Introduction:まず身の回りの話をしようか
「魔王ガーベリオン様、ご報告に参りました」
「うむ、入るがよいぞ」
巨大な扉の向こう側から、些か小さいが声が聞こえる。俺の隣の玉座に座る「魔王ガーベリオン」は、腹の底に響くような低音で、中へ促した。
「これは、側近竜様もいらっしゃったとは」
「お努めご苦労。今季の経済報告と伝え聞いているが」
「はい、それでは」
側近竜様、と呼ばれたのは俺のことである。俺はかぶっていた黒いハットをかぶり直しながら話を催促した。すると、甲冑を纏ったその竜が、腰に下げていた羊皮紙を開き、内容を読み上げた。
「――というわけでありまして」
「ふむ……わかったのだ、下がって良いぞ」
大凡10分ほどか。手元の懐中時計をパチン、と閉じた。魔王の言葉を受け、竜が扉の向こう側へ消え、閉じた。と同時に、魔王の前足が崩れ落ちた。
「嘘なのだ……まさかそんなことがあるわけないのだ……」
「心当たりなら山ほどだけどな……このまえ贅沢して風呂の改築なぞ頼むからだよ魔王……」
俺の言葉に魔王がはっと目を見開く。
「そんな酷いのだ!我が入るには小さすぎるのだ!ちょっとくらい広げてくれてもいいのではないか!?」
「俺の影の部屋で入ればいいだろう……広さは無限なんだから」
「ふいんき大事なのだー!!」
そう言いながら、魔王はふくれつらで地面を向いてしまった。俺は帽子のつばを触りながら、重く苦しい溜息を付く。
人間からは地獄とも称される、ここ「魔界」は、赤字経済から抜けだせずに居た。
「はい魔王」
「ディナーが質素なのだ」
とりわけ、今晩のディナーは―というより夕食は、魚の味噌汁と白米、魔界ほうれん草のおひたしだった。魔王さまさまの食事というより、一般庶民の毎日の食卓といった内容が、豪勢なゴシックテーブルに並べられるその様子は、なんとも珍妙なものだった。
ここは魔界。「天・現・魔」と並ぶ三世界の内、最も最下層にある不浄の世界。今の王である「魔王ガーベリオン」が生まれた時の副産物のようなもので、魔王が生み出した「魔物」という生命と、現世からの生命で構成されている。
最も生活に適していると言われる「現世」からは、憎むべき闇の大地であり、そこに足を踏み入れたが最後、荒れ狂う化け物に四肢を貪られると言われているが、実際のところは平和そのものだった。もちろん、それは魔王が管轄するエリアに限る話で、そのエリアを出た先にはどれほどの悪環境があるのかは、想像につかないだろう。
そんなわけで、先ほどから味噌汁を面白い顔で啜っているのが、その魔界の最たる者、「魔王ガーベリオン」だ。燃え盛る炎のような紅い鱗に、血の乾いたような赤黒い蛇腹、そして厳つい顔と角と、怖い成分勢揃いな外見で、いつもは堅苦しい言葉遣いで威厳を保っている。
のだが
「そっきんそっきんー、ショウガが入ってるのだ。ざらざらするのだ」
「我慢しろ」
このようにプライベートだと一気に砕ける。さてはて何故ここまでに砕けた性格なのだろうか、幾千万共に生き繰り返したものだが、未だに軽く謎だ。いや、元々この性格が王を担うためにと考えれば普通なのだろうか……いやはや。
それで、その偉大なる魔王さまと席を共にし、飯を食らう俺は何者なのかというと、この魔王の側近、名倉影鳥。かつて現世界に、魂を宿す飴細工として誕生し、ある経緯を伝って今に至る。灰色の肉体と鼈甲飴のような角、翡翠色の目に漆黒のコートとハットを纏う。竜の特徴であると言われている翼は無く、国として動かし始めた当初は、奇異な目で見られていたこともあるほどには珍しい生物になるのだろう。
しかし俺と魔王の関係は、それこそ側近と魔王という関係だけではなかった。魂と肉体はあれど、そこに「生物として必要なモノ」がなかった俺に、魔王の一部としてそれを分け与えてくれたのは、魔王なのだ。
つまり、俺にとって魔王は、一生を懸けて守る対称であり、同時に親のようなものでもあるのだった。
「ごちそうさまだったのだ」
結局のところ、わりと満足そうに庶民の夕食を平らげた魔王は、食器を片す俺の背後をじーっと見続けていた。視線がこそばゆく、思わず後ろを振り返り、ふと目を合わせる。すると唐突に
「いつもありがたいのだ」
魔王は、そういった。俺は思わずあっけにとられ、皿を洗う手を止めた。その後にじわりと内心に広がる、温かいものを感じながら、魔王に微笑み返した。
「任せろ」
こんな日も、いくつ繰り返したことだろうか。
俺は、すっかり日も沈んだ魔王城下町を、窓から眺める。魔王城の最上階、魔王と側近のその部屋からは、城下町とその城壁の向こう側。つまり「居住区街」を一望することが出来た。
薄黒い紫色に空は包まれ、朧月が二つ、うっすらと姿を写していた。
横のベッドでは魔王が豪快に寝息を立てている。相変わらず俺の寝る場所を少し奪うような形で寝ていた。まぁ構わないのだが……
俺は再び窓の外に目をやる。この城下町も、居住区街も、俺と魔王が幾度なく繰り返した「地獄」の上に成り立っている。
というのも、この平和な魔界にも、一時期戦争の時期があったからだ。
――「勇者」と呼ばれる、魔界に対向する力を得た人間達。過去に一度、その勇者の軍と戦ったことがある。
魔界に生を受けた者達の中でも、魔王の一部を受けた者は、その魔王がなんらかにより消滅しない限り、生命のサイクルから外される。つまり、死ぬという概念に当てはまらなくなるのだ。どれだけ傷を受けても、時間をかければ完治するし、いくら生きながらえても老衰することもない。不老不死になるのだ。
今のところ、側近の俺以外に魔王の一部を受けている者は居ない。また、魔王そのものも生命のサイクルから完全に外れているため、死ぬことはなかった。
だが、勇者はその不老不死の力を消失させる力を、三世界の内天上の世界、「天界」から授かっていたのだった。
当然、そのイレギュラーに対して真っ当な対処も出来ず、一度は魔界は悲惨な状況になった。それは俺と魔王も例外ではなく、俺は魔王を守り死に生き返ることを繰り返し、魔王も俺の中に一部を残すことで、本体が消滅しても復活するということを繰り返してた。
そしてそれがおおよそ、二人で105回を超えた時、50年に渡る戦争は、俺達魔界の勝利で幕を閉じることが出来たのだった。
今でも鮮明に思い出せる。これが不老不死の力によるものであるのも、俺はわかっている。老いて忘れることがないのだから、強い記憶は延々と褪せること無く、俺の脳裏にその影を落とし続けているのだった。
「……まぁ、それでも」
それでも今は平和なのだ。俺は軽い溜息を窓の外に逃がし、閉めた。過去がどうであれ、今俺と魔王の状況が、どれだけ経済的に苦しかろうと幸せなのには違いない。それを認めなければならない。
「まったく幸せそうな寝顔しやがってよー……」
布団に潜り込むと、巨大な魔王の顔が眼前に迫っていた。落ち着き始めたのか、寝息は静かになり、どことなくむにゃむにゃと口を動かしているようにも見える。
俺はそれを数回さすり、自分もその世界に溶けようと、目を閉じる。
「おやすみ魔王」
その世界がずっと、続くことを願いながら。