君の名……は?
本日も小さな教会の聖堂は平和に満ちあふれていた。
講壇に立ち聖典を開いて、俺は今日も勇者が自力でこの“最後の教会”にたどり着くのを待ち続ける。
赤いカーペットの上に、さらに敷物を広げてニーナがおままごとに興じていた。
小さなお皿のセットや、赤いスライムのぬいぐるみ。それに哺乳瓶やらガラガラといった赤ちゃん関連アイテムのほかに、木製の包丁やまな板といった、オモチャの調理器具などが並べられた。
本日は赤い鞄の中の人こと、ぴーちゃんが子供役のようだ。
「ぴーちゃん、いつも苦労をかけてごめんね。お父さんがいなくて寂しいですわよね」
ままごとの時だけ特有のお嬢様喋りになるニーナにも、すっかり慣れたものである。
赤い鞄から小さな影がふわっと浮かび上がった。
「お母様、そのように哀しげな顔をなさらないで。ああ、出て行ってしまったお父様は、いったいいつになったら戻ってきてくれるのかしら。わたくしとお母様を、その腕に抱いてくださるというのかしら」
先日、四角い姿になって以来、ぴーちゃんの投影される姿は立方体と直方体を組み合わせた四角モードのままである。
そんな四角いぴーちゃんが、俺をじっと見上げて訴えかけた。
つまり、参加しろというのだ。
ニーナと二人だけなら問題はなかったのだが、ぴーちゃんという第三者の存在が危険すぎる。
ニーナも俺を見上げて、小さな手を組み大神樹の芽に祈りを捧げた。
「神様、どうかお父さんをください。ちいさなぴーちゃんには、お父さんが必要だから」
いかん、このままではニーナの遊戯時空に引き込まれてしまう。
敷物の上ではニーナが神であり、法であり、秩序なのだ。
大神官といえど、そこに引き込まれればお父さん役、場合によっては息子や赤子にされてしまいかねない。
大人としての尊厳を消失させ、絶対服従を誓わせる魔の領域である。
ニーナのエメラルド色の瞳が「遊んでぇ」と訴え続け俺の心を揺さぶった――その時。
『たっだいまー!』
『もう何も怖くないでありますな』
やったねニーナ。お父さん役と、お父さんが外で作った愛人役が同時に参戦決定だ。
これは泥沼化の愛憎劇が見られそうである。
蘇生魔法で勇者と神官見習いを復活させると、さっそくアコがニーナのお遊戯スペースに興味をもった。
「わー! かわいいね! ニーナちゃんこれ、おままごとセットかな?」
「あ、あの、えっと、ニーナがお母さんで、ぴーちゃんが娘さんなの」
アコがしゃがみ込んでニーナの敷物の上に膝を置くようにして正座した。
「じゃあボクがお父さんね!」
ニーナが俺を見上げて呟く。
「え、けど、それじゃあ新しいお父さんになっちゃうから」
なぜか俺が寝取られた格好になっている件。
だが、アコとカノンがいる状態で、お父さん役などできるわけもない。
我がお父さん役の姿は、俺とニーナだけの秘密にしておきたかった。
もし見せようものなら、今後、ニーナがいないところでことあるごとに、アコから「セイクリッドパパ」だの「セイクリッドお父さん」なんて、揶揄されるのが目に浮かぶ。
なぜかカノンが鼻息で眼鏡を曇らせ俺に向き直った。
「じ、自分もセイクリッドパパと呼んで良いでありますか!?」
「却下です」
「し、失礼いたしましたであります」
残念そうな顔で敬礼するんじゃない神官見習い。
俺は咳払いを挟んで「お父さん役はアコさんにお願いしてはいかがでしょう?」と、ニーナに告げた。
「う、うん……ぴーちゃん、新しいお父さんはアコちゃんせんせーだけど、がまんしてね」
アコがギョッと目を丸くする。
「が、我慢!? ボクは二人を大事にするよ! 幸せにしてみせるから! それにほら、新しくお姉ちゃんも増えるし」
勇者が神官見習いの腕を引っ張り、敷物の上に座らせた。エヘンとアコは胸を揺らす。
「この子はボクの娘のカノンさ」
「え、ええ!? そうなのでありますか?」
驚くカノンにアコは「じゃあ息子にする? それか番犬でペット!」と、設定を生み出した。
ニーナが「あぁ……わんちゃんいいなぁ」と、乗り気である。
眼鏡の少女は慌てて「じ、自分は娘であります! 女の子でありますよ!」と、己の役割を受け入れた。
どうやら愛人設定にはならなかったようだ。
配役も決定したところで、アコが早速お父さんをロールプレイである。
「ういー! ひっく! ただいま~~愛する妻よ娘たちよぉ!」
幸せにすると言ったそばから飲んだくれ。これはひどい。
ニーナが「あらあらお父さん、お外ではしゃぎすぎですことよ」と、いきなり順応した。
なんという良妻ぶりだろう。カノンもぴーちゃんも、アコの飲んだくれな父親に軽く引いている。
おい、カノン、ぴーちゃん、今からでも俺に変われといわんばかりに、助けを求める視線を講壇に向けるな。
酔っ払いの演技のまま、アコお父さんは道具袋をまさぐると、手の中に収まる小さな宝玉を取り出した。
「これお土産だぞぉ!」
ニーナが小さな手を合わせてニッコリ微笑む。
「まぁきれい! まるでハネムーンで行った、青い海みたいなのですわのことよ」
先日の海水浴が新婚旅行に化けたらしい。幼女の想像力の豊かなことよ。
しかし、ダメッ子勇者のくせに宝玉なんてどこで手に入れたのだろうか。
アコが誇らしげに天に掲げる。
「これはお父さんが出張先で手に入れたギャプルンテの宝玉だぞぉ」
カノンが「あ、あのちょっと待つであります! それは換金すると約束したでありますよ!」と、役柄そっちのけで慌てだした。
が、構わずアコは宝玉を“使った”。光が聖堂内に走る。
ニーナは「まあすてき」と、目を輝かせているのだが、カノンは頭を抱え、ぴーちゃんに至ってはニーナの周囲に防御魔法を多重展開していた。
四角い顔なので表情は読めないが、無言なあたりぴーちゃんの秘めたる怒りは推して知るべし。
俺はアコに訊く。
「なんですかその、ギャプ……ええと、ともかくその怪しい宝玉は?」
「ギャプルンテだよ。洞窟の宝箱で拾ったんだ。禁呪ギャプルンテの力が秘められてるんだって」
聞き慣れない魔法だな。
「なぜそれが、禁呪だとわかるのです?」
「勇者だからかもね! 最近、手に入れたアイテムのことがなんとなーくわかるようになったんだ」
冒険の旅を続ける勇者には、いくつか特別なスキルが光の神より与えられるのだろう。
いわゆる鑑定系のスキルに勇者は目覚めたようだ。
どんどん盗掘者に近づいていく勇者よ自重しろ。
そう思っている間にも、アコの手の中で宝玉は一層強く光を放った。
「ええと、どのような魔法なのでしょう?」
「えっとね、何が起こるかわからないタイプのアレらしいよ!」
そういった危険な魔法は、誰の迷惑もかからないところで一人で使って欲しいものである。
勇者にとっては魔法の宝玉も、場を盛り上げるパーティーグッズ扱いだ。
「だいじょぶだいじょぶ! 爆発とか即死とか、そういう危険なのは入ってないっぽいから」
カッ――!? と、光が爆ぜて聖堂を白く染め上げた。
次に視界が定まった時には……俺はなぜかニーナの敷いたままごと用のシートの上に座っていた。
「おや、瞬間移動でもしたのでしょうか?」
振り返って講壇を見上げると、そこには――俺が立っていた。
「あれ!? あれれ!? なんでボクがそこにいるんだよ!」
大神官がこちらを指差し目を白黒させる。
俺はそっと下を向くと、見慣れぬ大きく盛り上がった胸があった。
これはつまり。
((――私たち、入れ替わってる――ッ!?))
よりにもよって勇者とである。元に戻そうにも、原因となった宝玉の感触が手中に無い。
ギャプルンテの宝玉は砕け散ったらしく、俺の手は虚空を掴んでいた。
空いた手で、そっと自分の胸を下から持ち上げるようにしながら、俺はその感触を確かめつつ呆然と聖堂の天井を見上げた。
どうやら第二の人生は、胸の大きな女勇者として魔王討伐をすることになりそうだ。
生きていると、色んな事が起こるんだねびっくりだね。




