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罪と塩  作者: 山彦八里
2章:狼の少年
8/23

2話:満月は沈んで

 仄かな熱を放射しながら地平線に太陽が昇る。

 未だ電気もガスも実用化の域に無いこの世界においては、人の一日は概ね日の出から日没までとなる。

 辺境の村ともなれば、日が昇ると同時に働きに出ることも珍しくはない。

 しかし、身支度を済ませて集会所を出たロウ達が見たのは、仕事を放って村の広場に集まった人だかりだった。


「僕らを歓迎……って風ではないですね」


 ロウは辺りに漂うピリピリとした緊迫感に漏れかけた溜め息を呑み込んだ。

 こんな時に、という思いはある。本音を言えば、早朝にこの村を発って模倣犯を追いたい所だ。

 無論、法執行官たるアリシアはそんなことを許さないし、許されていない。


「法執行官殿!!」


 そんな中、人だかりに混じっていた村長がアリシアに気付いて駆け寄ってきた。

 緊張に固まっていた昨晩とは打って変わって、縋るような表情を向けた壮年の男は挨拶もそこそこにアリシアに相談を持ちかけたのだった。



「――野菜泥棒、ですか」


 一通りの説明を聞き終えて、現場に案内されたアリシアは眉を顰めたまま呟いた。

 目の前には畑だと言われないとそう見えないほどに根こそぎ踏み荒らされた黒土の地面が広がっている。

 村の共有畑であり、オニール他、特に収穫の早い作物を育てていた地域であるという。

 犯行は昨日の深夜から今日の早朝にかけての間、村からは離れた場所にあったことから目撃者もいない。

 現場は無数の足跡が混在して、犯人の追跡は難しいだろう。

 残っているのは、言い知れない不快感ばかりだ。


(野菜泥棒くらいでも法執行官が頼まれるんですね。というか、村の人たち殺気立ってませんか?)

(ロウ、野菜泥棒と言えば軽く聞こえるけれど、この村にとっては死活問題なのよ)

(……そうでした。すみません)


 “石の街道”から外れた名もなきこの村は『自給自足で成り立っている』。

 従って、他所の要因で供給が揺らぐことはないが、逆に自給が途切れると回復する手段に乏しい。

 もちろん備蓄はあるだろうが、50人はいても100人はいない、常にギリギリを強いられているこの村でどれだけの量を確保できているかは怪しいところだ。


(理想は犯人捕縛の後、盗まれた物を回収することだけど、畑を駄目にされたというのなら、それもどれほど効果があるかは難しい所ね)

(なんとかならないんですか?)

(近くの街に報告するわ。多少は便宜を図ってくれるでしょう)


 アリシアは頭痛を堪えるように眉間を揉みほぐすと、改めて村長に向き直った。

 問題は事件そのものだけではなかった。


「……それで、この子が容疑者だというのが村の総意であると?」


 アリシアが苛立ちを押し殺して問う。

 法執行官の目の前に引きたてられたのは、みすぼらしい襤褸の上から縄を打たれた子供だった。

 年は10歳頃か、うなじで乱雑に切り揃えられたくすんだ茶色の髪、側頭部から生えた三角形の獣耳、薄く骨の浮いた矮躯。離れていてもわかるすえた獣臭が鼻をつく。

 一方で、見上げる瞳はギラギラとした輝きを宿し、微かに覗く犬歯は獰猛な気配を湛えている。


「村はずれに住まわせている狼人(ウルフ)族の子どもの元締めのような子です。“ベオルン”、法執行官殿に挨拶しなさい」

「――ボクはやってナイッ!! グ=ガ氏族のほこりに賭けてボクは無実ダッ!!」


 瞬間、痩せた体のどこにそんな力があったのか、鼓膜が悲鳴をあげる程の大声でベオルンは吠えた。

 至近距離で咆哮を浴びたアリシアは思わずのけぞりつつも、何とかその場に踏みとどまって耐えた。


「ボクらが何をシタ!? 言ってみろ、父上から受けた恩も忘れた恩知らず共ッ!!」

「……あなたの主張はわかりました」


 アリシアはドレスの裾が汚れるのも構わずベオルンの前に膝をつくと、真っ直ぐに目を合わせた。

 喉奥で唸る子供を前に、碧眼は揺れず、ただ真っ直ぐに見つめていた。


「昨晩は“満月”でした。多くの村人が“狼のような遠吠え”を聞きました。

 ――それでも、あなたは、自分がやっていないと言えるのですね?」

「ッ!!」


 冷酷に斬り込んだアリシアの問いにベオルンは答えられず、ふいとそっぽを向いて沈黙する。

 その二つの事実こそが村人がベオルンを犯人だとした決定的な要因だ。

 離れて事態の推移を見ていたロウは秘かにラーガンの裾を引いた。


(今のどういう意味ですか?)

狼人(ウルフ)族は獣人のひとつであり、高い身体能力と五感――特に優れた嗅覚を持つ天性の狩人ですが、同時に満月の夜に“獣化”の権能が暴走し理性を失ってしまうのです)


 端的な説明に、ロウの脳裡に古い映画に出てくる狼男の姿がよぎった。

 この世界にも月はあり、おおよそ30日前後で満ち欠けを繰り返している。

 月には魔力があるというが、この世界では俗説どころではないのかもしれない。


「そ、その、こういったことはこれまでにも何度もありまして……」

「グルルッ!!」


 村長の補足に、ベオルンは我慢ならずといった風に牙を剥く。

 だが、それを見下ろす村人たちの目は冷ややかだ。

 言葉で表わすなら「またか」といった塩梅だ。まるっきり信用されていない。

 これじゃあ狼男というよりオオカミ少年だな。ロウは口に出さずに思った。


(狼人族のはその性質上、都市部での生活は難しく、多くが流浪の生活をしております。……あの子供が元締めということは、皆まだ幼く村の外で生活することができないのでしょう)

(あまり居心地のいい村には見えませんが……)


 ロウは横目でベオルンを取り囲む村人たちを観察した。

 アリシアの手前故か誰も声を荒らげてはいないが、ひとたび箍が外れればそのまま狼人の子を私刑(リンチ)にかけてしまいそうな危険な雰囲気が漂っている。

 事情が事情とはいえ、大の大人が子供を取り囲んで殺気だっている光景は心臓に悪い。


(辺境の村人には村の外に出ずに一生を終える者も少なくはないのです)

(……ああ、外を知らなければ、天国も地獄もわかりようがないのか)


 それが果たして不幸なのかはロウ達の判断する所ではないが、なにかしら手を打たなければベオルンは明日の朝日を拝めないだろう。

 それはアリシアも察しているのか、静かに立ち上がると無言の内に己が手の中の銀装丁、すなわち“薔薇の法典”ローズ・オブ・コーデックスを開いた。


「――法執行官アリシア・ローゼスの名において“法典”(コーデックス)を開帳す」


 銀の光を纏って自ら風を起こし、法典のページが高速でめくられ、あるページでぴたりと止まる。


「今度の事件に於ける、この者の容疑を神判する。

 故意なき場合は無罪とする。やむにやまれぬ事情があった場合も同じく。

 ――それでも尚、この者に罪有るならば、その胸に黒薔薇を授けよ」


 銀光がひと際強く放たれると同時、法典から幻想の茨が勢いよく伸びる。

 それはベオルンの心臓と法典とを結び――しかし、咲いたのは白薔薇であった。


「グ=ガ氏族のベオルン、――汝に罪無し」


 ざわ、と取り囲んでいた村人の間にどよめきがあがる。

 一点の曇りもなき純白の薔薇、それはベオルンが無実であることを神が認めた証だ。

 彼らが望んだ展開とは異なるからか、空気には困惑の色が濃く漂っている。

 唯一人、村長だけがどこか安堵した表情でベオルンを見下ろしていたことが、せめてもの救いだったのかもしれない。


「村長、我々はひとまず情報を整理します。その間、この子を此方で預かってもよろしいですか」

「は、はい!!」


 場が混乱している今が好機とばかりに、アリシアは断定的な問いかけで肯定をもぎとると、手早くベオルンの縄を解いて集会所にとって返してしまった。

 少女がどことなくそわそわしていたように見えたのは果たしてロウの気のせいだろうか。

 ともあれ、後に残った白けた雰囲気の中、村人たちはどこか納得のいかない表情を浮かべながらもそれぞれの仕事場に向かっていく。


「とりあえず時間は稼げたようですな」

「真犯人がいるってことですよね、これ?」

「そうなります。我々も仕事にかかりましょう。私は村周辺と住人の権能を調べてまいります。ロウ様はアリシア様の補佐を。太陽が天頂にかかる前には戻ります」

「わかりました」

「良いお返事です。では、ご武運を」


 ロウの返事に執事は満足そうに頷き、少年の肩を叩いた。

 何故武運を祈られるのか、その時のロウは理解していなかった。



 ◇



 集会所に出戻ってきたロウが見たのは、桶に張った水面に全裸の子供――ベオルンを押し込んでいるアリシアの姿だった。

 すわ新手の魔女裁判かとロウは身構えたが、よくよく見れば、アリシアはベオルンを洗おうと四苦八苦しているようだった。

 ただ、頭を洗わせようとしているのだろうが、頭から桶にねじ込もうとしている姿はどうみても猟奇的だ。色々な意味で不器用過ぎる。


「ロウ、石鹸だして」

「いいから離セ!! 水浴びくらい一人でもできルッ!!」

「えっと、代わります」


 このままでは遠からず溺死させてしまう。ロウはアリシアの手からベオルンを抜き取った。

 ひょいと持ち上げた子供の体重は年の割に軽く、その拍子にロウの掌に肋骨とまだ固さが残る膨らみが触れる。


「……うん?」


 今、なにか予想と違う感触がしたような、と思わず首を傾げた瞬間、耳のすぐそばを風を切る擦過音と共に鋭利な刃が通り過ぎた。


「っと」


 ロウが手を離すと、ベオルンは器用に一回転して床に着地した。

 その姿はまさしく人狼。手足から背中にかけてが茶色の毛皮を被るように覆われ、尻からは太い尾が伸び、両手足の先では獣の爪が鈍く輝いている。

 未成熟な体を包む毛皮は分厚く、下手な矢弾くらいなら弾いてしまうだろう。


「丁度いいわ。その毛皮も洗いましょう」

「余計なお世話ダッ!!」

「まあまあ」


 ロウは尾を立てて今にも飛びかかりそうな様子のベオルンを宥める。

 マナーとしてはすぐにでも出ていきたい所だが、そうと知らぬ内にラーガンに釘を刺されていた手前、アリシアの暴走を止めねばなるまい。

 ひとまず諸々の問題を投げ捨てて覚悟を決める。


「すみません。女の子だとは思わなかったので」

「ッ!! ボクは――」

「うん、その、ごめんね」


 少年は執事服の袖をまくり、荷物の中から石鹸を取り出した。





 十数分後、ベオルンはほくほくした表情で敷物の上に丸くなっていた。

 くすんでいた茶髪も本来の麦穂のような輝く色合いを取り戻し、すっかり綺麗になったついでに敵意も薄れたのか、獣化も解除されている。

 襤褸を着直させる訳にもいかず、今はロウが残していた平服を着させている。洗濯したての清潔なものだ。

 早速役に立たったのは幸か不幸か、ぶかぶかな袖から覗く細い手足はただただ稚けない。


 ふう、と一息ついてロウは額に浮いた汗を拭った。

 ベオルンには失礼な話だが、気分は完全に実家で犬を洗った時のそれだった。


「御苦労さま」

「いえ、それよりどうしてこんなことを?」

「……ごめんなさい」


 見てられなかったのと呟き、しゅんと項垂れたアリシアにそれ以上追及の言葉をかけられず、ロウは困ったように頬を掻いた。

 少女の正義の根底にあるのは劣等感だ。それは同時に弱者が虐げられることへの怒りでもある。傍から見てもそれはわかる。

 それはそれとしてアプローチの方法は他になかったのか、と思わないでもないが。


「法執行官は子供も“法典”(コーデックス)で裁くんですね」


 ともあれ、対応がぼんくらだったのはロウも同様だ。これ以上藪をつついてもいいことはない。

 そんな意思を込めたロウの問いにアリシアもまた法執行官の仮面を被り直す。


「そうね……貴方が何を基準に子供と判断するのかが問題ね」

「どういうことですか?」

「――この世界では、権能が使えることが一人前の証なの」

「え……?」


 それはロウにとって少なからず衝撃的な事実だった。


「ちょっと待ってください。生まれつき(・ ・ ・ ・ ・)権能を使える人だっていますよね?」

「ええ、その人は生まれた時から、言葉も話せぬ内から一人前扱いね」

「なんでそんなことに?」

「権能の保持者を全部“法典”(コレ)で裁くためよ」


 水に濡れぬよう離して置いていた銀装丁を手元に抱き寄せてアリシアは云う。


「権能はユーティス神より与えられたもの。それを用いた犯罪を人の法で裁くことには多くの人が忌避感を持っている。だから、権能を使える人はみんな神の法の下に一人前とされているの」

「……」


 神のものは神の法にて裁くべし。


 それが正しいのかはロウには判断できない。

 ロウが知っているのは、権能には――たとえそれが天罰でなくとも、工夫次第で人を殺せるだけの潜在能力があるということだけだ。


「権能の種類や覚醒時期は血筋とか環境とかによって決まるらしいのだけど、獣人種は特に権能への目覚めが早いわ。そして、程度の差こそあれ“獣化”系に偏っている。神の法は、早期に権能に目覚めなければ生き残れなかった人達にとっては理不尽な定めかもしれないわね」


 汚れを落とし、生来の明るさを取り戻したベオルンの茶色い髪を撫でながらアリシアは続ける。

 夢見心地だったベオルンも撫でられる感触で目を覚ましたのか、瞼の落ちかけた目でアリシアを見返した。


「落ち着いた?」

「おちつくべきはお前だと思うケド……」

「返す言葉もないわ」


 がくりと肩を落としながらもアリシアはなんとか気を保った。


「とりあえず、色々と訊きたいことがあるの」



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