一つ教会の屋根の下
人数がこうも多いと私室も手狭で、テーブルは女子会で埋まってしまい、あぶれた俺はベッドに腰掛けソーサーを手に、紅茶の香りを楽しむこととなった。
めざとく見つけた戸棚の焼き菓子を、さも自分が用意したかのようにステラは振る舞う。
保冷庫に隠しておいた卵たっぷりカスタードタルトは、あとでニーナと俺とで楽しむことにしよう。
濃い琥珀色をしたお茶の香りにうっとりしながら、キルシュは幸せそうに目を細めた。
「本当に美味しい紅茶です。ずばり! ステラさんって素敵ですよね」
突然の賛辞に赤毛の少女が激しく尻尾を左右に振った。
「え? ええ!? そんな褒めても何も出ないわよ? あ、お茶のお代わりどうかしら?」
「いただきます! ああ、なんてスゴイ人なんでしょう。先ほどの炎の魔法。見ず知らずの標的ではなく、知り合いに向けてなんのためらいもなく撃てるなんて、殺しの心構えがなければできないことです!」
鼻息荒くキルシュは褒め称える。普通の人間視点では決して褒め言葉じゃないぞ。
同じくそう感じたのか、ステラも困ったように眉尻を下げた。
「そ、それは……えっと、信頼っていうか……なんていうか……全力を出して良い相手っていうか……」
言葉を濁しながら魔王様は自分のほっぺたを人差し指で軽く掻く。どうにも尊敬の念は気持ち良いのだが、痛し痒しといったところか。
キルシュはお代わりの紅茶に口をつけてから、ほっと息を吐いた。
「いやー、こういうの一度やってみたかったんですよ。お茶会? っていうやつですよね? いや、女子会って感じですけど、セイクリッドさんもいるしお茶会で正解みたいな。こうしてみんなでお茶を飲んでお喋りをして、クッキーを食べるなんて初めてのことで」
カノンが小さく首を傾げる。
「おや? キルシュ殿はボッチ属性でありましたか?」
「お恥ずかしながら。寝ても覚めても殺しの訓練に明け暮れる日々。友達を作ることも許されず……ですから、こうしてみなさんの紅茶の席に混ぜていただけて本当に幸せです」
それなら俺もテーブルから弾き出された甲斐があるというものだ。
アコが驚いたように目を丸くする。
「っていうか暗殺者が実在するなんてびっくりだよ! 都市伝説だと思ってたし」
キルシュはカップをソーサーにそっと置いてから「いやいや、これが案外いるものなんですよ」と手のひらでぱたぱた扇ぐようにしてみせた。
ステラが確認する。
「いきなりだけど、お姉ちゃんとか妹とかいないのかしら? ほら、なんていうかその……あんまり暗殺者に向いているように見えなくて」
キルシュは眉尻を下げると「よく言われますそれ。けど、わたしってば一人っ子なものでして、わたしが継がなきゃ家系が途絶えるみたいなプレッシャーがありまして。いや、親戚はいるんですけど、本家の嫡子たるもの! みたいな」と、困り顔だ。
しかしまあテンションが上がりっぱなしなのか、暗殺者なのによく喋る。
魔王は小さく息を吐いた。
「じゃあ、周囲の期待に応えようとがんばってきたのね」
「これから羽ばたくためにも、是非、大物ターゲットであるセイクリッドさんには、この手にかかってほしいと思うんですよ」
キランと榛色の瞳を輝かせる暗殺者――も、含めてこちらに女子一同の視線が向いた。
アコもカノンも魔王様も真顔である。
なぜ黙る。期待を寄せているのはキルシュだけだ。いや、期待されても困るんだが。
俺は紅茶で口元を湿らせてから返答した。
「キルシュさんには申し訳ありませんが、貴方のために死んで差し上げるわけにはまいりません」
キルシュが俺に手を合わせて祈る。
「そこをなんとか! お願いします神様大神官様!」
「貴方という人は、今後も倒せそうにない相手の依頼があるたびに、相手にお願いして回るつもりですか?」
キルシュはしょんぼりうつむくと、頭に載せたドクロの仮面でそっと顔を隠した。
肩を小刻みに震えさせ「えっぐ……ひっぐ……」と嗚咽を漏らす。
お茶会の雰囲気が一転、お通夜モードに突入した。
なんともいたたまれない空気に部屋が満たされる。
「べ、べ、別に泣いてませんから……う、うう……」
健気(?)なキルシュのすすり泣く声に、すかさずアコが俺を指差す。
「あー! セイクリッドひっどいなぁ。女の子を泣かせるなんて。そういうのいけないと思うよ!」
殺害予告はひどくないのだろうか。俺はカノンに視線を向けた。
「当然、カノンさんはそうは思いませんよね」
「じ、じ、自分はその……セイクリッド殿の力量と器量と愛があれば、キルシュ殿を傷つけずになんとかできるものと信じているでありますよ」
自分から何もしなくて良い立場の人間は、気楽なものだ。
先ほど、俺の暗殺に反対してくれたステラはというと――
「そもそもセイクリッドに挑もうっていうのが無茶なのよ。アレ、外見は人間だけど中身は魔王の親類みたいなものだもの。あのね、これは仮の話なんだけど、魔王も裸足で逃げ出すと思うのよね」
お前が言うな魔王様。
だが、そんなステラの言葉に俺を一度は非難したアコも「ああぁ、わかるそれ」と腕組みしつつ頷いた。
カノンに至っては「どうしてセイクリッド殿が魔王を倒して世界を平和にしないのか、わからないくらいでありますよ」と、ステラの正体を知らずに言い切るくらいだ。
それに「そうよね本当に。訳がわからないわ」と、納得するステラの背中はどことなく哀しげだった。
自分から言い出したことだろうに。魔王様にブーメランが刺さった模様。
と、言われてキルシュが泣き止んだ。
「そ、そうなんですか? 大神官って言っても、まだ若いしお姉さんの権力で成り上がったって資料にあったんですけど?」
これでキルシュの依頼主が教皇及び教皇派ではなく、アンチ教皇派というのは察しがついた。
「姉上の影響力を否定はしませんが、私自身もそれなりに努力はしてきたつもりですよ」
物陰に隠れた仔猫のように、恐る恐る仮面をずらしてキルシュはこちらをチラ見する。
俺は溜息交じりに告げた。
「依頼主は現在の教皇と対立している派閥の長老たちの誰か……といったところでしょうか。女性の教皇は認められないという主張をしている方々でしょう」
「な、なんでわかったんですか!?」
仮面を外してキルシュは声を上げながら椅子から立ち上がった。守秘義務という言葉が彼女の辞書には未掲載のようだ。残念、暗殺家業適性がまた下がったようだ。
「カマを掛けたつもりはありませんが、そうあっさり白状なさらなくてもよろしいのですよ」
ニッコリ微笑みかけると、キルシュは両手で口元を覆った。
俺は続ける。
「さて、となると恐らくキルシュさん、貴方は捨て駒と言いますか……最初から成功などしないという前提で暗殺に送り込まれた可能性もあります」
アコが「なんでそんなことをするのさ? っていうかひどくない?」と声を上げる。
「嫌がらせですね。腕利きの刺客ではなく、キルシュさんのような少女を差し向けたあたり、反教皇派も少しは学習してきているようです」
カノンが眼鏡のレンズをキランと光らせた。
「それはいったいどういう意味でありますか?」
「このような可愛らしい女性を、どうして私が傷つけられましょう」
途端にアコとカノンとステラが三人それぞれ、アイコンタクトを始めた。
どういったやりとりか推測するに――
「それだけはないわー」
と、そんな視線が再び俺に集まった。誠に遺憾である。
「というわけですから、暗殺は失敗ということでお引き取りください」
キルシュは立ったままフルフルと首を左右に振る。
「そういうわけにはいきません! ほんと、もうなんでもします! アレなことからコレなことまで……だからどうか、わたしに殺されてください!」
九十度に腰を曲げてスッと頭を下げる少女の決意は固いようである。
俺はステラに視線を向けた。ほら、魔王様今ですよ。大神官を倒すのはこのわたしよ! 邪魔しないでちょうだい! とか、そういうのあるだろ。
赤毛の少女は真面目な顔つきで俺に告げる。
「ねえ、なんとかしてあげられないかしら? ほら、悪い子じゃないみたいだし」
褒められたのがよっぽど気持ちよかったのか、魔王は暗殺者の肩を持つ。
アコもカノンも同情的な空気を醸しだし、俺の部屋にもかかわらずすっかりアウェイのような孤立を余儀なくされてしまった。
「わかりました。そこまで仰るのなら今から24時間、キルシュさんにチャンスを差し上げます。私はこの教会から外に出ませんから、いつでも襲いかかってきてください」
暗殺者の表情に希望の光が灯った。
「え、ええッ!? いいんですか?」
「はい。明日の朝までに私を殺すことができたら、貴方は晴れて暗殺者となることができるでしょう。ですが……」
キルシュだけでなく、女子三名もゴクリとつばを呑み込んだ。
「で、ですが……なんですか!?」
不安げに瞳を潤ませる暗殺者に、俺は通告した。
「もし失敗した時には、私の言う通りにしていただきます」
瞬間――
「やります! やらせてください!」
「ボクも参加できるの?」
「じ、自分は挑戦しないでありますが、その、見届ける必要があるかと……って、アコ殿がなぜ参加するのでありますか!?」
「人生なにごとも挑戦だよ! そうだステラさんはどうするの?」
「あ、あたしはえっと……その挑戦の生き証人になるから!」
おい勇者おいこらおいぃぃ。暗殺に参加してどうする世界を救う者よ。
というか、アコもカノンも帰らないというのか。
ステラに至っては「となると今夜はお泊まり会ね。だったら着替えとか準備しなきゃ」と、早くも本分を忘れていた。
キルシュは「みなさんの応援の声にこたえてみせます!」と殺る気を見せる。
こうして急遽、第一回チキチキ大神官暗殺グランプリin最後の教会お泊まり会スペシャル! が決定したのだった。
ああ、もうどうにでもなぁれ。