3話:過去と今
「先に確認するけど、貴女が率いている狼人族の中に獣化の権能を発現している子は他にいないわね?」
「うん。オオカミになれるのはボクだけダ」
アリシアの問いにベオルンははっきりと返答した。
狼の少女は少し舌足らずだが、内容自体は簡潔明瞭だ。そうならざるを得なかったが故か、年齢以上に聡い。
「だから、貴女だけが犯人扱いされた?」
「……うん」
「そう」
アリシアはそれ以上は何も言わず、手を伸ばしてベオルンの麦穂色の髪を撫でた。
悪い気はしないのか、ベオルンも微かに目を細めてなされるがままに任せている。
第一印象からして子供扱いすれば怒りだすかとも思われたが、そんな様子はない。この村での日々は頼れる大人はおらず、群れのトップとして気を張り続けた日々だったのだろう。
和むなあとひとりごちながら、ロウはオリーブオイルとオオヒルを炒めておいた鍋に水と切った野菜、腸詰めやらを入れ、塩胡椒の小瓶を振りかけた。
塩についてはその場で空気か何かを適当に塩柱化しても汚れごと変換できるのだが、気分の問題で予め洗ったハーブを塩に変換した物を小瓶に詰めている。
そのまま鍋を暖炉の火をかける。薪がいつの間にか補充されているのはもしかしなくてもラーガンの仕業だろう。
食事当番は朝はロウ、昼と夕はラーガンというのがここ最近のローテーションだ。
ロウより遥かにできることの多いラーガンが朝食やアリシアの支度から解放され、夕刻から翌日の昼まで自由に動けるようになったことで、調査効率は遥かに上がっている。
尚、アリシアの料理技能については怖くて訊けていない。
そうして暫く待っていると、ぐつぐつと煮えた鍋から空腹を刺激するオリーブオイルの香りが漂ってきた。
朝食はまだだったのか、ベオルンはごくりと唾を呑み込んでいる。
「そろそろ出来ますよ」
「!!」
笑いながら声をかけるとベオルンがばっと立ちあがって駆け寄ってくる。
狼少女はそのまま鍋を覗き込もうとして、微かに顔を顰めてその動きを止めた。
ロウが怪訝そうに問う。
「何か食べられない物がありましたか? 一応、調味料以外はこの村で購入した材料ですが」
「オ、オニールのにおいはちょっと苦手なんダ」
「……獣避けにそこここの家の軒先に吊るされてますよね?」
ロウは集会所の軒先に吊るされている数株のオニールを見遣る。
玉ねぎに似たそれは皮を剥くとたしかに目や鼻に沁みる。
「獣化してなかったら別に大丈夫なんだケド、つい……」
「獣化、特に狼系統は嗅覚が大幅に強化されるわ。そのせいでしょうね。はいこれ」
「ありがとうございます」
アリシアから4人分の食器を渡されたロウは、お玉で鍋加減を確かめながら横目でベオルンを見遣る。
「このくらいなら平気だカラ!!」
それより早く食べたい、とベオルンは言外に告げる。
尻尾があればぶんぶんと振っていたことだろう。心配はないようだ。
「他に苦手なものはありませんか?」
「うん!!」
「よろしい」
ロウは器一杯に完成したポトフを注ぐと、黒パンと一緒に目を輝かせたベオルンに手渡した。
狼少女はお祈りもそこそこにポトフに口を付け、その頬がふにゃりと幸せそうに綻んだ。
「おいしい!!」
「うん、ありがとう」
「お礼を言うのはコッチ。獣化するとお腹が減るンダ」
「そういえば僕も最近すぐ腹が減りますね」
アリシアにもポトフを渡しつつ、ロウはベオルンに同意する。
塩野八郎はどちらかというと小食な方だったのだが、異世界に来てから明らかに食事量が増えている。
尤も、旅から旅への異世界と日本にいた頃では生活習慣がまったく違うのであまりアテにならないが。
「今日もおいしいわ、ロウ。それと、権能は使い過ぎると心身を消耗すると言われているわ。空腹もそう。
ひょっとしたら貴方の食事量が多いのは模倣犯に使われている分もあるのかもしれないわ」
「あまり想像したくないですね……」
凶悪犯と心身が繋がっているなど想像するだけで嫌になってくる。
そんな気持ちごとロウはスープを啜る。固形コンソメのような便利なものはなく、味付けはやや薄いが、きちんと下ごしらえした分、舌の上で踊る感触は滑らかだ。
「申し訳ありません。遅くなりました」
その時、集会所の扉が開いてラーガンが戻ってきた。
ちゃんと扉から入室していた事にロウは秘かに驚いた。常の気配のなさを考えると影からぬっと出てきた方が驚きは少なかっただろう。
「ラーガンが遅れるなんて珍しいわね」
「何かあったんですか?」
ロウはラーガンの分のポトフを注いで手渡した。
老執事は礼を言って受け取ると一口啜ってから口を開いた。
「次の予定経路に盗賊が湧いておりましたので、少々掃除を」
「そうですか…………うん?」
もちろん殺してはいませんよ、と笑顔で宣う老執事がちょっと怖かった。
ベオルンなどぺたりと耳を伏せてロウの背中に隠れてしまっている。
「ラ、ラーガンさんってお強いんですね」
「なに、向こうも少数でしたし、大したことではありません。……発見できなかった本隊を炙りださねばなりませんが」
「ええ、おかしいものね」
「何がですか?」
ロウの問いに、アリシアは食器を置いて代わりにぴんと人差し指を立てた。
「昨日話したでしょ。この辺りはどの村も自給自足で成り立っている。つまり、村落間の物流はかなり弱いの。街道に張り込んでも獲物は滅多に通らないし、襲っても稼ぎは雀の涙よ」
「盗賊業は“石の街道”の主要路で暴れ回ってようやく生活できる程度の稼ぎにしかなりません。村ごと焼き尽くすくらいでないと、このような辺境では割に合わないので御座います」
「詳しいですね」
「当然。盗賊なんて両手足の指じゃ足りないくらい裁いてきたもの。大抵は現行犯で捕えたから傾向も把握しているわ」
そういえば法執行官はお巡りさん兼検察官兼裁判官だった。
いずれは自分もまたそういう場面に出くわすかもしれない、とロウは片目を瞑った。
「では、盗賊達は何か目的があって近くにいたということですね」
「それが妥当でしょうね」
「ベオルン、何か心当たりはあるかい?」
「前に盗賊が攻めてきた時は、たまたま近くにいた父上が追い返したんダ。3年前くらいダ」
「村ごと焼き尽くす系がきたのか……」
いちいち金の卵を産む鶏を絞め殺していれば、足がつくか、襲う相手がいなくなるかのどちらかに陥るだろうに、とロウは思う。
とはいえ、そんな先のことを考えられる者ならば、そもそも凶行に走らないだろう。
「それで感謝の代わりに村はずれに住まわせて貰ったらしイ。元々、大人は父上以外亡くなっていたから、ボク達が成長するまではっテ」
「防衛戦力を兼ねての勧誘だったのでしょうな」
「ベオルンが無罪と判定された時、村長が他の人と態度が違ったのはその為ですか」
「罪悪感、かしらね」
ともあれ問題は、と呟き、アリシアは碧眼をロウに向けた。
少女の表情に浮かぶ危惧はロウにも察しがついた。危惧を舌にのせて言葉にする。
「盗賊って今回の泥棒と関係あると思いますか?」
「なければ何の問題もないわ。ひとまず、あるとみておきましょう」
ラーガン、と法執行官は己が執事の名を呼んだ。
「はっ、御前に」
「この村周辺に住んでいる人はいないのよね?」
「確認した限りでは」
「外部犯の可能性は?」
「盗賊の本隊を除けば、ないかと」
「なら、考えられるのはベオルンと同じ狼系統の獣化系、それか遠吠えを再現できる幻聴系かしら」
「どちらも該当者は1名ずつおります」
「なら昼にでも事情聴取を開始します。その旨、当該権能の保持者に伝えて」
「承知いたしました」
老執事は恭しく一礼すると礼儀正しく、しかし、高速でポトフを平らげにかかる。
ロウは空になった食器を桶で洗いつつ、整ったかんばせに思索の色を浮かべるアリシアに尋ねる。
「事情聴取するなんて伝えたら犯人に逃げられませんか?」
「この村の周囲は草原ばかり、逃げ場はない。それに、下手に村を出れば疑ってくださいって言っているようなものよ」
「じゃあ、権能を偽って嫌疑を逃れることはないんですか?」
「――――」
再度の問いに少女は意外そうな顔をし、どことなく困った顔で黙ってしまった。
そこに早くも食べ終わったラーガンが助け舟を出した。
「ロウ様は自らの指の本数を偽れますかな?」
韜晦するような言葉に、ロウはちらりと十指揃った自分の両手をみる。
剣ダコも鍬を持った跡もない、生白い手だ。
天罰の発信部であることを除けば、冬になればアカギレの心配をするような、その程度の手だ。
「できないと思いますし、やったとしてもすぐバレると思います」
「我々にとって権能とはそれに等しいものとお考えください。偽ったところで使わせれば嘘は暴けますし、そもそも神より与えられた名を偽ろうと思う者はおりません」
「そういうものですか」
「そういうものかと。それから、今のような言動を人前でされるのは危険ですのでお気を付け下さい」
「え、あー、やっぱり狂信者とかいるんですか?」
「信心深い方は勿論おります。そういった方は、知らずとも天罰の保持者に暴力を振るったとなれば首を括りかねません」
「あ、そっちの心配もあるんですね」
「はい、ご注意ください。御馳走様でした」
老執事は年長者の笑みと共に洗い終わった食器を片づけた。
いつの間に手元から消えていたのかロウは気付かなかった。
◇
食後、他の狼人族の子に事情を説明したいというベオルンについてロウと、早くも言付けを終えてきたラーガンは村内を歩いていた。
ベオルンの護衛と何か手がかりがみつかればという思いからの外出だったが、村人からの視線は痛く、どうにも鬱陶しい。
先を行くベオルンを眺めつつ、ロウは手早く要件を片づけることにした。
「アリシアさんには聞かせられない話ですか、ラーガンさん?」
隣を歩く長身の老執事は何も言わず満足そうに頷いた。花丸でも貰えそうな雰囲気だ。
出会ってからこれまでラーガンとロウが二人きりになることはなかった。
別に避けていた訳ではないが、ラーガンは一日毎の休息を必要としない鬼角族のタフネスに飽かせて常に複数の仕事を抱えているのだ。
それがわざわざ自分の隣を歩いていたら、何かあるのだと思うだろう。
「察しが良うございますな。それと、ラーガンで構いませんよ、ロウ様。表向きのこととはいえ、我々は同僚なのですから」
「なら、ラーガンさんも様付けはよしてください」
「お嬢様のご友人を呼び捨てになぞできません」
「な、なんだか壮絶なダブスタを感じるような……」
老執事は慎ましく笑って少年のぼやきをスルーした。
押し切られた、とロウもまた苦笑しつつ、折角だからと常々疑問に思っていた事を口にする。
「こんな簡単に僕のことを信じられていいんですか?」
「模倣犯のことですか? お嬢様が信じると言われた以上、執事はそれに従うのみでございます」
「……」
「盲信ではございませんよ、ロウ様。ああ見えて、お嬢様の目は良いのです。外れた所を見たことがありません。それに、お嬢様も考えなしにロウ様を信じられた訳でもありません」
ラーガンは今では短くなって白髪に埋もれてしまった角を撫でる。
その角がまだ見えていた頃に、男の主は生まれたのだ。
「そもそも自ら“カルフィア消失”に関わりがあると言わなければ、あるいは天罰の権能であることを明かさなければ、ロウ様は安全に我々から離れることができた」
「アリシアさんに近づくための方便だったかも」
「合理的ではありませんな。もっと疑われずに近づく方法がざっと10通りは思いつきます。
ロウ様はとても理性的な方であるように見受けられます。
つまり、理のない嘘は吐かないだろうと。そういった形で私は貴方を信頼しておるのです」
「ですが、僕は模倣犯を……」
「ロウ様」
ロウの肩に手を置いて言葉を遮り、老執事は本題を告げた。
「年寄りの戯言だと思って聞いていただきたい」
――――復讐心を殺してはなりません。
「……僕は」
「アリシア様はご自分のこともあって他人の禁忌に触れることをひどく怖れておいでなので、このラーガンめが言葉にいたします。
今の貴方様は復讐の為に生きておられる。恨みの炎に依って立っている」
その一瞬、たしかにロウは顔から表情が消えた。
次いで、誤魔化すように苦笑を浮かべる。今更誤魔化しきれるとは思えなかったが。
「そんな風にみえますか? これでも隠してたつもりなんですけど」
「無理に隠そうとされるから逆に匂いたつのです。それに、その感情はこのラーガンめにも覚えがあります」
「……」
「若い頃に一族の者を殺されましてね。ローゼス家に拾われるまでは荒れるに荒れておりました」
ひと月を睡眠なしで活動できるオーガが暴れたら、周囲の者はたまったものではなかっただろう。
その悲嘆も復讐心も、今の穏やかなラーガンの姿からは想像もつかない。
「ロウ様、復讐の為に生きると決めたのなら、その心を偽るのはおやめなさい。でなければ、その偽りは遠からず貴方様を殺します。
復讐、敵討ち、結構ではないですか。天罰の権能を持つ貴方様を止められる者はこの地上におりません。
天罰の権能とはそれすなわち『人を裁く権利そのもの』なのです。少なくとも、この世界の常識ではそうです」
「……」
「割りきれませんか?」
「ええ、まあ」
「ですが、貴方様は現に模倣犯を追っておられる。その先にある結果は復讐の結実に他なりません」
その言葉を否定することは簡単だ。
冤罪を晴らす為、カルフィアの住人の鎮魂の為、ロウはアリシアに己の目的をそう告げた。その心に偽りはない。
だが、もしも模倣犯を前にして、怒りも復讐心も抑えられるかと言えば、自信はなかった。
それならばまだ、己のそんな感情を認めた方がマシというものだろう。
「復讐に支配されてはなりません。それは己が身を滅ぼす途でございます。しかし、貴方様は既に拳を振り上げておられる。
何も籠らぬ拳では下手人に届くことすらありませぬ。覚悟をお決めなさい」
でなければ死ぬ、と老執事は言外に語った。
秋風がロウの体を通り抜ける。答えはまだ出なかった。