コスって魔王様
ステラはじっとしたままだ。呼吸を止めて俺の言葉を待つ。
緊張しているのか少女の肩はかすかに震えていた。
月明かりに照らされた顔は、どことなく神秘的だ。
「……………………ぷはっ! ちょ、ちょっとセイクリッド。早く言ってよ」
「すいません。魔王様の美しさに、つい見とれてしまって。天の月すら色あせて、貴方を照らす引き立て役のようでしたから」
ステラは船の縁から立ち上がると、身体をのけぞらせるようにして俺から距離を取った。
「や、やっぱり無理! 恥ずかしいからぁ」
その場でうずくまるようにして膝頭を互いにこすり合わせる。
「いかがいたしましたか? トイレに行きたいのでしたら、あちらにちょうど良い物陰がありますが」
「いかないわよ。もぅ」
目尻をつり上げ、いつもの彼女に戻ったようだ。
先ほどまで、そこかしこのカップルに“当てられて”いたのかもしれない。
「はあ、では改めて、とても大切なお話があります」
俺が咳払いを挟むと、ステラは俺の隣に戻って……というか、船の縁を越えて後ろに回り込む。
振り返らずに確認した。
「参りましたね。こうもあっさりと背後を取られてしまうとは」
「隙だらけね。このままこうして……ぎゅうっと締め付ければ」
「うっ……はははは、意外に力があるようで」
ステラの手が俺の首筋を撫でたかと思うと、そっと肩を掴んで揉みしだく。
マッサージは自分も得意な方だが、彼女もよくツボを押さえていた。
「魔王様に肩を揉んでいただけるとは恐れ多いこと。それにしても大変お上手ですね」
ステラはリズミカルに揉み手と呼吸を合わせながら「実はベリアルにしてあげてるのよ」と、声を弾ませた。
「なるほど、道理で」
「んっ……しょっと……けどベリアルにこのことは秘密ね」
「それまたどうしてです?」
「部下なのに上司にマッサージしてもらっていることを、宿敵のセイクリッドに知られたとなるとベリアルが可哀想でしょ」
「確かに。ステラさんは細やかに気配りのできる、実に部下思いの良い魔王様でいらっしゃる」
魔王様のマッサージをするテンポが早まった。
「でしょでしょでしょ~?」
「あ、そこを刺激されると弱いです」
「こうかしら? ほれほれ~ここがええのんか~」
「ええ、もっと早くこすり上げるようにしてください」
「あ、ほんとにいいんだ。どう? 男の人にするの初めてだから、ちゃんと気持ち良くなってるか心配なんだけど。セイクリッドが満足するまで、いっぱいしてあげる」
おっと、なにやら雲行きが怪しくなってきたな。
「もう十分にこりがほぐれました。ありがとうございます」
言いながら立ち上がり振り返る。
「んもー。遠慮しなくてもいいのに」
俺は彼女にそっと手を差し出した。その手をとって「よいしょっ」と、船の縁を蹴って少女は白い砂浜に着地する。
「では、大事な話をしますね」
「ええ。いいわよ。なんでも言ってちょうだい。こうなったらあたしも魔王よ。さあ、一思いにスパッと!」
俺が“大事な話”と切り出すと、ステラは後ろに腕を回してモジモジそわそわし始めた。
「なにか勘違いされているようですね。私はステラさんを呼びだして討伐などしませんから」
「え、ええとそう……いう解釈もあるわね」
「介錯でしたらお望みとあらば」
「自害しないわよ!」
どうにも噛み合わない模様である。いい加減、話を進めよう。
「ステラさん。この島について地元の漁師たちから、ある事実を私は知らされました」
「漁師? 事実?」
キョトンとするステラに、俺はアレックスの言葉を思い出しながらかみ砕いて説明する。
最初は「ゑ?」という顔をしていたステラだが、段々と事情が呑み込めてくると弛緩した表情が引き締まった。
「なるほど、それはあり得る話ね。けど、賢者っていったいなんなのよもー」
腕組みをしてステラは口を尖らせた。
なんなのよという意見には同意しかない。
俺はあくまで、可能性として補足を付け加えた。
「アレックスが嘘をついている。もしくは、すでに何者かの手によって操られている。場合によってはアレックス自身も魔族で、我々を利用してこの地で暗躍する魔族を排除しようと画策している。あるいは彼自身が主犯と、疑い始めればキリはありません」
「ま、事情通がなんで事情通なのかっていうと、その事情を作った張本人っていう説もあり得る話よね。けど、村の人たちは今、ほとんどその事を知らないんでしょ?」
「ええ、その通り」
「じゃあみんなに教えちゃえばいいじゃない? セイクリッドはこれでも一応、大神官なんだし」
一応は余計である。それに火山島では事情が違った。
「残念なことに、この島では火山信仰もあってか神官の言葉には影響力がないようなのです。司祭も追い出されたようですし」
小さく息を吐くと、俺は続けた。
「ということですが、私としては、この地の魔族をどうするか判断をつけかねています」
「魔族なんてやっつけちゃえばいいじゃない! 大神官でしょしっかりしてよ」
「お言葉ですが魔王様。それを貴方が言うのはいかがなものかと」
「あたしはいいの! 特別だもの。ねー?」
自信満々でステラは小ぶりな胸を張る。
「同意を求められても困りますね」
「ち、違ったの? ここのところ、ずっと一緒にいるから……あたしてっきり大神官公認魔王なんだと思ってたんだけど」
大神官及び教会は、魔王の公式スポンサーではございません。まあ、一部業務提携してはいるのだが……。
「その件は一旦置くとして、火山島を裏で支配しているという魔族については、島を繁栄させているという点において人間と共存している状態です」
元々、アレックスが調査のために冒険者を雇って仕向けたことに対しては、魔族側の防衛という見方もできなくはない。
刺客を送った張本人であるアレックスに対して、彼の妹の姿を借りて警告に留めたのも、裏を返せば敵意ではなく、説得のための演出の可能性もあった。
無論、好意的な解釈だが。
ステラがぼんやりとした顔で、俺にぐっと顔を近づけてかかとを上げて背伸びする。
「セイクリッドってやっっっっぱり変な人よね」
「大神官を捕まえて変人呼ばわりとは失礼な」
「だって今、共存って言った時……すごく真面目だったもの。嘘をつくとすぐに悪党みたいな笑みを浮かべるでしょ?」
「嘘など吐いたことがありませんよ」
「ほら、それ。悪だくみ顔してるとすぐにわかっちゃうんだから」
ああ、つい出てしまったか。自分は本当に正直な人間だと、つくづく思う。
ステラはニッコリ微笑んだ。
「けど、魔族と人間が争わずにいられるなら、世界は今よりもっと良くなるかもしれないわね」
「私を変人呼ばわりする割に、ステラさんも魔王としては異端ではありませんか」
「そ、そんなことないわよ? 超怖いんだら。恐怖で支配しちゃうんだかへぶっ!」
焦って早口になったあげく噛み噛みとは、威厳もなにもあったものではない。
「ああ、恐ろしい恐ろしい。では、そういうことですから、万が一なにかあった場合には、ニーナさんだけでも連れて帰還魔法で魔王城にお帰りください」
「大事な話って、もしかしてそれだけ?」
「ええ、それ以上大事なことなどあるでしょうか」
なぜかステラは白砂の上に膝を着き、orzの姿勢になると拳を浜辺に叩きつけた。
「知ってた! 知ってたわよ! 知ってたんだからそれくらい!」
「では、戻りましょうか。二人だけで抜け出したことに、アコやベリアルが気づいたら、あらぬ疑いをかけられかねません」
そっと手を差し出すと、ステラは「ばかぁ」と小声で呟きながらも、俺の手を取って立ち上がった。
異変に気づいたのは、その直後の事だ――
村の通りやコテージ近くの浜辺に、あれだけいたイチャイチャカップルたちが、忽然と姿を消していた。




