恐怖の水飲みステラ! 魔境の密林に潜む幻の新芽を追え!!
蒸し暑い熱帯の空気は、肺に取り入れただけでむせかえりそうになった。
道なき道を歩く。密林は鬱蒼と生い茂り、怪鳥のけたたましい鳴き声がどこからともなく響いて消えた。
羽虫が飛び交い、毒蜘蛛が跋扈し、凶鳥が死肉を貪る魔の森を、なぜか俺はステラとベリアルを連れて行軍していた。
俺の後に続くステラに振り返らずに告げる。
「そろそろ帰還魔法で戻られてはいかがですか?」
「こ、これくらいへっちゃらよ」
「足下に蛇がいますよ」
言った途端にステラが「きゃあああっ!」と悲鳴を上げて、その場で飛び上がった。
彼女の尻尾と同じくらいの長さの蛇が、少女の甲高い声に驚いて茂みに逃げ込む。
隊列のしんがりを守る鎧姿のベリアルが、三つ叉の槍を振り回した。
「ええい! 魔王様に牙を剥こうとはこの狼藉者め!」
蛇の逃げ込んだ茂みを槍で突きまくるも、手応えは無かったようだ。
「遊んでいないで、ついて来るなら足を動かしてください」
先頭を行く俺は二人に告げて、足を前へと動かした。
密林に入って、かれこれ二時間。水や万が一のための食料など入ったザックを背負っての行軍は、本来一人で行うはずだったのだが――
ステラが鼻声になって俺に訴える。
「んもー! ムシムシ暑いし蛇とか蜘蛛とかいっぱいでるしー! シャワー浴びたい! 冷たい飲み物飲みたいー!」
「無理についてきて欲しいと頼んではおりませんよ」
ステラが俺の隣に進み出てムッとした顔でこちらを見上げた。
「どうしてそんなに涼しい顔していられるのよ?」
「氷結魔法を応用して服の中に冷気をため込んでいますから」
言った途端に魔王の顔が真っ赤になった。
「し、知ってたから! それくらいできるわよ」
ステラは自分自身に初級氷結魔法を使った。
「寒ッ! なにこれ無理なんですけど」
瞬間――汗ばんだ肌が霜が降りたように冷たくなった。ステラには莫大な魔法力があるが、弱める方向での制御は大きすぎる力があるがゆえに、苦手なようだ。
後方からベリアルの声が飛ぶ。
「セイクリッドよ! 魔王様に嘘を教えたな!?」
「いいえ。ステラさんの力が強すぎるため、初級氷結魔法ですらも上級に匹敵する威力になってしまったのでしょうね」
ステラはガチガチと奥歯を鳴らしながら魔法を解いた。
「そ、そそそそ、そういうことよ! あたしの才能が溢れすぎてるから、セイクリッドが大好きな小細工は向いてないってわけ」
「人聞きの悪いことをおっしゃらないでください。小細工ではなく工夫です」
氷結魔法を解いてもひんやり状態のステラをベリアルが抱きしめる。
「どうかこのベリアルで暖をおとりください」
「そういって、ベリアルが涼しくなりたいんじゃないの?」
「そのようなことはございま……ひんやりしていてステラ様の抱き心地がたまりません」
ステラも「身体は正直ね」と、別の意味に捉えられかねない言葉で返す。
抱き合ったまま足の止まった二人を置いて、俺は先を急いだ。
どうしてこんなことになったのかと言えば、大神樹管理局からの調査依頼がきっかけだった。
砂漠気候のサマラーンから、さらに南下した先にある大密林にて、新たに“大神樹の芽”が発芽したというのだ。
肥沃な大河と生い茂る熱帯の森には、かつて高度な文明都市があったとされており、現存する我々の文明や建築様式などからかけ離れた巨石の神殿などが眠っていた。
奥地ほど巨石文明は蔦木に包まれ浸食を受け、今では一体化してしまったとされている。
そんな森の中に、大神樹の新芽が芽吹いたというのであれば、今後はその芽を拠点に失われし文明の調査が捗ること請け合いだ。
また、森に住む種族とも交流し教会の信仰を広めることにも繋がるだろう。
つまりこれは調査を兼ねた教化合宿なのである。
設備開発部から“新芽の羅針盤”という小さなコンパスが大神樹の芽を通して転送された。今回探す新芽の方角を指し示す水先案内人だ。
俺が荷物をまとめて、密林手前の村にある教会へ跳ぼうとしたところを、ステラとベリアルに見つかってしまったのだ。
転移魔法を使う寸前でステラに抱きつかれ、そのステラを追ってベリアルもくっついてきてしまい……現在に至る。
ちなみにステラは帰還魔法でいつでもベリアルともども魔王城に戻ることができるため、五分も森を歩けば飽きて帰るだろうと踏んでいた。
そんな二時間前の自分の予想を上回り、ステラは俺についてきてしまったのだ。
抱き合うのをやめて、再び熱気にさらされながらステラが俺の背中に追いついた。
「ねえねえセイクリッドどうしてこんなとこ歩いてるの?」
「ですから申し上げた通り、教会からの依頼です」
「セイクリッドが教会の言うことを唯々諾々と呑むわけないじゃない? 何か裏があるんでしょ? それを教えてくれなきゃ帰らないんだから!」
俺は後方をちらりと見る。もともと人間とは比べものにならない身体能力を持つ女騎士も、どことなくうんざりしたような顔だ。
ベリアルはステラの護衛で、しぶしぶついてきているのは明白だな。ぴーちゃんがいるとはいえ、独り置いてきてしまったニーナのことも心配だろう。
俺はステラに告げた。
「ニーナさんが心配なさいますよステラさん」
魔王は女騎士にウインクする。
「あたしの事はセイクリッドが守ってくれるから、ベリアルは帰っても大丈夫よ?」
「そうはまいりません」
臣下たるもの、他に答えようもない。
ステラが勝手に俺の水筒から水を飲む。
「ぷはー! あれ? もう空っぽ?」
「まったく、どうしてくれるのですか」
「まだお水あるのよね?」
「一人分しか用意していませんから」
言った途端にステラが「ご、ごめんなさい」と尻尾をしょんぼりうなだれさせた。
結局、水はステラとベリアルに飲まれてしまったか。
このまま大神樹の芽にたどり着けなければ、後日改めてやり直しだな。
と、ステラが魔法力を高め始めた。
「お詫びに森を焼き尽くして、歩きやすくしてあげるわ。極大獄炎魔……」
「おやめください」
「あうぅ……」
ますます気落ちする魔王をみて、ベリアルから「良いではないか森の一つや二つ灰になろうとも!」と、俺に対して憤った。
魔王の進んだ場所が文字通り、道になる。と、それでは困るのだ。
教会の目的は信仰を広めることであって、物理的な侵攻ではない。
ああ、もういい加減帰ってくれないものか。
「魔王様、お疲れになったでしょう。そろそろ戻られてはいかがでしょうか?」
「だめよ! セイクリッドって目を離すとすぐに……その……お、女の子が増えるでしょ?」
「はい? なんのことでしょう」
「だーかーらー! 新天地で美少女と出会って仲間にしちゃうかもしれないのは困るのよ」
「そのようなことなどありましたか?」
「あるじゃないの。アコもカノンもそうだし、ラヴィーナにルルーナにぴーちゃんだって……」
それらはすべて大神樹経由で送られてきたのであって、俺が何かしたわけではない。
「増やしているのではなく、教会の業務をこなした結果増えたのです」
「それよ! 今回も教会のお仕事なんだし、絶対になにかいるわ! これ以上増えてますます手遅れになる前に、あたしがなんとかしなきゃってことなわけ!」
「安心してください。この森に住む種族がいるそうですが、彼らとの交渉は後日、教皇庁の専門部署が行う予定ですから」
俺の仕事は転移魔法のルート確定までである。
冷蔵棺桶だの赤い鞄だの、今後とも便利な道具を作らせるためのポイント稼ぎは小まめにしておきたい。
と、それからしばらく進むとどこからか小川のせせらぎが聞こえてきた。
どうやら大神樹の芽は近いようで、道具袋から新芽の羅針盤を取り出した。
川の上流を羅針盤の針が指し示す。
その先には緑に覆われた高い山がそびえていた。
ステラが羅針盤の針と山を見比べる。
「ね、ねえセイクリッド……針がなんだか上を向いてない?」
「どうやら上の方にあるみたいですね」
大神樹の新芽は切り立った崖のような山の上で発芽したらしい。
「諦めて帰りますか?」
「こ、ここまできて諦めるわけないじゃない! そうよねベリアル?」
魔王の言葉に女騎士は「ええと……も、もちろんですとも!」と、少しだけ言葉を濁し気味に返した。
ああ、帰りたいんだろうなベリアル。
しかし、崖を登るとなると一苦労だ。光の撲殺剣を伸ばしていけば、ぎりぎり崖の上に届くだろうか。
あまり縦に伸ばしすぎても強度が下がってしまう。長く伸ばすにも限度があった。
と、ステラがベリアルに命じる。
「じゃあ上まで運んでちょうだい」
「御意」
ベリアルが姿を変えた。というか戻した。美女の姿が光に包まれたかと思うと、一気に膨らむように肥大して魔獣となる。
上級魔族らしく小山ほどの巨体になったベリアルには、コウモリのような立派な羽が生えていた。
まさかステラよ「悪いわねセイクリッド! このベリアル一人乗りなの!」とは言わないだろうな言わないでくださいお願いします。




