寝る寝る寝るね
犬の遠吠えすら聞こえない静かな夜――
照明を落として自室のベッドで横になる。マットレスは気休め程度で寝心地は悪いが、静けさは代えがたかった。
この“最後の教会”には、刺客や暗殺者がやってこない。
安眠の妨げが無いのは実に素晴らしい。
教会の扉はいかなる時も開かれる。
何人も拒まぬという方針をこうして実行できるのも、周囲に魔王城しか存在しないという、まれに見る立地あってのことだ。
だんだんとまどろむ意識の中、不意に声が頭の中に響いた。
(――聞こえますか……聞こえますか)
慈愛に満ちた女神のような声は静かに語りかける。
(――今まさに……眠りの底へと落ちようとする我が子よ……あなたの信じる光の神です……今、あなたの心の中に……直接……呼びかけています)
おお、ついに俺を哀れんだ光の神から託宣が言い渡されるのか。
腰の辺りから沈むような重さを感じた。身動きがとれない。
金縛りだ。
(――ご近所付き合いを……しっかりと……するのです……赤い髪の少女を……敬い……優しく……接するのです……)
ずいぶんと具体的な神託だな。
(――いいですか……赤い髪の少女がやってきたら……今日も素敵だと……言うのです……恥ずかしがることは……ありません)
閉じていた目を開く。
ベッドの上で俺の腰のあたりに馬乗りになった赤毛の少女が声を上げる。
「な、なんで起きちゃうのよ!?」
「こんな夜中に教会になんの御用ですか? 蘇生ですか? 旅の記憶ですか? 毒の治療ですか? 呪いを解きましょうか?」
指示書通りの対応をしつつ、ベッドサイドの魔力灯を点灯する。
赤毛の少女はぷいっとそっぽを向いた。
「そ、そんなんじゃないし」
「重たいので降りていただけませんか?」
「あ、あたしはそんなに重くないんだから! そ、そりゃあニーナを膝に乗せるのとはわけがちがうでしょうけど」
ぶつくさ言いながら少女――魔王ステラは降りる気配もみせず、俺の腹と腰の間にぺたんと座り込んで体重を落とした。
「人間椅子ね」
「生存権について一度、きちんと話合いの場を設けた方がいいかもしれませんね?」
「えーッ!? だって教会の扉開いてたじゃない? あれって『入ってオッケー』ってことでしょ?」
俺は仰向けのまま溜息を天井に向けて解き放った。
「ハァ……教会は閉ざす扉を持たないというのが原則ですから」
当然、治安の悪い地域などでは例外だが。
ステラは俺に乗ったまま、その場で上下に身体を揺らした。
ベッドがギシギシと音を立てる。
「じゃあじゃあ問題無いじゃない!」
「神を騙る魔王は大いに問題ありですよ」
「か、騙ってないわよ。別に……」
伏し目がちになって目を背ける魔王。バレバレすぎて嘘つくってレベルじゃない。
ペロッと舌を出してステラは尻尾を揺らした。
「ねえねえそれで、神様はなんて言ってたの?」
「近所に住む赤い髪の少女に気をつけろと」
「そ、そうは言ってないわよ! あっ……神様はそうは言ってないわよ!」
魔王は墓穴を二度掘る。
「ああ、思い出してみればたしか、少女には気を遣えとか、どうとか」
ステラは赤毛のツインテールを焚き火の炎のように振り乱した。
「そうそう! それよ! 話のわかる光の神ね。ほら、今夜から心を入れ替えて、あたしを敬いなさいセイクリッド! もっと手加減とかして、優しく接してあげるべきよ! あと光の棒で叩くのも無しね! それから遊びに行った時には、ちゃーんと良いお茶とお菓子でもてなしてよね! ついでに何か失敗しても許してあげる寛大さが神官には必要だと思うの」
フフン♪ と、自慢げに胸を張って鼻を鳴らす魔王よ。自分で言ってて情けなくならないのか?
「ところで魔王様。この体勢というか姿勢について、何か気づきませんか?」
「マウントポジションとったどー!」
拳を握り両腕を上げるステラに、溜息すら出ない。
「わざとですか?」
「え? ち、違うの?」
ぽかんとした顔をしないでくれ。
「ともかく降りてください。そして魔王城にお引き取りを」
「ちぇー。添い寝くらいならしてあげてもよかったのに。あ! もしかしてずーっと寝たままの格好なのって、ひそかに添い寝希望だったりするの? しょうがないにゃー」
語尾をかみかみになりながら、ステラは俺の毛布をスカートの裾でもつまみ上げるようにめくる。
むくりと俺は身体を起こした。
「独りはなれていますから、ご心配いただきありがとうございます」
「寂しいこと言うわね」
諦めたのかようやくベッドから降りて、ステラは部屋を出ようとする。
「ね、ねえ玄関まで送ってくれてもいいんじゃない?」
「迷うような薄暗い夜道でもなければ、途中で誰かに襲われることもないでしょうに」
「そういうことじゃなくてッ! ねえお願いだからぁ!」
俺の腕をとってぐいぐい引っ張る。
「わかりました。お送りいたしましょう」
せっかくのまどろみもすっかり消えてしまった。
軽くあくび混じりに立ち上がると、ステラを教会の入り口まで送る。
金属製の扉を開いたところで――
「じゃあまた明日ね!」
いったいなんだったんだ。俺の眠りを妨害する以外に、目的があったのだろうか?
薄暗い魔王城の正面口にステラがたどり着く。
だが、門は開かなかった。
なにやら騒ぎ立てるが開門する気配はない。
しまいには、ステラは半べそかきながら、教会に戻ってきてしまった。
「いったいどうしたんです?」
「うぐっ……ひうっ……閉め出されたかも……」
静かなるクーデター、ここに成立。
ステラまさかの魔王から、ちょっと迷惑なただの魔族に降格である。
赤髪の少女は俺の胸に飛び込んできた。
「どうか一晩! 一晩でいいから、この哀れな魔王を一泊させてくださいお願いします!」
断る理由は一瞬で七つほど思いついたが「いいですよ」と返す理由が見当たらない。
「魔王が教会に一泊なんて許されるんですか?」
「仕方ないじゃないの! 自動施錠なの忘れてたのよ!」
そういえば、門番の姿も見られなかった。
「仕方ありませんね。ベッドを使ってください」
「わーい! ありがとねセイクリッド! べ、別にあなたのベッドだからってクンクンハスハスとかしないから安心してね」
「少しは『自分がベッドを使うなんて本当にいいんですか?』的なリアクションをポーズだけでもとってほしいものです」
ステラは泣き顔が笑顔に変わると、意気揚々と俺の私室に向かいつつ言う。
「そういうまどろっこしい女子じゃないわよ、あたしは!」
赤い絨毯の上をスキップしつつステラは聖堂を抜けて、再び俺の部屋に入るとベッドに飛び込み、毛布にぐるぐるとくるまった。
「ステラロールよ! どうかしら?」
「私は聖堂の長椅子で休ませてもらいますね」
「スルーッ!? スルーなのッ!?」
いちいち全部に反応もしていられない。
と、彼女に背を向け部屋を出ようとしたところで、ステラの声のトーンが変わった。
「あのね……本当に……ありがと」
「お気になさらずに」
「ねえセイクリッド……振り返らないでこのまま訊いて」
夜のしじまが二人の距離を遠のかせるように、沈黙で部屋は満ちる。
ステラは落ち着いた、どこか哀しげな声色で続けた。
「もしね……もしもだけど……あたしがいなくなってニーナだけ残るようなことがあったら……ニーナのこと……お願いしたいの」
「ベリアルさんがいるではありませんか?」
「ベリアルが守らなきゃいけないのは、魔王だもの。言ったでしょ。もしものことだって」
振り返ったなら、ステラはどんな顔をしているだろう。
よほどの決意が無ければ、本来敵対するべき神官に願い出ることもないだろうに。
魔王であることよりも、ステラは姉であることを選んだような……そんな気がした。
「構いませんよ。安心して死んでください」
「なによその言い方! あなたらしいじゃない」
怒ったような、それでもかすかに嬉しそうに少女は言う。
俺は咳払いを挟んで続けた。
「さっそくですが貴方を倒してニーナさんの親権を奪うとしましょう」
「えっ!? 嘘やだなにそれ怖い!?」
今度は本当に怯えるような声だ。ゆっくり振り返って俺はステラに告げる。
「冗談ですよ。目が覚めてしまいましたし、夜は寒いですから紅茶を一杯お付き合いしていただけませんか魔王様?」
「貴方が言うと冗談に聞こえないんだけどッ!!」
夜中にこっそり飲む紅茶は、二人だけの秘密が溶け込んだ味がした。




