音楽堂オブザデッド
それからどこに行こうとしても“この先は優良信者向けのコンテンツです”と、お断りされてしまった。
噴水広場で「つまんなーい」と声を上げたのは、ニーナではなく姉のステラの方である。
「そろそろお開きにしましょうか」
「セイクリッドの権限とか権力とか暴力で、どうにかならないわけ?」
最後の一つが甚だ遺憾である。場合によってはやむを得ず説得のために振るう事も無いとは言わないが、今はその時ではない。
と、ニーナがキョロキョロ辺りを見渡してから、噴水広場の東側を指差した。
「おにーちゃ。あっちは行ってないのです」
「ああ、そういえばそうでしたね」
東地区は神学校が集められていた。
街の教会が学校を兼ねていることも多いのだが、王都の大聖堂に連なるのは王立エノク神学校だ。中でも聖堂から歩いて五分ほどのところには、初等部の学び舎があった。
不思議な事に現実世界の初等部に俺が近づくと、サイレンが鳴り児童が避難訓練を始めるため、あまり近づかないようにしているのだ。
なので学校エリアに行くということ自体、念頭に無かった。
ニーナが俺のローブの裾をきゅっと握ってくいくい引っ張る。
「行ってみるのです! もしかしたら、あっちは入っていいかもしれないから」
「ええ、では行ってみるとしましょう」
「わーい!」
素直に喜ぶニーナの隣で、ステラがジトっとした眼差しで俺を見る。
「あっちには何があるのかしら? なんだか気乗りしてない感じよねセイクリッドってば」
「何というほどのこともありませんよ」
はぐらかしつつ俺は石畳を歩き出した。
初等部の音楽堂の扉が開け放たれ、中から楽しげな子供たちの歌声が流れてくる。
ニーナの瞳がキラリと光った。
「お歌なのです! みんなおじょうずですこと」
突然の、お嬢様口調には毎度のこと驚かされる。
きちんと調律されたオルガンが童謡のメロディーを奏で、恐らくニーナとそう年齢の離れていない初等部の中でも低学年の子供たちが、楽しげに合唱していた。
幼女がウズウズとお尻をリズムに合わせて揺らす。
「おにーちゃ……ニーナも! ニーナもいっしょに歌いたい!」
「困りましたね」
学舎へと続く初等部の門は開かれているものの、踏み込もうとすれば例の“優良信者向け”の文字が浮かぶのは、これまでの流れからして目に見えていた。
ニーナがいてもたってもいられないのだろう、突撃する。
残念だがその先はきっと、入信しないことには入れない。なんて残酷な仕打ちをするのだ。
この装置はあまりにひどすぎる。
「ニーナもいーれーて!」
トテトテと走る幼女は……門を通過した。ステラが目を大きく開く。
「あれ? ここはOKなの? じゃああたしもいーれーて!」
幼女に続いてステラも中へ。
「私もいーれーて」
同じノリなら中に入れると信じて踏み込むと……。
あっさりと初等部の敷地内に入ることができてしまった。
ステラが中腰になってニーナとハイタッチを交わす。
「やったわねニーナ! さあ、冒険を続けましょう!」
「うん! おねーちゃ迷子にならないようにね!」
姉を心配しつつ、ニーナは音楽堂へと走っていった。
中に入ると正面にステージがあり、奥に立派なパイプオルガンが設置されている。
ステージを囲むような客席は二階建ての立派なものだ。宮廷のような優雅な装飾が施され、客席も赤いビロード張りの立派なものである。
独り前に立つ少年が指で指揮をとり、伴奏をするのは亜麻色の髪のお下げの女の子だ。
それに合わせてステージの上の子供たちが、四列三十人ほど並んで歌っていた。
みなエノク神学校初等部の制服姿である。ニーナがステージの最前列まで駆けていく。
「はえぇ……かっこいいなぁ……カノンちゃんみたい」
カノンのローブとデザイン的に似通っているのだが、色は濃紺と白の組み合わせの制服だ。
フッ……と残響音が消え入るように伴奏が止まり、子供たちがステージの上からニーナに視線を向けた。
指揮を執る少年も向き直ってニーナに告げる。
「きみは新しいお友達かな? いっしょに歌うかい?」
「え、えっと、ニーナはぁ……いいのかなぁ……あのね、歌いたいけど、おじゃまになっちゃうかも。ニーナね、みんなのお歌をきいてるだけでも楽しいよ」
少年はそっと手を差し伸べた。
「きっといっしょに歌った方が楽しいよ」
幼女が後から追いついたステラと、その後ろをゆっくり歩く俺の方に向き直る。
ステラは「お姉ちゃんたちが見ててあげるから、いっぱい歌っちゃいなさい!」と、ニーナにゴーサインを出して、客席の最前列に座る。
俺もその隣に腰掛けて、しばらくニーナと少年少女たちの歌声に耳を傾けた。
端から見れば“最後の教会”で、ニーナが長椅子から立って「ふんふんふ~♪ らんら~んお♪」と、適当な歌詞を当てて独唱しているわけだが、他の子供たちの声も一緒に聞こえてくるのに驚かされる。
先ほどは酷評したが前言撤回しよう。
とてもよくできている。ステージの上の子供たちは、まるで本物のようにイキイキとしていた。
と、思った矢先――
曲がぴたりと止んでしまった。ニーナは「ほえぇ?」と、小さく首を傾げる。
再び俺たちの目の前に現れる△と!を組み合わせた表示に、溜息しか出ない。
「体験版はここまでです……ということですか?」
隣でステラが俺の二の腕あたりを指でツンツン突いてきた。
「なんだかさっきと表示がちょっと違うわよ。赤枠で危険って書いてあるし」
「えー、なになに……緊急ミッション発生? 初等部学舎にゾンビが襲来しました……なんですかこのふざけた注意書きは」
直後、ステージでニーナを受け入れて一緒に歌っていた黒髪の女の子が悲鳴を上げた。
「キャアアアア! リビングデットよ! あたしたち噛まれてみんなああなっちゃうんだわ!」
「うえーん! こわいよー!」
「おうちにかえしてー!」
子供たちが一斉に泣きわめき始めて、ニーナが「み、みんなおちついて! だいじょうぶだよ!」と、励まし始める始末だ。
指揮をしていた少年も「ひ、避難しないと。大丈夫。きっと大丈夫だから!」と、声を出す。
俺は席から立ち上がり振り返った。
開放された入り口から、ゆさりゆさりと腐りかけの死人が音楽堂に入りこんでくる。
外は先ほどまでの青空が一転、夕焼けというよりも血のような紅に染まっていた。
招かれざる客たちは客席に収まりきらない数である。足取りはゆっくりだが、確実に標的をステージの上の児童に定めているようだった。
波のように押し寄せる死人の群れに、恐れおののいてステージの上で子供たちがへたり込む。
指揮をしていた少年も「みんな立って! ほら! 勇気を出して!」と声を上げるのだが、その瞳は不安に揺れて声も震えていた。
ニーナがステージを降りて死人の群れの前に立ち塞がり、両手を広げる。
「だめ! ここは立ち入り禁止です!」
あと五メートルほどで死人は到達するだろう。ううぅ……ああぁとうめく声が外まで包囲していた。