そのうち伝説へ……
最果ての地にぽつんと建つ教会の、聖堂内に信者無し。
講壇に上がるのも馬鹿らしいので、長椅子に腰掛けしばらく。
そんな俺の膝の上にちょこんと座って、ニーナが絵本を開いて楽しげにページをめくる。
俺が朗読すると「わぁ!」やら「ふえぇ!」と、小さな口から声をもらした。
そろそろ物語もクライマックスだ。
俺(地声)「たとえこの身がドラゴンの炎に焼き尽くされようとも! 僕は死にましぇーん!」
俺(裏声)「まあ素敵! 抱いて!」
一人二役もこなせなくて、何が大神官か。
ニーナが足をパタパタさせた。
「まあすてき! だいて!」
変なフレーズを覚えてしまったようだ。
最後まで読み終えたところで、金髪が目の前でふるふると揺れた。
見上げるように小さなあごをあげて、こちらに顔を向ける。幼い純真な上目遣いもまた、良いものだ。
ステラやアコにもこんな時代があったのだろうか。
「セイおにーちゃはステラおねーちゃのことすき?」
「ええ。とても美しく気高く、それでいて気取らない気さくさも持ち合わせたニーナさんの素晴らしい姉君ですからね」
「そうですかー」
なぜか敬語になるとニーナはうんと、頷いた。
「ニーナはセイおにーちゃが、ステラおねーちゃのことを、もっといっぱい大好きになってほしいなぁ」
どうやら絵本の「結ばれた王子と姫のハッピーエンド」を、ニーナは気に入ったようだ。
さて、どう答えたものか。
「いっぱい好きになるよう努力いたしましょう」
「わあい!」
あくまで努力目標だ。
するとニーナは体重をそっと預けるようにして、小さな耳を俺の胸にぴたっとくっつけた。
「おにいちゃの心臓はいっぱいドキドキしてないのー」
「神官たるもの平常心を忘れないよう、普段から鍛えているんです」
密着すると、ふわりと甘いミルクのような香がした。
幼女の体温が神官のローブの上からでも伝わってくる。
「あ! おにーちゃちょっとだけドキドキ?」
「ニーナさんには隠し事はできませんね」
「おにーちゃがステラおねーちゃと結婚したら、おにーちゃが王様なのー」
うっかり世界の半分を手に入れた上に、こんなにかわいい妹ができるとは。
「またおにーちゃ、ドキドキ早くなった?」
「気のせいですよ」
お茶でも淹れて一息つこうかと思ったところで、大神樹の芽が光を帯びた。
『遊びにきたよー! セイクリッドいるよね? いっつも暇そうにしてるんだし』
『おや? 貴殿もセイクリッド殿のところで復活でありますか?』
『初めて会うね。ボクはアコ。光の神に選ばれた勇者さ』
『そ、そ、それはなんと! さすがセイクリッド殿であります。勇者殿が信頼し、その復活を委ねられるだなんて』
魂のまま会話をするな。
ニーナが声は響けど姿が見えない二人の少女を、キョロキョロと探し出す。
「どこですかー? どちらさまですかー?」
なにさまですかと俺の代わりに言ってほしいくらいだ。
トコトコとニーナは講壇の裏手やオルガンの後ろや、大神樹の芽も反対側まで回り込んだが、誰もいない。
「おかしーのです。アコちゃんせんせーの声なのに」
「いいですかニーナさん。アコさんがおかしいのは今に始まったことではないんですよ」
『ちょっとセイクリッドまだー!? あとがつっかえてるんだけど?』
『じ、自分は良いであります! あ、あう……た、魂が……ここは自分に任せて、勇者アコ殿は先に復活するでありま……』
「蘇生魔法&蘇生魔法」
そして殺す。とは、さすがにできないのだが、アコの後ろに後輩がいては、放ってもおけなかった。
復活するなりアコとニーナの視線がぴたりと合う。
「アコちゃんせんせーだぁ!」
アコはしゃがんで視線の高さをニーナに合わせると、優しく彼女の頭を撫でた。
「ニーナちゃんに会いたくて、命掛けでやってきたのさ」
「ニーナはとってもかほうものです」
自分のほっぺたを両手で包むようにして、ニーナはほっぺたを赤らめる。
先ほどの絵本で覚えたばかりの果報者という言葉を、恐らく意味もわからぬまま使っているのだろう。
そして、もう一人――
眼鏡にキャスケットをかぶった青い髪の少女が、俺にびしっと敬礼する。
「恥ずかしながら戻ってきてしまったであります!」
「どうして王都の教会に復活地点を移動させなかったのですか?」
「そ、それは……もう一度、セイクリッド殿にお会いしたくて。自分は未熟者でありますから、セイクリッド殿からもっと学びたいのでありますよ!」
「別に何も教えていませんよ?」
「お、教えていただいたであります! 黒魔導士の尻尾の秘密については、あのあと学校の友達みんなに広めて知識を共有したであります」
黒魔導士への熱い風評被害。
とりあえず死因を訊いてみるか。
「それでカノンさんはまた、どうして死んでしまったのですか? 戦術教科クラスが情けないですよ」
「返す言葉もないであります。もっと強くなりたいと、一人で鍛錬に出たのでありますが……やはり見習い神官一人では限界があったであります」
俺は小さく息を吐く。
「ハァ……我々神官は回復や防御に補助を得意としますからね」
カノンはぎゅっと拳を握り込んだ。
「ですが、名伏せられしあのお方は単身で上級魔族をいとも容易く倒しておられたとか。『これから毎日魔族焼こうぜ!』の名言をご存知ではないのですか!?」
「存じ上げませんね」
初耳だ。誰だそんな発言をねつ造したのは。
心当たりがなくもないが。
この手から抜き払われる“光の封殺棒”(打撃属性)で、毎日は言い過ぎだが週に三~四回ペースで魔族をしばき……人間の領域に出てくる魔族にお引き取り願うよう、説得した時期があるにはあった。
ともあれ――
ハーフ魔族のニーナには、あまり訊かせたくない内容だな。
ニーナはケラケラと笑った。
「これからまいにち、まぞくやこうぜ!」
「ニーナさん、それ以上いけない」
幼女は不思議そうに「ほぇ?」と、目をまん丸くしながら首を傾げる。
本当に育ち盛りすぎて、悪い大人の影響を排除しきれないな。
アコが俺とカノンの間に割って入った。
「ねえねえボクの死因も訊いてよセイクリッド!」
「転移魔法」
「ちょ待ってよ! これでもレベル6に上がったんだから! それに装備だってセイクリッドのアドバイス通りにしたんだよ?」
腰のベルトに紐で覇者の雷剣の柄がぶら下がっている他は、ライトバックラーに武器は――
「じゃーん! 青銅の剣だよ! ちゃんと盾は買って、剣は道中で見つけたんだ」
「鎧は着ないのですか?」
「高いしガチャガチャしてて動きづらいだけなんだよね」
重戦士というよりは、軽装な剣士という出で立ちのアコに「良い判断だと思います。死ななければ」と、返す。
アコは恥ずかしそうに後ろに腕を回して後頭部をぽりぽり掻いた。
「やだなーもう。恥ずかしい。けどセイクリッドがちゃんと褒めてくれて嬉しいよ。ボク、なんだかやる気が出て来た!」
褒めてない。死んでなければという部分だけ、アコの耳には届かずバッサリカットされたようだ。
だが、アコは心底嬉しそうに目を細める。
「厳しいことも言うけど、セイクリッドのおかげかも。ありがとね」
そんなアコにカノンが熱い眼差しだ。
「あ、あの! 勇者殿! もし……もしよろしければ自分が……お供したいであります!」
緊張で杖を握る手を震えさせながら、まるで焦がれる人に思い切って告白するようにカノンは告げる。
「いいよ! オッケー! パーティー組もうね。わーい仲間ができたよ! やったねボク!」
悲劇的な結末を予感してしまった。が、少女二人は俺の目の前でギュッと握手をかわした。
アコがカノンに言う。
「ボクはアコ。勇者殿じゃなくて、アコでいいよ」
「じ、じじ、自分はカノンであります。王立エノク神学校に在学中の駆け出し神官であります」
「へー。神官なんだ」
白を基調とした神官と同じ紋様の入った制服を着ているだろうに。
アコとカノンが握り合った手に、ニーナがそっと小さな手のひらを重ねた。
「ニーナも仲間になるうー!」
勇者がニッコリ微笑む。
「いいよ。ニーナちゃんもボクらの仲間だ。一緒にがんばろうね」
「おー! ニーナもがんばります! お茶をいれるののお手伝いができるのー!」
俺が止めようと近づくと、ニーナは俺の手をとってアコとカノンの握手する手に重ねた。
「セイおにーちゃもなかーま!」
俺に手を重ねられてカノンの顔が赤くなる。
「あ、ああ! お、男の人と手を繋ぐのって……初めてであります」
繋いでないぞ。
俺の手の甲にニーナが背伸びしながら、えいっと自分の手のひらを改めてのせた。
アコが満足げに頷く。
「最強パーティー完成だね!」
勇者、大神官、神官見習い、幼女。
一見すると最強に見え……ない。いったい何と戦おうというのだ。
俺はニーナに告げる。
「ニーナさんは冒険に出るのは、もう少し大人になってからの方が良いのではありませんか?」
「あ、うぅ……ニーナうっかりしてたかも」
握手を解いてアコが膝を折りニーナに告げる。
「ニーナちゃんが大きくなるまで、冒険をいくつかとっておかないとね」
「ほ、ほんとにアコちゃんせんせー?」
「本当だよ。全部冒険しないって約束するから」
勇者のくせに生意気な。ニーナは恋する乙女の表情でアコに抱きついた。
「まあすてき! だいて!」
アコがすっとニーナの小さな身体をさらうように抱き上げる。
いわゆるお姫様抱っこというやつだ。
「これでいいかなニーナちゃん」
「わーい♪ アコちゃんって女ったらしだねー」
どこで覚えたその言葉。
「そうだよー! ボクは可愛い人なら女の子もウェルカムさ!」
クッ……ニーナを人質に取られているので強制送還できない。
アコが来たら蘇生と転移を一つに組み合わせた合成魔法を自動発動する記憶水晶の生産待ったなし。
待ってと言われれば待つ。
迷える子羊の声に耳を傾けねばならないというのは、神官職のつらいところだ。
カノンが眼鏡をとって目尻にたまった涙を指でぬぐった。
って、今のどこに泣く要素があるんだ?
「まるで竜にとらわれた姫を救った初代勇者様のような神々しいお姿でありますな」
もうだめだこいつら。
俺が教育してやらないと。
この日、出逢ってはいけない二人が出逢ってしまい、勇者はぼっちから神官見習いという最良の相棒とパーティーを結成したのだった。
のちにこれが伝説と……なるわけがないか。