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微(妙)の巨匠たち

 しばらく自由に見学してもらったのだが、やはり立ちっぱなしというのは疲れるもので、いつの間にか俺もステラもニーナも、現実世界の方では長椅子に並んで座っていた。


 きっと外から見ればとても不思議な三人組に見えるだろう。


 そして、あちらの世界ではというと、俺の姿はどうやらこちらの教会とも変わらないようだ。大神官らしい服装だ。


 ステラは「セイクリッドだけずるいんですけどぉー!」と口を尖らせたが、そこはそれ積んできた徳の差である。


 いかにも初心者といった、簡素な一般信者用の白いローブに身を包んだニーナが、疲れ知らずといった感じであちこちいったりきたりしていた。


「ちょっとニーナ待ってぇぇ」


 情けない声を出してステラが追いかける。


「おねーちゃ! こっちには大きな木の絵があるのです。誰がこんなにりっぱなのをかいたのかなぁ」


 大神樹の壁画の前で、幼女が首を上に向けている。聖堂内の美しいものは、すべて著名な天才芸術家たちが、生涯を賭して作り上げた大作ばかりだ。


「リンゴの木かなぁ」


「リンゴなんてなってないじゃない。って、ちょっと何してるのニーナ?」


 ニーナの手には、なぜか赤いクレヨンが持たれていた。


 手にした短杖の隠し機能だろうか。幼女は壁画の脇にかけてあった、高いところを清掃するためのハシゴを登ると、壁画にクレヨンで赤い実を描き込んだ。


 画風が違いすぎて壁画の重厚なタッチから完全に浮いてしまっているのだが、リンゴの絵そのものは可愛らしく上手なものだ。画才まであったとは万能幼女さんめ。


「できたぁ! りんご♪ ごりら♪ らっぱ♪ ぱんつ♪」


 幼女が嬉しそうにニッコリ笑う。このままの勢いて、パンツを穿いたゴリラがラッパを吹く絵まで描き足しそうだ。


 赤毛の少女が大神樹の壁画を見上げて声を漏らした。


「あ、あーあやっちゃった。けど、これって嘘の世界だからイタズラしても大丈夫……ってことかしら?」


 最初は面食らったステラだが、本当にやったら大目玉どころではないアレやコレやも、この仮想の世界では自由にやることができると、認識を改めてしまった。


「あの、お二人ともあまり無茶はなさらないでください」


 なお、大神官がくぎを刺したが手遅れの模様。


 ステラは両手の指の間に色とりどりの絵の具がついた絵筆を、まるで爪のようにジャキンと構えて、腕をクロスさせる。


「あたしの筆が描きたいってうずいているの! 芸術は極大爆発よ!」


「ニーナももっとやる~!」


 大聖堂の壁面は魔王姉妹のお絵かきキャンパスに変貌し、大神樹の壁画の脇に新作アート“魔王城と愉快な仲間たち feat. Gorilla”が描かれたのだった。




 十分にお絵かきを堪能した二人は「次はなにするの?」と、俺に迫る。


「そうですね。宝物殿でストレス解消などいいかもしれません」


 もはや俺も止めるつもりはない。むしろこれは良い機会なので、教会の権威を破壊し尊厳を略奪する蛮族プレイも有りな気がしてきた。


 聖堂を出ると、収蔵された宝の数々が眠る宝物殿に向かうため、二人を連れて大聖堂の外に出た。


 巨大な聖堂を囲むように大理石の柱が並び、その柱の上には聖人の彫像が偉容を誇っていた。


 数代前に、勇者とともに魔王と戦った大神官の姿もある。この先、功績を残した者が聖人認定された時には、改めて柱を増やして像を飾るのだろうか。


 ニーナが彫像を見上げて、ブルッと震えた。


「お、おにーちゃ……みんな石にされちゃったの?」


 ステラがピンッと尻尾を立てた。ローブが持ち上がって下着が見えそうなくらいの興奮ぶりだ。


「石化の呪いね! 結構エグイことするじゃない!」


「ああ、そういう噂はありましたね。優秀な人材がその能力のピークに達した時に、石化させて保存し、王都の危機に復活させるなんて」


 ニーナの瞳に涙が浮かぶ。


「う、うう、うわあああああああん! かわいそうなのです! おねーちゃが石になっちゃったら、ニーナは寂しくて……おにーちゃもいなくなっちゃって……あうぅ」


 いかん。噂というよりホラの類いだが、純真なニーナは信じてしまったようだ。


「大丈夫ですよ。もしステラさんが石にされても、私がきちんと解呪して元に戻して差し上げますから」


「け、けど……お、おにーちゃが石になっちゃったらぁ……」


「私に石化の呪いは効きません」


「ほんとに?」


「ええ、本当ですとも」


 するとようやく、ニーナはほっと胸をなで下ろした。


「よかったぁ……おにーちゃいなくならないでね。ニーナもおねーちゃもさびしくなっちゃうから」


 ステラはそっぽを向いて「べ、別に寂しくなんてならないわよ。あくまでアレだから。ご近所だからこうして遊んであげてるだけだし、い、いい気にならないでよね!」と口を尖らせた。


 侵略などの仕事もせずに昼間から教会に入り浸り、歌い遊び紅茶とお菓子を楽しみにしている魔王姉妹。世界の平和はしばらく青信号が点きっぱなしだな。


 整然と並ぶ石柱の森を抜け、その先の石畳の広場の中央にある噴水の前で、俺は立ち止まった。


「宝物殿はこちらです」


 広場の西に配置された石造りの建物を指差し、二人を連れていこうとしたところで――




『ここから先は優良信者向けのコンテンツです』




 目の前に△と!を組み合わせた標識のようなものが浮かび上がった。


 俺は素通りできたのだが、ステラとニーナはその場で足踏みしたままだ。


「あれー! おっかしいわね! あたしってば毎日教会で『大神官が家具の角に小指をぶつけていたがりますように』ってお祈りするくらいの、敬虔な信者なのに? ちょっと通してよほら! 優良魔王様のお通りよ!」


 そんなことを祈っていたのか。地味な嫌がらせだ。


 ニーナも眉尻を下げた。


「前に進めなくなっちゃったのです。おにーちゃ待ってぇ」


 魔王姉妹の前にさらに文字が空中に投射されて浮かび上がった。大きく書かれているメッセージの他に、小さな文字がびっしりと詰まった一部分がある。


 大抵、大切というか言いたく無いけど言っておかなければならないことは、この細かな文字列に記載されているものだ。


 大きな文字列――釣りエサの部分には大々的にこう記されていた。




『こちらにサインしていただくだけで、最新のコンテンツを利用いただけます』




 ニーナがクレヨンを取り出して名前を書こうとする。ステラもペンを手にしていた。


「えっと、お名前はニー……」


「ここに大魔王ステラ様って書けば、続きが遊べるのね!」


 二人してちゃんと確認ができていないようだ。


「ちょっと待ってください。よく見て。名前を書く欄の上です」


 ニーナは首を傾げたままだが、ステラがハッと目を丸くした。


「って、なによこれ! 入信届って! 文字ちっちゃ!?」


 書類書きといえば、以前、ステラは“最後の教会”で働きたいとプロフィールを持参してきたのだが、自称、敬虔な信者といえども、さすがに入信まではしていない。



『今、入信すると優良信者の方限定の高級信者ローブをプレゼント。入信特典の限定100着となっております。いつ入信するの? 今でしょ!』



 うるせぇ。と、つい口から出かけたのだが、なんとか押しとどめる。


 しかし俺は止められても姉妹は止まらない。


 続けて高級ローブが二人の目の前に表示されたのだ。


 簡素で真っ白な普及品にはない、銀の刺繍が施されたものである。高級感のあるデザインにシルクのような光沢は「普通の信者とは違うのだよ」と、袖を通すだけで優越感に浸れそうなものだった。


 ステラが「フンッ!」と鼻息を荒くした。


「これは絶対にゲットしなくちゃ! 限定よ限定!」


「ニーナもおねーちゃとおそろいがいいなぁ」


 クレヨンとペンを走らせようとする二人に、俺は咳払いを挟む。


「コホン……えー、お二人とも限定に釣られてはいけません。こちらの免責事項を確認ください」


 蟻の列のように小さな文字列を俺は指さし解説する。


「優良信者に登録すると、財産を教会にすべて寄付しなければなりません」


 いわゆる出家状態だ。魔王の財産=魔王城差し押さえも不可避だった。


 幼女がクレヨンで「ニー―」と、ナの―まで署名したところで、慌ててステラが止めに入った。


「ニーナストップ! お姉ちゃんね、この白い普通のローブも気に入ってるの。ニーナだけキラキラローブになっちゃったら寂しいなぁ」


 幼女の手からクレヨンがぽとりと落ちた。


「ファっ!? じゃあ、ニーナもふつうでいいかも」


 今回は事なきを得たのだが、この仮想世界には至る所に罠が仕込まれているらしい。


 お絵かきを楽しませておいて、この仕打ちとは油断も隙もあったものではない。

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