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2017年/短編まとめ

無表情という名の

作者: 文崎 美生

夜も更けた頃、哀しい色を纏った狼の遠吠えが聞こえてくる。

それを合図に、私は絵筆を置いた。

重い腰を上げ、部屋を出て、キッチンへと足を向ける。

村の人間のほとんど――いや、もしかしたら私以外の全員が、この遠吠えに恐れ戦き、不安で眠れぬ夜を過ごすのだろう。


四方を山と海に囲まれた自然豊かな村。

かつて、ここでは人と人を象った人狼が共存していたと言う。

人狼とは、ある種、亜人のようなもので、人の形を成しながら、その身体能力は驚くべきかな、普通の狼と同じものを持つ存在だ。


人と似て非なる存在というのが一番分かりやすいかも知れない。


共存したのは遥か昔の話。

人と似て非なるものでは、相容れなかったのだろうか。

人は人狼を迫害した。

殺し、殺し、殺し、殺し、殺した。


「何て、愚かな生き物なのか」


ガッチャン、と態とらしく大きな音を立てて、ヤカンに火を掛けた。

中には水がたっぷり入っているそれを見ながら、もう一度、今度は皮肉の色を乗せて言ってみる。


「人とは、何て、愚かな生き物なのか」


全ての始まりはそこからだった。

人が迫害した人狼は、その血を確かに残し、その血を受け継ぎながら、その血に浸した憎悪を色濃くしていったのだ。


積年の恨み、というのか、それが爆発したように平和ボケした小さな村で、村人が臓物を食い荒らされた状態で発見される。

人狼だ、人狼だ、と騒ぎ立てたのは、村にいる老人達だ。

歳を取ると信仰深くなるのか、老人達は特に人狼を恐れている。


そうして、老人達の言葉は、正しかった。

毎晩一人ずつ、村人が人狼に食われ、その無残な死体を明朝の明かりの元で晒す。

日を追う事に一人ずつ村人が減っていく中、やはり愚かかな、村人は村人を疑う。


今の今までのうのうと生活をしていた癖に、まるで親の仇でも見るような目で家族以外の人間を見るようになる。

そうして疑った先には、人狼が村人の誰かだと言う話になった。


結果、日に二人、村人が減る。


これは生贄だ。

これは裁判だ。

これは魔女狩りだ。


村人は村人を怪しみ、疑い、こいつが人狼だと声を荒らげる。

処刑だ、こいつを殺せば明日は平和だ、そんなわけ、あるはずもないのに。


一人は人狼に噛まれて死に、一人は人狼だと疑われて殺される。

悲しいかな、哀しいかな、これは最早人殺しの村だった。

人狼が現れる村ではない。

村人全てが人狼に見える、疑心暗鬼の村だ。


人は恐怖に包まれる。

最早、この地に安寧はないと知る。

ならばとっとと、この村から出て行ったもん勝ちだと私は考える。

しかし残念、もうこんな場所にいられるか!と出て行こうとした瞬間を見られれば、また、死体が増える。


「さて、明日の死体は幾つかしら」


歌うような呟きに、まるで誘われたようにドアがノックされた。

コン、コン、コン、ゆっくりとした三回のノックに、私は体を反転させる。


「こんばんは」


大きく扉を開く。

月明かりを背に立っていたのは、見慣れた少年が立っていた。

アイスブルーの双眼は、月よりも輝き、そして美しい。


その瞳に、ほう、と息を吐き、私は体を斜めにして道を開ける。

どうぞ、招き入れれば彼は躊躇なく室内へと足を踏み入れた。

今日もその顔に、表情は乗せられない。


「お腹は空いている?」

「……いいや」

「そう。なら、コーヒーは?」

「……ああ」


短い応答に私は笑み、沸騰したことを知らせるためにピーピー音を立てるヤカンを火から下ろす。

彼は、リビングのソファーに、そのしなやかな肢体を横たえた。

余程疲れているらしい。


私は彼専用のマグカップを手に取る。

黒地に白で狼が描かれたマグカップだ。

描かれた、と言っても、描いたのは私自身なのだが。

彼はそれを見て、珍しく眉を寄せ「……不謹慎だ」と呟いたのを覚えている。


粉末コーヒーを入れ、お湯を注ぐ。

私の分のマグカップと共に、彼にコーヒーを届ければ、跳ねるように起き上がる。


「……ありがとう」

「はい。どう致しまして」


彼が両手でマグカップを受け取り、私も私で彼の隣へと腰を下ろす。

一人掛けソファーもあるのに、私はいつもわざわざ彼の隣に座る。

彼はそれを気にした様子もなく、コーヒーを啜った。


「……今日は」両手でマグカップを持ったまま、中のコーヒーを覗き込んだ状態で彼が口を開く。

こういう時、私はいつも彼を待つ。

私がコーヒーをたっぷり口に入れ、香りと一緒に飲み込む間に、彼は言葉を続ける。


「今日は、誰が犠牲者だった」


疑問符のない言葉は、抑揚のない言葉のせいだった。

私としてはいつものことなので、いちいち本人に言うこともなく、ええと、と視線を宙へと動かす。


「あぁ、そうだわ。ただの村人よ」


ふぅ、とコーヒーから立ち上る湯気を吹く。

村人にはそれなりに人狼へと対抗出来る人間も、いたり、いなかったりする。

例えば、狩人なんかは人狼への対抗勢力と言っても良い。


「そう、何の力もないただの村人。ただ、そうね。あの子の作るジャムは、パンに付けて食べると凄く美味しかったわ」


時折森に行って、果物を取っていた彼女のことを思い出す。

顔は既にぼやけてしまったが、それでもあのジャムは美味しかった。

まだ完熟していない実も混ぜてあったから、甘酸っぱくて、ぷちぷちとした果肉の食感も良かったのだ。


レシピを教えましょうか、と言われたこともあったが、外に出る機会が極端に少なく、森に行く機会もほとんどないので断った記憶がある。

もしかしたら、私はとても勿体無いことをしてしまったのかも知れない。

今更ながらにそう思う。


「……そうか」

「そうだよ。そっちは?」


横目で見た彼には、表情は浮かばない。

端正な顔立ち故に、表情が乗せられないと、彫刻や絵画のような印象が強くなる。

何と言うか、無機物が動いているような感覚だ。


私とは決して目を合わせないようにしている気配が伝わり、私だけが彼を見る。

アイスブルーが揺れる度に、その瞳がいつか零れ落ちるのではないかと思う。

薄い色の唇が、コーヒーを吸い込む。


溜息にも似た息を吐き、彼はぼんやりと薄れた輪郭のまま言葉を吐く。

「男、だった」「うん」ぽつぽつと沈黙を挟みながら続く言葉に、私は一つ一つ丁寧に相槌を打った。


「……身長は、オレよりも高くて」

「うん」

「少し、筋肉質だった」

「うん」

「髪は黒くて、目は赤褐色」

「うん」

「……後、お前の名前を、呼んでた」


ゆらり、アイスブルーが揺れた。

しかし私は映っておらず、私は私の瞳に、そのアイスブルーを焼き付ける。

心当たりがあるかと問われれば――まあ、彼は問うてはいないが――心当たりはとてもあった。


彼よりも身長が高く、細い筋肉質で、黒髪に赤褐色の瞳で、私を呼ぶ男。

アイツかぁ、と心中で呟く。

自然と目が細くなったのを、彼は視界の端で捉えたようで、私の言葉を促した。


「確か、あぁ、そう、自称占い師さんだよ」


何か知らんけどタロットカード持ち歩いてたよ、と告げて、彼の手からからっぽになったマグカップを抜き取る。

私がソファーから立ち上がれば、彼も立ち上がり、数歩後ろを付いて来た。

カルガモ……という感想は心の中に留めておく。


この村は広さだけはあって、当然街なんかよりは人口が少ないのに対して、その数ない人口が色濃い。

つまり、キャラが強い、濃いということだ。

狩人に占い師に霊媒師なんかもいる。


何故こんな辺境の地にいるのかと問えば、答えは三者三様、十人十色。

例えば、その手の仕事の一線から退き、隠居してきた者もいる。

例えば、その手の能力を持て余したために、隠れるようにやって来た者もいる。

例えば、村に生まれ育ち趣味が高じた者もいる。

本当に色々だ。


「当たるのかは分からないな。私が村人だって言って、態々狩人さんに護衛を頼んでたけれど、実に余計なお世話だった」


シンクにマグカップを並べて置く。

中に水を入れておき、そのまま別室へと足を運んだ。

やはり彼は、私の言葉に相槌も打たずに付いて来る。


向かったのは作業場だ。

綺麗に言えばアトリエだが、見た目よりも機能性を重視する私には、作業場で合っている。

扉を開けて、先に彼を招き入れた。

そうして彼が中に入ったのを見届け、私も室内に足を踏み入れ、扉を閉める。


「だって、私は人狼を受け入れてるもの」


作業台に置きっぱなしの絵筆、絵の具で汚れたパレット、イーゼルにキャンバスを隠す大きな布。

大きな布を取り除く。

彼は既にその前に置いてある、私が彼が来るまで座っていた丸椅子に座っている。


布に隠されていたイーゼルとキャンバスが、彼の目の前に姿を現す。

しなやかな肢体に、艶やかな毛並みの狼。

キャンバスいっぱいに描いたその狼を見つめるアイスブルーは、多種多様の感情を映し、揺らす。


「いつか、そう、いつか」


彼を抱く。

しなやかな肢体には、同じようなしなやかな筋肉が付いている。

人としての体温を感じながら、言葉を続けた。


「私を食べて頂戴ね」


人は愚かだ。

こんなにも美しい獣を殺し、迫害したのだから。

私は彼を離さないように抱き留める。

彼の手がやんわりと私の背中に回った。


「……ああ、そうだな」

「ええ、そうよ」


まるで今更私を食べなければいけないことを思い出したような相槌に、私は顔を上げてみた。

目は合わずに、アイスブルーはキャンバスに向けられている。

それでも、私は薄く笑みを向けた。


小さく目を伏せた彼は、此処に来てから一度も表情を変えずに、アイスブルーの瞳から雫を落とす。

嗚呼、本当に愚かなのは私の方なのか。

私は彼に縋り、彼もまた私に縋りつく。


遠くで狼の遠吠えが聞こえたような気がした。

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