澄ました顔してヤバイ母
もう十分に打撃という名の身の上話には耳を傾けたと言えるだろう。
俺はガイエンの拳をかいくぐると、振るった腕の腋の下をくぐり抜けるようにして背後に回り込んだ。
「ぬう!? 消えただとッ!!」
ガイエンが振り返るよりも早く、俺は手刀で頸動脈を「トン」と叩く。自分で言うのもなんだが、抜刀居合いのような早業だ。
「ぐあっ」
と、小さく呻くと、ガイエンは白目を剥いて地面にぶっ倒れた。
意識が吹き飛び受け身も取れずに危ない倒れ方をしたが、頑丈そうなので問題ないだろう。
とはいえ、少々やり過ぎだったか。
巨体がズシンと地に伏すと、同時にキルシュがたちあがった。
「あーっ!! パパが! パパがっ!!」
しまった。事を荒だてまいと少し本気を出したのが、裏目に出てしまったか。
キルシュの母親――アンタレスも娘を追って立ち上がった。
母子は倒れたガイエンの元に駆け寄ると、キルシュが父親の、幹のように太い手首の脈を取る。母、アンタレスはガイエンの首筋を確認して口元を緩ませるた。
「まぁ♪ 恐ろしく速い手刀でしたねキルシュちゃん」
「え? 手刀だったの? 肩が動いたところしか見えなかったかも。それよりパパ脈ありだよ!」
「本当に声の大きさと頑丈さだけが取り柄の人なんだから。殺してくれてもよかったんですよ。うふふふ」
口元を隠して笑う淑女がなんだか怖い。。
アンタレスの口調には憎悪や殺意がまるでないのだ。旦那を気絶させられて動揺一つしないのである。
まるで“せっかくだから、今夜はうちで一緒に夕飯食べていきなさいな”と誘う近所のオカン的な口振りである。暗殺者一家と一般人では、文化が違いすぎる。
キルシュがぷっくりとほっぺたを膨らませた。
「セイクリッドさんはちゃんと殺意を手加減できるスゴイ人なんですから! うっかりミスして殺すなんてありえないんです! 殺る時は殺る大神官さんなんです!」
母親は「ずいぶん入れ込んじゃってるのね」と、嬉しそうに目を細めながら「お父さんを寝室で休ませてあげて」と、メイドたちに指示をした。
メイドが八人がかりで担架に乗せてガイエンを搬送する。
その様子を見ながら、ティーカップを手にしたままステラが引きつった笑みを浮かべて呟いた。
「えっと……なんかキルシュもアンタレスさんも、嬉しそうなんだけど」
アコもカノンも「わけがわからないよ」と、困惑を隠せない。
アンタレスが俺の手をそっと包むように両手で握る。
「娘のこと、似るなり焼くなりお好きになさってください。暗殺に失敗した以上は、その相手が異性ならば愛するのが我が家のしきたり」
「あの、急にどうされたのですか?」
「あら、キルシュのことだから、てっきりそのことはお話し済みかと思いましたのに」
すうーっとアンタレスの視線がキルシュに向く。
「し、しし、しきたりのことは……まだ……」
「キルシュちゃんってば、困った子ね」
テーブルで席についたまま、アコがビシッと挙手をした。
「しつもーん! 殺し損ねたのが同性だったらどうなるの?」
アンタレスがニッコリ笑う。
「性転換して愛するか自害するかの二択なの。ほんとごめんなさいね、変なしきたりで」
「へー。自覚あるんだぁ」
思った事を口に出させたら勇者アコの右に出る者はいない。
が、怒るどころか「そうなの。ほんと困っちゃうわ」と、穏やかな口振りと態度を崩さないアンタレスもアンタレスだ。
カノンがぼそりと呟いた。
「つまりキルシュ殿はセイクリッド殿の暗殺に失敗したので……どうなるのでありますか?」
キルシュが自分のほっぺたを指で軽く掻きながら、伏し目がちにカノンに回答した。
「えっと……だから……セイクリッドさんには当家に婿入りしてもらって、わたしを暗殺者就任前に寿退任させてもらうか、わたしが自害するかってところです」
ステラの手に持ったカップの紅茶が波を打ってこぼれ出す。
「ちょ、ちょちょちょ待って! セイクリッドどうするの!? っていうか、どうなっちゃうの!?」
俺が大神官である以上、勝手に自害してどうぞとは言えないだろう。
貰い事故ならぬもらい強制婿入りイベントである。
前代未聞だ。断れば少なからず、この世から一人旅立つことになるという。
元を正せば依頼主が悪い。俺のどこに王国の平和を乱す要素があるというのだろう。
いや、もしくは反教皇派はこの状態を狙っていたのだろうか? だとすれば策士だ。
キルシュが俺の前に立つ。アンタレスは引き潮のように後ろへ下がった。
「というわけで、とっても恐縮なんですけど、あの、いやなら断ってください。セイクリッドさんの目の届かないところで、こっそり服毒自害か切腹か首つりして、この命、華と散らせる所存ですから」
やめてくれ。
「ふつつか者ですが、よければ婿入りしてください!」
ビシッと手を差し出してキルシュは頭を下げる。
こういうことは男の方からプロポーズするものだろうに。というか、もう無茶苦茶だ。
アコもカノンも固唾を呑んで見守り、ステラはブルブル震えて紅茶のカップは中身がすべてこぼれて空になっていた。
紅茶で魔王様のスカートがびっしょり濡れる。なにやら、よからぬ濡れ方をしているように見えたが気のせいだろう。
沈黙が屋敷の前庭を包み込む。判断を間違えるわけにはいかないな。
俺はキルシュの差し出された手を――
「お断りします」
手の甲側から叩き返した。
「ひゃ! そ、そ、そんなぁ!」
「そんなぁではありません。自分の命と引き換えに私に迫るなど言語道断です」
「じゃあ、死にます死ねばいいんですよね!」
「それも許しません。まずは今回の暗殺依頼を撤回させましょう。私が王国に仇なすような存在ではないと証明し、依頼主を説得して取りやめさせます」
アンタレスが目を丸くした。
「まあ、なんて……なんて頼もしく逞しいのかしら」
何をやっても評価が上がりそうで、もうやだこの暗殺一家。
キルシュが困り顔で俺から目をそらす。
「け、け、けど依頼人の情報は……守秘義務があるから……」
「死にたくなければお教えください」
無論、俺が殺すのではなく自害したくなければという意味である。他意は無い。
キルシュが悲鳴を上げた。
「ひいい! い、言います! 全部言います白状します!」
「おっと、他の方に累が及ばないよう、私にだけ耳元で伝えていただければ結構です」
俺の隣に近づいて、黒髪の少女は背伸びをした。こちらも若干屈み気味になって、彼女に耳を貸す。
「うわぁ、こんなに近づくとドキドキしますねセイクリッドさん」
「早く仰っていただけませんか? でないと死にますよ?」
「は、はははははい!」
俺は誰も傷つけることなく、キルシュから反教皇派の重鎮の名前を訊きだした。
まあ、王の番犬である暗殺者一家を動かすくらいだから、よほどの大物とは思っていたのだが、依頼人は教皇に次ぐ実質ナンバー2のじいさまだった。
「結構です。では、説得は私にお任せください」
暗殺者(未満)の少女がじわっと榛色の瞳を潤ませる。
「婚約破棄ですか?」
「そもそもしていませんから」
「婿入りも?」
「当然です」
なぜか紅茶でスカートを濡らしたステラが両手を万歳させている。
ああ、きっと死人が出ないと確定したので、喜んでいるのだろう。意外に慈悲深い魔王様だ。
「これでキルシュさんの暗殺失敗という事実そのものがなくなります。が……今後の事を考えると心配ですね。アンタレスさん。お宅の娘さんの進路について、相談したいことがあるのですがよろしいですか?」
アンタレスはハンカチを取り出してそっと涙を拭いながら「残念ですけど、もし気が変わったらいつでもキルシュをもらってあげてくださいね」と、声を震えさせた。
やっぱり怖いぞ暗殺一家。まあ、逆上して襲いかかってくることがなかっただけ良しとするべきかもしれないな。
となると、次の議題はキルシュの将来についてである。暗殺者であることをやめてくれれば一番だが、冒険者あたりに転職してもらう方向で、調整を進めるとしよう。




