服を脱いだところへ――
「セイクリッド助け……きゃああああああ!」
薄いベールのようなピンクのネグリジェ姿の魔王様が、いきなり聖堂に飛び込んできた。
「こんな夜更けにようこそ教会へ。何をお望みですか? 毒の治療に解呪や蘇生など、私がお力になれることでしたら、なんなりとお申し付けください」
全裸のまま恭しく一礼すると、ステラは自身の顔面を両手で覆って、指の合間からこちらをチラ見しながら叫んだ。
「いいから早く服を着てちょうだい! というか、どうして聖堂で裸なのよ?」
「これからシャワーを浴びようかと思っていたところでして」
「それなら自分の部屋で脱ぎなさいよ。ここは神聖なる祈りの場でしょ?」
魔王のセリフじゃないやつ、いただきました。
しかし、俺に説教する以前に、そちらとて半裸のようなスケスケな格好ではないか。
こちらサイドばかり糾弾を受けるのは、いささか不公平である。
しぶしぶ神官服を着直すと、赤毛の少女はそわそわと尻尾を揺らして俺に近づき、腕をぐいっと引っ張った。
「と、ともかく来てちょうだい」
「司祭がみだりに教会を離れるわけにはまいりません」
「セイクリッドがいなくても、マーク2が全部やってくれるでしょ」
俺不要論をぶつけられたが、事実なので反論の余地が無かった。
ステラは焦っているようで、いてもたってもいられず、俺を引っ張り出せないなら押しだそうというのか、背後に回ると赤いカーペットの上でふんばって、背中をぐいぐいと押し始めた。
するりと避けると、勢い余ってステラがカーペットに倒れ込みそうになる。
「きゃっ! ちょ! ちょっと危ないじゃないの」
すかさず前のめりになった魔王様の腰の辺りを腕で支えて、転ばないよう留めたというのに文句を言われるとは心外だ。
俺は小さく息を吐いた。
「落ち着いてください。出張のご依頼でしたら、まずは場所と目的をお話願えますか?」
ステラは俺の腕の中から猫のようにスルリと逃げると、正面に立った。
「場所は魔王城で、その……えっと、ともかく何かいるのよ」
「何か……とは?」
「それがわからないから、こうしてセイクリッドに依頼しにきたんじゃない」
慌てぶりからして、よっぽどのことなのだろう。俺は講壇に立たせた案山子のマーク2に一瞥を投げる。
事態を察したと言わんばかりに、マーク2はピカピカと胸の記憶水晶を点滅させた。
ステラの帰還魔法で、俺は魔王城内の玉座の間までやってきた。
思えばここにやってきたのは、俺が赴任して早々、魔王候補アイスバーンを説得したあとと、ステラに頼まれて別の世界と繋がっている深淵門を閉じた時以来である。
三度目の招待を受けたわけだが、重厚な玉座にはなんら変わりなく、深淵門のような異常もみられなかった。
ステラはうつむくと、膝をこするようにすりあわせて、モジモジとお尻をむずがゆそうに揺らす。
「ほ、本当はここが一番、侵入者を許しちゃいけないのだけれど……えっと……うんとね」
「要領を得ませんね」
淡々とした口振りで返すと、ステラは顔を上げた。
「い、い、今から魔王城内を案内するから! でね、い、一緒に探して欲しいのよ。何かを」
「はぁ……まったく、ネズミでも出たんのですかね」
ステラは俺の手をぎゅっと握る。
緊張しているのか、冷たいのに手のひらはじんわりと汗ばんでいた。
尻尾をぺたんとさせて、赤毛の魔王様は呟く。
「ネズミならいいんだけどぉ」
「では幽霊でも出たと?」
俺が言った途端に、ステラはビクッ! と、大きく震えるように肩を揺らす。
「ば、ば、ば、バカなこと言わないでよ。幽霊なんて魔王城にいるわけないじゃない」
「由緒ある古い建物ですし、なにより魔王様の本拠地ですから、幽霊くらいいてもおかしくはないのではありませんか」
「いないったらいないったらいないの! いない……けど、ほら、ええと、その、万が一ね、その手のアレだった時に、聖職者的な感じの人がいてくれると助かるかなぁって」
魔王様の弱点に心霊現象が追加で発覚した。どれだけ弱点を俺に晒せば気が済むのだろうか。
「はぁ。だから大あわてで寝間着姿のまま聖堂に飛び込んでいらっしゃったのですね」
「ニーナを起こしちゃうのはお姉ちゃん失格だし、ぴーちゃんもニーナの部屋で休眠モード? みたいな感じなの。ベリアルはこの前セイクリッドからもらったお酒でデロンデロンだし、ハーピーは引き籠もりで役に立たないのよぉ!」
そこで、教会育ちのSさんの出番というわけか。
俺はそっとステラの背後側にある、魔王の玉座を指差した。
「ステラさん、後ろに……なにか手招きするような影が」
「ヒウイッヒッヒェアアアアアッ!!」
奇声をあげてステラは俺の背後に逃げ込むように回り込んだ。
魔王の玉座から、ゆらりと二つの影が立ち上る。
「「こっちへおいでよ~(ぷぎ)!」」
今や魔王ステラの配下となった、アイスバーンとピッグミーの幻影が手招きしていた。
ステラが手の中に極大獄炎魔法を構築する。
「あ、悪霊退散ッ!」
「ステラさんお待ちを。自宅を炎上させては元も子もないですから」
アイスバーンとピッグミーの幻影は、ステラを指差してプークスクスと笑いだす。
「小娘がびびっているとは、いやはや愉快愉快」
「きっと今夜は怖くておねしょするぷぎーね」
ステラはムッとした顔で「あとで覚えてなさいよ二人とも」と、自分の玉座をにらみつけた。
「ぷぎ? 全部アイスバーンがやれって言ったぷぎーよ? おれぴっぴは知らないぷぎー」
「な、なんだと貴様!? 手のひらを返すのが早すぎるぞこの裏切り者!」
「なに言ってるぷぎーか? そっちの方が先輩ぷぎーから責任とるのはそっちぷぎー」
「言うに事欠いて責任転嫁とは卑劣なる豚野郎だ。白黒はっきりつけてくれる。さあこっちこい!」
「おっ! やるぷぎーか? しょうがないヘビだぷぎーね。片手で相手してやるぷぎーよ」
仲間割れをしながら、元魔王候補の二人の姿は玉座の影に引っ込むのだった。
いや、呼吸ぴったりなところをみるに、ケンカを装って逃げたなあいつら……。
途端に俺の傍らでステラが「はぁ……」と安堵の息を吐いた。
幻影も幽霊も似たようなものだろうに。まあ、アイスバーンたちと違って、現在魔王城にいるという“何か”は、出所不明の得体の知れない存在だ。
ここは聖職者の俺が一肌脱いで、幽霊(?)退治といくとするか。
ステラはますます俺にくっついて、膝をカクカクと笑わせっぱなしだった。
「幽霊とかお化けなんて、みんなブチ殺してやるんだから」
「珍しく過激な口振りですね魔王様。ですが、それらは大概死んで化けて出ているので、殺すことはできないのではありませんか?」
「いやああああああ!」
耳を両手で塞いでステラは赤毛を振り乱すように顔をブンブンと左右にさせた。
それから涙目になって俺に抗議の視線を送る。
「セイクリッドのばかぁ」
自分でこちらに振っておいて、その言い草はおかしいだろうに。
ともあれ、魔王様に寄り添われながら、俺は玉座の間から魔王城内の、長い長い廊下へと歩み出るのだった。




