ムーラムーラの掟
桟橋に停泊中の漁船が夕日で赤く染まった海へと船出する。
部下たちを残して、アレックスと二人ロマンチックな遊覧だ。男同士で無ければキスまで発展しただろう。
手こぎの小型漁船の櫂を筋肉男は軽快に漕いでいく。
どうやら魅せるための筋肉だけではなく、海によって鍛えられた肉体だったらしい。
男が手を止めると、小舟はさざ波の上でゆっくり揺られるようにして停まった。
「浜辺で話しても良かったんじゃありませんか?」
「まあ、そりゃあそうなんだが、旦那と二人きりになりたくて」
「ブチ転がされたいのですか?」
真顔で返すとアレックス「冗談でさぁ」と、なぜかしょんぼり肩を落とした。
「できれば手早くお話ください。このあと野外バーベキューパーティーの準備もありますので」
魔族が作った観光の村とはいえ、時折感じる視線はどれも村人たちのものだ。
それに敵意や悪意の類いではない。
教皇庁勤務の頃は、陰謀や罠や暗殺者に事欠かなかったため害意殺意にも敏感だったのだが、そういったものは今のところ、感じられなかった。
俺の感性が“最後の教会”に配属して以来、鈍くなったのかもしれないのだが……。
ともあれ、急にバーベキューを中止などすれば、かえって“敵”に気取られかねない。
アレックスは「ってことなら旦那、この島特産の椰子の蒸留酒と美味い魚介をあとで若い衆に届けさせるんで」と、白い歯を見せて笑う。
「おや、まるでこちらが催促したみたいで申し訳ありませんが、それは助かります。ところで、なぜ私が酒屋に行くと知って先回りができたのでしょう?」
「酒場のバーテンダーは古い友人でな。幼なじみさ」
他にも村人の中にはアレックスたちの協力者が紛れ込んでいるという。俺への視線は、そんな彼らの監視……というよりは、期待の眼差しだったそうだ。
が、ほとんどの住人たちは魔族の存在すら知らないらしい。
村の中から変えていけないことは情けないのだが、冒険者でもない彼らにとって頼りになるのは俺のような、強い人間だという。
「どうしてそのような事になるのでしょうか?」
「そいつは……この村を数年で一気に変えちまった男のせいなんだ。それまでは貧しいながらも、みんなで団結して生きてきた漁村だった。いや、そうじゃない。団結だなんて……」
突然、大男が涙を流す。船でわざわざ海の上に出たのも、そんな姿を見られまいとしてか。
「一から順番にお話ください」
涙を腕で拭ってアレックスは事情を説明した。
かつて火山島の集落――ムーラムーラ村は温泉があるだけの漁村だった。
村には残酷な風習があったというのだ。
火山への生け贄である。七年に一度、村から少女を山の神に捧げるというものである。
その頃には、村に教会から司祭が派遣されたのだが、その司祭の教義が入りこむ隙間もなく、布教はお世辞にも上手く行ったとは言えないようだ。
「教会が見当たらないのはそういう……司祭はどうなりました?」
「出ていっちまったよ。というか村人全員で追い出したみたいなもんだ」
無医村ならぬ無司祭村だが、そういう話は珍しくもない。
南国の開放感から想像しにくいほど、かつてのムーラムーラ村は閉鎖的だったようだ。が、生け贄の風習なんてものがあれば、仕方の無いことか。
そういった偽りの神を曝くことで、今日においても教会は信仰の枝葉を伸ばし続けている。
アレックスはゆっくり息を吐いた。
「今から七年前、まだ十四歳だった俺の妹が巫女に選ばれて、火山の神に捧げられたんだ。当時は村の連中を恨みもしたさ。弱い自分を呪って強くなろうと身体を鍛え続けたんだ」
哀しい筋肉だな、それは。
「その神を名乗っていたのが魔族なのでしょうか?」
「いやそんなやつはいねぇさ。巫女を捧げるようになってから、大噴火しなくなったって偶然が風習になっちまったんだよ。ただ、村の連中も俺もこの村しか知らなかった。妹のサーラも自分から村のために火口に身を投げたんだ。だが、あの男が変えちまった」
「いったい誰です?」
「風変わりな仮面をつけた……そう、旦那ともどこか雰囲気や背格好が似た男だったよ。そういえば声の感じもどことなく……いや、もう七年も前だ。旦那はずいぶん若いが、その頃じゃもっとガキだろうし」
腕組みするとアレックスは深く息を吐いてから続ける。
「名乗りもしなかったが、いつの間にかそいつは“賢者”って呼ばれるようになってたんだ」
ああ、この案件は厄介そうだ。暗躍大好きだなそっくりさんめ。
「大体の事情は呑み込めました。貴方も火山に神がいないという認識を、その賢者によって植え付けられたのでしょう?」
「な、なんでわかったんだ?」
「村しか知らない人間が先祖代々祀ってきた山の神。それを疑うというのは、よそ者の入れ知恵がなければ、思いつきもしませんから」
それからの顛末はこうだ。
村は賢者によって火山の神の呪縛と生け贄の風習から解放された。
さらに温泉を利用して観光客を呼ぶ方法を教えたという。
教会にあった大神樹の芽は、今では管理棟の魔法力供給源だそうな。
「どうやってそのような仕組みを?」
「全部、賢者がやってくれたんだ。時々、中継地点として村に立ち寄る商船なんかがいたんだが、話をつけて交易ルートにしちまって、今じゃ毎日大陸から直行便が往復するようになったしな」
これだけなら賢者のやったことは、悪いこととも思えない。大神樹の芽の活用法にしても、自分が教会の人間でなければ同じことをしたかもしれないな。
「魔族が出てきませんね」
「順番にって言ったのは旦那だぜ」
「ええ、では続けてください」
「賢者は村にとっちゃ恩人で救世主だ。だから、誰も今のこの繁栄を疑っちゃいない。問題は……賢者がいなくなってからだ。いつの間にか消えちまって、その後の行方は誰にもわからん」
先日、マリクハで襲ってきたのが最新情報か。
アレックスの表情が引き締まった。
「なあ、旦那。この村に来る客たちをどう思う?」
「皆さん、楽しんでいるようですね」
「村としてもたっぷり散財してもらうおかげで生活はずいぶんと楽になったんだが……なんというかだな……男と女ばかりなんだ。賢者が消えてしばらくは、普通の客もいたんだ。今じゃ旦那たちみたいな家族旅行は珍しいぜ」
家族ではないのだが、いちいち説明して話の腰を折ることもない。
「言われてみればたしかに、浜辺はカップルばかりがいちゃついていましたね」
グループ交際の一団もいたが、基本的には男女である。
コテージの寝室もツインルームではなくダブルベッドだ。
「いつの間にか、村の雰囲気がガラリと変わって……最初は変化ってのがそういうもんだって思ってたんだが、つい気になって、有り金叩いて冒険者ギルドに調査依頼を出したんだ」
「結果は?」
アレックスは無言で首をゆっくり左右に振った。
「火山付近は魔物も強いですし、調査の途中で全滅したのかもしれませんね」
「調査から戻ってこないんで冒険者ギルドに問い合わせたら、依頼した冒険者たちが死に戻ってないってんだ」
ずっと行方不明のままか。
魔族によっては冒険者の復活を阻止するため、封印することもある。アイスバーンがアコたちを氷の棺に閉じ込めたのも、記憶に新しい。
俺は自分の顎を軽く親指と人差し指でつまむようにした。
「しかし、それで魔族の仕業と、よくわかりましたね?」
「いや、その時はまだ……しばらくして妹の……サーラの夢を見るようになったんだ。俺に助けを求めるんだよ。もう七年経って、心の整理がついたと思ってたのに……」
アレックスは拳をギュッとにぎり込む。
「それからどうなったのですか?」
「ある満月の晩、サーラの夢をみてハッと目が覚めると、奇妙な胸騒ぎがして、俺の足は自然とこの入り江の浜辺に向いていたんだ。サーラとも一緒に遊んだ思い出の場所だからな」
俺は黙って耳を傾ける。
「サーラがいたよ。七年前と変わらない姿で。そいつは言ったんだ。邪魔をするな……って。あんなことができるのは、人間じゃないでしょう旦那?」
「しかし、どうして私を選んだのですか?」
「筋肉見りゃ一目でわかるって。さっきは、もやし扱いして悪かったぜ。旦那の身体は鍛えるために鍛えたもんじゃねぇ。戦いで作られた本物の戦士の肉体ってやつだ」
哀しげに笑うアレックスに俺はそっと手を差し伸べる。
「お酒はたっぷり用意してください。冒険者たちから調査を引き継ぎましょう」
一瞬、アレックスはぽかんとした顔をしたが、俺の手をとらずいきなり抱きついてきたので――
身を翻して腕を掴むと、俺は巨体を海に投げ落とした。
「な、な、なにしやがんですか旦那!」
「男と抱き合う趣味はありません」
「んな殺生なぁ」
ともあれ、困っている人間がいれば放ってはおけない。俺は実に大神官としてまっとうな生き方をしていると、我ながら思うのである。




