バーベキューの乱 ~セミ・ファイナル~
バーベキューが始まると、女子一同に笑顔が溢れた。
セミの声と炭火の爆ぜる音がリズムを奏でる。
海から吹く潮風は火照った肌に心地よく、耳がさざ波に癒やされるようだった。
コテージ脇に備え付けられた野外テーブルに、飲み物のボトルと皿がずらりと並ぶ。飲料を冷やすための氷の塊やアイスピックなども出そろったところだ。
全員がそれぞれグラスを手に取って掲げた。
「「「「「「「かんぱ~い! 」」」」」」」
特別なにか慶事があったのでもないが、今日ここに集った全員が無事、楽しむことを祝ってという、掛け替えのないごくごく普通の乾杯だった。
「肉串と野菜串が食べ頃ですね」
火の番兼調理担当は俺の役目である。
「ヒャッハー! 肉だあああ!」
アコのテンションは肉食系女子というか、もはや末世のモヒカーン族なアレである。世界が終わったあとでも逞しく生きて行けそうだ。
「肉と野菜はバランス良くでありますよアコ殿~!」
振り回されるカノンだが、その声は明るく楽しげだった。
珍しい取り合わせだが、ニーナとキルシュが隣あってテーブルの席につく。
「ニーナさんはなにが食べたいですか? わたしが取ってきてあげますよ」
「うーんとぉ……セミ?」
「セミはないので海老はどうですかね?」
「うん! ニーナ海老がいい!」
危うくセミ・オン・ザ・バーベキューコンロするところだ。元暗殺者の好判断である。
トングで手早く焼き物を仕上げる俺の隣に、ベリアルがグラスを二つ手にして忍び寄った。
「な、なぁセイクリッド。忙しそうだな? 炭火のそばで熱いだろ? 水分補給した方がいいぞ」
グラスになみなみ注がれた液体は透明で、サラリとしたものだ。
火山島特産の椰子の蒸留酒。運んできた連中が言うには、アルコール度数100%未満とのこと。
1%でも99%でも同じ表記ができてしまう数字のマジック的なアレである。
「さ、さあ飲め! ぐいっと! 一気に!」
頬を赤らめベリアルは胸を押しつけるようにして、焼けた息を吐きつけてくる。
魔物状態の彼女なら、勇者パーティーを全員麻痺にするようなヒリつく熱波になるに違いない。
「仕方ありませんね。カノンさん、火の番をお願いします」
「ふぁ、ふぁひへはひまふ~!」
肉串を頬張りながらカノンとトングをバトンタッチして、俺はベリアルと向き直るとグラスを手にした。
と、そこに火の粉はふわりと飛んで、ベリアルのグラスの液体の上にポトリと落ちる。
シュボッ!
音を立てて青白い炎がグラスの縁で踊り出した。
なにも見なかったようにベリアルはフッと炎を吹き消す。
「よし……と」
なにが“よし”だ。まったく。
「では、改めて乾杯だな大神官!」
「ええ、双方の調和と健康を祈って」
チンっとグラスの縁と縁をキスさせると、お互い腰に片手をあてて一気に中の液体をあおる。
あ……これアレだな。99.99999999%程度の度数の水だ。
最後の一滴まで飲み干すと、ベリアルがドサリと倒れた。国が違えど世界が違えど、人だろうが魔族だろうがこうなるのは当然の帰結と言える。
ちなみに俺はといえば、危険を察知して解毒魔法のアレンジでアルコールを即時分解し、肝臓への負担を最小限に抑え込むという神官混破の魔法を使い事なきを得た。
回復職に勝負を挑むとは愚かなり。
昏睡したベリアルを抱き上げる。ステラが慌てて俺に駆け寄ってきた。
「ちょ! ちょっと! ベリアルどうしちゃったの? っていうか、お姫様抱っこじゃない」
「日頃の疲れがたまっていたのでしょう。ベッドに運んでおきますので、ステラさんはみなさんと楽しい食事をお楽しみください」
ふと見ると、ニーナが近くの木で鳴いているセミをサッと手づかみして、カノンの元にもっていった。
トングを手にしてカノンが固まる。
「に、ニーナちゃんそれは……」
「せみー! ニーナはせみ取りだからぁ」
「セミを焼くのでありますか?」
「だめですか?」
真顔のニーナにカノンは頭を抱えた。
アコがやってきて、ニーナの手からセミをひょいっと取り上げる。
「ニーナちゃん。今日はいっぱいご馳走があるから、セミはいいんじゃない?」
「そっかぁ」
少しだけ残念そうにニーナは呟いた。
飛び去るセミに幼女は手を振った。
「ばいばーい! 長生きしてねー!」
アコもカノンもセミに手を振る。ぽつりとアコが呟いた。
「恩返しあるかな?」
カノンが目を細める。
「キャッチ&リリースで、さすがにそれはないでありますよ」
どこでも夏ならば同じようなやりとりがありそうな、そんな会話を二人はしていた。
ついでに言えば、セミの寿命は一週間ほどだ。
即死を免れたセミは、火山を目指すように飛んでいった。
と、視線を戻すと目の前でステラが目尻をつり上げている。
「ちょっと、セイクリッドってばボーッとしちゃって」
「失礼しました。セミの安否が気になったもので」
腕の中ではベリアルが「ん……ふぅ……やめ……くっ……きさまぁ……あぁん♥」と、熱い吐息を漏らして何者かと戦っている。
「おっと、早くベッドに寝かせて介護して差し上げなければ」
コテージに向けて歩き出すと、ステラがぴったり後ろについてきた。
「そ、そうやって胸が苦しそうだから上着を脱がせてあげたりしようっていう魂胆ね。あたしの目はごまかせないんだから」
「場合によってはそのような処置もいたしますが、なにか問題でも?」
「あるに決まってるじゃない」
頬袋いっぱいにドングリを詰め込んだシマリスのように、ステラはほっぺたを膨らませてコテージの中まで着いてきた。
俺がベッドにベリアルを寝かせても、不機嫌そうなままである。
寝室を出てリビングに戻ると、ステラが俺を引き留めるように服の裾をちょんと引いた。
振り返って訊く。
「どうしましたステラさん? せっかくの南国リゾートというのに、楽しめていないご様子ですが」
「た、楽しいわよ。みんなで料理したり温泉に入ったり……」
うつむき気味になって少女は視線を逸らす。偽装魔法で隠してあるはずの、魔王の尻尾がへなっと垂れているように錯覚した。
「なにかお困りの事がありましたら、なんなりとお申し付けください」
「困ってないわよ。だけど、セイクリッドは楽しめてるのかなって。ここに来てもみんなのお守りばっかりだし」
俺を気遣ってくれていたのか。
「そういうことでしたら、魔王様が気に止むようなことは何一つございません。みなさんが楽しんでくださること、それが私にとっての幸福なのですから」
顔を上げてステラはじっと俺を見つめる。
「笑ってないじゃない。本気で……言ってるんだ」
「当然ですとも。大神官なのですから」
自身の胸にそっと手を添えて一礼すると、ステラはようやく「わかったわ。あたしもなんだか、変な気を回しちゃって……そんなの魔王らしくないわよね」と、少しだけ苦みを含んだ笑みを浮かべた。
そうだな、せっかくなのでステラには島で暗躍する魔族のことを、今のうちに話しておいてもいいかもしれない。
「ステラさん。大事なお話が……」
言いかけたところで、コテージの玄関にアコが飛び込んできた。
「セイクリッド大変だよ! セミの魔物が!」
どうやらニーナの無邪気な行動が、火山方面の魔物を呼び寄せてしまったらしい。
「あとで二人きりで時間を作ってお話しますね」
「あ! ちょ! ちょっとセイクリッドなによそれぇ……」
その場で立ち尽くす魔王様をコテージに残して、俺はアコとともに外に出た。
「ミーンミンミンミン! 我が眷属を食べようとしたのはキサマらかぁ! 七百年の眠りより目覚めて一週間! 世界制覇の第一歩として、この超高速の異名を持つセミーン様が成敗してくれるわ!」
庭先に巨大なセミ男が降り立った。超高速の怨返しだ。
と、一瞬呆気にとられてしまった俺の間隙を縫うようにして、ニーナが無邪気に駆けていく。
「わぁ! おっきいセミだぁ! 握手してください!」
「ミーンミンミン! よかろう!」
気前が良いのかノリが良いのか、セミ男はニーナの手をとると、そのまま抑え込んだ。
アコが吼える。
「ニーナちゃんに乱暴狼藉はボクが許さないよ!」
カノンがトングを手に身構える。
「って、いきなり人質取られて大ピンチでありますよ!?」
キルシュがテーブルのアイスピックを手にした。
「魔物なら殺していいですよね」
笑顔で言うな。いや、ニーナを人質にとった時点でセミ男の運命は決まったようなものだが。
セミ男に抱えられて、ニーナは「きゃっきゃ!」と嬉しそうに声を上げる。
「さあどうする人間ど……」
俺がいかにしてニーナを傷つけず奪還し、セミ男をしばき……説得するか瞬時に九つの処刑方法を思いついた瞬間――
ニーナを解放すると、セミ男はその場にドサリと倒れた。
別にキルシュがアイスピックを投擲して、急所に直撃させたわけでもない。
俺はニーナに縮地歩行で近づき守るように背に庇う。カノンが恐る恐る、トングでセミ男をつつくがピクリともしない。
セミ男は手足をぐっと身体の内側に引っ込めて、カッチコチに固まってしまった。
「し、死んでるであります!?」
超高速の寿命だった。




