酒! 飲まずにはやってられないッ!
王都の東――
広大な葡萄畑の広がるブリューニュ地域はワインの名産地だった。
王都を流れるローヌ川の源泉を有する水と緑の豊かな土地だ。
馴染みのワイナリーで手頃な赤ワインの樽を一つ買い求めた。
蔵の前の農道で初老の働き盛りなワイン職人が驚いたような顔をする。
「樽ごとなんて珍しい。宴会でも開くんですかい?」
「いいえ。一人で飲みますよ。では失礼……転移魔法」
代金を渡すと俺は魔法で“最後の教会”に戻った。ワイン職人の「へっ?」と、少し間の抜けた声がかき消えて、目の前に小さな教会がスッと現れる。
いや、逆か。俺とワインの樽が現れたというのが正しい。
城門前にはいつも通り、アークデーモンの巨体がデンと鎮座していた。
それに向かって手を振る。
「すいませんベリアルさん。運ぶのが面倒なのでこちらに来ていただけませんかー!?」
両手に三つ叉の槍を構えて、警戒するようにじわじわとベリアルの巨体が迫ってきた。
俺を見下ろして魔物が口を開く。
「人間よ……なんのようだ?」
「いつも門番お疲れ様です。考えてみれば、貴方への引っ越しのご挨拶の品がまだでしたので」
そっと樽に手を添えると、ベリアルが震える低い声を上げた。
「爆弾で……殺すというのか?」
「中身はワインですよ。というか、樽を爆弾にするなんて発想はありませんでしたね」
「ワインでベロベロに酔わせ眠らせてから、わたしにひどいことをするというのだなッ!?」
槍の先端をこちらに向けるが、その切っ先は細かく震えている。
「怖がらなくても大丈夫ですよ」
「魔王様先立つ不孝をお許しください」
最初に少々やり過ぎたせいか、すっかり怯えられてしまったな。
「私は貴方とも和解をしたいのです。これは貴方個人への貢ぎ物ですから。ブリューニュの一級品ですよ?」
樽には地方公認の刻印が焼きごてで記されている。経費で落ちないかな……コレ。
「……じゅるり」
魔物の中には人間の嗜好品を好んで、略奪を繰り返すが滅ぼさないなんていう連中もいるらしい。
「さあ、遠慮なく」
「ま、魔王様にはどうか内密で頼む」
太く低い声が荒野に広がった。
自分からバラしていくスタイルとは恐れ入る。
と、見る間にベリアルの小山ほどある大きな身体が、しゅんしゅんと縮み始めた。
その魔物らしい魔物の肉体を、人間のようなシルエットへと変化させながら。
紫の長い髪をした、うす褐色肌の美女へとベリアルは姿を変える。
黒光りする鎧に包み、三つ叉の槍を手にした黒騎士という風体だ。
鎧を着込んではいるが、胸元のもりあがり方をみるに……かなりでかい。
アコよりもさらに二回りは上か。
「わたしの真の姿を見た人間はきさまだけだ」
声も大人びた落ち着きのあるもので、少女と美女のちょうど中間という雰囲気だ。
「私はその姿の方が親しみやすいですね」
「戯れ言を」
武人のような口振りだが、先ほどからベリアルの眼差しはワイン樽に注がれっぱなしで、俺には目もくれない。
「ヨダレを垂らしながらキメ顔で言われても困ります。ところで、どうして元の姿に?」
「決まっているであろう。わたしが小さくなればそのぶんワインが増えるのだ」
ベリアルは樽をひょいっと片手で持ち上げた。
「では参るぞ」
「ええと、そちらは教会なのですが?」
「勤務時間内に主に見つからず酒が飲める場所など、きさまの教会以外なかろう」
あ、これ酒で人生駄目にするタイプの魔物だ。
「着いて来るのだ人間よ。きさまが持ってきたのだから、当然付き合ってもらうぞ」
がっはっは! と、今にも笑い出しそうな雰囲気である。
古来より、巨大な魔物を相手に酒で酔わせて寝込みを襲うという、卑怯な……もとい知略を尽くした英雄譚は少なくないが、それは酒好きな魔物さんサイドにも問題があるのではなかろうか。
グラスとつまみを買いに走らされた。
酒を献上したのは俺なので断りづらかったというのが本当のところだ。
王都でハムやチーズにバゲットなどを買い、酒樽に取り付ける蛇口まで手に入れて日の高いうちから酒盛りである。
聖職者である俺の私室で。
テーブルの上にいくつかつまみを並べ、
「……ぷはーっ! 美味い酒だ。どうやらわたしは、きさまを誤解していたようだ。しかし、栓をひねれば美酒が出るのは素晴らしい。ああ素晴らしい今日は本当に良い日だ! がっはっは!」
本当にがっはっはって笑ったよこの魔族。
「まるで良い事がずっと無かったような言い方ですね?」
俺がグラス半分ほど呑む間に、ベリアルは三回蛇口の栓をひねった。
「ふぅぅ……暑いな。脱ぐ! 手伝え人間」
いきなり彼女の鎧を脱がせる手伝いをさせられた。
厚手の布の鎧下まで脱ぎ捨てると、中身はタイツのようなぴっちりとした服(?)になる。
下着のラインも出ていないところをみると、これが最後の一枚だ。
腰のくびれはキュッとしまり、鍛え抜かれた臀部や大腿部のボリュームはさながら駿馬のようだった。
身体のラインに張り付くようなタイツは、屈強な彼女の六つに割れた腹筋を浮き彫りにする。
なにより予想通りか、それ以上に大きな胸である。それがぴったりとしたタイツの下で苦しそうに抑え込まれていた。
「どうした人間? 暑いならきさまも脱げ」
胸を張ると大きく揺れた。
「いえ、私は大丈夫ですから。お気になさらずに」
「しかしどうだ人間よ。神に仕える神官が昼間から酒浸りとは堕落したな」
うす褐色肌の美女は嬉しそうに目を細めて笑う。
「さあもっと呑め! 堕ちるところまで堕ちようぞ!」
言ってるそばからカパカパとグラスを空けては栓をひねりを繰り返す。
大酒飲みを大蛇というが、これからはアークデーモンでもいいかもしれない。
と、ジトっとした目つきでベリアルが俺に言う。
「さっきから全然酒が進んでいないではないかーッ! カーッ! 情けない! きさまそれでも男かッ! 軟弱者ッ!」
「貴方のペースが早すぎるだけですよ」
「……ふぅ。まったく、ううッ……ああッ!」
笑っていたかと思えば怒ってさらに泣きだした。グラスを置くとタイツ姿で立ち上がり、椅子に座ったままの俺に抱きついて胸を顔に押しつけてくる。
とても柔らかい。マシュマロと温かいお湯の入った薄手の革袋を足して二で割ったような感触だ。
「あああああああああああ! きさまが来てからというもの魔王様もニーナ様もきさまの話ばかりするのだ! わたしから何もかも奪うつもりか!」
ベリアル本人に俺を誘惑する意図は無いらしい。
ふにふにと二つのたわわな果実を顔に押しつけたまま「えっぐ! ひっぐ!」と泣き続ける。
魔王城の住人は泣き虫だらけだ。大人はいないのだろうか?
「奪うつもりなどありませんよ。むしろ退屈な日常に、あのお二人が彩りを与えてくださって感謝の言葉もありません」
「そ、そうなのか!? それは良かった!」
満足げに笑うとベリアルはそっと離れた。
棒立ちの彼女に訊く。
「あまり込み入ったことを訊くのは気が引けるのですが、ステラさんとニーナさんには保護者はいないのですか?」
ベリアルの口振りからして、彼女がその“代行”を続けていたのだと感じた。
ベリアルは真顔になると椅子に掛けなおした。
「ふむ。ステラ様からは言いにくかろう」
ニーナとは母親が違う異母姉妹だということも、心の片隅に引っかかったままだ。
空のワイングラスを手に遊ばせて美女は遠くを見るような視線で俺に告げる。
「先代魔王様は先代勇者と戦い相打ちになった。二人の奥方をもうけたが……」
「ステラさんとニーナさん、それぞれの母親ですね」
「知っておったか。ニーナ様の母君は人間だ。だが、魔王である先代を心から愛していた。だが、もとより身体が弱くニーナ様を残して……」
魔王であればハーレムの一つも築くだろうに、嫁が二人というのはむしろ慎ましやかな方だったのではなかろうか。
「ではステラさんの母は?」
「……誅殺されたのだ。そのショックから先代は力を失い、先代勇者と戦うも相打ちに終わったのだ」
そして魔王城から保護者は失われ、今は玉座に嫡子がついたということか。
「しかし物騒ですね」
「なあ人間よ。魔王が世界の半分を手にしているというのは半分は本当だが、半分は嘘なのだ」
酔いが回っているからかベリアルの口も回る。
ずっと秘めていたものを誰かにぶちまけたがっているようにも感じられた。
一口ワインを飲んで訊く。
「どういうことでしょう?」
「魔族の世界は、今や乱世乱世。魔王城には先代から仕える臣下がいるが、この島の外の魔族たちは、それぞれが魔王を称し世界を手にしようとしているのだ」
「独立した勢力だ……と?」
「結界の外側にステラ様に忠誠を誓うものはおらぬ。ただ、この島と魔王城の守りは堅く、手が出せぬというだけのことだ。どこか一つでも勢力を伸ばし、他の魔族の勢力を倒すなり吸収していけば、いずれ数の暴力でステラ様に魔王の座を降りろと迫るやもしれぬ」
「ステラさんは苦しい立場ですね」
「恐らく求婚を迫るだろう。ステラ様と契りを結べば魔王となる正統性も得られる。そうなれば我らも従うよりほかない。悔しいのだ! わたしは悔しくて仕方ない! このまま時の過ぎゆくのを待つだけだなんて」
拳を強く握り締めてベリアルはぽろぽろと涙を落とす。
そっとハンカチを差し出した。
「ブヒイイイイイイイイイッ!」
鼻をかまれた。粘液まみれのそれを突っ返される。
「感謝する人間よ」
洗って返すという発想は武人タイプには無いようだ。
「ステラさんはどうするつもりなのでしょう?」
「ニーナ様のことだけを考えておいでだ。独立勢力の魔族にとって、必要なのはステラ様と魔王の玉座だけ。魔族と人間のハーフであるニーナ様を殺すこともいとわぬか、もしくはステラ様を言いなりにするためニーナ様を人質にとるか……」
「なるほど。それは良いことをうかがいました」
ガタッと椅子を蹴るようにしてベリアルが立ち上がった。
「き、きさま! ニーナ様を人質にステラ様を脅すつもりではあるまいなッ!?」
「それはいつもやっていますよ。ご安心ください」
「やっているのかッ!? ああ、今日は最悪の一日だ!」
独立勢力の魔族がどういった連中かはわからないが、連携していないのであれば各個撃破で潰していきやすい。
もしくは魔族同士を争わせて疲弊させることもできそうだ。
人間は彼ら魔族の権力闘争においては、突然現れてそれぞれの勢力圏内で暴れ回る蛮族の如き存在なのかもしれない。
最強蛮族――勇者アコ次第では、ステラが他の魔族と婚姻しニーナが脅かされる未来を変えられるやもしれない。
と、その時――
耳にしたことのある声が聖堂から響いてきた。
『ちょっとセイクリッド早くしてよー! おーい! 誰かいませんかー! どうせヒマしてるんでしょってばー!』
大樹管理局の設備開発部め。今度は音声まで送れるようにしたのか。
アコである。
「すいませんが少々仕事をしてまいります」
「あっ! きさま待て話は終わって……」
「睡眠魔法」
「クカーッ!」
立ったベリアルはそのまま後ろに倒れて俺のベッドに身体半分預けるような格好で、ヨダレを流しながら眠りについた。
眠りの魔法が効くとは、やはり格下だ。
聖堂に向かうと大神樹の芽が光を帯びていた。
「蘇生魔法」
光が溢れて以下略。
「よかったぁ死ぬかと思ったよ」
「死んだんですよ勇者アコ」
黒目をくりっとさせてアコは笑う。
見れば彼女は腰に剣をつけていた。
鞘から引き抜き、美しい刀身をさらすと自慢げに胸を張る。
「ねー! 見て見てすごいでしょ! やっと手に入れたんだ覇者の雷剣!」
名剣だというのは透き通るような刃を見れば一目瞭然だ。
「これすっごいんだよ! 道具として使えば雷撃魔法が出るんだ!」
「どうやって手に入れたんですか?」
アコは握った手を軽く上下に動かした。
何かのレバーをガチャンと引き下ろすような仕草だ。
スロットだな……これは。
「人生一発大逆転ってね!」
「けど、死んだんですよね。死んだからここに送られたと」
「もう剣なんて振り回してらんないじゃん。雷撃魔法でイケるっておもって、ちょっと先に進んだんだけどさ、雪の城の冬将軍みたいな魔族の強いやつがいるとこで足止めくっちゃって」
魔族の独立勢力の一つだろうか。
こんな勇者にステラとニーナの将来がかかっているとは、さすがの俺も苦笑いしか出ない。
俺はそっと手を差し出した。
「良い剣ですね。見せてください」
「いいよ! ほらここの雷マークが超かっこいいよねぇ」
剣の柄には玉がはまっている。これが初級とはいえ雷撃魔法を発生させるコアパーツのようだ。
「ところでアコさん。お金どうしたんですか?」
「覇者の雷剣を当てる……じゃない、手に入れるのに全部使っちゃって」
「そうですか。では……半分いただきましょう」
俺は覇者の雷剣の構造を解析すると……。
「肉体強化魔法」
右手に一点に力を集約して、剣と柄の間に手刀を叩きつけた。
バキンッ!
柄から刃が折れ、床にカランカランと落ちる。
瞬間――アコの顔が真っ青になった。
「うわあああああああああああああああああああああああああ! 何するんだよっていうかなんなの! 剣を素手で割るなんて!」
「大神官ですからこれくらいのことはできて当たり前です。それよりアコさん。蘇生費用として半分いただきたいのですが、刃と柄、どちらを持って帰りますか?」
「半分って……装備の半分を奪うなんて追い剥ぎじゃないか!?」
「仕方ないでしょう。無料だからと死ぬ輩には、現品徴収で対応するとたった今、決定しました。それに他にいただけそうなものがないのですからね。靴の片方やマントや上着に下着の半分を奪うほど、私は鬼でも悪魔神官でもありません」
アコはしょんぼりとうなだれた。
「じゃあ……柄で」
「はいどうぞ。いいですか勇者アコよ。武器の性能にたよりきった戦いをするから死ぬのです。自身のレベルに見合った装備を調えてください。まずは死なぬよう防具からですよ。武器はきっと洞窟などの探索中に、宝箱から見つかりますから」
「はーい。チェっ……ステラさんやニーナちゃんにカッコイイ勇者のポーズを見せてあげたかったのに」
「ではがんばってくださいね。貴方の努力がきっと報われ世界を救うと私は信じていますから」
「え? ほんとに!?」
「本当ですとも。では、転移魔法」
勇者に柄だけ持たせて送り返すと、奥の私室からよたよたとベリアルが目をこすりながら礼拝堂にやってきた。
全裸で。というか脱ぎかけの靴下のように、彼女の右足にタイツが引っかかったままだ。
それをずるずると引きずりながら、腐った死体のように俺の方へとゆらゆらやってくる。
「暑いぞ……いや、身体の芯が……熱い」
「どうして脱いでしまったんですか」
「暑いぞおおおおおお! なんとかしろおおおおお! だれが牛頭だああああ!」
俺にのしかかってきた。馬鹿力だ。しかも、初対面の時に「牛頭」とディスったのは酒で自分を見失っていても覚えているのか。
「おやめくださいベリアルさん。これ以上やると一度死んでもらいますよ」
「殺してくれえええ! 殺して蘇生すればだいたいの状態異常はなおるううう!」
昔、学生時代にその方法で毒の治療をやって教官に怒られたなぁ。
赤絨毯の上でのしかかられてしまった。
そこにである――
「あ、あんた……ベリアルになにしてるのよ!」
門番不在を心配してか、ステラとニーナが教会の扉を開けて俺を見る。
というか、ニーナの目を両手でステラは覆っていた。
「おにーちゃいますかー?」
もしニーナが一緒にいなければステラの両手はフリーとなり、どんな魔法を放っていたことやら。
泥酔状態でベリアルが顔を上げた。
「こ、これはステラ様ニーナ様! このベリアル! 命をかけておまもりいたしましゅー!」
全裸で神官に上からのしかかって言うセリフではない。
言い終えると再び「くかー!」と寝息を立てて俺に体重を預けるベリアル。
取り残された俺とステラの間に奇妙な空気が広がる中。
「わーい! かくれんぼなのー! ニーナが鬼さんね。いーち、にー、さーん、しー!」
ニーナは自分の手で目を覆うようにしてカウントを始めた。
ステラの両手が自由になったが、俺はアイコンタクトで「ほぼ全裸ベリアルの痴態をニーナに見せるのはまずい」と伝える。
ステラは怒りの形相で頷いた。が、理解してくれたようだ。
ここはベリアルの尊厳を守るためにも、大神官と魔王の呉越同舟を続けるより他ないのである。
ニーナが三十を数える前に、俺とステラで彼女に服を着せ鎧をつけることに成功した。
「詳しく事情を訊かせてもらおうかしら」
「神に誓って嘘は申し上げません」
「もーいーかーい! もーいーねー!」
ニーナが自分でカウントを区切ると、俺は荒野へと飛び出した。
魔王との死の鬼ごっこが幕を上げる。




