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死ぬ間際ファミリー ~暗黒街のかわいいパティシエセット~

「がーっはっはっはっは! 我が拳を受けて潰れぬとは、見上げたものだ」


 ガイエンは脇を締めると上半身を∞を描くように揺らし始めた。


 風を切る動きに連動して左右の腕からフック軌道のパンチが連打される。


 一撃一撃が岩をも砕く打撃だった。魔法で身体能力を強化した上で、腕に物理防御力を向上させる魔法をかけて対応する。


 ガイエンが口を開いた


「母さんや。お嬢さん方の相手を頼む」


 控えていた淑女がスッと手を挙げた。ステラが尻尾をピンっと立てて身構える。


 キルシュの母親の号令に、メイドたちがそれぞれ四散した。あるものはテーブルを庭に運び、別のメイドはパラソルを用意する。純白のテーブルクロスがテーブルの天板に被された。


 分担作業でテキパキと、メイドたちは庭の一角にオープンカフェを作り上げる。


 紅茶の芳香が庭に広がって


「さあ、キルシュちゃんのお友達のみなさん。ゆっくりしていってくださいね」


 母親らしい包容感のある優しい笑みに、臨戦態勢に入りかけたステラの尻尾がしなっと垂れ下がった。


 キルシュがステラの手を取って「今日は我が家のお茶を飲んでいってください!」と、母親と同じ榛色はしばみいろの瞳をキラキラと輝かせた。


 すでにアコとカノンはメイドに促され、そっと椅子を引いてもらって着席している。


 キルシュの母親が手を叩くと、サンドイッチとスコーンとケーキが三段重ねの特注の皿……というか、タワーに載った本格的なアフタヌーンティーのセットがテーブルに運ばれた。


 一段目はハムやチーズにローストチキン、それにトマトやレタスにキュウリなど、朝採ってきたばかりのような、瑞々しい野菜をたっぷり使ったサンドイッチだ。


 パンもホワイトブレッドだけでなく、ライ麦パンや全粒粉など様々だ。


 なぜ席についてすらいない俺に、そんな事がわかるのかといえば、カノンが丁寧に「まるでサンドイッチの宝石箱であります」と実況してくれたおかげである。


 中段にはスコーン。ほのかに湯気が漂い、その香ばしく甘い匂いにステラの目尻がトロンと落ちる。添えられているのはクローテッドクリーム、三種のベリーのジャムだ。


 紅茶に合わないわけがない。


 そして、最上段に鎮座するのは女子垂涎のケーキの数々。


 ピンク、グリーン、キャラメルの三色マカロンに、リンゴのコンポートやベリーに大粒の白ブドウが添えられたカスタードクリームパイ。ヘーゼルナッツクリームのエクレアと、チーズケーキにガトーショコラ。


 少女たちの視線は豪華できらびやかなスイーツに、完全にメロメロで俺を心配する素振りも見せない。


 午前中から本格的な午後の紅茶とは恐れ入る。


「がっはっはっは! まるで石を殴っているようだ!」


 紅茶の準備が整い、ステラたちのカップに熱い琥珀色の液体が注がれる間、俺はずっと当主ガイエンの拳を防ぎ続けていた。


 不条理である。アコに代わってもらいたいものだ。今の彼女の訓練相手にガイエンはちょうど良いだろうに。


 そろそろ単純な打撃では俺を倒せないと、悟ってくれても良さそうなものなのに、ガイエンは玉の汗を気持ちよさそうにかきながら、笑顔で拳の嵐を繰り出す。


「あの、すいません。私もあちらで紅茶をいただきたいのですが」


「まあ待て。このまま話を聞いて行くがいい」


 鍛錬の賜物か、飛びちる汗のしぶきとは裏腹に、ガイエンは呼吸一つ乱さない。


 汗が陽光で小さな虹をかけた。


 嫌なモノを見てしまったな。俺は顔だけ紅茶パーティーのテーブルに向ける。


「あの、私にもケーキをとっておいていただけませんか?」


 アコが楽しげに俺に手を振った。


「セイクリッドの分はボクに任せておいて! がんばれー! がんばれー!」


 カノンに視線を向ければカノンはそっと顔を背け、ステラも俺とガイエンを視界に入れないよう、細心の注意を払っている。


 なんて連中だ。人が暗殺者に白昼堂々殺されかけているというのに。


 ガイエンの拳が加速した。


「よそ見はいかんぞ。では始めよう。これはそう……キルシュを授かるよりずっと昔のことだ……」


 そのまま熊のような大男は、髭を楽しげに揺らして語り出した。




 ガイエンは錬筋術士として、真理の探求に明け暮れる旅をしていた。


 一つ、確認しておかねばならないのは、錬金術ではなく錬筋術というくだりである。


 若きガイエンにとって、筋肉を鍛錬した技術=錬筋術の真理を得るための旅は苦難の連続だったという。


 武器を持たず、拳一つを頼りに、時には襲い来る山賊を相手に命のやりとりをする日々。


 が、彼のあまりの強さに山賊も盗賊も敬服し、いつしか地域一帯の荒くれ者たちの首魁に祭り上げられてしまったそうな。


 ガイエンが持っていたカリスマ性も手伝って、集団は肥大化、成長を続け武装組織になっていたのだそうな。


 脳筋党の誕生である。党首ガイエンは自ら先陣に立ち、様々な強敵や王国の正規軍すら撃破していった。


 すべては筋肉の限界を知るため。このおかしな思想は伝播し、倒された正規軍の一部さえも、脳筋党は吸収してしまったのだそうな。


 事態を重くみた王国はガイエンの首に多額の報奨金をかけるも、冒険者たちは挑んでは敗れ、時には脳筋党に入党し、もはや手が着けられないほどの武装勢力にまで登り詰めたという。


 脳筋党の反乱。そういえば、神学校にて近代史の授業で、そんな話を聞いたような気がした。


 もはやこの世を筋肉と歪んだ思想で埋め尽くさんとする巨悪の集合無意識を前に、教会も手をこまねいてしまうほどだ。


 なにせ説得に出た神官が三ヶ月で腹筋が六つに割れて帰ってきたのである。


 改宗させられたのだ。


 絶望的な状況を打破するため、王国はついに、裏世界にあってその名を口にすることもはばかられるという、伝説の殺し屋――紅サソリことアンタレス嬢に依頼したという。


 俺はチラリと茶会のテーブルに視線を向けた。


「まるで娘が増えたみたい。うふふ♪」


 アコとカノンのハッピーセットが子供っぽく笑った。


「いいなーキルシュのお母さん美人だし優しくて」


「とっても素敵であります」


 照れるキルシュの隣で一緒にテーブルを囲む母親は、ほっこりとした笑顔を見せた。


 なんとも良い雰囲気だ。


 つい、ガイエンが放つ拳の嵐をかいくぐりながら、俺の口から言葉が漏れる。


「あちらの淑女が……ですか?」


「がーっはっはっは! よくぞ見抜いたな! 冥土の土産に顛末を教えてやろう!」


 一緒に紅茶を飲みながら話せばいいと思うのだが、話しの通じる御仁ではないようなので、俺は諦めて防戦を続けることにした。


 気が済むまで付き合って、頃合いをみて説得(物理)しよう。




 アンタレスの家系は暗殺者の名門で、彼女は百年に一度の天才と呼ばれていたらしい。急所を一突きにして、相手が自分が死んだことすら気づかないうちに絶命させるという赤い死神――それがキルシュの母親だった。


 その手は血に染まっているが、あくまで王国のために仕事をこなす闇の世界の番犬のようなものだとか。


 刺客として放たれたアンタレスと脳筋党の党首ガイエンの戦いは熾烈を極めたという。


 だが、お互いの命を天秤にかけ、拳と拳をかわすうちに――


「愛が芽生えた……と?」


「その通りだ! がっはっはっは! どうだ! 今、まさに貴様と我の間にも深い愛の絆が結ばれようとしている。さあ! 防ぐばかりでなく、打ってくるがいい」


 よかったずっと防いでいてよかった本当に。


 説得は物理ではなく、少々邪道だが口頭で話合いによるものにしよう。


 ガイエンは拳の回転速度を上げながら続けた。




 アンタレスに惚れたガイエンはプロポーズし、アンタレスはそれを受け入れたという。


 それが脳筋党崩壊の引き金となった。党首の強烈な求心力があったからこそ、荒くれ者たちは一つに束ねられていたのである。


 扇の要を失った脳筋党は、カリスマの引退によって内部分裂し、跡目争いが激化したあげく空中分解したのだった。


 アンタレスは見事、錬筋術士ガイエンの命を奪ったのである。


 そして二人は結ばれ、ガイエンはアンタレスの家に婿入りした。


 暗殺者ガイエンの誕生だ。


 アンタレスから王の番犬の任務を引き継いだガイエンの仕事ぶりは、豪快の二文字に尽きたという。


 武器の持ち込めないサウナや風呂場といった場所に出向いて、素手のみで標的を仕留め続けた。


 殺すのは悪党のみ。その殺し方はあまりに不器用で、紅サソリと評されたアンタレスのような洗練とはほど遠いのだが、ガイエンが暗殺者の座に納まってしばらく、その筋肉の暴力は伝播して、凶悪な犯罪は減少したそうな。


 その時、ガイエンは筋肉が抑止力になるという真理に到達したのだとか。


 どうでもいいわそんなこと。


 そうして――麗しい母親の姿と、父親の不器用さ。


 二つを兼ね備え、この世に生を受けたのがキルシュだったというわけだ。


 ピタリ――と、拳の嵐が止まった。


 スッと両腕を下ろしてガイエンは俺の顔をのぞき込む。


「では、改めて貴様に問う……キルシュを伴侶として婿入りすると誓うか?」


 誓いの儀式を取り仕切るのは大神官たる俺の仕事だが、まさか誓わされる身になろうとは。


「唐突すぎて話についていけません」


「貴様が首を縦に振れば、キルシュは誰も殺すことなく引退できるのだ」


「代わりに私が暗殺家業を継げと?」


「貴様には才能がある。先ほどけしかけたモヒカンズへの対処、実は屋敷の二階から見させてもらったのだ。躊躇なき暴力は実に見事」


 回復魔法を使いながらの打撃技だからこそ、思い切り踏み込める。それをどうやら、この男は勘違いしたらしい。


「あれは回復魔法を……」


 ガイエンはカイゼル髭を指でつまむようにして撫でた。


「皆まで言うな。先ほどから我に向けたる眼光の鋭さ、まさに全盛期の母さんのようだ」


 アンタレスが「あら、いやですわお父さん」と、困ったように眉尻を下げた。


 ええい、おしどり夫婦め。そんなに仲むつまじいと、こちらも対処に困るだろうに。


 ガイエンはそっと俺に開いた手を差し出した。


「ようこそ婿殿。歓迎する。断れば殺す」


「お断りします」


 フッとガイエンから殺気が消えた。今までずっと攻撃的な意識をこちらに集中させていたため、俺の心理の死角をかれたような格好だ。


 伸びたガイエンの手が俺の腹部を神官服の上からそっと撫でる。


「腹筋はそうは言っていないぞ。身体は正直だな」


 なにこの人怖い。


 話しが通じないのもそうだが、こんな父親に特訓されて育てられたキルシュに、ある種の同情心が芽生えた。


 なぜか俺の頭の中で「ほらセイくん! 噛まれると五秒で死ぬ蛇みつけたから、解毒の魔法の練習しようね」と笑顔のヨハネ(十一歳)の姿が浮かぶのだった。


 ちなみにアフタヌーンティーのケーキは本当にアコが俺の分まで食べたので、勇者に対する俺の中のドS定期預金が満期を迎える寸前になったのを追記しておこう。

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