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セイクリッド最大の危機

 街の教会には、子供たちを集めて神の教えとともに学業を教える、初等神学校が併設されていることが多い。


 さらに大きな街になると、ニーナよりも幼い子供たちを集めた幼等部まであったりするのだ。


 シスターが先生となって、子供たちを教え導くわけだが――


 もしかしたら、今日が“最後の教会”の最後の日かもしれない。


 聖堂は地獄と化したのだ。


「セイクリッドせんせー……おしっこー」


 赤いカーペットの上で、黒髪のボーイッシュな幼女が俺を見上げて両手を万歳させた。


「先生は貴方のおしっこではありませんよアコさん」


「アコさんやだー! アコちゃんって呼ぶのー!」


 ニーナのお下がりのオーバーオール姿のアコは、両手をグーにして腕をグルグル回して抗議した。


 そんなアコの後ろに隠れて、青い髪の気の弱そうなチュニック姿の少女が、自分の人差し指をチュッとくわえたまま、アコの服の袖を引っ張る。


「アコちゃんアコちゃん、おトイレはあっちでありますよ」


 眼鏡は掛けていないのだが、青い髪の幼女の正体は……カノンだ。


 アコが振り返って涙目になる。


「もー! カノンはいいの! そういうのいいのー! ボクはセイクリッドせんせーとおしっこいくのー!」


 アコはぺたんとカーペットに座り込んだかと思うと、寝転がって手足をジタバタさせた。


「もれるもれるもれるもれるもれちゃうー!」


「はいはい。まったく仕方ありませんね」


 駄々っ子アコちゃんを抱え上げようと屈んだ瞬間――


「セイクリッドせんせーは馬だ! パカランパカラン! はしれはしれ!」


 背後から薄い褐色肌の幼女が俺の背中にジャンプして抱きついてきた。


 長い紫色の髪に、アメジストの瞳という特徴は言わずもがな。


 俺の銀髪を手綱のように手で掴んで、キャッキャと笑う……幼女ベリアル。


 彼女もニーナのお下がりの白いワンピースを着ていた。


 全員揃ってニーナのクマさんプリントパンツだ。なぜ俺が知っているのかについては、あえて何も言うまい。


 ベリアルは両脚で俺の胴体をホールドすると「はいどーはいどー!」と、楽しそうに声を上げた。


 その間にアコが「おしっこー! おしっこおしっこおしっこおしっこー!」と、連呼する。


 カノンはカノンで「ふ、二人ともせんせーをこまらせちゃダメでありますよぉ……だ、だ、ダメであります良い子にならなきゃいけないのでありますぅ」と、めそめそとべそをかき始める始末だ。


 そして、この状況を引き起こした元凶である赤い髪の少女はといえば――


「この教会は()()()が征服したわ! はーっはっはっはっはっは!」


 講壇に立って胸を張り、ふんぞり返って未来の魔王らしく高笑いを上げるのだった。


 本当に迷惑な魔王様である。


「おしっこー!」


「はいどーはいどー!」


「ダメでありますぅ」


 思えばニーナは幼女ながらも、とてもお姉さんだったのだな。


 ガチ幼化モードのアコ、カノン、ベリアルは本当に手に負えない。


 俺はまずベリアルの説得を始めた。


「ベリアルさん。あとでたくさんお馬さんをしてさしあげますから、一度降りていただけませんか?」


「えー……やだ! せんせーにのるのだ」


 無理に振りほどく事もできなくはないのだが、そんなことをすれば幼いベリアルに心の傷を残し兼ねない。


 と、思ったところでカノンが俺の背後に回り込んで、ベリアルを引き剥がそうとし始めた。


「セイクリッドせんせーこまってるから、ベリアルちゃんはなすでありますぅ!」


「や、やめろー! らくばしたら死んじゃうのだぞ」


 なにそのマイルールかわい……いや、なんでもない。


 うっかりベリアルに心を奪われかけてしまった。


 講壇の上では役立たずよろしく幼女魔王が一人、演説を続けている。


「さあ、おやつをもってきなさい! あたちにちゅーせーをちかうのよ愚民ども!」


 カーペットの上では、手足を振るい続けて疲れたのか、手足をぐったり放り出してアコが「おしっこぉ……」と呟いた。


 地獄だ。ここにはまともな大人が他にいな……いた。


 大神樹から魔法力を充填するために、ニーナが先日、赤い鞄を預けていったのだ。


 ベリアルをおんぶしたまま、俺はフラフラと講壇脇に置かれた赤い鞄に手を伸ばす。


 鞄を開くと、記憶水晶が中からせり上がった。


 光が溢れて、ぴーちゃんの姿が投影される。


「ばぶー! ばぶー!」


 四角い姿は変わらないが、ぴーちゃんは口におしゃぶりをつけてパジャマ姿だった。


 立ち上がりさえしない。


 ああそうだった。試作六号は生まれたばっかりのゴーレムでしたもんねぇ。


 俺の背中で「馬がたつなああ! ニンジンあげないぞ!」とベリアルが抗議しながら髪を引っ張る。


 やめてくれその技は頭皮に効く。


 と、講壇の上のステラが俺の顔をじっと見つめた。


「セイクリッドせんせー……あたちも乗りたい! ベリアルどきなさい!」


「やだやだやだ! せんせーばわたしのだ!」


 主従関係は幼女化した場合、適応外のようである。


 途端にステラの顔が歪んで涙目になった。


「う、うう、せ、せんせーは……セイクリッドせんせーは……あたちのなんだからー!」


 正面からステラが俺に飛びついてくる。


 幼女と幼女にサンドイッチされた俺の足にカノンまで抱きついてきた。


「せんせー! みんなちゃんとしてくれないでありますよぉー」


 幼女になっても優等生を演じるカノンだが、この子はこの子で“他の子を悪役にして先生に気に入られたい”オーラが出まくりなのだ。


 ちなみに、一人手がかからない子が部屋の隅ッこで膝を抱えて座っていた。


「……ばかばっかり」


 久しぶりに死に戻ってきたルルーナは、幼女になっても彼女らしい。


「おしっこぉ……」


 アコをトイレにつれていこうにも、幼女にこうもくっつかれては身動きがとれない。


「もれりゅ……」


「う、うわああああああ! ちょっと待ってください! そこで漏らすのだけはどうか勘弁してください!」


 元に戻った時にアコが立ち直れなくなる可能性も、なきにしもあらずだ。


 誰か、アコを……トイレに……ああ、神よ!


 そんな俺の祈りが通じたのか、聖堂の正面扉がゆっくり開いた。


 金髪碧眼の女神ようじょが、おままごとセットの入ったバスケットを手に戻ってきた。


「おにーちゃ……ううん、セイクリッドせんせーが大変なのです!」


 大あわてでニーナがカーペットの上を駆けてくる。


「ニーナ先生。アコちゃんがトイレだそうです」


「え、ええ!? はいなのです!」


 ニーナは長椅子にバスケットを置くと、そっとアコに手を差し伸べた。


「アコちゃん、ニーナが一緒にいってあげますね」


「ぼ、ボクはセイクリッドせんせーにつれてってほしいの!」


 わがままなアコにニーナは優しく微笑みかけた。


「アコちゃんはおねえさんだから、がんばれると思うのです。ニーナが応援するのです。がんばれがんばれアコちゃん♪ ふれーふれーアコちゃん♪」


 リズミカルに歌うように告げるニーナに、アコは「うぅ……ボクできるかなぁ」と、ほっぺたを赤らめた。


 ニーナはうんうんうなずく。


「がんばれがんばれできるできる絶対できるがんばれもっとやれるのです! やれる気持ちの問題なのですがんばれがんばれそこなのです! そこで諦めるないのです! 絶対にがんばれ積極的にポジティブに! ぴーちゃんだってがんばってるんだから!」


「ばぶー!」


 炎の精霊のような熱いニーナの応援に、思考能力が限りなくゼロに近い赤ぴーちゃんも反応した。いや、名前を呼ばれたから返事をしただけかもしれないが。


 アコはニーナの手をとって立ち上がる。


「ボクがんばる! ニーナせんせーありがとー!」


「アコちゃんはとってもえらいのです」


 ニーナがアコをの頭を「いいこいいこ」と優しく撫でると、俺にひっついていたステラとベリアルが、ぴょんっと飛び降りて、ニーナの元に向かった。


「あたちもほめなさい!」


「わたしにもいいこいいこするのだ」


 カノンがオドオドしながら、俺の顔を二秒ほど見上げてから「ニーナせんせー! じぶんもでありますー!」とニーナの元へ向かう。


 やっと解放されたのだが、心にぽっかり穴が空いた気分だった。


 四人の幼女に囲まれて、すっかりお姉さんの顔になったニーナはみんなまとめて「いいこいいこ」するのだった。


 部屋の隅にいたルルーナまで、一瞬だが身を乗り出してニーナの元に向かいかけたのを、俺は見逃していない。




 さて、どうしてこんなことになったのかと言えば、例に漏れず魔王様の呪いが拡散した結果だった。


 遡ること二時間前、魔王は俺にこう宣言したのだ。


「セイクリッドをロリコンじゃなくしてあげるわ! さあ、楽しみにしてなさい!」


 そう言って、一度魔王城にステラが戻ったところで、いつも通りアコとカノンが死に戻って、さらに珍しくルルーナまで死んでしまったらしく、マリクハ以来の再会となったのだが……そこに魔王の呪いが降りかかったのだ。


 俺を標的にした呪いは反射拡散し、仕掛けてきたステラ自身はもちろん、諸々巻き添えにあって今に至る。


 その呪いがどういうものだったかは、説明するまでもないだろう。


 幼児化の呪いだ。肉体だけでなく精神までも、幼児にしてしまう実に恐ろしい呪いだったのだ。


 元々幼女なニーナには効果がないあたり、どうやらステラは俺をニーナと同じくらいの年齢にするつもりで、この呪いを構築したらしい。


 まあ、例外的にぴーちゃんは幼女どころか乳児化したのだが……。


 ともあれ、ロリコンをロリと同年代にして無効化という目論見アプローチは失敗し“最後の教会”は幼稚園と化したのだった。


 呪いが解けるまで、俺が頼りにできるのはニーナだけだ。


「それじゃあ、みんなでお歌を歌うのです」


「「「「はーい♪」」」」


 ニーナ先生が視線を送ってきたので、俺はボックス型のオルガンに向かうのだった。


 音楽を奏でると、幼女たちがバラバラの歌詞で合唱を始める。


 隅ッ子のルルーナも「……音がばらばら」と言いながら、身体はゆっくりリズムに合わせて左右に揺れていた。




 一時間ほどでステラの呪いは解けて、無事全員元通りである。


 が、身体が大きくなったことで服は破けたり、小さすぎて食い込んだりと、全員、ニーナのクマさん柄パンツ姿を晒してしまった。


 それはそれはあられもない修羅場と化した聖堂で、男は俺だけである。


 可愛い可愛い幼女だった間の記憶も曖昧な女性陣の怒りの矛先は、やはりというか唯一の男である俺に向けられた。


 呪いをかけた張本人ステラにまで恨まれるあたり、世の中は実に大神官に優しくない。不条理だらけだ。


 まあ、ニーナの“おねえちゃんになりたい欲求”が満たされたのは良かったわけだが。




 ――翌日、朝一番で聖堂に魔王様がやってきた。


「ご、ごめんなさいセイクリッド。昨日はちょっと混乱してて……あの状況になったのも、あたしが呪いをかけたからで……はうぅ」


 珍しくステラは俺に平謝りだ。


「私を困らせたいのであれば、先日の呪いを積極的に使うことをオススメいたします」


「い、いやよ! クマさんパンツ姿はいやあああああ!」


 赤面すると顔を両手で押さえて、ステラはまだ来たばかりなのに、魔王城に走り去っていった。


 ああ、呪い怖い。魔王の呪い怖い怖い。

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